第百二十一話 一突きの槍
第一試合開始の笛が鳴った。
対戦するのは、ベスタ騎士団代表所属のランツェとディユング帝国の研究機関からきたハーム・ルサンチマン・ヴィタルだ。
リングの上に立つ茶色の髪と虎のような鋭く黄色い瞳を持っているのがランツェ。
青い髪をセンター分けした髪型で黒の士官服の上に真っ白な白衣を羽織っているのがハーム。
両者が構える。
「ランツェさん。がんばれー!」
先に試合の終わったセトが声援を送る。アズラもランツェなら大丈夫だと見守っていた。
二人を視線を背にランツェは目の前の敵を見る。
目の前の敵、ハームは構えもしない。所属からして術式を専門としているのは明確だ。
なら、それに対処できる作戦をランツェが頭の中に構築していく。
ランツェが足に力を籠めて走り出した。槍を構え先に仕掛けたのはランツェだ。
手から腕、全身さえも一本の槍に見立てて一気に敵の懐に飛び込んでいく。まるで、大きく長い槍が一突きしたかのような一撃がハームに襲い掛かった。
ブン!
未知の術式が発動する。紫色の毒々しいコードがハームの前を覆いつくしランツェの一撃を受け止めた。
鋭い一撃がコードに抑えられ、槍がピクリとも動かない。
「掛かりましたね。あなたのような単調思考の方々は実験にはうってつけです。ハイ」
「ぬッ!」
紫色のコードが明滅を開始する。まるで何かを吸い取っているかのような違和感をランツェは感じ取った。
すぐにその場を離れようとするが槍がコードに張り付いたみたいにその場から動かせない。
ズズズ・・・と槍を伝って何かが抜き取られる感触がランツェに襲い掛かった。注射で血をありったけ抜かれるような不快感。
喪失感にも似た何かがランツェの体を駆け巡る。
「!!? ッフン!!」
咄嗟の判断で風の術式を槍の先端から打ち出した。コードと槍の間に空気の層を無理矢理発生させ引き剥がそうと考えたのだ。
槍の先端に圧縮された空気の層が発生するとあっさりと槍が離れる。ランツェがすぐさま後方に距離を取った。
構えを変えずに槍と体の具合を確かめる。
槍に破損個所はない、体も問題はない。
特に異常は無いようだ。
異常が無いのなら攻撃を躊躇する必要はない。ランツェが乱れ突きをハーム目掛けて叩き込む。
逃げ場を潰しながら槍の雨がハームに襲い掛かった。
「グゥッ! 一か所では足りないか」
槍が右肩を抉り確実に追い詰めていく。顔を歪ませハームが逃げるように後ろに下がり、ランツェが徐々に間合いを詰めてプレッシャーを掛ける。
一歩、また一歩とハームがその場から逃れようとしているのかノロノロと歩き続けている。
観客席からブーイングが出始めた。ただ逃げ回るハームが気に食わないと批判しているのだ。
「ハッ、愚者どもめ・・・」
そんな観客の声をハームは鼻で笑う。
観念したのか逃げるのをやめ、手の平から土の術式を展開した。現れたのはただの土ではなく金属を多く含んだ土だ。
さらに、それを火の術式で熱して溶かしドロドロになった金属を剣の形状へと固定する。
灼熱の熔解し続けている剣だ。近くにいるランツェの頬に熱がジリジリと伝わってくるほどの高温。そんなものを握っているハームは全く平気な顔をしながら剣を向けた。
かかってこいと挑発している。
そんなと挑発など無視してランツェが風の術式で槍に空気を纏わせた。
これ以上戦いを長引かせまいと槍の威力を高めていき、狙いを定めていく。
ランツェの動きに対してハームは仕掛けようとしてこない。ならばと、ランツェが動いた。
空気の層を纏った槍を振り回し槍の先端で円を描いていく。直線的な攻撃が特徴の槍で攻撃を円状に広げたのだ。
攻撃、防御、フェイント、その全てがこの振り回される槍の円状に内包されている。
槍の先端がハームに届く距離に迫った。
「ヌンッ!」
振り回されていた槍が唐突に直線となって突きが飛び出してくる。
突然の攻撃にハームは慌てて灼熱の剣で対処するが防御しきれない。突きの威力に押され槍が脇腹を掠めていく。
痛みで顔がさらに歪んでハームの動きが止まってしまう。それをランツェが見逃すはずがなかった。
「ガゥッッ!!」
悲鳴にすらないらない声を上げ、ハームが槍に突き飛ばされる。
灼熱の剣で防ぎはしたものの腹に深い刺し傷が残ってた。
「ハハハ・・・ッ」
この追い詰められた状況でハームの口から出てきたのは笑い声。
痛む体を無理矢理に起き上がらせていく。
「やはり単調思考の方々は実験に最適だ。違和感を警戒はすれど調べはせずに攻撃してくる。ハイ」
ハームはまるで今から実験が始まるかのような口ぶりで話す。ランツェはそんなハームに警戒を高めていた。
彼の胸を中心にまた紫色のコードが展開されていたのだ。だが、今度は最初に感じた不快感のようなものはない。
槍にも、体にも異変は無いようだ。
相手はもう虫の息。
何かされる前に決着を付けようとランツェが構えを大きく変えた。
常に体の前、腰から水平に構えていた槍を肩の上から下に向く様に構えたのだ。
ゴゥ! とランツェの周囲に風が集まっていく。
術式で風を操作し槍を覆っている圧縮された空気を膨張させて後ろに透明な球体を生み出す。
その球体を槍を後ろに引いて突っついた。
直後に起きたのは空気の爆発。
圧縮された空気が刺激を与えられ一気に爆発したのだ。爆発を背に受けたランツェは音速と等しい速さで飛んでいく。
拡散していく空気を利用した必殺の一撃。
それが、爆発の音が聞こえると同時にハーム突き刺さる。
「!!?」
はずだった。
突き刺したのは何もない場所。ハームは1mも左隣にいる。
アズラが思わず立ち上がり試合の様子を見つめた。
ランツェがこんなミスをするとは思えないからだ。
(あの変な術式の所為ね。でも、術式ってことは何かを再現したということ。攻撃が外れてしまうことの再現? そんなこと可能なのかしら?)
アズラはすぐに紫色のコードが原因だと予測する。あのコードが何かしたのは間違いないだろう。
それを証明するようにハームが笑みを浮かべている。実験が上手くいったこと喜ぶ研究者の表情だ。
ランツェが怯まずに槍を横なぎに振った。横にいる敵への突きよりはるかに速い攻撃。
だがそれも。
「ッ!!」
先ほどと全く同じところで槍の先端が止まる。
何が起こっているのか理解できずにいると、ザシュッ! と肉が切れ、焼け焦げる音が聞こえた。
ハームが笑いながらランツェの足を灼熱の剣で斬りつけたのだ。ただの切り傷ではない。その高温で肉の内部、筋繊維まで焼き尽くす攻撃。
剣をブラブラと持ちながら笑みを崩さぬハームに、ランツェは突きの嵐で反撃した。
圧倒的な突きによって壁のように槍が広がるが。
それでも。
「ハァ・・・、ハァ・・・」
その全てが、先ほどと全く同じところに止まっていた。
ランツェの顔が驚愕に染まっていく。ランツェはちゃんと狙って攻撃しているのだ。だが、それの攻撃がなぜかこの場所で止まる。
縫いつけられたようにそこにたどり着くのだ。
「経過は良好です。ハイ。やはり現象はマクロ的な振る舞いを考慮しなければ高位の再現は叶わないのか・・・。もっと、もっとデータが必要だ! 離れた場所からならどうです? さぁ、やってみてください」
ハームの目の色が変わっていく。その目は真実を知りたがっている研究者の目だ。
何かの術式に囚われたランツェは、なぜか槍を適当に振り回し始めた。
右へと突いてみたり、足元を突いてみたりと何かをしている。
ハームの術式を突破しようと抗っているのだ。
それを見たハームは無駄なことをしていると不満な表情になって。
「? そんなことをしても無駄ですよ。私の開発した術式は、起点を設けその基準に沿った再現をするもの。今回の場合は攻撃終了箇所の起点を設け、そこに槍が到達するまでの現象を重ね合わせているもの。何をした所で基準には従ってしまうのです。ハイ」
と自慢気にハームが説明した。ランツェはその言葉を黙って聞き続ける。
簡単に説明すると、毎回同じ場所に槍が来るように様々な現象を再現し重ね合わせ、疑似的に可能性を操作しているのだ。
槍そのものの可能性ではなく、周囲を現象という壁で埋めていき結果的にそこにしかたどり着けなくしている。
魔装の事象干渉能力を再現した術式と言えるだろう。
アズラもなるほどとハームの高度な術式に感心している。
そんな余裕な表情のアズラにセトが。
「アズ姉! 感心している場合じゃないよ。ランツェさんがピンチなんだよ!」
と心配するが。
「大丈夫よ。だって相手が自分から弱点を教えてくれたじゃない」
「え? そうなの?」
セトが全然気付かなかったと驚いて目線をリングに戻す。
リングに立つランツェは槍を構えて再び攻撃を放とうとしていた。
さっきと変わらないじゃないかとセトは心配になるが、ランツェが放った槍が一直線にハームへと直撃した。
ハームが信じられないと悲鳴を上げる。
「あ、当たった」
「ね? 大丈夫だったでしょ」
「でも、なんでいきなり?」
「敵の術式は、たくさんの現象を重ね合わせてランツェの攻撃を封じていたの。なら、そこに全く関係ない現象を割り込ませればいいわ。ほら、あんな感じに」
アズラが指さした先には、風の術式で宙に浮かぶ一本の槍だ。
ランツェが風の術式で槍を操作しているのだ。細かな調整が必要なハームの術式に対し、風の術式は現象の再現も簡単で、規模も大きい。
小さい現象に大きな現象をかぶせれば小さい方の影響はかき消されてしまうのが普通だ。
ハームの至極丁寧な説明でランツェはあっさりと対処法に気付いたのだ。
「現象の重ね合わせに誤差が生じている! 今すぐ術式の使用を中止しなさい。ハイ!」
実験が崩れていくのを目の当たりにしハームが叫ぶ。
だが、ランツェはもう止まらない。これは試合であり実験ではないのだ。彼に付き合う必要などない。
風を纏った槍を構える。風という現象で覆われた槍は、ハームの術式では防げない。
ハームの顔から笑みが消え焦りが見えてくる。腹に負った傷からもかなりの血が出ている。
一つの実験をするのにこの代償は致命的だ。
そう、これは試合、実験ではない。
「実験中止。負けたら続きが出来ないですからね。ハイ」
ハームも根本的なことは正しく認識している。認識を誤ったのは相手の力量だ。
ランツェの強さを認め、実験対象ではなく敵として対処していく。
ブン!
術式のコードが宙を走る。
現れたのはハームを完全に覆った黄色い球状の光。
六角形に模られた光の輪が集まって球体になっているのが分かる。そして、このタイミングで出したということは、防御に特化した術式だろう。
防御に特化していると理解しつつランツェは仕掛けた。
迷いなく槍を光の球体に突き刺していく。しかし、槍が球体に阻まれてその勢いが急激に落ち、ビキ、ピキ・・・と腕から鈍い感触が伝わって来た。
だが、ランツェは退かない。そのまま槍を押し込んでいく。
「!? 単調思考の塊ですね。ハイ。自分で突き刺した力が自分の腕に返って来たのは分かっているはず」
「・・・」
素手で岩を殴りつけた時の痛みを何倍にもした感覚。自分の生み出した威力が全て自分に返ってくるのだ。
ハームに届く前に威力が奪われ自分の腕を破壊していく。
そう結果だけをみれば考えてしまう。
ランツェの攻撃を阻む術式の色は黄色。それは三導系の光の術式オールの系統。オールは強化を司る属性だ。なら、威力を反射しているのはおかしい。
ランツェはそのことにいち早く気付く。あれは威力を奪ったり反射しているのではない。
強化しているのだ。
何を?
ランツェはその答えにもすぐに気付くことが出来た。ハームは強化する対象を誤った。それはランツェが得意とする属性。
風の属性だ。
ランツェが槍を中心に風を巻き起こす。周囲の空気を根こそぎ奪い取り相手までの一直線に続く竜巻の道を生み出した。
光の球体が強化していたのは空気の強度。その空気を失ったことで効力が消え失せる。ハームの表情が驚愕に固まった。
「ま、まて! この実験は術式の発展に必ず寄与する。ハイ! だからッ!」
「ウォォオッ!!」
竜巻の道が真空の空間となる。槍の後ろに圧縮された空気をため込んで迷いなく爆発させた。
それは、空気という障害物のない道を最速で駆け抜ける一突きの槍。
奥義・蒼槍
一突きを追い求めた先に得たもの。
ランツェの奥義がハームの胸を貫いた。
甲高い笛の音が鳴り渡り赤いコードがリングを埋め尽くす。
コードが消えると中からランツェが現れ堂々と槍を掲げた。
ランツェの勝利。
セトたちの個人戦3連勝だ。