第百十五話 神話と聖女
かなりの時間が過ぎただろうか。
空高かった太陽が傾いてきている。
小型の術導機から映し出される映像からは団体戦が最終局面を迎えていることを告げていた。
なんとベスタがケレスとヒギエア両騎士団に同時に攻められて陥落寸前にまで追い込まれている。
ランツェとアズラが必死に押し止めているがもう限界のようだ。
魔装にヒビが入り、槍が二つに折れている。
セトはすでに戦闘不能で、森羅は自軍領の旗の側から離れられないでいた。
小型の術導機がこの展開を生み出した人物を映し出す。
ヒギエアの騎士団の一人、石のように白い鎧と特徴的とも言える胸の中心にある大きな魔晶石。
さらに、背丈の2倍はあろうかという槍のように細長い筒状のものを背中に装備した一人の騎士。
この騎士がセトたちベスタ騎士団を追い詰めた。
超精密遠距離攻撃手段を有していたのだ。試合会場は半径50mほどだが、その程度の広さでは針の穴を通すほど、驚異的な精密攻撃を仕掛けてくる。
その攻撃がきっかけでセトは急所を討ちぬかれ、今の状況になった。
盛り上がる観客の声がルフタたちの耳にも聞こえてくる。
「そろそろ団体戦が終わる頃であるか」
「ルフタ君、セト君が倒れてるよ!」
「なぬ!? ぬー・・・、一歩及ばなかったであるか」
ちゃんと試合を見ておけばよかったとちょっぴり後悔するルフタ。
本番は個人戦からなのでまだ落ち込むには早いが、やっぱりセトたちが負けてはいい気はしない。
そんな後悔しているルフタにくっついていたノネがゆっくりと体を起こす。
落ち込んでいる彼の頭を撫でてやり、気を落とすなと励ます。
ノネが立場なんて気にせずに、こんなに甘えたのは初めてだ。
少し恥ずかしい甘酸っぱい気持ちになりながらノネが椅子から立ち上がった。
「もう行くのであるか?」
「うん」
「そうであるか」
まだ離れたくない。ずっと傍にいたい。
そう願うも、二人の道は5年前に分かれている。
今はまだその道が交差していない。今日は、たまたま隣り合っただけだ。
ノネを見送ろうとルフタも椅子から立ち上がった。
「近くまで送るのである」
「ルフタ君は昔と変わらないね。ずっとあの頃のまま。やさしいルフタ君のままだね」
「ん? そうであるか?」
ノネが嬉しそうに指摘するがルフタにはピンとこない。
自分のことなんて自分では気づかないものだ。
城壁の道を再び歩きつつ。ルフタは、ノネにあることを相談する。
神官長だったノネならきっと何か知っているだろうと思ったのだ。
そう、リーベのことだ。
「師匠、ある女の子のことで相談があるのだが」
「どんな子?」
「リーベという子なのだが、記憶を失くしていてな。だが、今日あることがきっかけで名前を知ることが出来たのだ。エハヴァ・ツァラトゥストラ。リーベの本当の名らしいのだが、この名に何か心覚えは無いだろうか?」
エハヴァ・ツァラトゥストラ。その名を聞いた途端、ノネの顔が少し険しくなった。
厄介ごとを見つけたような。そんな雰囲気。
「そのリーベって子が自分で言いだしたの?」
「いや、なんでもラバンとシャホルという二人組から聞いたようで、本人は自分の本当の名前で間違いないというのだ」
「そっか・・・」
ノネはしばらく難しい顔をしてから。
「リーベって子がそうなのか分からないけど、エハヴァ・ツァラトゥストラは聖女の名前だよ。4人いる聖女のうちの一人、”三柱 それはどこまでも黒く、神秘的で愛に満ちた者”、ビナーの聖女」
「ビナーの聖女・・・。四聖獣の一角、最上位のセフィラ、あのビナーのことであるか」
「そうだよ。ルフタ君もツァラトゥストラ教神話は覚えてるよね? 巫女と四聖獣の話」
「もちろんである。その神話が何か関係するのであるか」
ツァラトゥストラ教神話の巫女と四聖獣は、巫女に従いし聖なる4体の獣が悪神の黒き子らを葬った物語。
世界への救済を拒み、滅びをもたらす悪神の黒き子らを巫女とそれに従う聖なる獣たちが打ち倒す。
ルフタが神話の内容を思い浮かべる。世界の創世記、魂神と異神の戦いの話を。
「うん。この話に巫女が登場するでしょ。この人が一番最初のセフィラとの契約者。そして、聖女の・・・、そうだなぁ、母とでもいえばいいのかな」
「最初の契約者は聖人ラビ・モーゼスでは? 違うのであるか?」
「正確には聖人ラビ・モーゼスがセフィラとの契約手段を確立したの。それまでは巫女しか契約が成功していなかったんだよ」
「巫女に従いし聖なる4体の獣・・・。まさか、巫女は最上位セフィラ全てと契約を!?」
「そう、その通り。そして、その契約が原因で聖女はこの世に誕生したんだよ。四聖獣を依り代にしてね」
聖女は巫女と呼ばれる存在の契約が元となりこの世に生を受けた。
人として生まれるのではなく、四聖獣、つまりセフィラを依り代に人の形となった。
それが何を意味するか。
「師匠、それはつまり聖女は、リーベがセフィラであると・・・?」
ルフタは恐る恐る尋ねる。
もし本当にリーベが聖女であるなら自分の身には余る存在だ。
リーベが危険というつもりはルフタには毛頭ない。リーベの立場がルフタの身に余るのだ
もし本当にリーベが聖女ならジグラットが黙っているはずがない。
「エハヴァ・ツァラトゥストラが、だよ。リーベが聖女かどうかはまだ分からないから」
「そ、そうであるな。吾輩としたことが・・・早とちりしたである」
まだ分からないが考慮はしておくべきだろう。なにより、リーベが神官よりも高次元にセフィラとの対話を実現している。
ルフタもその光景を見ているのだ。
リーベの今後についてルフタは悩んでいく。
今のまま普通に暮らしていて問題はないのだろうか? もしかしたら、この普通の暮らしがリーベにとっては負担になっているかもしれない。
せめて、聖女か聖女でないかがハッキリとすればいいのにとルフタが考えていると。
「・・・ルフタ君。聖女がセフィラであることは間違いないけど、人として生きてるのも事実だから。彼女たちは一人の人として今を生きてるの」
「リーベが聖女であったとしても今まで通り一緒にいれると?」
「ただ普通に暮らすだけなら・・・。でも、それは叶わないと思うな」
ノネは宣告する一緒にいるのは叶わないと。
伝えたくない事実。だけど、伝えなければいけない真実だ。
「それはどういう事であるか師匠。ただ普通に暮らすことが、一緒にいることがなぜ叶わないと」
その真実を受け入れられないとルフタが強い口調でノネに聞き返す。
ノネは悲しい目をしながら答えた。
「聖女はね。大切な何かを失った時、セフィラに転位するの。命、心、愛。自分にとって掛け替えのないものを失った時、残された全てを贄にしてセフィラに戻ってしまうの」
聖女は自分が死ぬとき、最愛の人たちが死ぬとき、人であることを失ってしまう。
人の形としてその事象を受け止めることができないから、セフィラに戻って受け止める。
そう、聖女は人の死を受け止めることが出来ない。大切な人たちの死を受け止められないのだ。
「・・・それを防ぐ手立ては?」
「ないよ。でも、四聖獣を殺せる存在がいる。聖女がセフィラに転位したその日、その瞬間に、殺しに来るの」
「最上位セフィラを殺す存在・・・」
それは、セフィラの存在を決して認めない者。
生と死を理解できない魂神アイン・ソフの子たちに死という祝福をもたらす存在。
「黒き異端者アニマ。それが聖女を殺しに来るから、一緒にいることは叶わないんだよ」
「異神の使い! ・・・そうか。カラクリが読めてきたである。師匠、つまり神話の戦いはまだ続いているのであるな?」
ルフタはノネの話の裏に広がる神々の戦いに気が付いた。
聖女の存在はその戦いへの入口となるということ。
聖女の側にいる者が巻き込まれるということだ。
「・・・うん。だからずっと一緒にはいれない。聖女と離れて暮らすか、彼女にとって大事な位置にいない人として一緒にいるか。私たちにできるのはそれぐらいなの」
聖女のことを一番想っていても、彼女から遠い位置にいる人として付き合う。
ある時は聖女がよく買いに来る野菜屋さんの店長、ある時は、聖女が住む国の王として。
彼女たちを見守るしかない。
そして、聖女は長い人生の果てに誰一人気付かれずに、たった一人で死を迎える。
それが、人として生を終える生き方だ。
聖女が愛を知った瞬間に、四聖獣と黒き異端者の激突は定めづけられてしまう。
「リーベが聖女でなくても、そんな毎日を送っている少女がいるのであるか」
「4人もね・・・」
ノネの悲しい顔。
彼女にこんな顔をしてほしくて聞いたのではない。ルフタは彼女には笑っていて欲しいのだ。
「・・・すまん師匠。言いづらい事を聞いてしまったである」
「ううん。気にしないで。あ、そうだ。ルフタ君、聖女の見分け方教えておくね。この先、彼女たちと出会ったら助けてあげられるように」
ノネの優しさは誰へだてなく向けられるもの。
もちろん聖女にも。
ルフタはノネが伝える見分け方をしっかりと聞いていく。
「聖女は神術の効果を受けることができないの。本質が人ではなくセフィラだから神術による効果が意味を成さない。治癒の神術を使ってあげればすぐに分かると思うよ」
「感謝するである」
ルフタがノネに感謝の気持ちを伝える。これで、少なくとも聖女かどうかは分かる訳だ。
なら、起こり得る事態に先に手を打てる。
「でも、例えその子が聖女だったとしても絶対に見捨てたりしたらダメだよ! リーベが聖女か確かめる時、それはリーベと一生を共にすると誓ってからだからね」
ノネの釘をさす一言に。
ルフタは。
「当たり前である。それに、リーベとは、セトとアズラたちとは一生を共にするつもりである」
そんな問題は無いと答えた。もう何があっても諦めないと、失敗を取り戻すと誓った。
リーベが聖女かどうかで心が揺らいでいては、みんなのお父さん役失格だ。
城壁の道を歩き終え、ノネは市街地の方を目指す。
市場に向かうルフタとはここでお別れだ。
小型の術導機から映し出される映像からは、ヒギエアの驚異的な精密攻撃をヒラリと避けて華麗に領土の旗を斬り倒し。
ベスタの旗を守る森羅を正面から打ち破った2人の傭兵たちの姿が映し出されていた。
黒髪に顔を覆うほどの大きな仮面を着けた二人組の男女。ケレスの切り札。
闘技場からは割れんばかりの歓声と勝利の祝福の声が上がっている。
「ルフタ君、最後に一つだけ」
「何であるか?」
「騎士団統一戦が終わったら商会のみんなと一緒に城門前まで来てもらえるかな」
「商会の者全員であるか?」
「うん」
ノネの結構無茶なお願いにルフタは驚くが。
「まぁ、吾輩が言えば何とかなるである。何かあるのであるか」
「え? うん、まぁ、ちょっと会わせたい人がいるの。ルフタ君たちみんなで会って、・・・その時にまた説明するね」
何か歯切れが悪いがルフタ承諾する。
それはまたノネと会えるということだから、ルフタとしては嬉しい事だ。
「あ、あともう一つ」
「最後の二つであるな」
「えへへ・・・。もぉ、大事な事なんだからちゃんと聞いてよ」
照れたり怒ったりとノネは嬉しそうだったが、スッと真面目な顔になり。
「悪夢に気を付けて」
そう警告した。
「自分が死ぬ悪夢。自分が飲み込まれて消えてしまう夢のような、そんな感覚。曖昧でうまく言えないんだけど、それがダートという聖女をつけ狙う存在なの」
「ダート・・・。確かリーベもそんな話を聞いたと言っていたであるな」
「ダートについては私も詳しくは知らないのだけど。でも確実にいるから、気を付けて!」
そのノネの必死な訴えにルフタはダートから危険な香りを嗅ぎ取る。
夢のような何か。まだ、曖昧すぎて不明確な状態だが警戒した方がいいだろう。
ノネから重要な情報を聞いたルフタは彼女に別れを告げ。
「分かったである。では、師匠また」
「うん。またねルフタ君」
市場へと歩いていくのだった。そのルフタの後姿をノネは最後まで見送っていた。