第百十三話 開幕式
黒くて暗い闇の会話は続く。
ただそこにいるだけで人を信じることができなくなる程の気配が蠢き、フローラを飲み込もうとしている。
フローラは必死にそれを振り払い人として、個人として、闇の中の一輪の花のように凛として咲きほころうと心を強く持つ。
その真っ赤な真紅のドレスが闇の中でただ一点の光となるようにその目に力を宿していく。
目の前に枯れてしまいそうな花がある。見ている者たちはそれに水をやるかやらないかで駆け引きをしている。
それはおかしいのではないか?
条件や利益や結果以前に、水を与えるべきだ。
苦しんでいるのだ。大切な人を守ろうとして、国を守ろうとして痛みに耐えているのだ。
それを少しでも和らげることの何がいけないのか!
強い心を持ってフローラは口を開く。今まで黙って見ていた全てが損益の世界に心という数字で表せないものを放り込もうとする。
優しさが否定された世界では幸せを生み出すことはできない。
フローラはそう信じ。
「ッ・・・」
喋ろうとして想いを叫ぼうとして。
自分の信じる想いを言葉にしようとして。
そして、言えなかった。
いらない。
必要ない。
その救いはいらないとシアリーズの目がフローラに訴えていた。
ジッと目線だけがフローラを捉えて離さずに彼女の声を喉の奥へと封じ込める。
その目は告げている。この結果で十分だと。
今、ケレスに必要なのは優しさや幸せではない。
結果なのだ。
現状を覆せる力なのだと。そのためには全てを差し出してもいい。
財も、地位も、体も、心すら、全て。全てその結果が得られるなら。シアリーズは決意している。祖国を救うため全てを捧げると。
その彼女の誓いの前では、フローラの想いは本当にただの優しさでしかなかった。
何も救えない優しさでしかなかった。
(父上は分かっていたのですね・・・。シアリーズにはもう後がないと・・・。ケレスという地位と権力が毟り取られるこの結果を・・・分かっていたのですね。分かっていて・・・!)
フローラはキュッと唇を噛む。
何もできない自分を叱咤するように痛みを与える。
フローラが父ウィリアムの方を見た。
見捨てたと。
ケレスに残された道は紛争の終結とその戦後処理という膨大な負債を背負う未来。
ベスタとヒギエアはこの場で恩を売ることで国の滅亡という最悪のシナリオから救い出し、戦後の地位を強固とする。
戦後のカラグヴァナではより強国になった二国と弱体化した一国、そして滅亡した国が一つ。
これが、ウィリアムたち四大公爵家の思い描いたシナリオ。
ここでの会話はそれに繋がる約束でありシアリーズはその要求を呑んだのだ。
本人が呑んだ以上、もうフローラにはどうすることもできない。彼女にはその発言権がない。権威もないのだ。
静かに自分を睨む娘に対し、ウィリアムは。
(まだまだ子供だな、何も失わずに救えると思っている。・・・もう、ケレスは堕ちたのだ。これは敵を誰が排除するかということ。救うためではない)
優しさを否定した。
フローラの優しさなど誰も見てすらいなかった。
救済の話はとうの昔に終わっていて、手を差し伸べる話をしながらケレスという盾を活かし次の戦力を送り込む話をしていた。
ヒギエアの装備を送るとはそういうこと。
これでウィリアムはタウラス第一王子の派閥に対して四大公爵家をまとめ上げることで対抗し、アーデリ王国との決戦に向けてヒギエアと約束を取り付けたことになる。
その約束でシアリーズは亡国の姫とならなくて済む。彼女にとっては十分な結果だ。
そして、その結果を得るためにも。
(シアリーズ嬢はこちらの側に付いた・・・。後は、タウラス第一王子をどう黙らせ、アーデリ王国を叩くか・・・。それも、騎士団統一戦で切れるカードが手に入る)
ウィリアムはこの戦火の先を見つめる。
準備は十分。後はタウラス第一王子が出てくるパーティーで彼を返り討ちにすればいい。
公爵家同士による腹の探り合いが終わり、それぞれ騎士団のいる場所へと戻っていく。
ガスパリスが迎えに来た騎士と共に食事に向かい。ウィリアムもセトたちの様子を見に行く中、まだ椅子に座ったままのシアリーズをフローラは見つめていた。
掛けるべき言葉が思い浮かばずただ時間が過ぎていき、しばらくして一人の仮面を着けた黒髪の男がシアリーズを迎えに来る。
どうやら体に力が入らないようだ。男が手を取り支えてもらいながらそれでも公女として相応しい立ち振る舞いをして、キッとフローラを見た。
「ッ!」
思わず体に力が入る。
彼女の目は見た相手を硬直させるほど力に満ちている。
何も告げれないフローラに対し。
「何も分かってないのね。あなた」
それだけ。
その一言だけ告げてシアリーズは去っていった。
自分を否定されたような感覚をフローラは覚えるが、その言葉の意味を理解は出来なかった。
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そして、その日が来た。
王都を覆う城壁という天井から術式による光の雨がヒラヒラろ紙吹雪のように降り注ぎ、空には花火が打ち上げられる。
人型術導機の腕の砲台から空砲が次々と鳴り響き、その開催を告げていた。
四公国騎士団統一戦の開幕を。
王都の中央にある巨大王城を支える柱、ツェントルム・トゥルムに人が集まり割れんばかりの歓声が響き渡る。
これから始まる騎士たちと戦士の戦いを祝福するように人々のエネルギーが爆発しているのだ。
宙に浮かぶ小型の術導機から光が照射され闘技場の様子が映し出された。
そこに映るのは、試合が行われる白い円状の舞台に並び立ったベスタ、ヒギエア、ケレスの公爵家たち。
そして、その騎士団だ。
映像は城下町の至る所で見ることが出来る。市場でも小型の術導機から映し出されルフタたちも仕事を止めて釘付けになっていた。
「始まったであるな」
「・・・あ! セトとアズ姉さんいたー!」
「どこニャ?」
「ほら、あそこー」
リーベが映像の中からセトたちを見つけた。緊張でガチガチのセトとキリッとした表情のアズラ。ランツェも堂々と映っている。
3人の前には騎士団の団長役となる森羅がいつも通り微笑んでいた。
いつも通りのセトたちがそこにいた。
他の騎士団も映し出される。
映ったのはヒギエアの騎士団。その重武装ぶりから術式兵器と大差ない印象を受ける騎士たちだ。
それぞれが特徴的な装備を背中に取り付けている。バカでかい槍のような筒や、二本の棒を背負っていたり。団長と副団長はそれぞれ、翼にも見える剣を重ねた装備と一人だけ明らかに大きすぎる鎧の塊を装備していた。
ヒギエア独自の技術力の結晶。それぞれ何らかの効果を持っているのだろう。
そして、ケレスの騎士団が映し出される。
臣民たちは少し驚きを持ってそれを見た。
騎士ではなく傭兵が団長として前に立っていたのだ。白銀と黒の軽装の鎧を身に着け仮面をかぶり素性を隠したその姿は同じく騎士ではない森羅よりも違和感を放っている。
森羅が驚かれずに受け入れられたのは、すでに王都の臣民からベスタの懐刀として知れ渡っているからだ。
ウィリアム公爵が重要な局面で必ず出すのが彼、森羅だ。
しかし、ケレスの顔として初めて来たシアリーズは自身の信頼する者として傭兵を選んでいる。それが王都の臣民たちを驚かせていた。
驚きはしたが、もしかしたら森羅のようにケレスが隠していた懐刀かもしれないと臣民たちは騒いでいく。森羅という前例がいるため彼の存在は受け入れやすかったようだ。
その仮面をかぶる男の登場にルフタたちも胸が高まってきた。
「ケレスがなりふり構わず強者を集めているであるな」
「あいつ強いのニャ?」
「ああ、仮面で顔を隠しているが所属は隠していないようだ。あの傭兵団ならかなり強いぞ」
ルフタは仮面をかぶる男の胸に刻まれたシンボルを見て確信する。
その言葉にエリウとリーベも強いのかー! と映像を注視していた。
映像が切り替わり観客席側を映し出す。
観客席は超満員で人で埋め尽くされていた。歓声と熱気が映像越しでも伝わってくるほどの圧迫感を感じるほどだ。
その観客席の中で、試合を特等席で見ることの出来る位置に観客席とわざわざ切り離された区画が用意されていた。そこが拡大されていく。
そこにはこの国の中枢にいる者たちが映っていた。
ベスタ、ヒギエア、ケレスの公爵家たち。
そして、王位継承権第10位から1位の上位王位継承者たちが勢ぞろいしている。
カラグヴァナ王国の権力の象徴。
それが彼らだ。
これからカラグヴァナの力を世に見せつける大会が始まるのを告げるかのようにその中の一人が前に進み出る。
短くまとめた金髪に威厳を漂わせるように髭を整えたその男は。
タウラス・シュピルナ・カラグヴァナ第一王子。
この騎士団統一戦を開いた人物。
ウィリアムたちと対峙する政敵。
そのタウラスがカラグヴァナの全臣民に向けて声を上げる。
「今日、この日は記念すべき日となる。我らは目撃するだろう。数多の強者をなぎ倒し、数多の壁を乗り越えて、真に選ばれし騎士が誕生するその瞬間を! その瞬間の始まりこそが今日なのだ」
思いを思惑を言葉に乗せて。
望みを野望を声にしてタウラスは言い聞かせていく。
その声を映像と共に王都各地に伝えていく。
「我らの目の前にその強者はいる。称えようではないか。この神聖な戦いに身を投じる彼らを! カラグヴァナの力となる彼らを!」
タウラスの祝辞を聞く観客たちのボルテージが異様に高まっていく。
タウラスの言葉が人の気持ちを揺さぶり高揚させているのだ。
「彼らはその力を持って我らに、その血と汗が滲んだ全てをさらけ出すのだ。それを受け止めるは、まさに誉れと言える。その栄誉ある地として」
そして、タウラスは高らかに宣言する。
「ここに! 第53回四公国騎士団統一戦の開幕を宣言する!」
王都が吼える。伝統ある大会の開幕が宣言されて臣民が歓喜している。
その迫力にリーベは驚き、エリウは一緒になって叫んでいた。
ルフタはセトたちの戦いの始まりを静かに見守る。
映像はまだタウラス第一王子の祝辞を流しているが、ルフタはそれを見ずに店の中に戻っていく。
映像に釘付けになっている場合ではない。騎士団統一戦開幕に合わせた商品の販売をしなければならないのだ。
外からでも店の中でその準備が進んでいくのが見えた。自分が手伝わなくても大丈夫そうだ。
流石はアプフェル商会王都支部。
元々、へファー商会として市場で商売をしていただけある。
王都では彼らの方がプロだ。
「ここは彼らに任せて、エリウたちと飯にでもいくか」
ルフタが振り返りエリウたちを呼ぼうとした時、ルフタの視界の端に人混みの中に紛れた薄いピンク色の髪を見つけた。
美しいというよりは体が弱そうなほど、肌が白くその肌にさらに白い神官服を着ている女性が視界の端にいる。
「!!?」
衝撃が、心に意識に衝撃が走る。電流でもぶち込んだかのような衝撃がルフタを駆け巡った。手足が震えしまい自由に動けない。
もう会えないかもしれないと諦めかけていた人が、自身の全てを捧げてもいいと思えたその人がすぐ側に見えたのだ。
ルフタは気が付いたら駆けだしていた。
人混みをかき分け先ほど見えた人物を探す。
「いない!? いや!」
周囲を見回すと市場の出口の方に歩き去っていく薄いピンク色の髪をした女性がいた。あの後ろ姿、間違いない。
ルフタが見間違えるはずがない。
彼女だ。
「待って下され! 吾輩である! ルフタ・ツァーヴである!!」
ルフタが大声を上げてその人物を呼び止めようとするが、周りの歓声にかき消される。
薄いピンク色の髪をした女性が一瞬立ち止まって、キョロキョロと辺りを見回した。だが、首を傾げるだけでまた歩き出してしまう。
このままでは行ってしまう。
人混みに遮られて、また会えなくなってしまう。
今を逃したらもう二度と会えない。そんな気さえして。
ルフタは思いっきり叫ぶ。
「師匠のォ! パンツはッ!! かわいいウサギちゃんが描かれた白パn、ブッ!!?」
「なんてこと言っちゃってくれるかなー!!」
ルフタの顔面に飛び蹴りが飛んできた。神官服がはだけて生足が見えているが容赦なく彼の鼻を押し潰す。
「ぐほぉ!!」
「あれぇ!? ルフタ君!!」
彼女がようやくルフタに気が付いた。
「お、お久しぶりである。師匠」
そう、ルフタの会いたいと願っていた人物。
ノネ・デカダンス・メーディウム。
ルフタの師匠だ。