9.「レアポップ」
「お助けー……どわっぷ!?」
僕らが駆け付けるまでもなく、悲鳴の主は広場に文字通り「転がり」出てきた。
木の根っこにけっつまずいて、見事な宙返りを披露した後、ずべしゃあっと顔面スライディング。
「だ……大丈夫?」
恨めしげに見つめる二人を手で制しつつ、いまだ突っ伏したまんまの相手を観察する。
身長は僕よりも少し高いくらい、体型からして女性のよう。ストレートの黒髪を、後ろで縛ってポニーテールにしている。
鷹狩でもするような、ところどころ革の補強が入った厚手の布の服。
背中には2mはありそうな弓と、矢筒。
「狩人?」
「弓術師っすよ!」
わざわざ顔を上げて僕の間違いを指摘したその人は、一応美人って範疇に入るのかな?……顔面をもろにすりむいた上に、土で真っ黒に汚れてなければ、だけど。
「どーせ不遇しょ……ひいいっ!?」
そのまま僕に何やら抗議しようとしたところで自分の走ってきたほうにちらっと視線を送ると、おびえた表情でわたわたと立ち上がって走り出そうとして……またこけた。
不幸中の幸いというか文字通り怪我の功名というか、その転んだ上を白くて巨大な物体がすさまじい勢いで通り過ぎ、広場の反対側まで行って止まった。
「……鹿?」
滑らかな流線型を描くボディに長い首、しなやかな足。角はなく、その代わりに小さな膨らみが乗っているところを見ればメスなのだろう。
その全身が雪のように真っ白な毛皮でおおわれている、美しい獣がそこにいた。
「白鹿ですね、この界隈におるとは珍しい」
しっぽをぱさりと一振りしながら、クレハが首をひねる。
「お前たちもこいつの仲間か!」
「……違うって言っても聞いてくれそうにないよね、これ」
「んぃー。獣は気が短ー」
「なんじゃ、亀。妾に対する当てこすりかや」
「んー?」
疑問形じゃなくて完全に断定形の怒鳴り声は案の定女性のもの、頭に血が上ってるのは前足の蹄で地面をかく姿からも察せられ――
「はいはい、落ち着け落ち着け」
緊迫した状況そっちのけでほっぺたの引っ張り合いを始めたクレハとミカゲの間に割って入る。
要するに。
ようやく立ち上がった弓術師の女の子がこの白鹿さんを獲物にしようとして、返り討ちにあって追いかけられてる、と。
「……自業自得?」
「ひどっ!?」
「と言ってもねえ。言葉も交わせる相手を狩るとかはやっぱり……」
「道に迷って路銀が尽きかけてんすよう!」
「……生計のためならば責められる謂れもなかろうが、勝てぬ相手に手を出せば、殺されるのもやむなしよのう」
「ん。無謀ー」
「なんでこんなにアウェイの空気なんすか!」
さっきまで喧嘩してたのが嘘みたいに仲良く弓術師さんを苛める二人。弓術師さんは半泣きになってるし。
それにしても意外なのはクレハの言葉。もっと「仲間殺し」と責め立てると思ったんだけど……結構ドライなんだなあ。
「……ええい、僕を無視するなあ!」
「僕っ娘だと!?」
「そこっすかあ!?」
いななく鹿さんの一人称に思わず反応したら、弓術師さんから突っ込みが。いつの間にやら泥や擦り傷が消えて、結構美人な素顔が見えるんだけど……口調とかここまでの経緯とかでいろいろ台無し。
ガッと地面を蹴る音とともに、鹿さんがこっちへ突進してくる。
「……ミカゲ、火行!」
「ん――〈玄甲・火行〉」
「くっ!」
さすがに魚と違って、障壁手前で急制動、大きく後ろへ飛び退く程度の知恵は回るか。
火行――獣はおおむね金行らしいので――はとりあえず効く、ということは水じゃないと。
「白鹿は木行っすよ?」
「……ですか」
なんで火行?みたいな顔で尋ねられても、知らないんだからしょうがないよね!
「ミカゲ、あっちを囲んで」
「ん――〈画壁・金行〉」
あちらの攻撃はその速さを活かした突進。なら、金行の壁で囲んでその出がかりを封じてやれば……
「効くかあ!――〈破術〉!」
かつんっとひときわ音高く打ち鳴らされた蹄の音とともに、鹿さんを囲もうとしていた白い壁が音もなく霧散する。
「ぬう、〈破術〉とは厄介な」
「え、なにそれ?」
「現出した術を打ち消す術です。主様、こちらの術は届かぬようです」
「なにそれずるい!」
再び突進してきた鹿さんを、慌ててかわす。
「術が効かなくても、あっしの弓ならぁ!」
「うわちょっとストップ、『土行疾く依りて塞げ』、〈塁土〉」
目にもとまらぬ早業で番え放たれた矢の前に、慌てて土行の壁を形成。矢がその壁に突き立つと、次の瞬間壁が爆砕した。
「……は?」
「う、うわあああああん、一本一両の爆裂矢があああああ!」
なにそれ怖い。
爆発はどうやらすさまじくお高い矢の追加効果だった、らしい。
「とにかく攻撃禁止!クレハ、この人が変なことしないように見張って!」
「御意」
「あっしの獲物おおお!」
「一度挑んで負けた時点で、その権利はないと思うわえ」
攻撃禁止で手の空くクレハが、弓術師さんの首根っこをつかんで引きずっていく。その際、ちょっと呆れたような目で見られたけど、気にしたら負けだな。
一方の鹿さんは、
「くそっ!」
崩れた壁の前まで来ると、器用にその角を蹴って宙返り。綺麗な円を描いて後ろへと飛ぶ。
飛び越えたとしても勢いが死ぬと、とっさに判断したのか……いや、それにしても。
〈破術〉で土壁を消せば、突進を止めなくてもいいはず。そもそも、最初の突進の時、障壁を打ち消されていれば、避ける間もなくやられていたはずで。
少し、試してみるか。
「『火行疾く依りて塞げ』、〈林火〉」
ちょうど中間地点あたりに吹き上がる火の林。
「効かないって言ってるだろう!――〈破術〉!」
蹄の音とともにその火はかき消され、それと同時に三度突進。
「……今!『土行疾く依りて塞げ』、〈塁土〉!」
発動させるのは、今まさに鹿さんが越えようとした、〈林火〉で焦がされた地面。
「なっ、うわっ!?」
突然盛り上がった地面に足を取られ、鹿さんが無様に転がる。
案の定、か。
〈破術〉のキーとなっているのは蹄の音。術として発動するのに、どうしても独特の踏み鳴らし方が必要なんだろう。
だから、突進している最中には使えない。
だから――
「ミカゲ、壁で上から押さえて!」
「ん――〈画壁・金行〉」
「くっ、くそっ!」
横倒しになった上から押さえられてしまえば、打ち消すことは不可能、と。
「……殺せばいいだろう」
しばらくは身を起そうともがいていたけれど、今は諦めたらしく力を抜いている。
「いやいやいや、殺さないって。言葉も通じる相手を狩る趣味はないよ」
「……じゃあなんで怪しげな笑みを浮かべながら近づいてくるんだ?」
怒りは収まり、今鹿さんを包んでいるのは怯え。
背後でクレハが小さくため息をつくのが聞こえた気がした。
「それはもちろん……」
がばあっと飛びかかり。
「モフるためさああああ!」
「んなあああっ!?」
鹿さんの悲鳴が、誰もいない森にこだました。
クレハのしっぽよりもずっと短い毛に覆われた背中は、滑らかかつしなやかな感触。
「ひ、ひいいい!?」
悲鳴を上げてのたうつたびに、毛皮の下の筋肉の弾力が変わり、それがまた毛皮の手触りを刻一刻と変化させる。
「ちょ、ちょっと待て、そ、そこはああああん!?」
ふわふわの胸毛、それに続くしっとりとした腹毛は、背中のそれとはまた別格。
「いやあああんん!?」
小さくピコピコと跳ねるしっぽは、クレハの耳よりも若干柔らかい感じが良い。
「や、やめろ!匂いを、匂いを嗅ぐなああん!!!」
何より全身から漂う、良く日に当てたお布団のような香りの中にほのかに香ばしいナッツのような香気が……
「も、もう、殺して……」
はっと我に返ったときは、鹿さんはほとほとと涙をこぼしながら、がっくりと力尽きていた。
「あまりの気持ちよさにやりすぎちゃったか」
「声だけ聞くとR-18っすね……」
あきれた口調に振り返れば、肩を竦める弓術師さん。いやあ、ただ獣を思う存分モフってただけじゃないですか。
……なぜ四方向からジト目で見られないといけないのでしょうか?
「さて、白鹿よ」
追及をあっさりあきらめたクレハが、いまだぐったりしたままの――壁による拘束はもう解いているんだけど――鹿さんにかがみこむ。
「誤解でわが主に襲い掛かり、こうして手もなく返り討ちにあったからには――」
「負けていない!」
「現にこうしてへたり込んでおるではないか」
「……くっ」
「負けたからには、わが主の式神として、その身を捧げねばなるまいのう」
「狐精……そちらは玄亀、となると、こいつ、式神使いか」
ようやく気付いたらしい。本当に頭に血が上ってたんだなあ。
というか、それだけで納得しちゃうのか。まあ確かに、クレハたちとどう違うんだと聞かれたら、無差別に攻撃するのはためらうけども。
「おぬしを狩ろうとしたそこな透破めとは関わりないと納得したかえ?」
「そうだな。すまなかった」
「いいよ、こっちにも怪我なかったし。怒るのも無理はないしねえ」
「え?あっしだけ悪者!?」
心外そうな声を上げた弓術師さんに、周囲から集まる冷たーい視線。
「だが、式神になるのはごめんだ!またあの……も、もふうとかいうのをされるのは我慢できん!」
「なおのことよ。主様は女性の扱いとなるととんだ奥手でのう。獣の部位さえ見せねば、強いてと触れようとはせぬわ」
「なるほど、それなら……ってそれはそれで問題あるんじゃないか!?」
それはたしかにごもっとも。
……いや、女の人に興味がないわけじゃないよ?クレハに胸とか当てられたらそれはそれで……うん、ねえ?
そこでモフ欲のほうが勝ってしまうあたり、だめだめといわれると一言もないわけだけども。
「それにのう、ここでおぬしを放てば、すくたれ者がまたぞろ付きまとうであろ」
「すく……さっきからあっしの扱いひどくないっすか!?」
「んぃー。自業自得ー」
隅っこのほうで膝を抱えてさめざめと泣きだした。うーむ、鬱陶しい。
「……わかった。不本意だが契約しよう」
「えっと……」
「だが、も、もふうは断固拒否する!」
「いや、それはいいんだけど」
いまいち納得は行っていないぞ、と全身で表明しつつ立ち上がった鹿さんに、困った顔を向ける。
ステータス確認。
技能欄には「式神使役・参」の文字――あれ?いつの間にか「呪禁法・壱」を習得してる……とりあえず今はいいか――、式神の獲得枠は三に増えたからいいけど、呼び出しておけるのは二体まで。
「んぃー、戻ー」
「あ、うん。ごめん」
ミカゲのほうが自分から戻ると言ってくれたので御札に戻す。なんか微妙に不満そうだったのは何だろう……あとでお菓子でも買ってあげようか。
「……主様は、本当に……」
「お前たちも苦労しているんだな……」
なんで鹿さんにまで呆れられないといけないのか。ってか、のの字書いてた弓術師さんまでやってらんねーぜとばかりに肩すくめてるし。
ああもう。気を取り直して!
「では」
袂から引っ張り出した白冊をかざす。
>式神の名前を入力してください
「シラハギ、白萩でいいかな?」
>式神の名前:白萩
>よろしいですか?
「……今更いやだとも言えないだろう」
憮然とした顔のまま現れたシラハギは、貫頭衣のような物を身に着けた、すらっとした美人さん。
短く刈り込んだ髪の生え際から、こぶのようなものがちょこんと覗いているのだけが、鹿だったときの名残みたいだ。
「白鹿・シラハギだ。丹術と破術……はさっきも見せたな。あとは格闘くらいしかできん」
「……十分多芸じゃないかな」
「あ、あと、も、もふうは禁止だからな!」
顔を真っ赤にしてそっぽを向くシラハギに、何故かクレハが吹き出した。
>名前:白萩
>職業:式神/白鹿
>技能:道術/白鹿・序-丹術・壱
>習得技術:〈安息丹〉〈破術〉
「レアっすねえ」
「……レアなの?」
「あーいえ、回復術自体は持ってる式神がレアとはいえ、僧や神職にもあるっすけど、術を打ち消すなんてのは見たことないっす」
路銀がないという弓術師さん――トキワさんと名乗った――に、街道沿いの茶店でとりあえずおごってあげようと思ったのが運の尽き。
そんなに背が高くないとはいえトキワさんの肩あたりまで積み上がった団子の皿に、軽く胸焼けがしていた。
「どうっすか、この式神さんを売って……イエナンデモナイデス」
床几の反対側、僕らとなるべく距離を置くように座っていたシラハギから物凄いプレッシャーを感じたらしいトキワさんが、ガクガクと身を震わせる。
「絶対に嫌です……でも、売れるの?」
「式神使役の習得条件知ってるっすか?式神使いから式神を譲ってもらわないと達成できねえっすよ?」
式神使役の習得条件:式神を手に入れる……なるほど。
「まーでも、白鹿なら鹿王丹の材料になる角や鹿茸だけでも千両……勘弁してくださいっす」
床几の上で器用に土下座。いや、土下座なら地面に下りないと。
「……うう、さり気にトーヤさんがヒドイっす」
「人の式神に失礼なこと言うからです」
「相場の話っす。もう狙わないっすよ……式神なら初歩のものでも数千両はするし、シラハギの姐さんなら数万……ことによると百万両出してもほしいって人はいるっすね」
お茶碗を持っていた手が止まる。
「冗談――」
「じゃないっすよ。実際、殺してでも奪い取る、みたいな事件も起こってる……いや、起こったっす」
茶店の中に冷たい風が吹いた。
「……あー、それで『レアポップ』か」
「そうっすね。人前では式神使いとばれないように振る舞うし、パーティは基本自分で賄えるし……洞府クエに籠りっきりならそもそも人に会わないっすしね」
自衛のためとはいえ、式神使いがみんなそんな状態なら、そうでない人が式神使いを見つけるのは困難だろう。
考えてみれば、陰陽頭さんに怒られるくらい延々公主さまの命令ばかりやってたわけで。この一週間、プレイヤーと話したのはようやくこれで三人目……僕もひそかに「レアポップ」キャラの仲間入りしてた?
「しかし、今更そのようなことをするたわけがおるかや?」
僕の後ろに寄り添っていたクレハが問いかける。その声はいつにも増して冷たい。
「まっとうな国元には禁令出回ってるっすよ。冗談でも『売ってくれ』って言っただけで投獄されるとこもあるっす」
「……そんなに?」
「『しっぺ返し』が洒落にならない……いえ、ならなかったっすからね。相当の馬鹿でもなけりゃ、あんな目に遭うのは二度とごめんっすよ」
「国一つ滅んでも、反省できぬ愚か者もおると」
さらっと怖いこと言ったよ、この人たち!
式神強奪で国一つ滅んだ?
……でも、そうか。たとえば公主さまあたりがマジギレしたら……滅ぶね、うん。京の町一つくらいあっという間に叩き潰しそうだ。
「知らない人間にしてみれば、強い『武器』や『道具』扱いっすからね。手に入れさえすればどうとでもなると考える馬鹿は多いっす」
道具、武器……少なくとも僕はクレハたちをそう見たことはない。彼女たちは意思疎通もできる人格を備えた相手だ。
「NPCすら人間扱いしない人は多いんすよ」
さらっと言ってお茶を飲み干すトキワさんの顔は、どこか哀しげだった。