日常ネタ・1 頑張れ松枝さん
教室の一番後ろの窓際、暖かな日差しのこぼれる特等席で、一人の少年が机に突っ伏して寝こけていた。
男子用制服でなければ女の子と見まがうばかりにかわいらしいその口元には涎まで垂れて色々台無し……いや、微笑ましく見守る教室の男女の中には「美少年の涎prpr……ぐへへ」とか呟いている連中もいるので問題無いようだ。
……何かもっと重大な問題があるような気はするが。
「おい、坂上。いつまで寝てるんだよ」
「あ、サイトーくん。おはよお」
「もう放課後だっての」
美少年坂上君の午睡――発言からして終日寝ていたようだが――を妨げたのは、前の席に座っていたやんちゃそうな少年、斉藤君。
せっかく観察してたのに空気読めバカ派と、腕白少年と美少年の絡みもまたよし派に分かれた教室の雰囲気などどこ吹く風と、あきれたような口調で坂上君に話しかける。
「国語の望月先生なんて泣いて……はいなかったか。なんか気持ち悪くぐねぐねしてたな」
坂上少年の寝姿に「ぐはぁっ」とかのけぞって、はぁはぁと息を荒げるその姿は、教育者としてはあるまじきものだった。もうちょっと人目がなかったら、写メとか撮ってたに違いない。
残念美人望月先生(永遠の23歳)の裏の趣味を――具体的に言うと夏冬に売ってる例の薄い本――知っている一部生徒はさもありなんと小さくうなずいていたのだが。
「真面目なお前にしては珍しいな。寝不足か?」
「うん、ちょっとぶいあーるえむえむおーをねー」
「何を始めたんだ?ドラファン?やっぱ男ならファイクエだよなー!」
ドラファンこと「ドラゴンファンタジー」は若干ディフォルメされたアニメタッチのキャラが売り、ファイクエは「超美麗」なグラフィックに、見る人が見ると痛々しい感じの「かっこいい」装備が売りだ。
たしかにドラファンの方がかわいらしいので女性人気は高いのだが、やたらホスト系イケメン揃いのNPCに釣られてファイクエをほいほい買っちゃう女性も多いので、「男なら」という斉藤君の発言には、異論がある向きも多そうだ。
「いや、もーちょっとマイナーな……」
「ってことはOWLか?あれも良いけど、所詮洋ゲーだしな」
オール(OWL)は、海外で幅広い人気を誇る老舗の大作「Other World Lost」。とことんリアルを追求したというそのグラフィックは、国産ゲームに慣れたプレイヤーには「汚い」「バタ臭い」と評判が悪い。
「いや、せんごくいでん」
「はー!?あのクソゲーかよ!UIは不親切極まりないし、NPCはてんで融通利かねえし、モンスター殺して怒られるとか意味不明すぎるわ!」
「……そこまでひどくはなかったと思うけど」
寝ぼけ半分にぽやあっとしていた口調と表情が険しくなる。
そりゃ寝不足になるほどはまってたゲームを、悪し様に罵られていい気分でいられるはずもない。教室中が坂上君に思わず同情する中、空気読めない男・斉藤君はまったく意に介さず話し続ける。
「やめとけやめとけ、俺なんかβ初めて一ヶ月で切ったぞ、あんなクソ。それよりファイクエやろうぜ。心配しなくても俺がちゃんと面倒みるし。俺の最強キャラが両手剣でかっこよく守ってやるからさー」
ファイクエはパワーレベリング対策が厳しく、「強いキャラ」なんかと一緒に行動しようもんなら初心者には全く実入りがないのだが、斉藤君にはそれを乗り越える秘策が……あるわけないので、こりゃゲーム内でも空気読まずに相当嫌われてるんだろうなあと、教室の皆が小さくため息をついた。
「んー、無理。ソフト買うお金ないもん。戦国異伝だって懸賞で当たらなかったらやってないって」
「グノーシスの新型が当たるって奴か!くっそお、垢持ち除外じゃなければ当たってたのに!」
「さすがにそれはないと思う……」
「ってことはフルダイブだろ?フルダイブ!俺も兄ちゃんのお下がりでフルダイブなんだけどさあ、世界が変わるっていうか……」
「うん、すごかった。すごい気持ちよかった……いい匂いだし……」
「さすがにいろいろ危ないからその顔と手はやめとけ……」
でへへとやに下がって虚空をもにもにともみしだきだした坂上君に、さしもの斉藤君もちょっと引き気味である。
「いやでも、それならさ、ほんとファイクエやろうぜ?俺なんかソロで攻略組でさ、結構いいとこまで行ってるし……」
ソロじゃなくてぼっちだろとか攻略組で「結構いいとこ」って前線じゃないのかよとか、耳をそばだてているクラスメイトが内心総ツッコミしている中、一人の女生徒が二人に近づいてきた。
クラスでもひときわ背の高い、大人びた容貌の美少女。さらさらの黒髪にスタイルは……ええとまあスレンダーとかそういう類の、だが凛とした立ち居振る舞いにはむしろ似つかわしい空気を纏っている。
松枝由美、クラス委員。眉目秀麗才色兼備、文武両道と非の打ちどころのない完璧超人。
……が、ノートを片手に坂上君の机に近づく様子は、緊張のあまりギクシャクとして、右手と右足が同時に出ている始末。
いやもう態度ばればれだろうとクラス中が思わず頭を抱える中、深呼吸を一つ。
「ヒャ」
……声が裏返った。ガタガタと音がしたのは、ギャラリーの何人かがうっかりコケたらしい。
「しゃか……んんっ、坂上君」
さらに噛んだが、そこはそのまま言い直した。
「あ、委員長」
ぽやぽやと返事をする坂上君に耳まで真っ赤になりながら、手に持っていたノートを差し出す。
「よっ、良かったら今日の授業のノート、なんだけど」
「え、いいの?ありがとう」
にっこり笑って受け取る坂上君。ぎこちなく微笑み返す松枝さんとのツーショットは……すごく姉弟っぽい。同学年だけど。
同じく坂上君を狙っているはずの男女すら思わずなごんでしまう――その後、どう見ても完全に一方通行な雰囲気に同情してしまうのだが――ほんわかした空気をぶち破るのは、やっぱり空気が読めてない斎藤君。
「そういや委員長もVRマシン持ってたんだよな?」
「え、ええ。ちょっと家庭の事情で」
空気読めよの声にならない大合唱の中、「VRマシン買わないといけない家庭の事情ってなんだよ」という疑問はかき消されてしまう。
「じゃあさあ、委員長も坂上と一緒にやろうぜ、ファイクエ」
「坂上君もファイクエをやっているの?」
「……いや、僕のやってるのは戦国異伝なんだけどね」
「え?」
「なー?委員長も変だと思うだろ?だから俺が親切にファイクエに誘ってやってんだって」
坂上君のプレイしているゲームのタイトルを聞いて一瞬固まった松枝さんの表情をどう誤解したのか、斉藤君がしつこく勧誘を再開した。
松枝さんは、形のいい眉をひそめて小さくため息。
「斉藤君、パッケージ代もプレイ料金も結構なお値段するんだし、無理強いはいけないと思うわ」
「でも絶対元とれるって!」
「それでも、ね。私たち学生には安くないんだから」
「ちぇー、ったくよー」
たしなめる松枝さんに口をとがらせる斉藤君。渦中の人のはずだった坂上君は、少し困ったような笑みを浮かべるだけだった。
******
一週間ほどが過ぎ、教室の隅っこで寝ている坂上君・そこにぎこちなく話しかける松枝さん・二人をしつこくファイクエに勧誘する斉藤君の三人が、すっかり放課後の日常風景として定着したある日のこと。
その日、いつにもましてギクシャクと歩みを進める松枝さんが背後に隠し持っている物を見たクラス中が、静かにざわめいた。
それは、アーチ状に成形されたプラスチックに布張りした物。プラスチックの弾力と内側の櫛歯で頭に装着し、髪がはねるのを抑える――何の変哲もないカチューシャ。
問題はそのカチューシャを通常の物とは大きく異ならしめている装飾にあった。
一つ一つの形は実にシンプル。
三角形に裁断された黒の起毛フェルトにピンクのサテン地を張り合わせ、中に綿を詰めて形を整えた、布で作ったおむすび型。
それが二つ、頭頂部から少しはずれた位置に着けられている――すなわちネコミミ。
目撃者の八割が、ネコミミを装着した坂上君を想像して鼻血を吹いた。七割は、日頃きりっとしている委員長が、ネコミミ装着して恥ずかしげに「にゃ、にゃん」とか言っちゃう場面を妄想して悶死した。五割は二人がそれぞれネコミミ装着してじゃれ合う姿を幻視して天に召された。
問題:それらすべてを発症して人間をやめたのは一クラス五十名中何人でしょう。なお、一割の頑迷な犬派が「そこはイヌミミやろ」と抵抗していたものとする。
いやそれはともかく。
一時の熱狂が過ぎ去った後に一同の脳内にこだまするのは、「なんでネコミミ?」という最大の疑問。
松枝さんが坂上君に好意を持って気を引くためにあれこれ作戦を講じているのは、もはや校内で知らぬ者とてない――いや、当の坂上君には全く伝わってないのが、両者のファンクラブその他諸々をして静観の構えを取らせているわけだが、まあともかくおおよそみなの知るところであり、この萌の最終兵器・NEKOMIMI投入もそれら空しく終わった作戦の一フェーズであろうというのはわかるのだが……それにしたっていきなりそれはハードルが高いというか方向性が明後日すぎるというか……。
「でさあ、坂上ってネコミミ好きだったりするの?」
聞いちゃったー!?
実にタイミング良く発せられた斉藤君の言葉に、松枝さん以下クラスメートすべての動きが止まる。
空気読まない斉藤君が珍しくGJ、という話ではまったくなく、単に彼ご執心のファイクエに新たに追加されてしまったコスプレアイテムの内容に話題が移っただけなのだが。
ファイクエはリアル系志向を謳っているため、かわいい系のドラファンに対してどうしても低年齢層や女性へのアピールが足りないとされ、曰く「萌えが足りない」というのが定番の煽りとなっていた。
そこへなにをトチ狂ったか「萌えればいいんだろ!」とばかりにやけくそ気味に投入されたのが、ネコミミやメイド服など多岐にわたる「もえもえコスプレセット」ガチャ。
しかし、デザインやリアリティのすり合わせもしないまま適当に放り込まれたそれらアバターアイテムは、無駄に現実離れしたチャラ系イケメン・美女だらけのプレイヤーキャラクターとの間で絶望的な不協和音を生み出し、「コスプレAVセット」だの「キャバの営業ガチャ」だの、さらなる悪評をまき散らすという無惨な結果に終わっていた。
もちろんのこと斉藤君も、「俺KAKKKEEEE」な世界観にぶち込まれたカオスに不満を抱いている一人なのだが、「女子供」の二人――しつこいようだが坂上君は同級生である――がここまで真摯に誘ってもなびかないのは、そのあたりにあるのではないかと業腹ながらに考えた末に聞いてみた、というわけ。
だがしかし。
いつものように眠たげにやる気のない様子で受け答えしていた坂上君がいきなり満面の笑みを浮かべて身を乗り出すと、
「いいよね、ケモ耳!」
勢いよく立ち上がり、とうとうとその素晴らしさについて語りだした。
そのふわふわ感や手触りの気持ちよさ、素知らぬ顔をしていても、感情を隠しきれずにいろいろな表情を見せるその動き、気持ちいいところを掻いてやった時に手の中でピクピクと跳ねる弾力――などなど、ノンケ(ノンケモミミスト)までもその道へ引きずり込みそうな情熱を感じさせる長広舌。
そのあまりの業の深さにドン引きするクラスメートもいる一方、松枝さんとその恋を応援する一部メンバーは小さくガッツポーズ。
松枝さんのどこソースかもよくわからない奇策は、思わぬ勝利をつかむかに思われた、そのとき。
「でもそれ、ナマモノの話だろ?」
「うん、もちろん!」
空気読まない斉藤君によって、さらなる爆弾が投下された。
そう、坂上君の熱いパトスは、すべて「血の通った獣の耳」であることが大前提になっていた。
動く、反応する、体温を感じる――リアルケモミミでなければ存在しない諸要素こそが彼の琴線に触れる、マスターピース。
「じゃあさ、コスプレのネコミミとかは――」
「だめだね」
即答即決一刀両断。
そこからさらにコスプレのネコミミがいかに唾棄すべき愚物かつ邪悪な駄萌えかについてまたも熱弁が振るわれたのだが、膝から崩れ落ちた松枝さんの精神の安寧のためにも、敢えて触れてあげない方が良いだろう。
その後、砕け散った乙女心と猫耳カチューシャをお供に、駅前喫茶店のケーキバイキングでやけ食いしている松枝さんを慰めていた女生徒一同が「いっそ子猫の一匹でも飼えば、家に連れ込み放題なんじゃね?」とか思っても誰一人として口にしなかったあたり……まこと恐ろしきは女の友情、であった。
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「で、どうだ?いい加減飽きたとか」
もちろんその先は「飽きたならファイクエどうだ?」と続くわけで。よっぽどゲーム内にお友達いないのか、なかなかしつこい斉藤君だった。
仕方ない部分もある。何せフルダイブ型VRマシンは大変お高いのだ。同じクラスに三人もフルダイブ仲間がいるだけでかなりラッキー、もちろん簡易型のものなら持っている人間は結構いるはずだが、そこはそれ、なんか「特別」って感じが斉藤君の厨二心をくすぐるわけで。その縁を活かしたいというのも当然の心理、ではある。
「ここんところは一緒にやってる人と食べ歩き、かなあ。これが店によって味が違ったりして奥が深いんだよねえ」
ほやーっと笑ってはいるものの意外にしっかりした口調で返す坂上君。さすがに連日徹夜は親御さんに怒られたらしく、平日はさほど寝不足ではなくなった……とはいうものの、生活サイクルにMMOが根付いちゃったのはむしろ帰って来られない危険なサインかもしれない。
「戦国はそんなとこまで再現してんのか。意外だな……あ、それとも最新型の追加機能か?」
「さあ?」
五感の再現がどんどんリアリティを増すVR技術の中で、味覚・嗅覚というのはむしろ退化してしまった稀有なケースとなっている。
データ量がやたら膨大になってしまうというのが表向きの理由なのだが、その最大の理由は「リミッタ設定の困難さ」にあると言われている。
アンモニア臭や腐卵臭などの単体では不快なにおいでも、複合された「良い香り」の一成分として含まれることがある。
そこで安易に不快なにおいをカットしてしまうと、「良い香り」のほうもバランスが崩れて再現ができなくなってしまうのだ。
味についてはさらに触覚や痛覚・熱覚などの物理的刺激とも連動するため、単純にここだけリミッターを解除するというわけにもいかない。
黎明期には完全再現を謳った作品もあったが、「最臭兵器事件」や「激辛夫婦善哉事件」などの一種のテロ行為の末にいくつかの規制ができ、現在ではプリセットされた「味覚・嗅覚テクスチャ」を貼り付けるだけ、というのが主流となっている。
ゾンビの大群に囲まれて腐臭に死にかける、なんてことも滅多にないかわり、同じゲームの同じ料理ならだれが作っても同じ――出来栄えによって数段階のバリエーションをつけることはあっても――味になるという、料理人泣かせなゲームが大半を占める有様なのだ。
「よくわかんないけど、おいしいのはいいことだよ」
「いやそりゃそうだけども」
斉藤君のやりこんでるファイクエは、特に嗅覚・味覚の再現度が低いため、「鼻をつまんでもわからない」などと揶揄される無機質さが一種の売りとなっており……そこはやっぱり食べ盛りの少年としては正直物足りない部分でもある。
「……たまにはインしてみっかな」
「あ、委員長」
斉藤君の小さなつぶやきはしかし、彼の後ろでまごまごしていた松枝さん――坂上君が居眠りしなくなったため、「ノートを貸してあげる」という口実が封じられた――に気を取られた坂上君にはスルーされてしまった。
「な、何かな、しゃかがみくん」
噛んだ。めっちゃ噛んだ。しかも今度は言い直しもできなかった。
耳まで真っ赤にした松枝さんにクラスメイトの生暖かい視線が突き刺さるが、当のしゃかがみくんは一切気にした様子もなく。
「今度、弓道場見学させてもらってもいいかなあ?」
軽く小首を傾げる姿が、ギャラリーのハートを直撃する。
「い、いつでも歓迎するわよ。えっと、入部希望?興味わいた?」
勢い込んだ松枝さん、ぐっとこぶしを握ってこくこくとうなずく。
部活としてはいい成績を残してはいるものの競技人口の少なさもあって弱小な弓道部としては、ここはぜひとも新入部員を獲得したい――というのは誰が見ても建前で、まあそりゃ同じ部活で触れ合ったり部活帰りに寄り道したり……恋する乙女の野望は尽きない。
期待八割下心五割で三割り増しくらいの笑顔を浮かべた松枝さんに、しかし、恋の女神は微笑まなかった。
「ゲームでね。前に飛ばなくってちょっと悔しかったから」
「あー、うん、難しいよね、和弓……」
坂上君の言葉に思わず肩を落としちゃったのを、いったい誰が責められるだろうか。
「しょ、初心者向けの指導なら私でもできるし!」
「え、あ、う、うん。こ、今度お願いしてもいいかな?」
しばらくして何やら吹っ切れたように急浮上した松枝さんと、慌ててうなずく坂上君、なぜか二人ともちょっと頬が赤い。
「そ、それでほんと、興味持ったら入部も……」
「部活に時間取られて、ゲームできなくなるのはちょっと」
「……デスヨネー」
そこはあっさりお断りされて再び落ち込んだ松枝さんの様子に、一瞬「ちょっとは脈あり?」とどよめいたギャラリーも、同情の涙を禁じえなかった。
頑張れメインヒロイン(笑)
松枝さん……ゲーム内ではいったい何ワさんなんだ…




