第百三話 準備も後少し
難民たちを薙ぎ払い圧倒的な力を見せびらかすイェホバ・エロヒムはリーベを心配そうにのぞき込む。
その様子は幼い赤毛の少女に天使が話しかけているようにも見え、神々しく美しい純白の翼を持つイェホバ・エロヒムの登場に難民たちが次々に跪き祈りをささげていく。
その祈りは、ツァラトゥストラ教徒だからしているのか、ただ自分たちの境遇から救われたいから祈っているのかは分からない。
分からないが、何かに祈りたくなるほど彼らは絶望していたのだ。
イェホバ・エロヒムが顔を上げ、リーベにもう大丈夫だと告げるように頭と背中を撫でる。
セトたちもイェホバ・エロヒムの登場でもう大丈夫だと思いたいのだが。迸る怒りを周囲に叩き付けられては安心はできなかった。
今この場にいる人間を全員皆殺しにしてしまいそうな雰囲気だ。
怒りを撒き散らすセフィラに守られながらリーベが落ち着きを取り戻し顔を上げる。
「イェホバありがとう。もう大丈夫だよ」
少し疲れた顔で笑顔を見せるが無理をしているのが分かる。
そんなリーベを心配したイェホバ・エロヒムは。
(敵性存在。排除。必要)
難民の排除を提案した。
セトたちに衝撃が走り、警戒心を全面に出していく。
イェホバ・エロヒムからしてみれば、難民がリーベを襲うのだから排除すればいいと考えるのだろう。
人命や人権などといった人間を守るために存在する尊いルールは、セフィラにはただのわがままにしか聞こえない。
そんなものを考慮する思考など持ち合わせていないのだ。
今にも難民に襲い掛かりそうなイェホバ・エロヒムにリーベは精一杯笑顔を浮かべて。
「ううん。大丈夫。そんなことしなくても大丈夫だよ」
もう危険はないと説得する。
説得されたイェホバ・エロヒムは、目も鼻もない顔なのにはっきりと分かるあまり納得していない表情を作る。
納得していないがリーベが大丈夫というのならイェホバ・エロヒムは従うまで。
(再考。退避。提案)
「うん分かった」
だから、せめて安全な所に避難しようと提案しリーベも承諾する。
セトたちも無事に話が付いて一安心だ。セトとエリウは一瞬、イェホバ・エロヒムと戦わなければいけないのかと思っていたほど警戒したからか、全身から力が抜けてしまう。
イェホバ・エロヒムが怒りを鎮め、難民が静かになったのを見計らい、ランツェが手綱を握りばしゃを進めようとすると。
首都ヒュギエイア方面から馬に乗った一団がこちらに近づいてくるのが見えた。
難民が慌てて道を開け一団の邪魔にならないように隅による。
難民たちが退いたことでセトたちの方に向かってくる一団の姿がくっきりと見えた。
騎士の一団だ。
鎧の色は純白。間違いなくヒギエア公国騎士の者だ。首都ヒュギエイアからここまで馬を走らせてきたのだろう。
ランツェが馬車を止めやってきた騎士たちを出迎える。
「我らはヒギエア公国騎士。そちらはジグラットの使者であるか。答えよ」
騎士がセトたちがジグラットからの使者かと尋ねた。おそらく、イェホバ・エロヒムの放つ青白い光を見てセフィラと契約しているほどの高位の神官が来たと思ったのだろう。
しかし、来てみればただの旅人が乗る馬車があるだけ。騎士がセトたちの正体を探って来る。
「答えよ。お前たちは何者だ」
ここは素直に正体を明かすことにするセトたち。
別に隠す必要もないし親書を渡すために来たのだから問題ない。
セトが馬車から降りて騎士に一礼する。
「ジグラットからの親書を預かってきました。セト・ルサンチマン・アプフェルといいます。ガスパリス公爵との謁見を申し込みたいのですが」
「親書を確認させてもらう。構わないな?」
「はい。これが親書です」
騎士に親書を手渡し本物かどうか確認されていく。親書には確かにジグラットの正式な証である四つの実を付けた木の判が押されている。
だが、親書を確認しても騎士は疑いの目を消さないようだ。
「積荷を確認しても?」
「あ、えっと・・・」
セトが少し言いよどんでしまった。それを騎士は不審感有りと判断してしまう。
了解を取る前にボロボロになった馬車に乗り込み中を確認すると。
リーベを優しく抱き寄せる自分たちよりも純白の体を持ったセフィラとが佇んでいた。
イェホバ・エロヒムを見た騎士たちは一瞬固まる。
涙を浮かべるリーベをまるで母のように抱きしめ純白の翼が二人を包む。その光景はまさに神話に出てきそうな神々しい場面だ。
騎士たちが抱いていた不信感など一撃で吹き飛び。そして、圧倒的実力差を本能で感じ取った。
さらに、ジグラットの使者でなければセフィラ連れていることなどあり得ないことから、ビシッ! と敬礼し。
「失礼いたしました!!」
全力で謝罪してきた。いきなり謝られたリーベは何のこと? と首を傾げているが別に気にしなくていいことだ。
彼らが勝手に疑って勝手に解決した。
失礼のないよう騎士たちはすぐに馬車から降りセトにリーベのことを尋ねる。セフィラを見れば当然聞きたくもなることだ。
「疑うような真似をして申し訳ない。彼女は聖女様であらせられるのか?」
「あはは・・・。僕の妹です・・・」
かなり久しぶりにリーベが聖女かと聞かれた気がする。
確か、殲滅神官のオーウェンが聖女だと言っていた。
ツァラトゥストラ教への信仰が深い人は聖女の話も知っていて当然だろう。
騎士は職務に戻りセトたちに首都ヒュギエイアの現状を説明していく。
「失礼! 要らぬことを聞いた。現在、首都ヒュギエイアは非常事態宣言を出しており人の出入りを制限している。許可さえ取っていただければ首都に入ることは可能だが、外に出ることは難しくなると思っていただきたい」
「彼らが原因なのですか?」
セトが難民たちを見る。ここから逃れたい一心でセトたちを襲った彼らを。
ただ方向転換のために一瞬止まった馬車に襲い掛かる程の心理状態、下手に首都の城門を開け閉めしては難民がなだれ込んでしまう。
そのための非常事態宣言であり、人の出入りの制限なのだろう。
騎士はそれを肯定する。
「その通り。だが、彼らを恨まないで欲しい。彼らもこうなりたくてなったのではない。全ては戦火を広げるアーデリ王国の所為だ」
そう語った騎士の目は悔しさを滲ませていた。
難民の彼らも元は同じカラグヴァナ圏の同胞。その同胞がここまで追い詰められているのだ。
騎士が悔しさを感じないわけがなかった。
「・・・そうですね分かりました。イェホバも怒りを鎮めてくれたみたいですし、僕たちはこのまま引き返すことにします。親書をガスパリス公爵に渡してもらえますか」
「謹んでお受けした」
「ありがとうございます」
親書を騎士に託し、セトたちはもと来た道を退き返していく。
今回首都に入ることは出来なかったがまた来る機会もあるだろう。
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アズラの修行が開始されてもう1ヶ月が過ぎようとしていた。
1ヶ月の間にアズラは単体戦に特化した戦術を身に着け模擬戦ではあるが森羅と渡り合えるまでに成長している。まだ、一度も攻撃は当たらないままではあるが。
最近はアズラも攻撃が当たらないことを嘆くより、どれだけ模擬戦で長く戦えたかを考えるようになってきている。
決して一発攻撃を叩き込むことを諦めた訳ではない。
今は森羅の戦い方の癖を把握する期間なのだ。アズラがそう思ったのならそうなのだ。
そんな感じにアズラは自分は負けてない! と意地を張っているのだが。そろそろ敵わないと認めるのも強さの一つだろう。
今日も中庭で術式がぶつかり合う。地面が割れ、水と風が渦巻く極小天変地異が発生中だ。
誰が中庭をキレイにするつもりなのかと思いながらフローラは城の窓から二人の様子を眺めていた。
シェレグ城の中庭は元々美しい花畑と噴水が置いてあったのだが、ウィリアム公爵が邪魔だということで取り払われた経緯があり、丁度中庭のど真ん中が何もない状態になっているのだ。
そこを騎士たちが訓練に活用するようになったのはすぐだったか。
多分、そのために取り除いたのだろう。ベスタ家が常に気を引き締めれるように騎士の訓練場を新たに設けたとうい訳だ。
静かな城でお茶をすするより、騎士の掛け声を聞いて仕事に励む方が気も引き締まる。そういう雰囲気になる。
「わたくしが騎士になりたいと言ったら反対なさるのに、騎士を身近に感じさせるこの中庭は意地悪ですの・・・」
そうボヤキながらフローラは二人の戦いの結末を見守る。
毎日のように行われている模擬戦だが、ここ最近は練度も上がり騎士たちも観戦に来るほどの戦いになっていた。
そんなすごい戦いを見せられたら騎士を夢見たことのあるフローラも体がうずいてしまう。
もうそんなことを考える歳でもないのにと、フゥと短くため息が出る。決着が付いたようだ。
ぶつかり合っていた術式が消え、地面に倒れ伏すアズラが見える。
今回も森羅の勝ち。
騎士団の顧問を務める森羅に勝つのはいくらアズラでも厳しいだろうが、アズラなら勝てるかもとフローラは秘かに思っている。
思ってはいるが1ヶ月勝ち無しはちょっとかわいそうだ。
「森羅も一度ぐらい勝たせてあげればいいのに・・・」
優しい顔をしているくせに手加減を知らない森羅のことをフローラは、仕方がないと諦め気味に呟く。
模擬戦も終わり観戦していた騎士たちも職務に戻っていく。
修行が始まってから1ヶ月、そろそろセトたちが戻って来る頃、騎士団の立ち上げも大詰めだ。
そして、その日の夜。
噂をすればとセトたちの馬車が戻って来た。
なんだか馬車がボロボロになっているが盗賊か魔獣と戦ったのだろうかとアズラが心配するがセトたちは元気そうだ。
勝手にセトに付いていったリーベも元気に手を振っている。あの子はアズラに怒られることを忘れているのだろうか?
まあ、そのことは置いておいてセトたちの帰還だ。
馬車がシェレグ城の城門前に止められる。
「お帰りなさいみんな。仕事は上手くいった?」
アズラがセトたちを出迎えた。
真っ先にリーベが馬車から飛び降りアズラの慎ましい丘に顔面からダイブする。スリスリと頬ずりをしているリーベにアズラは優しく、優しく。
「アズ姉さんただいま!」
「お帰りリーちゃん。よく頑張ったね。御褒美があるんだけど・・・」
御褒美という言葉にリーベが目を輝かせる。何かな? 何かな? お菓子かな?
「一ヶ月ご飯は野菜だけでいい? それとも、マルク先生に付きっ切りで勉強を教えてもらう? それとも・・・」
「うっ・・・」
違う! ご褒美じゃない! リーベの顔が青ざめセトの方をチラッと見る。
サッとセトたちが斜め右上を見上げた。
リーベのそんなぁという声が聞こえてきそうだが、セトたちは上を見上げたまま固まる。許せリーちゃんお兄ちゃんは心を鬼にしないといけないのだ。
「それとも、しばらく私と一緒に寝る?」
「・・・うん! そうする!」
あれ? お仕置きがやさしい?
心を鬼にした自分は何だったのとセトは悩んでしまう。
悩んでいるセトにエリウが。
「セトもお願いしニャいのか?」
「何を?」
「一緒に寝ることニャ」
「しないよ・・・!」
セトは思わず否定したが、アズラならセトがお願いすればOKしそうな気がする。
膝枕をしてくれて優しく寝かしつけてくれそうだ。
「セト、エリウ、ランツェご苦労様」
リーベを一旦離したアズラがセトたちに労いの言葉を送る。
「うん、ただいまアズ姉。仕事も上手くいったよ」
「姉御聞いてニャ。ヒギエアの首都が凄い事にニャってたんだニャ」
エリウが手をバタバタとさせてその凄さを伝えようとする。
手をバタバタさせるだけでは伝わらない。
「何かあったの?」
「難民が押し寄せていた」
口数が少ないランツェが口を開いたことで深刻な状態だったとアズラが感じ取る。
ランツェがわざわざ自分から報告するのだ。それだけ知っておくべき事態があったのだろう。
「紛争の影響ね。馬車がこのありさまなのもそのせいか」
ボロボロの馬車からどういう状態だったかアズラも想像が付く。
ヒギエア公国の情報はフローラも交えて聞くとして、今はセトとランツェに伝えることがある。
「ヒギエア公国の話は後で詳しく聞くわ。セト、ランツェ、二人に知らせたいことがあるんだけどいいかしら?」
「いいよ」
「・・・ああ」
「今から2ヶ月後に四公国騎士団統一戦っていう大きな大会が王都で開かれるの。二人にはそれに参加してもらうわ」
今、この瞬間からセトとランツェの修行が始まった。
王都まで1ヶ月かかるので僅か1ヶ月でセトたちは修行をして強くならないといけない。
どこまで強くなれるか頑張りどころだ。