第九十六話 異国から来た男
今日はベスタ公国に新しいお店が開く日だ。
以前から噂はあったがお店が無かった謎の商会がついに首都ウェスタに本店を開業したのだ。
開店は昼からだというのに、お店の周りにはもうたくさんの人が集まっている。
みんな噂のお店を一目見ようと来ているのだ。
大きなカバンを用意して、今日は思いっきり買い物をするぞと息巻いている奥様や、珍しいものがないかとちょっと覗きに来たお爺さん。
少し偉そうな雰囲気漂う、ほかの商会から偵察に来たお兄さんなど、本当にたくさんの人が来ていた。
本店の窓からその様子を窺うリーリエは落ち着かない様子で、興奮気味に話す。
「お客さんがいっぱいです。あ! あの人は今日のお昼をここで買う予定です。あのお爺さん、武具に興味がありそうですよ!」
「すごいわね・・・。私には分からないわ」
リーリエの謎の洞察力に感心するアズラ。
目をキラキラと輝かせお客さんの選別をしていく彼女は、まだ、お客さんの声を聞いてもいないのにその人の欲しい物が分かるようだ。
異常に高まったテンションで第六感にでも目覚めたのかもしれない。
窓に食いついているリーリエは放っておくとして。
開店までまだ少し時間があるのでアズラは従業員たちと確認作業をしていく。
忘れていることはないか。やり残していることは。
接客の対応方法に問題はないかと考えだしたら切りがなくなって来る。
肝心なのは、完璧な状態で臨むのではなく。例えどんな事が発生しても解決できる準備をすることだ。
そのことをアズラも重々承知しているのだが、本番前はどんな人だって緊張する。
ちょっと緊張を隠しきれていないアズラがみんなに気合を入れる。
「みんな、もうすぐ開業よ。始めてくるお客さんたちに、私たちのお店を気に入ってもらえるように頑張りましょう」
「「「はい!」」」
従業員たちも緊張しながら答える。
みんな胸がドキドキしているのだ。
そのドキドキは程よい緊張感となり集中力になっていく。
今、アズラたちはかつてないほど集中している。
「仕事を楽しむ! 楽しくできればお客さんも買い物が楽しくなるわ。だから楽しみましょう!」
「「「はいッ!」」」
緊張感が集中力に変化した。
それはアズラたちに普段以上の力を与えていく。
最高の状態でお店の開業が近づいてきた。
後、10分。
残り、1分。
ゴーン、ゴーンとお昼を告げる鐘の音が鳴り渡った。
お店の扉を開け放ちアズラが前に出る。
そして、営業スマイル抜群に。
「お待たせしました! アプフェル商会本店の開業です!」
アプフェル商会の、自分たちのお店の商売が始まった。
集まっていたお客さんが一気に店の中になだれ込む。
王都で仕入れた品物を我先にと手に取っていき、すぐに値段を聞く声が飛び出していく。
その光景はさながら商いの戦場だ。
「リーリエ出番よ!」
「はい! いらっしゃいませお客様、こちらの商品は・・・」
目を輝かせルンルンのリーリエが商いの戦場に投入された。
口が開き、一人目が購入決定し、一言目で二人目、三人目が高額商品に食いつき、二言目には周囲の人全員がリーリエの売り込みに夢中になっていた。
投入3秒で10人は捌いたか。
速すぎて何をしているのかアズラには分からない。
(やっぱりすごいわねリーリエって・・・)
商売と接客の才能があるのは以前から感じていたが、王都の時より凄みを増しているかもしれない。
以前と違い、今回は何のハンデもないのだ。彼女の勢いを妨げる要素は存在しない。
ならばとアズラは、彼女に好きなだけやらせてみることにするのだった。
お店の方は初日ということもあってかお客さんで大混雑だ。
立地条件など他のお店と比べると町の中心から遠いというのにわざわざ足を運んでくれている。
念入りに宣伝していたのと、アズラが持つ公女直属護衛騎士という肩書が商会の価値を高めてくれているのだ。
王都での成果もあって商会の滑り出しは完璧といっていいだろう。
アズラがうんうんと満足していると。
「よろしいかしら?」
赤い大きな帽子を深々と被ったご婦人がアズラに声を掛ける。
上品な桃色の衣服を纏って、とても高貴な雰囲気を持つ女性。
かなり身分の高い人だろうかと、アズラは失礼のないように挨拶をするのだが。
「はい。いらっしゃいま・・・、フローラ?」
そう、帽子で顔を隠そうとしているがどう見てもフローラだ。
というより、なぜ顔を隠そうとしているのか?
そんな赤い派手な格好は公国広しと言えどフローラだけだ、逆に目立っている。
「し~っ! お忍びで来たのですの」
「え? あ、ごめん」
なんだかよく分からないがとりあえず謝るアズラ。
キョトンとした彼女をフローラはなんだかジトっとした目で見つめる。
「・・・。あ! ああ。いらっしゃいませお客様、アプフェル商会へようこそ!」
ニコッとフローラの顔に笑顔が戻って、お店の中に入っていった。
お忍びで買い物に来たのだろうか。
いつもは堂々と町中を歩いているのに気分だろうか? とアズラが思っていると。
(フフ、臣民に紛れての買い物。自分で選んで買うことほど楽しいものは無いのですの)
フローラは心の中で笑みを浮かべる。
本当に買い物に来ただけのようだ。
身分により出される最高品ではなく、自分で気に入った商品を買いたい。
こんな買い物でも公女様には楽しい息抜きなのだ。
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馬車一台を拝借し、購入した商品を積み込ませるフローラ。
ご購入いただいた商品は丁寧に運びますとアプフェル商会が綺麗に積み込んでいた。
どれだけの資金を持ってきたのだと呆れながら、アズラがフゥと息を吐き今日の仕事の終わりを告げる。
他のお客さんが引くほどの大人買いをしまくったフローラは幸せそうだ。
お忍びで来た意味がまるでない行動だが、本人が幸せそうなので気にしないでおこう。
フローラのおかげか分からないが初日の売り上げは大成功だ。
並べた商品だけでは足りないので倉庫にある在庫も出すほどだった。
一部の動物をあしらったアクセサリーはフローラが買い占めてしまったのが要因だが、それ以外もたくさん売れたのだ。
そんな中で、店を開いて売ってみて分かったことだが、意外と食材の需要も高いことも分かった。
市場で買えそうなものでもお客さんが欲しがるのはアズラが見落としていた需要だ。
今後は食材関係の品揃えにも力を入れようとアズラは心にメモしていると。
「アズラ、後でわたくしの所に」
ちょっと用があるとフローラがアズラを呼ぶ。
呼び方が少しいつもと違うように感じ、アズラは悩み事かなと想像した。
いつもハキハキと喋るフローラが少し言いよどんだように感じたのだ。
確かにフローラあることで悩んでいる。
「いいわよ」
アズラは快く返事をした。
その返事を聞いたフローラは馬車に乗り込む。
悩んでいることは、それはアズラたちには関係のないことで、関わることもないことだろう。
だけども必ず何かしら影響は受ける。
それがフローラの心に引っかかっていた。
(勅命の時も、今回も、わたくしがアズラたちをまきこんでいるのかしら・・・)
この心の引っ掛かりは、父のウィリアム公爵から話を聞いてからずっと続いている。
そんな心の違和感を誤魔化すために思いっきり買い物をしてみたのだが、それでも違和感はフローラの胸に残ったままだった。
買い込んだ品物を眺めながらシェレグ城に向けて出発する。
欲しいものを買った時、いつもなら幸せの気持ち意外湧いてこないのだが、今は何とも言えない空虚な感じが混ざっているのだ。
その空虚な不安を消してしまおうと、フローラは犬のアクセサリーを手に取りながら目の前に掲げる。
木材を彫り込んで作られた犬の彫刻に紐を付けたアクセサリー。
「可愛らしいお犬さんだこと・・・、その可愛さでわたくしの悩みも吹き飛ばしてくださいな」
自分の好きな物を見ていると不安なんてすぐに無くなってしまうように思える。
思えるのに、好きな物はいつでもそのままなのに。
やっぱり不安はなくならなかった。
フローラが帰った後、アズラたちは店じまいを始める。
まだ、チラホラとお客さんがいるがそろそろ日も暮れる頃だ。
「リーリエ後は任せていいかしら?」
「はい、任せてください。公女様の所に行くんですよね」
「ええ、すぐに戻れると思うわ」
アズラは店のことをリーリエに任せて、フローラの所に向かう準備をする。
騎士として呼ばれていないのでそんなに難しい話題ではないだろうと勝手に思っているのだが、どうなのだろうか。
アズラの予想を外れて、案外難しいことかもしれない。
どちらにしろ行けば分かること。
アズラは本店の庭につないでいた馬を連れ出してその上に飛び乗る。
シェレグ城までは歩きだと少し遠いので、向かうときは馬を利用している。
帝国にいた頃は馬にはあまり乗らなかったが、ベスタ公国に来てからはアズラは乗り回すのが普通なくらいになってきている。
それぐらいよく利用しているのだ。
馬で走って20分もしない内にシェレグ城に到着した。
フローラの護衛騎士であるアズラはベスタ公国の上位騎士。
特に手続きをすることもなく中に入っていく。
初めての時は緊張したが、何度も出入りしている今となってはもう慣れてしまって何も感じない。
一国の城に入るのに何も感じなくなるとは、贅沢なことだ。
城の奥、フローラたちベスタ家の人間が生活している区画にアズラ向かう。
そして、彼女のいる部屋で立ち止まった。
コンコンとノックし。
「どうぞ」
「フローラ来たわよ」
扉を開け、中に入ると二人の人物が目に入ってきた。
一人はフローラだ。
町にいた時の格好とは違い、真っ赤なドレスを着ている。
その雰囲気に振る舞い方。見ていて惚れ惚れするお嬢様だ。
そして、もう一人は知らない男。
(誰かしら?)
チラッと目が合うと男が優しく微笑んできた。
思わず頷き男のファーストコンタクトに答えてしまう。
「早かったですわねアズラ」
「お店は任せて来たから、そちらの方は?」
「紹介するのですの。こちらは、王護森羅。長年、わたくしの騎士団の顧問を務めていただいてますの」
フローラに紹介された男は、椅子からすっと立ち上がりアズラに一礼する。
きれいなビシッとした礼だ。
緑の変わった服を着ているが民族衣装か何かだろうか。
緑の布を体に巻き、赤く長い布を紐代わりにしてくくっている。
髪は黒色だが、前髪だけ白く白髪となっていて、まだ中年ほどの歳に見えるが苦労しているのかもしれない。
そして、名前も聞いたことのない発音だ。
そもそも、言語から異なるものかもしれない。
「御紹介に預かりました。王護 森羅と申します。よろしくお願いしますね」
「初めまして。私はアズラ。公女直属護衛騎士のアズラ・アプフェルです。えっと・・・おう、ご、さん」
「森羅とお呼び下さい。王護が性、森羅が名となっています。大陸の方はこの名の呼び方は珍しいかも知れませんね」
そう言って、微笑む彼はとても優しそうな雰囲気を持っていた。
優男と言えばそうなのだが、弱さや非力さではなく、そんなものを全く感じさせない力強い優しさ。
そんな彼にアズラは質問してみる。彼のことは彼から聞くのが一番早い。
「・・・。その森羅さん」
「はい、なんでしょうか?」
「あなたの名前は、雰囲気も初めて聞いたものだし、発音も、なんていうか上手く喋れない言葉だわ。帝国や王国出身ではないのですよね?」
アズラは感じた違和感を素直に聞いてみた。
素直にこんな名前の人と初めて会ったと。
聞かれた森羅は微笑みながら答える。
「やっぱり違和感を覚えますよね。カデシュ大陸は一つの文明から言語が枝分かれしたので、だいたいどこでも会話は成り立ちますが、異文化の言語は雑音に等しいくらいですから」
よく聞かれると言った感じに答える森羅は、このやり取りに慣れているようだ。
きっと、人に名乗るたびに聞かれているのだろう。
そして、聞かれてしまう、その理由は。
言語が異なる意味は、分かれば納得だ。
森羅が微笑みながらその正体を明かす。
「私は天主国アマテラス出身なのです」
世界の反対側。
世界の敵と呼ばれている国。
そこからやってきた男がアズラの目の前にいた。