第百十二話 統一戦前日
今より遥か昔。
そう古の時代に彼と彼女たちは出会った。
彼は旅をしていた。
灰色のボロボロになったローブで身を包み、黒く細長い布を包帯のように全身に巻き付けている。彼がそんな姿をしているのはある理由からだ。
彼は全身を死に蝕まれていた。人智を超えた力がぶつかり合う災厄の中心にいた代償とでもいうべきもの。
呪い。それが彼の命を蝕んでいた。
だが、彼はそう長くはない命を世界を見るために使った。
神話が終わり神のいなくなった世界を知りたくて旅に出た。その新しい世界を見るために彼は山を越え海を渡り、神から解放された世界を記録し人々に伝えていったのだ。
その旅の途中で彼は彼女たちと出会った。
それは、神が押し付けた救済であり、彼にとって受け入れがたい存在だった。
彼の愛した人を殺して・・・。そうだ、神に殺されて・・・。
だけど・・・。
認めたくない者たちでも、彼は、彼女たちを人として育て名を与えた。
一柱 それはどこまでも白く、神々しく威厳を持った者。
その聖女の名は、ペシャ。
神の罪を乗り越えて欲しいと願い名付ける。
二柱 それは灰で染まり、荒々しく力で満ちた者。
その聖女の名は、ハーザク。
神のいない世界でも勇気を持てと名付ける。
三柱 それはどこまでも黒く、神秘的で愛に満ちた者。
その聖女の名は、エハヴァ。
神の代わりに全てを愛して欲しいと名付ける。
四柱 それは世界のように鮮やかで、生命と知識を併せ持つ者。
その聖女の名は、シェキナ。
神ではなく自分たちが人々を導けると信じて名付ける。
名を与え、彼女たちを立派に育て上げた彼はその命を終える。彼を父と慕い共に暮らした彼女たちに看取られて永い眠りにつく。
彼の残した記録は教えとなり、彼を蝕んだ死は神が見る死の夢として残り続ける。
今も残り続けている。
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エハヴァ・ツァラトゥストラ。
それがリーベの本当の名前。
リーベが自分の名前を思い出したと大騒ぎしながら王都支店にやって来たエリウから、ルフタは話を聞くのだが俄かには信じられなかった。
もし、もし本当にそうだとするとリーベはツァラトゥストラ教の聖女様ということになる。
聖女の名前が経典より失われているため、神官であったルフタも確実なことは言えないが聖女が4人いるという話はジグラットでも上位の者しか知らない情報だ。
ルフタは神官長ノネの弟子だった時に聞いたのだが、この話をリーベに教えた二人組の少女のことも気に掛かる。
ルフタはリーベにその時のことを詳しく聞くことにする。
「それでリーベその二人は何と名乗ったのだ?」
「ラバンとシャホルって言ってたよ」
「どんな顔だった? 普通の女の子か?」
「ううん。おでこに角が生えてたよ。板をくっつけて誤魔化してたけど、絶対角だったよ」
リーベがラバンとシャホルのことを詳しく説明していく。
ルフタは頭にある情報を全て引っ張り出し二人に該当するものを探していく。
角のある亜人。
ある。角の生えた亜人の情報が。だが、その情報を思い浮かべたルフタは本当に正しいのか不安になった。
ルフタの知っている中で角のある亜人は二種族存在する。
一つは、ルフタたちツァーヴ族の始祖であるドゥラコン族。
二本の足で立つ龍のような亜人だ。大きな翼と個体によって異なるが大きな角を持っている。
もう一つはエール族。
こちらは確か女しかいない珍しい亜人だったはず。その額には一本かもしくは二本の角を生やしているのが特徴だ。
リーベの話と合わせるならおそらくエール族だろう。
しかし、エール族は世俗との関わりを絶っている一族のはず。そんなエール族の子供がなぜ王都にいると疑問点が増えていく。
「そうか。その二人がお前さんの本当の名前を教えてくれたのだな」
「うん!」
リーベが本当に嬉しそうに答える。それを見たルフタは結果的に良かったのではと思えてきた。
ラバンとシャホル。
この二人が何者かは知らないが、少なくともリーベに危害は加えていない。
ダートという存在を恐れていたとのことだが、残念ながらこっちについては何も分からなかった。
今は確かな事を喜ぼうとルフタはリーベの頭を撫でる。
「良かったなリーベ。本当の名前を知ることが出来たんだ。いずれ忘れてしまった記憶も元に戻るのである」
リーベの頭をガシガシと撫でてやり本当の名前を取り戻したことを祝福する。リーベもギューッと目を瞑ってルフタに撫でられるのを喜ぶ。
撫でられすぎて頭がクシャクシャになってしまったが、とても幸せそうだ。
そんな二人のやり取りを見ながらエリウが。
「ルフタ、このこと姉御たちに伝えた方がいいと思うニャ。闘技場に行ってみるニャ」
「いや、亜人の吾輩らは中に入れないだろう。確か明日は開催式と騎士団戦だけのはず。個人戦が始まる前に出てくるのを待つしかないであるな」
「今日は戻ってこニャいの?」
「アズ姉さんたち戻ってこないの?」
エリウとリーベが、えー・・・と落ち込んだ顔をするがルフタに言っても仕方ない。
彼ではどうしようもないのだから待つしかないのだ。
リーベは早く自分の本当の名前を伝えたくて堪らないのだが会えないのなら我慢するしかない。
「むー・・・。少しって言ってたのに」
「のんびり待とうじゃないか。応援もしなければならないのであるからな」
ルフタが二人のご機嫌を取りながら二人を連れて王都支店の仕事に戻っていった。
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ルフタたちが仕事に戻った頃。
セトたちは説明された騎士団戦と個人戦の確認を行っていた。
広間のソファーに座り、机を囲んで各自の認識を一致させていく。
まず、騎士団戦。
これは、ベスタ、ヒギエア、ケレスの騎士団代表による団体戦となる。
計3チームが相手の陣地に建てられた旗を取り合う試合だ。
3陣営が同時に争うため騎士団の的確なチームワークが要求されるこの戦い。騎士団の全滅か旗を奪取されると敗北し、最後まで旗を守り切った騎士団が勝者となる。
この騎士団戦は、騎士たちの方が遥かに有利な戦いとなるだろう。日ごろから団体戦を想定し鍛錬を重ねてきている。
対して、傭兵やアズラたちの様な個人戦を想定した騎士団は不利となる。
相性の問題かもしれないが、連携した上位騎士を一度に4人も相手にすると考えればその脅威も頷けるだろう。
しかし、ウィリアム公爵は騎士団戦を重要視していない。
なぜなら、騎士団戦は言わば見せ物だからだ。その時の情勢を反映して勝たせる公国が予め決まっていることが多い。今回は紛争に苦しむケレスを勝たせるのだろう。
そして、本題の個人戦。
こちらがアズラたちが優勝を狙う試合だ。
個人戦はトーナメント方式となっており一般参加者も出場する。
計32人の騎士や戦士が己の技と肉体を競い合い、5戦を戦い抜いて最強をその手に掴むのだ。
一般参加者は予選を勝ち上がって来た強者揃い。過去には優勝者も出ているほどそのレベルは高い。
もう予選は開始されており、いい人材がいないか騎士や貴族たちがこぞって見に行っているだろう。
この騎士団統一戦は元々騎士団戦をメインに始まったものなのだが、今では個人戦による腕比べの方が圧倒的に人気となっている。
それは一個人の強さを求める剣闘士を求めているということ。臣民の求める騎士像が変わりつつあるということだ。
「以上で確認を終わりますがよろしいですね」
森羅が確認を終えるとアズラがある疑問を尋ねる。
「あの、私たちの誰かが個人戦で当たっら全力で戦っていいのですか?」
トーナメントで仲間同士が戦う場合どうするのかの疑問だ。
優勝可能性の高い方を勝たせるのか。純粋に試合をするのか。計画的に優勝を狙うのなら前者であるが。
「全力で戦ってもらって大丈夫ですよ。個人戦の会場は常に永続型癒呪術式が付加されていますからダメージが蓄積することはありませんので」
「それなら安心です」
試合には王国の高度な癒呪術式が舞台に付加されており、本番さながらの殺し合いをしても死ぬのは難しい状態になっている。
何らかのコードで生きている状態の体と意識、現在の本人を結び付けて、死ぬ可能性の高い攻撃を受けても死なずに治癒するように仕向けているのだ。
それは死ねない呪いに近い術式かも知れないが、闘技場という場所にはピッタリな術式でもある。
「個人戦でみんなと当たる可能性って高いのですか?」
セトがちょっと心配そうに尋ねる。
その顔はアズラとは当たりたくないといっているのがまる分かりだ。
「試合はそれぞれ8ブロックに分けられ、私たち4人はそこに割り振られます。全員が負けずに勝ち進めば4試合目で必ず戦うことになりますね」
「そうですか・・・」
ちょっと残念そうにするセトを見てアズラが肘でチョンチョンと突っつく。
セトが何を嫌がったのかお姉ちゃんのアズラにはちゃんと分かっているのだ。
「では、明日の開会式と騎士団戦について話しますのでよく聞いてくださいね」
森羅が明日の予定について説明していく。
開会式での振る舞い方や騎士団戦はどう対処するかといった内容だ。
「開会式では王位継承権上位者が一堂に会し継承権第一位のタウラス第一王子殿下が祝辞を述べられます。寝たらだめですよ? その後、各騎士団の代表が前に出て開催の儀を執り行うのですが、それは私が担当します。あなたたちは見ているだけで大丈夫です。さて、次ですが・・・」
広間で森羅が皆に説明している最中、広間よりさらに奥の部屋で重鎮たちの駆け引きが始まっていた。
ウィリアム公爵とフローラが他の四大公爵家と机を囲んで挨拶を交わす。
彼らのためにわざわざ用意された最高級の素材、職人の手により作られた家具が並ぶ部屋。
一国の主たちをもてなすこの部屋で、ウィリアムはあるものを他の公爵家に見せていた。
贅沢にも魔晶石が使用された机に魔力を注ぐことでウィリアムたちの目の前にある現象を再現している。
光を記憶する魔晶石からその光を再現する魔晶石が組み合わさり、机の上にはまるでホログラムが映し出された様にザントゾル討伐の様子が映し出されていた。
砂と水の顎をセトたちが打ち砕くシーン。
宙に浮かび上がるその見事な討伐の瞬間。公爵家の全員が見事と言うしかない光景だ。
机の上にはその討伐の証拠としてザントゾルのコアの欠片が置かれている。
「ほっほー、これは見事ですかな。ウィリアム公、騎士団の育成に熱心なら、是非とも小生自慢の武具を試されてはいかがかな? もちろん無償でお貸ししますゆえ」
特別指定個体討伐に感心しながらも自国の武器を売り込もうとしているこの男はガスパリス・カポディルナ・ヒギエア公爵。
かなり太った体格で髪は赤が強い金髪、緑の服に自国産の宝石をこれでもかと取り付けている。
性格は温厚で争いごとを嫌うが商売は別の話。ウィリアムの見上げ話を売り込みの機会と捉えているようだ。
「ならば最高品質の装備一式を騎士団に貸して貰おうか。特別指定個体を討伐できる騎士団が使用しその情報を得ることが出来る。悪くはないだろう?」
「ほっほ、いいですとも。気に入ったのなら公国騎士たちに是非採用してください。お安くさせますゆえ」
2人の会話はただの取引のように聞こえるが、すでに公爵家同士の派閥争いが行われている。
このヒギエア製の装備を買うか買わないかも自国の利益に直結する内容だ。
公爵足る者、そう易々と相手の要求を呑んではならない。逆に呑ませるほどでなければならないのだ。
その会話に若輩の身が割り込む。
「ウィリアム様、貴国の騎士たちの力、尊敬に値します。あの砂の怪物、ザントゾルの討伐などまさに偉業そのもの」
少し大人びた女の声。まだフローラと同い年だというのにその風格はもう立派な女性そのもの。
シアリーズ・カールナ・ケレス公女。
黒い背中まである長い髪をなびかせ、肌色を際立させるように黒のドレスを着ているが、仮面でも被ったかのように表情は固まったままだ。
そして、願う様に呟いた。
「その力、わたくしたちケレスにも分けて欲しいと思います」
黒い瞳がウィリアムの顔をジッと見つめて反応を探る。
ケレスからの声をベスタがどう受け取るかを見極める。
「もちろんだともシアリーズ嬢。同じ陛下に仕える我らが共に協力するのは当然だ。紛争でケレスが苦しんでいるのは知っている。支援が足りないことも、父カール卿のこともな」
ウィリアムがケレス公国のカール公爵の名を出した瞬間、シアリーズがほんの一瞬だけ表情を崩した。
その反応でウィリアムはケレスの現状を察した。自分の予想は当たっていたと。
そして、彼女が何を求めているかも。
「そうだガスパリス公、先ほどの装備一式をケレスに渡してはどうだ? 必要な費用はベスタが持とう」
「小生は構いませぬが・・・、ケレスが苦しんでおられるのに金を取るのは良心が痛みますかな。何とかしてみましょう」
ウィリアムの話にガスパリスも乗る。
二人の思惑は一致している。紛争に苦しむケレスをただの同情で救いはしない。同じカラグヴァナの勢力なのだから助けはするが必ず見返りは求める。
「騎士団統一戦が終われば、新たな援軍も送れる。より強い騎士団をな・・・」
それが彼らの公国の関係なのだ。
その見返りという要求をシアリーズは。
「感謝します。ウィリアム様、ガスパリス様」
無条件で呑む。断れるはずもない。
シアリーズが深々と頭を下げ感謝を伝えた。
これで、ケレスを現国王シュピーゲルの派閥に繋ぎ止めることができた。ヒギエアも問題は無いだろう。
ウィリアムのタウラス第一王子への布石が打たれていく。
同じカラグヴァナの勢力のはずなのにその様子は敗北宣言にすら見える違和感。
フローラがシアリーズに優しい言葉をかけたくなるがそれはできない。
これが政治の世界。友情も愛情も数字に置き換えられた場所。
フローラは今その黒くて暗い闇の一面を見ているのだ。