第百十一話 真名を刻む
知らない二人の女の子が自分のことを知っているかのように話をしていく。
市場で遭遇したこの二人、白髪に真っ黒な肌の子と黒髪に真っ白な肌をした子。
リーベにはこの二人に見覚えは無い。会ったことはないはずだ。
商品の置かれた棚に隠れて二人の様子をジッと窺う。
「・・・」
警戒するリーベを不思議そうに見ている黒髪に真っ白な肌をした子が近づきリーベの顔を覗き込んできた。
「ハーザク様、別に連れ帰ったりしないゾ? それよりどうやってここに来たんだ。セフィラに頼んだのか?」
「・・・・・・馬車」
ボソリと答えつつも視線を逸らすリーベ。その仕草に黒髪に真っ白な肌の子は首を傾げる。
「・・・あっち信用ないのかな~。馬車なんかで行ったらアニマに殺されてしまうゾ」
「アニマ・・・?」
知らない名前で呼び、さらに知らない単語が出てきた。
この二人は自分を誰と勘違いしているのだろうとリーベは考える。
考えようとしてリーベはハッと顔を上げた。ある可能性が頭に浮かんだのだ。
知らない二人が、忘れてしまったのかも知れない二人が自分のことを話している。
この二人が自分の失われた記憶について何か知っているのではと。
自分でなくてもリーベの関係者と知り合いなのかもしれないと。
リーベが目を彼女たちの顔へと合わせていく。
「あの時は追い払うのに苦労したんだゾ。下手に殺すとより強大になって蘇るから止めも刺せないし、セフィラの力なんか使ってしまったらどこまでも追いかけて来るし。・・・ハーザク様聞いてるのか?」
「うん」
「なんか雰囲気がいつもと違うゾ。気のせいか?」
「そーだねー。なんか違うねー」
彼女たちが人違いをしていると薄々勘ずき始めてきた。
ここは素直に勘違いを正して事情を話してみるか?
リーベは考える。話ても大丈夫なのだろうかと。いきなり連れて行かれたりしないだろうか。
自分には帰るべき場所があって家族もいて自分の帰りを待っている。
そんな真実が、当たり前のような真実がいきなり告げられるのではないかとリーベの心は不安に駆られる。
胸に手をギュッと押し当て勇気を振り絞る。ちょっぴりの勇気を、心に広がる暗闇の先を見る勇気を出す。
「あ、あの」
勇気を。
「どうしたハーザク様? あっちらと飯でも食うか?」
真実を聞く勇気を持って名乗る。
「わ、わたしリーベ。リーベっていうの。その・・・、ハーザクって人じゃないのごめんなさい」
「・・・」
「あー、やっぱりー?」
リーベは恐る恐る二人の反応を待つ。
これで分かる。彼女たちと自分の関係が。
敵か、味方か。
リーベが自分たちの知り合いではないと知った黒髪に真っ白な肌の子が一瞬キョトンとして、すぐにニッと笑った。
頬が上がり笑顔が広がる。まるで、珍しいものでも見つけたみたいに無邪気に笑った。
そして、先程とは打って変わりリーベを品定めでもするかのようにジロジロと見る。
「そっか~。お前、 別の聖女か~」
リーベはその言葉を聞き洩らさなかった。自分も聖女と呼ばれたことがある。
そして、目の前の女は別の聖女と言った。それはつまり、自分と同じような人物が一人、もしくは複数存在しており、目の前の女はそれを知っている。
確実に会っている。
「その、わたしのこと知ってるの・・・?」
「ん~・・・。話してもいいけど大っぴらに話せないから、あそこの奥でいいか?」
目の前の黒髪に真っ白な肌の子がすぐ近くの路地裏を指さす。
普通は警戒し逃げるだろう。だが、リーベは迷うことなく頷いた。
二人に連れられ人目の付かない路地裏に入る。
「ここならいいか。さてと、あっちはラバンで、こっちがシャホルだゾ。よろしく聖女様」
「シャホルだよー。よろしくねー」
「よ、よろしく」
いきなり脅されたりすることもなく自己紹介をしてくれた。
勇気を振り絞り身構えていたリーベは少し戸惑ってしまう。
そんなリーベの気持ちを察したのか肌が黒く白髪の方の子、シャホルがリーベをいきなり抱きしめる。
「ムッ!?」
リーベより少しだけ背の高いシャホルがまるでお姉さんのように頭を撫でて安心させようとしていく。
彼女の香りがリーベの顔を包み込んでいく。優しくて柔らかな香り。
「いい子ー、いい子ー。ハーザク様にはいつもこうやってあげるんだよー」
彼女の温かな胸の中で心臓の鼓動がリーベの警戒を解きほぐしていく。
リーベが落ち着いたのを確認するとシャホルがフラッと離れていった。
緊張が解けたのを見計らってラバンが口を開く。
「んじゃ、自分のことを知ってるかって聞いたけど。知ってるゾ。お前の正体を知ってる。本当の名前も分かるかも知れないゾ」
「わたしの正体・・・」
ラバンがリーベの失われた記憶、そして正体について言及する。
知っていると本当の名前も知ってると。
「でも、お前がどの聖女なのかが分からないんだゾ」
「そうー。分からないのー。聖女ってみんな同じ顔ー」
「だから、少し質問させてもらうゾ。聖女はこの世界に4人しかいない。ならちょっとした質問でどのセフィラの聖女か分かるんだゾ」
ここがポイントとラバンが人差し指を立てながら話していく。
大事な質問だ。
だからラバンは静かに声を低くして聞く。
「ダートと会ったか?」
敵をなぶり殺すための殺意を持って質問した。
いきなり極大の殺意をぶつけられ足が動かなくなる。
ウサギがライオンを目の前にしたように生を諦めてしまうほどにリーベの体が動こうとしなくなる。
「・・・ッ!? ッッ?」
「どうなのー? 会ったのー? 会ってないのー?」
ついさっき、優しく抱きしめてくれたシャホルも豹変したかのようにリーベに殺意を放つ。
その目からは優しさなど微塵も感じられない。平気で人を殺してしまえる凶器の目だ。
「わ、わた・・・」
「どっちなんだ? 早く答えろ」
ラバンがユラリと腕を上げリーベの胸に爪を軽く押し当てる。それで十分と言わんげに構える。
「わたしッ! 森で目が覚めて・・・ッ、黒い巨人に追われて、セトとアズ姉さんに助けてもらって、それで・・・、う、うう・・」
恐怖で涙が溢れてくる。
殺される。自分はここで殺される。もう大好きなセトとアズラに会えない。
みんなに会えないことへの恐怖がリーベに絶望の影を見せてくる。
目を瞑ることすらできずに殺意をぶつけてくるラバンを直視してさらに恐怖が増大していく。
その恐怖を許さないとリーベの契約者がラバンとの間に割って入るように出現した。
ラバンの腕を弾き、青白い光が瞬時に受肉する。イェホバ・エロヒムがリーベを守ろうと自信の意志で世界に現れたのだ。
純白の六対の翼に、透き通る白い肌の女性を思わせるセフィラ、イェホバ・エロヒムを見たラバンとシャホルは何かに納得するように。
「へぇー。なるほど。ペシャじゃないゾ」
「ダートとも、まーだ会ってないみたいー」
リーベにぶつけていた殺意をあっさりと引っ込めた。
自己紹介していた時と同じ雰囲気に戻る二人。
しかし、リーベはすぐに恐怖を消せない。二人への恐怖がぶつけられた殺意が消えないのだ。
すると怯えるリーベにラバンとシャホルが謝罪をする。
「すまなかったゾ。でも警戒はしないといけなかったから許してほしいゾ」
「ごめんねー。ダートに会ってしまったら終わりだからねー。ごめんねー」
「うぅ・・・、ダートってそんなに悪いヤツなの?」
殺すほどの警戒をした相手、ダートとは何者なのかリーベは尋ねる。
尋ねられた二人は顔を見合わせ少し考えて。
「ダートは聖女の側に必ず現れるゾ。姿、形は毎回異なるけど必ず男として現れる。知り合いがダートだったこともあるゾ」
「会っちゃったの・・・?」
「あの時はまだダートが弱かったし兄者がいたから倒せたんだゾ。でもお前は兄者がいないから会わないことを祈るしかないゾ」
会ったら終わり、そう言われる存在。
リーベにはどういった人物なのか分からない。おそらく一個人ではなく何らかの組織なのだろうか?
聖女を狙う者。その目的も何も分からないがリーベはその名をしっかりと記憶する。
「リーベェー! どこニャー! どこ行っちゃったのニャー!」
表通りからエリウの声が聞こえてきた。
いなくなってしまった自分を心配して探しているのだろう。
リーベがどうしようと顔をキョロキョロさせていると。
「お迎えだねー。もうお別れしなくちゃー」
「そうだゾ。お詫びのしるしにお前の本当の名前を教えてやる」
本当の名前。
失った記憶の一つにして世界と自分を繋ぎとめる証。
彼女たちに覚えてしまった恐怖を押し殺しリーベはラバンを見る。
「お前はビナーの聖女で間違いないゾ。だから」
ラバンは告げる。
「エハヴァ・ツァラトゥストラ。それがお前の名前だゾ。ラビに付けてもらった名前なんだからもう忘れるなよ」
「エハヴァ・・・、わたしの本当の名前・・・」
心に刻んでいく。本当の名前を自分の証を。
リーベは二人が嘘をついていないとなぜか信じられた。
そう信じられるほどこの名に親しみを感じる。優しくて大好きだった包帯だらけの彼に付けてもらった名前。
彼・・・?
(あれ・・・? 誰だろう?)
脳裏に一瞬だけ浮かんだ人物。大きくて優しくて顔に包帯を巻いていた、あの人。
まだ、全ては思い出せない。まだボンヤリとした風景に霧がかかって何も分からない。
でも少し、ほんの僅かに本当の自分を取り戻した。
自分の名を知っていた二人にリーベは尋ねる。
「あの! 二人は聖女の家族・・・なの?」
家族かと。
もしかしたら自分の親戚なのかもしれない。そう思って聞いてみるが。
「違うゾ。あっちらはハーザク様の家族だゾ」
「違うのー。でもー、もう家族はいるんでしょー?」
違った。
でもシャホルの言う通りリーベにはもう家族がいる。
大好きな姉と兄がいる。
「うん」
ラバンとシャホルへの恐怖が薄らいでいく。彼女たちは悪い人ではない。
イェホバ・エロヒムを下がらせて路地裏の出口を見る。
「あ! 騎士団統一戦に出るから観戦するなら応援して欲しいゾ?」
「むー・・・、アズ姉さんたちが出るから無理かも・・・」
ラバンがそれは仕方ないと頭をかきながら。
「仕方ないゾ。そのアズ姉とかに当たったら一応手加減はしてやるゾ」
「むー、アズ姉さん強いもん」
リーベがほっぺを膨らませる。もういつものリーちゃんだ。
二人に手を振りながら表通りに向かい。
「じゃあ、まただゾ」
「またねー」
「うん。バイバイ!」
不思議な二人と別れエリウの下に戻っていく。
エリウは路地裏から飛び出て来たリーベをすぐに見つけて、プンプンとお怒りだ。
二人のいた路地裏を振り返るが、もう二人はいなかった。
プンプンと怒っているエリウにリーベは満面の笑みで自分の名前を伝える。
「エリウ! 聞いて聞いて! わたしの名前」
「ニャニャ!? リーベだニャ。それがどうしたニャ。それよりあちしに心配かけたんだから言うことがあるはずニャ」
「うん、かってに動いてごめんなさい。それでね、わたしの名前なんだけど!」
「ニャ、落ち着いて話すニャ。名前がどうしたニャ?」
リーベがものすごく嬉しそうにしているからなんだ? なんだ? とエリウはビックリする。
何かいいことでもあったのだろうか。
エリウの予想通りリーベはその最高に嬉しいそれを告げる。
「わたしの名前、エハヴァ。エハヴァ・ツァラトゥストラだよ!」
「ニャ!?」
その記憶はどこまでも優しい世界だった頃の記憶。
そして、今は失われた世界の記憶。