虚しき斗い
習作です。
タイトルは「むなしきたたかい」と読みます。
信じられない。
驚きに、俺は思わず身構えた。
扉が二度ノックされたのだ。
俺は愛する女を側に抱き寄せて、不安と困惑に揺れるその澄んだ瞳を見つめながら、安心させるように言った。
「大丈夫、君は俺が守るから」
「う、うん」
瞠目する女。
きっと驚いているのだろう。
思えば女との付き合いはまだ浅い。
故に確固たる信頼を得ているかどうかで言えば、否と言わざるを得なかった。何せ、初めて出会ってから時間にして一週間も経っていないのだ。だが彼女との日々はこれまで以上に充実していて、俺はすっかりと彼女に惚れ込んでしまっていた。
だが女がどう思っているかまでは分からない。
ただでさえ苦難の多い現状だ。今も俺たちの関係を脅かす存在が、部屋の前までやって来ている。きっと扉の向こうには敵が待ち構えていて、追いつめられた俺たちの反応を楽しんでいるに違いないのだ。
俺の住むA国は、隣国と長きに渡る戦争状態にあった。
殺し殺され、憎しみと憎しみとがぶつかり合う。最後の一人を殺し尽くすまで終わらない。そう思わせるくらいに、両国は互いを憎み合いながら戦っている。
俺はA国の兵士だ。
女は隣国に渡っていたスパイなのだと言う。
彼女の仕事は隣国から機密情報を盗み出してくること。結果的にその任務は失敗し、隣国からの逃走の途中で力尽きてしまう。
そこに現れたのが他ならぬこの俺だった。
瞬く間に襲い来る追っ手どもを撃退して、颯爽と女の窮地を救った。
それから一週間。
俺たちは互いの間柄を深め合いながら、ようやくA国にある俺の自宅にまで帰って来ることができたのだ。
だが、追っ手の追跡は未だ続いている。
それどころか、任務失敗の罰として自国の者からも命を狙われる始末。
安心できる場所などもはやどこにもない。だが、今さら女を捨て置くなどという選択肢は、俺には毛頭なかった。
再度、扉がノックされる。
先程よりもやや強めだった。
「くそっ、万事休すか」
「ね、ねぇ、出なくていいの?」
「敵が待ち構えてる。今出ていけば相手の思うつぼだ」
「そう?」
女には危機感が足りない。
きっと切迫した現状を正しく理解できていないのだ。
やはり、俺が彼女を守ってやらなければならない。決意を新たにして、扉を睨み付ける。
「開けなさい」
敵が言った。
有無を言わさぬ声音だった。
強敵だ。緊張に震える。額から汗が流れる。
「もう遊びはこれくらいにしておかないと、ただじゃおかないよ」
敵の機嫌が悪くなっていくのが分かる。
握った女の手の温かみだけが、俺の心を唯一落ち着かせてくれた。
このままでは埒があかない。
俺は遂に決意し、扉の外へと声をかける。
「今、開ける」
慎重に扉の錠を外す。
すると勢いよく扉が押し開かれた。
「くそっ! 伏せるんだ!」
「え、ええ?」
女を押し倒して床に伏せる。
そのまま数秒。場を沈黙が包む。どうやら敵からの攻撃はないようだ。一先ず安堵した俺は、頬を赤く染めたまま何か言いたげな彼女から離れて、扉の方向へと視線を向ける。
そこには敵がいた。
もとい、我が母である。
「あんたねぇ、いい加減にしなさいな。彼女さんまで巻き込んで......」
母はそう言って嘆息した。
「あの、これって......」
女の疑問の声に、母は笑って答えた。
「思い込みだよ。この子ったらいつもそうなんだ。何か隠し事があると、こうやってすぐに自分の世界に潜り込んでしまうのさ」
「は、はぁ」
「こんな子でも、普段はちゃんとしてるんだよ。どうだい、幻滅したかい?」
「い、いえ。そんなことは。彼のことが好きなのに、変わりはありませんから」
恥ずかしそうに答える女に、母は感激したかのように口元を押さえて言った。
「あらあら、息子には勿体ないくらい良い娘だねぇ」
「あの、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
二人は何やら会話で盛り上がり始めた。
蚊帳の外になった俺は、ふと彼女のはだけた服の下に、酷く見覚えのある刺青が彫られているのを見つけた。
まさか、あれは。
いや間違いない。
隣国の兵士の印だ。
戦場で何度も見たことがある。
女の正体はA国のスパイなどではなく、隣国のスパイだったのだ。彼女は俺に取り入って易々とA国に潜入し、こうして任務を遂行している。
つまり、女は敵なのである。
信じられない。
驚きに、俺は思わず身構えた。
お読み下さりありがとうございました。
本作は解釈の仕方が幾らかありますが、敢えて何が正解だとかは明記しておりません。
※ご自分のお好きな解釈をお楽しみくだされれば幸いです。