第百七話 清きお守り
ベスタ公国とカラグヴァナ王国の国境付近でセトたち一行が休息を取っていた。
カラグヴァナの領土に入ればそこは荒野の世界。
もう3回目といっても魔獣や自然災害の危険は常にある。最近の情報では巨大な砂嵐が発生しており旅人を呑み込んでは生きて返さないそうだ。
風も何もない晴れた空の下、荒野を進んでいるといきなり現れ全てを破壊していくその砂嵐はまさに災害。
普通ならば砂嵐が止むまで近くの町に滞在するのだが今回は騎士団統一戦がある。のんびりと待っていることは出来なかった。
外に張られたテントの中でどう荒野を渡るか話し合う。
中には、ウィリアム公爵と近衛騎士、アズラに森羅が向かい合って会議をしていた。
「さて、情報によりますと砂嵐は街道付近で頻発しているようですね。出来れば避けたい所ですが街道から外れるのも良くないですね・・・」
これは困ったと森羅が顎に手をやり頭を悩ませる。机の上に地図が置かれ赤い石が乗せられており森羅はそれを眺めている。赤い石が街道沿いに発生した砂嵐だ。
赤い石が丁度街道の中間付近に大量に置かれこの地点で頻発しているがよく分かる状態だ。
街道を通れば高確率で砂嵐に襲われる。
ならばと街道から外れたルートを選択しようにも魔獣の駆除がされていない危険な道だ。カラグヴァナの騎士団でも踏み込むのを躊躇うため駆除が後回しになっている。
みんなが悩んでいると鎧に青いマントを付けた男が口を開く。
「えー、そうですな。砂嵐の進路を風の術式で変更するのはどうだろう? 術式使いの人数は十分足りているので問題ないと思うが」
風の術式での対策を提案したのは初老の近衛騎士。彼はウィリアム公爵直属の近衛隊その隊長ベシャイデンだ。近衛隊とテントの外に控えている騎士団を合わせてベスタ公国最強の騎士団を率いる強者。
ウィリアムがまだ若かりし頃から護衛を務めており、近衛隊の中で唯一ウィリアムの親衛隊から近衛騎士になった人物。ウィリアムの良き理解者だ。
そのベシャイデンの提案をウィリアムは頷き了承する。
「うむ。お前たちがいるなら問題なかろう。何か確認しておくことはあるか?」
「特には」
ベシャイデンが問題ないと告げ他の者たちも頷くが森羅だけがまだ何かを考えていた。
「・・・」
「どうした森羅? 何か気になることがあるのか」
ウィリアムが森羅の悩む理由を尋ねる。知的な彼が悩むということは何かがあるということだ。それもかなり重要な何かが。
「はい。この砂嵐の発生ポイントが気になりましてね。念のため騎士団に厳戒態勢を取らせるべきかと思います」
「厳戒態勢か・・・、分かった。用心に越したことはないからな。他にはないか? では解散だ」
街道を進むことが決定しテントから解散する。
テントから出たアズラは早速、外にいる森羅に悩んでいた理由を聞いた。
「師範、あの砂嵐の何が気になったんですか?」
「いやなに、砂嵐の発生ポイントが気にかかりましてね。思い過ごしならいいのですが・・・」
「砂嵐ぐらいなら私たちでも何とかなると思います。師範任せてください!」
トンッと胸を叩き自分を使ってくれとアピールするアズラ。
ウィリアム公爵にアプフェル商会をアピールできる絶好の機会なのだ。それを逃すまいとアズラは息巻いていた。
騎士団統一戦も大事だが、今、彼女の頭の中はアプフェル商会の宣伝でいっぱいなのだ。
この護衛が上手くいき、騎士団統一戦も優勝すればベスタ家御用達の商会になれる。もうフローラが常連になってくれているが、ウィリアム公爵もとアズラの野望は止まらない。
そんな彼女の企みを知ってか知らずか森羅はやんわりと返事を返した。
「そうですね。また何かあればその時にお願いしますね」
「はい。いつでも呼んでください」
返事をしてすぐにアズラは騎士団の手伝いに行ってしまった。彼女は非常に仕事熱心である。
そんなアズラを優しく微笑んで見送り彼も自分の仕事へと戻っていく。仕事とはもちろんセトの追加修行だ。
セトにはこなしてもらうことが山ほどある。それを王都に着くまでにいくつこなせるか楽しみだと森羅はセトのいる馬車に向かった。
そんなこんなで馬車が出発した。
もうすぐにでもカラグヴァナ領だ。平原と岩の大地から一気に岩と砂の荒野の世界に変わる。
セトは馬車から顔を出して外を眺めていた。修行の内容はいつもと同じ二刀流の構えの稽古だった。
何度も剣を構えて体に覚え込ませる稽古。
攻められたら中段と下段の構えに依る対処。そこからカウンターの流れで上段と中段といった具合に戦いの流れに合わせた構えをするのだ。
大きな変化の得られない稽古だが、確実な積み重ねを得られる内容だ。移動中はこれを中心に行うのだろう。
今日の修行を終えたセトは思うこの地形は不思議だと。緑が溢れるベスタ領からカラグヴァナ領に入るといきなり荒野が広がるのは、まるでキャンパスを二つの絵具でキレイに分けて塗った様にくっきりと分かれているように思える。
自然と草木が生えなくなったのではなく、ここから先は草木が生きていけない土地だとでも言う様に、荒野が広がるのだ。
水が何らかの理由で無くなってしまったのかなとセトは適当に原因を考えてみる。
考えている内に馬車の外に覗く景色が荒野に変わった。地平線まで続く赤い岩と砂の世界だ。
その荒野をボーっと眺めていると。
「ニャーにしてるニャ?」
「ん、ちょっと黄昏てた」
「お前は呑気だニャー。見るニャ! ルフタはいつ魔獣が来てもいいように警戒中ニャ」
ビシッ! と馬車の外を警戒するルフタを指さし、彼を見習えとなぜかエリウが言い放つ。
こいつ暇してるな。
「あ、そういえばリーちゃんは?」
「ニャんか気分悪いっていうからアズラの所に連れてったニャ」
「そうだった・・・。リーちゃん荒野が苦手なんだった」
すっかり忘れてたと落ち込むセト。お兄ちゃんだから妹の苦手なものぐらいちゃんと把握しておいてあげたいものだ。
アズラは今フローラたちと一緒で別の馬車に乗っている。公女様と募る話でもあるのだろう。
二人の邪魔をしてしまったがアズ姉の側なら大丈夫だと気持ちを切り替える。
「エリウ、僕たちも見張りしようか」
「やっぱそうニャる? じゃあ、あちしは屋根の上で見張りをするニャ」
「あ、僕も行くよ。エリウ一人だと落っこちそうだし」
「ニャ! ハトゥール族のあちしが、そんニャへまニャんかしニャい」
エリウがそんなヘマなんかするかと言い返すが。
セトが以前のことを思い出してみると、もう、くっきりハッキリと馬車から落ちているエリウの姿が映像付きで思い出せた。
「いや、以前、屋根から落ちかけてたし、ヒギエアの時は落っこちてたよ」
「ニャ!? あれはニャにかの間違いニャ今すぐ忘れろ!」
エリウも自分が落っこちたことを思い出したようだ。顔が真っ赤になってワタワタと手を振って誤魔化そうとしている。
その慌てた様子がセトにはなんだか可笑しく思えてきた。
「ウプッ! ふふ」
「あー! 今、笑ったニャ! うぬぬ・・・、分かったニャ。あちしがそんニャへましないって証明してやる!」
ちょっぴり怒ったエリウが、あってないようなプライドを守ろうと馬車の上に上がっていった。今回も落ちかけてセトが助けてやる流れになりそうだ。
以前にも同じような事をした気がするが、とりあえずセトも馬車の屋根に上っていくのだった。
----------
セトとエリウが馬車の上で見張りを始めた頃、アズラとフローラは王都産のかわいい動物を模ったアクセサリーの話に花を咲かせていた。
ベスタ家専用の豪華な馬車の中で、これまた豪華な机の上に動物のアクセサリーを並べている。
気分が悪いとアズラの所にやってきたリーベはアズラに膝枕をしてもらっていた。椅子に寝っ転がりながら楽しそうに喋っているアズラの顔をボンヤリと眺める。
二人が楽しそうに話をしているのを眺めながら、リーベはこの気分の悪さの原因をあまり考えないようにしていた。
考えてしまうと自分が記憶喪失だと思い出してしまう。セトたちと出会った以前の確かな記憶がないと自覚してしまうからだ。
自分の心と記憶ににポッカリと穴が空いた感覚は、まるで世界から切り離されたみたいに孤独を感じてしまう。
ポッカリと穴が空いた所にあるのは、あの夢だけだ。
黒い大きな空に浮かぶ島と、黒い虫たち。
それを殺していく4匹の聖なる獣たちに二人の男女。そして、黒い巨人。
この夢の雰囲気に似た場所に来ると気分が悪くなってしまう。
リーベはそれが堪らなく嫌だった。
アズラの膝に顔を埋めてその感覚を誤魔化そうとする。自分を守ってくれる人の温もりならこの孤独も和らげることができるから。
そんなリーベの不安を感じ取ったアズラは彼女の頭を撫でてやる。
楽しくフローラと会話を続けているのもリーベの不安を和らげるためにしているのだ。フローラもそれを感じ取ってくれたのか積極的に話しかけてきてくれていた。
「リーベ、お話ししませんか?」
ずっと甘えていたリーベをフローラが話に誘う。不安を感じているなら楽しいことを話している方が気にしなくて済む。
リーベが顔を上げフローラとテーブルに置かれたアクセサリーを見た。
「この中に好きな動物はいますかしら? わたくしはこれがお気に入りですの。可愛らしい子犬だと思いませんか?」
リーベの目に可愛らしい子犬があしらわれたアクセサリーが飛び込んできた。木を精密に彫り込んで作られた子犬がまるで生きているかのような姿をしている。
その生き生きとした造形にリーベも目を奪われる。
「かわいい・・・」
「ふふ、そうでしょう。気に入った物があれば差し上げますわ。リーベは、もっと姉上と兄上にわがままを言っていいのですの。服もいっぱい買って貰いなさいな」
「あ、これセトに買って貰ったんだよ」
リーベは髪を留めていた髪飾りを指さし嬉しそうに伝える。オレンジ色の太陽のような髪飾り。
ヒギエア公国に向かう途中でセトに買って貰った物でリーベの宝物だ。
セトに買って貰ったと聞きフローラが意外そうな顔をして驚いた。
「そうでしたの? リーベが自分で買ったものだと思ってましたわ」
「へへ~、いいでしょう?」
「羨ましいですわ。わたくしも何か買って貰おうかしら?」
言葉上手にリーベの気持ちを高揚させていく。気分が良くなれば不安な気持ちなど忘れてしまうものだ。
フローラと話すうちにリーベの不安はきれいさっぱり無くなっていた。
「だーめ。セトは私のお兄ちゃんだもん」
「あら、イジワルですの」
「じゃあ、王都でフローラとリーベのプレゼントを買ってあげようかしら?」
太っ腹なお姉さまが二人分のプレゼントを買ってあげようと宣言した。商会で儲けているアズラにはプレゼントの一つや二つサッと用意できるのだ。
お金のない貧乏な日々が遠い昔のようだ。
「プレゼントと言えば。確かピントから珍しい魔晶石を貰ってましたわね」
「ああ、これのこと?」
アズラは懐から赤い魔晶石を取り出した。手の平に乗る小さな魔晶石。以前、王都でピント商会に挨拶した時にもらったものだ。
なんでも希少な現象に魔力を変換する魔晶石とのこと。使ってみないとどんな現象が発言するか分からないのが玉に瑕だが、術式を得意とするアズラにピッタリなプレゼントだ。
「それですわ。アズラちょっと貸してくださるかしら?」
「いいわよ」
魔晶石を受け取るとフローラがカバンから首飾りを取り出した。先端に何もついていない不思議な首飾りだがフローラはそれに魔晶石を手慣れた手つきで取り付けていく。
この首飾りの先端には実は小さな魔晶石が取り付けられており、魔力を通すことで金属が発生するのだ。
その金属が魔晶石をはめ込むのにピッタリな窪みを作り上げカポッと魔晶石がはめ込まれた。
「これで良し。はい、わたくしからのプレゼントですわ」
「ありがとう。これはプレゼントを奮発しないといけないわね」
赤い魔晶石が首飾りに生まれ変わった。アズラは早速つけてみる。
緑色の綺麗な服の上に赤い魔晶石が付け足された。緑と赤という色合いもあってか魔晶石がその存在を象徴しているようだ。
リーベが羨ましそうに首飾りを触りながら自分も欲しそうにチラッとフローラを見る。
「ふふ、はい、あなたの分もちゃんとありますわ」
フローラがリーベの分も用意してくれていた。リーベの首に小さな首飾りを付けてあげる。
白い薄く輝く氷のような涙の結晶の形をしている首飾り。
「ありがとうフローラ。大切にするね」
「お守りですの。この首飾りの宝石は清き運命を示すと言われているもの。あなたの運命も清きものでありますように・・・」
「うん!」
お守りを貰ったリーベは嬉しそうに笑顔を浮かべ3人の楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
カラグヴァナ領に入ってからかなり進んだか、もう日が暮れ始めていた。
荒野を赤い夕陽が照らして赤い大地に空すらも赤く染まる。
「今日はこの辺りで夜営を張る。準備をせよ!」
ウィリアム公爵の大きな声が聞こえてきた。もう騎士団の馬車から降りて準備を始め瞬く間に陣形が完成する。
今日は騎士たちに守られながら夜を過ごすことになる。
そして、夜が来た。荒野は暗闇に包まれ夜行性の魔獣が歩き回る昼とまた違った危険がある世界だ。
急激に冷え込みこちらの体力を奪ってくるこの環境は慣れていない者には辛い。
セトとリーベは二人くっついて眠り、エリウは毛布に包まって寒さを凌いでいる。
見張りを手伝うルフタとランツェは焚き火の前で暖を取っていた。
「寒いであるな」
「ああ」
周囲に異常はなし。
異常はないが騎士団は厳戒態勢だ。公爵がいるから警戒しているのだろうかとルフタは勝手に判断する。
それにしても静かな夜だ。
以前来た時は一日中シュタッヘルの群れと戦っていたが今回はそのシュタッヘルがいない。
そういえば、カラグヴァナに入ってから一度も魔獣が襲ってきていないとルフタは気付く。
(このままほっといてくれると助かるのだが・・・)
周囲に異常はなし。
少し風が出てきたか。
見張りの交代にアズラとセトがやってきた。セトも今回から夜の見張り役だ。
「ルフタさんたちお疲れ様。交代するよ」
「うむ。風が出てきているから体を冷やさぬようにな」
ルフタとランツェが立ち上がるとさらに風が強くなってきた。
夜の所為もあってか遠くの景色が全く見えない。
「空は晴れているのに視界が悪いな」
「そうね。あの辺りになにかあるのかしら?」
アズラがある方向を指さした。確かにその方向だけ何も見えない。
「ん? いや! これは!」
何も見えない景色が徐々に広がる。さらに風が強くなりアズラたちに吹き付ける。
「アズラ、その方向に向けて火の術式をお願いできるか。周囲を照らしてほしい」
「了解よ」
何も見えない方向に向けて火の術式が放たれた。術式が発動し周囲を明るく照らす。
そこには、周囲を呑み込んでいく黒い竜巻がいた。
「しまった!! 砂嵐か!! 皆を叩き起こせ、すぐに退避である!」
まだ遠くの方にいる砂嵐だが、砂嵐が見えたのなら一目散に逃げたの方がいいだろう。
万が一、自分たちのいる所に向かって来たら追い付かれて飲み込まれるからだ。
人の足で逃げ切れるなどと考えない方がいい。
だが、その砂嵐はそれを分かっているかのように一直線にセトたちの方へ進路を向けた。
「あの砂嵐こっちに来ているよ!?」
その万が一を砂嵐は待っていたかのように選び取ってくる。
そう砂嵐は待っていたのだ。
そうだ、ずっと待っていた。
自分を地面に封じ込め長い長い暗闇の時間を与えてくれた敵が再びやって来るのを。
そして、その敵が自分からここにいると伝えてきた。
僥倖だ。
砂嵐の中心が赤く発光する。
特別指定個体、魔獣ザントゾルにとって食い損ねた敵がのこのことやって来たのだから。