10.壁際の少女
「次はあの店行ってみようか?」
「ん」
ミカゲのご機嫌取りに、二人きりで朱雀大路を散策中。
手を繋いで気の向くままにあっち行ったりこっちを覗いたり……現実でもやったことないデートの真似事をしてるみたいだ。
「坊ちゃん嬢ちゃん、兄妹二人でお使いかい?どうだい、焼き饅頭うまいよー?」
……うん、わかってたけどね。
町の人の僕らを見る目は微妙にどころか完全に子供扱い、微笑ましいものを見る目が切ない。
おかしいなあ。雑貨屋さんとかはふつうに応対してくれてたと思うんだけどなあ……。
「……あれ?」
南のはずれ、東寺のあたりまで足を延ばした僕の視界のはしに、気になるものがひっかかった。
「んぃ。ますたぁ、あれは……」
「大丈夫、わかってるよ」
鼻を押さえて顔をしかめるミカゲの頭を優しくひと撫で、僕の足は「あれ」に近寄る。
「やあ、迷子かな?」
所在なげに塀に寄りかかる、小さな女の子に。
「あはは、大丈夫ですよ。ここで町の景色を眺めてただけです」
快活に笑う少女の視線を追うように振り返れば、そこには僕らのことなんか気にもしてないように行き交う都の人々。
京の町、という言葉から想像する雅やかな空気とは無縁の、少々くたびれた町並み。
僕らの感覚だと、賑わっているとは素直に言いにくい、それでもそれなりの人が行き来する。
きゅっと、ミカゲが僕の袖を引いた。
「……ああ、うん。それで……君はわかってるのかな?その、自分が死んでるってこと」
僕の言葉に少女は目を丸くして……次の瞬間弾けるように笑いだした。
「家がとーぞくさんに襲われて、必死に逃げたんですけど、追いつかれてばっさり」
着物を見せびらかすように袖を摘んでくるりと回れば、寄りかかっているせいで見えなかった着物の後ろは斜めに大きく切り裂かれ、白い華奢な背中には、錆びた鉈が突き立ったまま。
倫理コードのせいか血痕や刀傷が見えないのが、余計に不気味さを煽っている。
思わず息を呑みかけて、ぐっとこらえる。
「恨んでる、の?」
「そのとーぞくさんも、うちから盗んだお金が元で他の人に殺されちゃいましたし、死んでからですけど、謝ってくださいましたからねー」
おずおずと問いかけた僕に、少しはにかんでからあっけらかんと答える少女の顔には、たしかに暗い陰はなかったけれど。
「いくさだったからしかたない、って、おとーちゃんも言ってました」
しかたない、とは言えないような言葉を、にっこり笑って流す彼女に胸が痛んだ。
「こうして町の人たちのお話を聞いてても、みんないくさで大変だーって言ってますし」
たしかに、どこへ行っても町の人たちの噂話は、二言目には次の戦の場所について。
合戦を主眼に置いたRVRなんだから、たしかに仕方ないとはいえ、あちこち戦続きでは、心休まる暇はないに違いない。
「いくさなんてなくなって、みんな楽しく暮らせるようになればいいのに」
町の景色を見つめる少女の眼差しはどこか寂しそうで。
「いつか……いつか、そうなればいいね」
思わずそっと、少女の頭に手を乗せていた。
触れることよりも、手のひらから伝わってくるひやりとした寒気に驚いた。
――幽霊、なんだよなあ。
袖を引くミカゲの力が強くなる。
「いつか……かあ。お兄さんがいくさをなくしてやる、とか言わないんですか?」
少し不思議そうに、小首を傾げる彼女。
「それは……僕の手に余る、かな」
「ふうん」
つまらなそうに小さく鼻息を漏らした少女は、僕から離れるように一歩踏み出して……笑った。
「ざぁんねん」
ぞくり、と背筋に寒気が走るような声音でそれだけ言うと……次の瞬間、その姿は空気に溶けるようにかき消えた。
「なにふぃてるんふぇ……なにしてるんすか、こんなとこで」
「……君がなにしてるんだよ」
少女の最後のせりふの意味をはかりかねて呆然としていたところに、脳天気な声がかけられた。
声の出所はあの妙な弓術師のトキワさん。なにやら串焼きのようなものを何本か抱え、そのうちの一本をもっちゃもっちゃと食べている。
「あっしは人待ちと路銀稼ぎに……ってえ、ここは!京都七大七不思議の一つ、『壁際に立つ幼女』の!」
「……なんだそれ」
「そこの塀に付いているシミは、野盗と化した逃散農民に殺された少女の返り血の痕と言われておりまして――」
トキワさんが指し示すあたり、少女が寄りかかっていた塀は、たしかにその部分だけ少し色が黒ずんでいるように見えた。
「洗っても塗りなおしても浮かんでくるとか?」
「定番っすよね。まあ、テクスチャなんだから当たり前っすけども」
「そう言っちゃうと情緒もなにもあったもんじゃないなあ」
「情緒はないけど実害はあるっす。場所が場所だし、かわいらしい幼女な外見に釣られて、〈見鬼〉覚えた連中が真っ先に話しかける幽霊さんの一人なんすけど……」
あ、痛い。ミカゲさんの前髪越しにさげすむような視線が痛い。
違いますよ?僕はただ、あの子の様子が心配になって声をかけただけで、ロ……とかそんなことはけして。
「『戦をなくしてくれる?』なんてお願いに、すわ使鬼契約キタコレとOKしちゃうと……」
恐ろしげな演出のつもりか、妙な顔をして言い淀むトキワさんだけど、串焼きの束が雰囲気を台無しにしていることには気づいてないらしい。
「とり殺される、と?」
「『うそつき』という言葉とともに、背中に刺さってたはずの刃物でぐさあっと!……なんだ、知ってたっすか」
怖い顔を作ってミカゲの方に襲いかかるフリだけはしてみせるトキワさん。すべっても演出はやりきる信条らしい。
「いやまあそれこそお約束だけど、なにその運営の罠」
「かわいい外見に騙されて、鼻の下伸ばす方が悪いと思うっすよ」
「ん。ますたぁ、悪ー」
……だからそういうつもりじゃなかったんだって!なんだこのアウェイな空気。
「その子の気持ちも分かるっすけどね。戦争メインのゲームしに来てるくせに、戦をなくしてやる、なんて、どの口で言うのかと」
「身も蓋もないなあ……けど、違うって言ってるよ?」
「……へ?」
義憤に燃えるトキワさんの後ろで、笑顔で首振ってるし。
「って、戻ってくるんかい!」
「う、うひいいい!?」
トキワさんは珍妙な悲鳴を上げて飛び上がると、迷惑そうな顔をしているミカゲの背後に逃げ込んだ。
「だってそこがあたしの場所だもの」
「そりゃそうなんだろうけどさあ……こう、情緒的なものがね?」
「い、いるんすか、そこにいるんすか」
「んぃー。トキワ、邪魔ー」
「そう思ったんだけど、何かおもしろそうだったから」
「たしかにこれは大変愉快だけど」
「ちょ、あっしの扱いひどくないっすか!……ひいっ、ごめんなさいごめんなさい!」
ガクガク震えてるトキワさんに目をやると、なにやら抗議をはじめかけ……ミカゲにぺいっと袖にされかけて、慌てて必死に取りすがる。
「……うん、おもしろい」
にたあり、と、さっきまでの健気な表情と打って変った凄惨な表情で意地悪く笑う。
「そっちが本性か……『平和な世界を見たい』ってのは嘘?」
「さあねー」
「んぃ。嘘つきを責める鬼は嘘つけなー」
「余計なこと言ってんじゃないわよ、このクソ亀ぇ!」
横から口を挟んだミカゲの手には串焼きが握られてた。トキワさん、かばってもらう賄賂――報酬代わりに差し出したな。
真っ赤になった怒ってる少女の幽霊の姿を見る。相変わらず背中は凄いことになってるんだけど、こうしてどこか楽しげにミカゲと言い争いをしているところは、普通の少女に見えなくもない。
……というのは、最初の「演技」に騙されてるのかなあ。
「ひいいいいっ、ミカゲさん、ミカゲ様、あの、な、何をお話しされてるんですかー!?」
「んぃー。トキワをとりころー?」
「うひいいいいいっ!?お、おたす、お助け……」
「聞こえてないと思っていい加減なこと言うなっ!」
……ああやかましい。
「そういえば、トキワさんは〈見鬼〉使えないの?」
「さ、才能なかったんっすよ!今見えてなくて本当に良かったと思うっす!」
見えたり聞こえてたりしたほうが、誤解もパニックも少なくて済んだと思うのは僕だけだろうか――これはこれで面白いので言わないけど。
「ふーむ、そうだ!お兄さん、彼女をとり殺されたくなかったら、あたしと契約しましょう!」
「いや彼女じゃないし……っていうか、なんで?」
こっちを振り返った幽霊さんが、なんかとんでもないことを言い出した――僕の返事を聞いたトキワさんが、なぜか身もだえてるのは見なかった方向で。
「最近話しかけてくれる人も減っちゃいましたし、退屈でー。お兄さんはお人よ……んんっ、優しそうだし、いっしょに行けたら面白いかなあって……いや、ちょっと、そーゆー目で見られるのは心外なんだけど!」
ああ寂しかったのかー、なんて思わず考えてたのが表情に出てたらしい。
ミカゲが握ってた串が何やら不穏な軋みを上げたのは……うーん、他にもご機嫌取りしておいたほうがいいかなあ。自分のすがっていたモノが盾になりそうもないと遅まきながら気づいたトキワさんが、腰が抜けた体勢のままずりずり後退しているのが、周囲の空気を色々台無しにしていた。
「……平和とか目指さないよ?」
「そういうのいいから!」
ゲンザンさんに聞く限り、式鬼は「未練を晴らす」のを条件に契約するということだったから、そこを聞いたつもりだったんだけど。
「これでも一応結構歳経た幽霊だからね、役に立つと思うわよ?」
「えっ……イエナンデモナイデス」
女性に年齢を聞くのは厳禁!相手は人を殺すことをなんとも思ってない幽霊だから、なおのこと!
「嫌だって言ってもついてくわよ?その場合、何が起こっても……くっくっく」
ふざけてわざと悪い笑みを浮かべてるように見えて、目が完全にマジだった。何この子怖い。
選択肢を間違えたら死亡、うまく回避したつもりでも今度はずっとつきまとわれるとか、罠キャラにもほどがあるんですけど。
「わかったよ……契約すればいいんだろ?」
「ん、いい名前つけてね?」
胸を張って顔をもたげ、目をつむってる幽霊さんは、なんだかキスの催促でもしているようで少し緊張する……って、あれ?
「名前つけてって……生前の名前は?」
式神と違って、生前は人間の幽霊さんだ。当然、元の名前で呼ぶのが筋だろう。
「そんなの、もうどーでもいいし」
ところが、幽霊さんはぷいっとそっぽを向いてしまった。
どうだってよくはないと思うんだけど、生前にいい思い出もないのかな、なんて考えが頭をよぎって、それ以上聞くのは気が引けた。
>式鬼の名前を入力してください
「ほら、はやくー」
幽霊さんとシステムメッセージの双方から催促される。今までは特に困ったこともなかったけど、この段階まで来ると僕のほうからの拒否権ってないんだろうか?
絶対トラブルのもとだよなあ。なにせ「七大七不思議」――って、実際いくつ不思議スポットあるんだよ!――の一つに数えられるくらいの有名人。当然被害者の数も尋常じゃないわけで、うっかり出会おうもんなら……
「あ」
「どうしたの?」
「ひいいいっ、旦那が何か苦しみ始めましたよ!?の、のろいとかたたりとかあわわわ」
小首を傾げる幽霊さんと……落ち込んでる僕を見てパニックしているトキワさん。
そーだよね。どのみちなんかトラブル多そうな職業だし、なにせ「レアポップ」だもんね。うん。一週間で三人しかプレイヤーに会ってないようなプレイしてて、今更困ることなんてないよねえ……はあ。
「じゃあ、名前はユウ。夕暮れの夕で」
>式鬼の名前:夕
>よろしいですか?
「……え?」
幽霊さんの表情が凍り付いた。
「あれ、気に入らなかった?」
「その……名前はどこから?」
「うーん、なんとなく?」
ひどく真剣に聞くものだから、「幽霊さんの幽」とはとても言いにくかった。下手な受け答えで機嫌損ねて刃物でぐっさりとかご勘弁願いたいわけで。
「なんとなくかー……ん、わかったわ」
お札に何かを吸い取られるようないつもの感覚の後、幽霊さん――ユウはかわいらしく微笑んで
「よろしくね……お兄ちゃん」
僕の頬に軽く口づけた。
「んぃー!?」
「え?ちょ、な、何があったんすか!?え?え?」
怒りの絶叫を上げるミカゲに、いきさつがさっぱりわからずうろたえるトキワさん。
……さっそく頭の痛い問題が襲ってきていた。
「はぁー、それで、契約しちゃったわけっすか」
町の東を流れる川べりの土手に腰かけて、トキワさんに事情説明。
怒ってたミカゲには小さな黄楊の簪を買ってやってご機嫌をとり、今は僕の膝の上に頭を乗っけてうとうとしている。
「呆れてる?」
「当たり前っすよ」
「ほんに、主様は……お人よしにもほどがあります」
脇腹をつねるのは、味方がほしくて呼び出したクレハ……なんだけど、どう見てもトキワさんと一緒になって僕を責めてるってかっこうだ。
「うーん、そっすねえ。あのイベントはなぜかあんまりヘイト集めてないんで、その、ユウちゃんっしたっけ?を連れてても、それだけで問題視されることはたぶんないと思うっす」
「なるほど……」
それ「だけ」でってあたりはまあ式神使いだとかそういう部分なんだろうな。
「それで、その……ユウさんはどちらにー?」
きょろきょろ、というかおどおどとあたりを見回すトキワさんに思わず苦笑。
「さすがにその辺の話は聞かせるとまずいかなと思って、お札に戻してるよ」
「話を聞く限り、まったく気にしそうにないっすけど」
ですよねー。
どっちかというと、隙あらばミカゲをからかったり、――見えてないのをいいことに――トキワさんにちょっかいかけようとしたりと、まったく落ち着きがなくて鬱陶しかったからってほうが本当のところ。
ちなみに、見えてない相手にも物理干渉は可能らしく、足を引っ掛けて転ばせようとかしてるところを無理矢理お札に戻したのは、被害者であるトキワさんには言わぬが花というやつである。
「はー、式神いいなあ」
ぽかぽかと良い陽気に、川面を渡る風が気持ちいい。ご機嫌ななめなクレハのしっぽを、ミカゲの簪とともに買った黄楊の櫛で梳いてやっていると、トキワさんがぽそっと呟いた。
どうにもトキワさん、〈見鬼〉だけでなく他のあらゆる術系にまったく素質がなかったらしく、普通は誰でも何かしら「余芸」を手に入れられるとことを、ほとんど弓術師オンリー一本伸ばしみたいな育成になっていたそうだ。
そんな彼女にとって、いまだ素質の有無を確認できてない式神使役は最後の希望!のようで……
「上げませんよ?」
クレハの腰を抱き寄せて、舌を出す。クレハのほうもギュッとしがみついてきたせいで、胸の柔らかい感触が強調されて……。
しっぽがパタパタ揺れてるのが、熱くなった頬に当たってくすぐったい。
「ぐぬぬぬぬ」
しばらくギリギリと歯ぎしりしていたトキワさんが、大きくひと息。
「そおだ、旦那。侍の技能覚えてみませんか?あっしが手取り足取り腰取り……ぐへへ」
「えっと、あの……お断りします?」
その悪巧みしてるような顔と、口元に垂れてるよだれが怖いからね!
……断れなかった。
トキワさんのトレーニングは実に体育会系スパルタ式で、あっちを叩かれ、こっちを引っ張られ……。
刀に槍に太刀に薙刀忍者刀、一体袂にどんだけ入ってるんだと言いたくなる近接武器のオンパレードを振って振って振って……。
疲れ果てた僕がへたり込んだ時、表示レベルにまで達したのは結局「懐剣術・壱」だけだったなんて徒労もいいところだと思うんだ。
「ふっはっは、旦那も意外とダメダメっすなあ!」
なぜか腰に手を当てて勝ち誇るトキワさん。それはまあもういいんだけど、少し離れたところでミカゲを膝枕してるクレハまで袖に口元隠して笑ってるのが納得いかない。
「それ、は、コーチが、悪」
まともに抗議もできやしない。スタミナとか疲労度とか、こんな息が上がるところまで再現しなくていいんだよ!
「なっ!この万年道場主とまで言われたあっしに、なんという言い草!」
それ、ほめてないよね?パーティ組めないからずっと道場に置いてけぼりだったとかそういう……。
「んんっ!まあそれは置いといて」
僕の憐れむような視線から目をそらしつつ咳払いの後、わざわざジェスチャー付きで「置いといて」したトキワさん。
「次はいよいよ戦場の花形!弓術のトレーニングっすよー!」
わーわーどんどんぱふぱふーとセルフSEではしゃぐトキワさん。自分の職を紹介するのは、やっぱり誇らしいものなのか。
袂から取り出したのは、この間見た巨大な弓ではなく、全長1mもない、ほとんど竹の板にひもを張っただけと言った感じの粗末な弓。
「しょ、初心者用の弓なんてこんなもんっすよ!」
慌てて言いつくろったところを見ると、僕は相当がっかりした顔をしていたらしい。
「とりあえずお手本いくっすよー」
見ててくださいねーとか言いながら、これまた粗末なつくりの竹の矢を引っ張り出す。
――美しかった。
流れるような動作で矢を番え、するすると引き絞る。その一連の動作が淀みなく繋がり、繋がった流れが一瞬停滞した次の瞬間。
「ふっ」
小さな呼気とともに放たれた矢が、誘導でもされたみたいにネズミの目に突き立った。
ネズミは悲鳴も上げずに砕け散る。
「……とまあ、こんなもんっすね」
「うん、それがなければ完璧だった」
打ち切った形で二の矢に手をかけたまま静止していたトキワさんが、ドヤ顔でこっちに振り返った瞬間、それまで張りつめていた空気がぐだっと弛緩した。
「……やってみれば良いっすよ!」
すねたトキワさんが、べちっとこっちに弓と矢筒をたたきつける。さすがにその攻撃にダメージ判定は発生しなかったらしい。
「ええっと……」
見様見真似で弓と矢を持ち……ぽろっと。
背後でぶふうっと吹き出す音がいちにのみっつ……オノレ。
まさか、番えるどころか持つところにハードルがあるとは思わなかった。
ううむ。
悪戦苦闘することしばし、矢はどうやら後部の溝を弦にひっかければいいらしいと気づき、持ち上げ……ぽろっと。
そーだよね。矢の後ろは固定しても、前は固定できてないんだもん、そこで持ち上げようとしたら落ちるよね!
仕方ないので左手で交差したとこをぎゅっと握って持ち上げ……弓が引けない!?
トキワさんが悠々引き絞ってた弓が、どれだけ引っ張ってもびくともしない。
左手を矢が落ちないようにそろそろ緩めつつ、思いっきり広げようとするけれど、肘が弾力に負けて弓がぐらぐら揺れる。
背後の音が忍び笑いに変わったけれど、もうそろそろ大爆笑してくれたほうがダメージ少ないと思う。
どうにかこうにか半開き?くらいにはなったところで、右手を離し……ああいや、左手も矢だけリリースしないと……べよん、ぼて。
思いっきり弓が手の中で踊って、矢は僕の前――狙ってる方向の「前」じゃなくて、体の向いてる「前」へと三度目の身投げ。
「だーひゃっひゃっ」
ばんばんと地面たたきながら大爆笑するトキワさん……く、くっそーーーー!!!
「だーいじょうぶっすよ、おねえさんがやさしく教えてあげるっすからねえ」
「くっ……お、お願いします」
ここぞとばかりにお姉さんぶりやがってー!
屈辱に耐えつつ、矢のつがえ方から弓の持ち方、弓の引き方の一つ一つを文字通り手取り足取り腰取り肩取り教えられる。
「はーい、そこまで開いてー……また肩上がってるっすよー」
耳元でささやきかけられる声に思わずドキドキしたり、背中に当てられる何やら柔らかいものに意識が向いたりしてない!
僕の両手に添えられたトキワさんの手の柔らかさに驚いてなんか……くっ。
射形を教えると言いながら、もうほとんど後ろから抱きつかれてるみたいな体勢で、弓矢になんか集中できるわけないじゃないかー!
この人は残念この人は三下この人はからかってるだけ……ううううう。
「はい、右手をそっと離すっす」
一瞬軽く握られた感触に驚いて手を放す、と、頬を矢羽がかすめて……
とっ、と、少し離れた地面に突き立った。
「まずは前に飛んでおめでとうっす」
呆然としてる僕の背中から、温かい感触が消える。一瞬名残惜しさを感じちゃったのは気の迷いってことにしておこう。でないと背後から感じる殺気に対応できない気がする。
「覚えたっすか?」
「え?……あ、ああ、弓術ね」
一瞬何のことかわからず間抜けな返答をしちゃったら、三人の目が三角形になった。よし、落ち着こうかみんな――含む、僕。
ステータスを開けば、燦然と輝く「弓術・壱」の文字。
「おおー」
思わずガッツポーズ。
「くっ、覚えてなければもうちょっと……」
なぜか肩を落とすトキワさんを、クレハとミカゲがにやにや笑いながら見てるのは気にしたら負けだな。
「式神使いは中距離スキルに適性あるみたいだし、あとは鍛錬あるのみっすね」
「うん、ありがとう。頑張って……ネズミ狩りかな」
「あー、それなんすけど、一つだけ」
「なに?」
顔を寄せて脅かすように一言添えたトキワさん。いや顔近いって……
「竹の矢は、一本一文します」
「えっ」
硬直。理解が追い付かない。っていうか……
「ネズミを一匹倒しても一文しか手に入りません」
「……赤字じゃん!」
一撃で倒せなければそれだけで赤字。たとえ倒せても、武器は消耗するから、トータルで見れば武器代丸損。
「はっはっは、まいったか」
乾いた笑いで返されても!
「基本狩りをすればするほど赤字ぃ!イエー!」
「……そういえば一本一両とかなんとか言ってましたね」
「あれでも普段使いの安いほうっすよ?上位の矢は一本百両くらいします」
「きみはなにをいっているのか」
「その辺になると物理防御の甘い後衛をまとめて数人飛ばせるっすからねえ、一種の戦略兵器と考えれば値段相応なんすけども」
確かに、爆裂矢は土行の防壁をぶち抜くどころか破砕するだけのパワーを持ってたし、あんなもの食らったら、僕なんか一撃でミンチだろう。それを考えれば値段相応と言えなくもない、んだろうけど、でもなあ。
なるほど、その高コストが、弓術師が不遇職と呼ばれる所以か。
「お金かかるからって狩りには連れてってくれないのに合戦には来いっていう。ええもう泣ける扱いっすよ」
よよよとしなだれかかられても困るんだけども。
「とはいえ、お金儲けたいからって理由で式神をあげるのは……」
なぜかクレハに正座させられてるトキワさんには申し訳ないけども。
「いやそこは単純にパートナー的なそれというか!憧れるじゃないっすか、そういう相棒って」
こぶしを握り締めファンタジーなロマンについて熱く語りだすトキワさん。そんなに熱意に溢れてるなら、最初から式神使いやればいいのに。
……あの弓を射る姿を見れば、そっちのロマンも追及したんだろうなあとは思うけど。それをもってしても心折れそうなほどの不遇職みたいだし。
「そっちの熱意は分かった。でもあげるのはだめだよ?」
「ふっふっふ、それがっすね。式神使いさんからもらわなくても、式神をゲットできる手段はあるっす!」
調べました!wikiで!ってガッツポーズするトキワさんがちょっと眩しい。涙なくしては見れない――とことん残念だなあとか思ってないよ?
「ほう、それで?」
「まず第一に、野良な式神候補に直接交渉する!」
「狩ろうとしてたのは誰だったかな」
「……ぐはあっ!?」
それも見事に返り討ちにされかけてたわけで。あれ見て契約してあげようって式神はそうそういないよねえ。
「つ、次に……契約中の式神さんに直接交渉――」
「んぃー」
「ふむ、あり得ぬわいな」
「……しくしく」
まあないよね。それができるならあげてるって。
うん、だから、そんな見せつけるように二人して僕にすり寄ってこなくてもね?
「く、くそう……さ、最後にー」
「最後早いな!」
三つしかないとかダメじゃん!
「さ、最後に……洞府に行って直接交渉する!」
「ああ、なるほど」
ミカゲはそうやって手に入れたわけで、その方法は確かにありかもしれない。
けど……。
「無理じゃのう」
クレハが憐れむような目で首を振った。
「んぃー。洞主に招かれないと入れなー」
「あ、そうなんだ」
そういや僕もハルナさんに連れられて行ったんだよね。自分一人で行けと言われても……そもそも場所がわからないし。
「そ、そこで、旦那にご紹介いただきたいとおおお!」
「ちょ、取りすがらないで!足で鼻水拭かないで!」
足をつかまれてこけそうになったのを、とっさにクレハが支えてくれる。うう、頼るより頼られるようになりたい……。
あー、でもそれなら……ううーん、行けるのかなあ。
「だ、ダメっすかねえ」
「僕にはなんとも……公主さまにお伺いを立てないと……」
「ん。面白そうだから連れて来いって」
「……え?」
予想外の方向からあっさりと返ってきた返事にミカゲの方を向いた僕が見たのは、その華奢な手に巻き付く公主さまのお使いの蛇さんだった。
あるぇー。けなげな少女になるはずが、なんでこんな腹黒ロリに……
トーヤ君の初体験、和弓を初めて触ると、だいたいこんな感じです。
体験したい方は、美人なお姉さんが指導してくれるとこ選べばいいと思うヨ