空話 <ホラバナシ>
目を曇らせるように嘘を積み重ね、目を覚ませるような真実を時折混ぜてくる。
この先、俺がどれだけの経験を積み重ねても、南戸のことだけは理解し尽くすことができないだろう。そりゃあほんのすこし知ることはできる。だが、それだまでだ。南戸よりもっと優れた人間がいたとして、もしこの詐欺師が井の中の蛙かもしれないと感じたとしても、俺ではその井戸の深さを知ることはできないだろう。海よりももっと深い井戸が、その蛙の下に広がっている気がしてやまないのだ。
ただひとつ言えるのは、今回のことで南戸に対する態度を変えるかと聞かれたら首を横に振るってことだ。
嘘そのものは嫌いじゃない。すべての嘘が悪いだなんて綺麗ごとをぬかすような平和ボケはしていない。
ただ俺はこの詐欺師に勝つ術を知らない。猜疑心に勝つ術を知らない。
征士郎のような享楽主義者でもなければ、騙し合いを楽しむなんてことができそうにないんだ。
「さて、じゃあボクは行くよ。これから忙しくなりそうだからね」
「忙しく?」
南戸が解放されるのを見届けてから、征士郎は俺たちに背を向けた。
「ボクと姉さんは正真正銘の姉弟さ。このままじゃあ結婚はできないだろう? だからそれができるように国を騙してくるんだよ。まるでどこかの詐欺師のようにね。それに、」
征士郎は地面を蹴ると、一足飛びに門の上まで跳びあがる。
月光をその身に浴び、渇いた笑い声をあげて。
「勝負するとは言ったけど、いまのままじゃ姉さんに太刀打ちできないからね。しばらくは自分磨きもしないと」
「それ以上磨いてどうするんだおまえ。ダイヤモンドにでもなるつもりか」
「そうなったら君の指に嵌まってもいいかい?」
「ありがとうすぐに売り飛ばす」
「現金だね。換金ともいう」
肩をすくめる征士郎は、俺の後ろ――南戸と梔子を見つめた。
「……じゃあ姉さん。またいずれ会いにくるよ」
「来世にきやがれ」
「そっちの小さな君、姉さんをよろしくね」
そう言い残して、壁のむこうへと消えた。
征士郎が見えなくなった途端、山肌から秋の夜風が吹いてきて木々をざわめかせる。
……まるで、嵐みたいなやつだったな。
どっと疲れが押し寄せてきた。思わずその場で座り込んでしまった。
「梔子クン、すまなかったな」
チラッと振り返ると、南戸が梔子に微笑みかけていた。親が子に向けるような慈愛の表情。
なぜか見ちゃいけないような気がして目を逸らす。
いや、まてよ。
南戸のそんな表情なんて滅多にみられるようなもんじゃない。アレが自分に向けられた笑みだったら男なんてすぐに惚れてしまうだろう。女神の微笑みとは言わないが、悪魔の微笑みとは言えるだろう。
もういっかいくらい見ておくか。
いやいや、でも……。
「久栗クン」
「お、おうっ?」
つい背筋が伸びた。
「キミにも礼を言っておく」
「……いいよべつに」
「料金の支払いは義務だぜ。詐欺師だろうとな」
「なら滞納してた分の返済にあててくれ。ちょっとだけど」
「承知したぜ」
これで俺と南戸の関係はリセットだ。
梔子と南戸だが、また当分は大丈夫だろう。確信があるわけじゃないけど、そんな気がするのだ。
俺は嘘が嫌いじゃない。
嘘のせいで創りだされた関係だとしても、歪んだ関係だったとしても、必要なやつには必要なんだ。
真実ばかりが正しいとは限らない。
ふたりの関係が嘘で壊され、嘘で修復されることになったとしたら、それは偽物なんだろうか。本物とは呼べないのだろうか。
俺は、そうは思わない。
少なくとも、梔子詞の横顔に悲しみの色が浮かんでいないうちは、嘘だろうとなんだろうと価値のあるものなんだと信じてる。
その間違った正しさだけは、この大嘘吐きでも騙らないだろう。
「ときに久栗クン」
「なんだ?」
「アタシは詐欺師だから相手の心理を読むのが得意だ。それはキミも既知だろうし、状況によってその能力が低下するような油断はしまい。だからこそ聞くが、キミはなぜそんな不安そうな顔をしている」
「……不安? 俺がか?」
「ああ」
南戸はじっと俺の目をみつめる。
すべてを見透かすような、澄んだ瞳で。
「まだなにか言いたいことがあるな?」
「……いや、まあ気のせいだと思うんだ」
ほんの少し。なんてことはない気がかりだ。
今回、征士郎にまつわることで多くの違和感を感じてきた。征士郎自身がそういうやつだから、いまもそういうものだと思っている。気にしないように努めてるわけじゃない。ただなんとなく、すこしばかり合理性に欠けることがあると、思っているだけだ。
「悪いことは言わない。しこりは残さないほうがいいぜ少年」
「……わかったよ」
まあ、スッキリしないのが不本意なのは確かだ。
俺は自分で蹴り倒した梯子を立てかけて、門をのぼる。
気のせいならいいんだけど。
そう思いつつ、俺は征士郎を追いかけた。
口 口 口 口 口
「征士郎!」
「おや?」
鼻歌まじりに歩く浴衣姿はすぐに見つかった。
きょとんとしたその表情を、すぐに笑みに変えた征士郎。
「どうしたんだい? もしやボクと離れるのが寂しくなったのかな」
「なあ、おまえいつから俺たちが南戸と繋がってるってわかった?」
「初めて会ったときからだよ」
ふふふ、と目を細める征士郎。
「南戸、と君がボクに言ったのは覚えてるでしょ? 姉さんの偽名のひとつだってことはすぐにわかったさ」
「知ってたのか」
「いいや。でも姉さんは偽名がありすぎて、逆にどんな名前を聞いても姉さんのことかなと疑う癖があるのさ」
毒に耐性がつくようなもんか。納得はできる。
「そうか……でもまあ、あいつの本名はもう奪われたからそれも仕方ないか」
「奪われた? どうしてそう言えるんだい?」
興味津々そうな顔を近づけてきた。
俺は後ずさりながら答える。
「いや、梔子を助けるために呪いで名前を奪われたから、あいつは南戸って名乗るようになったって南戸と梔子が」
「少年、君は愚かだよ。素直ともいう」
どこぞの姉と同じことを言う享楽主義者。
なんでだよと言い返そうとした俺の言葉を奪ったのは、こいつのたった一言だった。
「ボクにすら本名を教えない姉だよ?」
「え」
正直に言おう。
俺は、疑うことさえなかった。
同情すらしていた。
「ボクが一度でも姉さんを名前で呼んだかい? 姉さんはね、ボクが物心ついた頃にはとっくに偽物だったのさ。姉さんを呼ぶ両親の言葉も、戸籍も住民票もなにもかも、データの改竄が終わった後だったのさ。そんなことができる姉さんが、君たちに本当の名前を教えるとでも思うのかい?」
軽く衝撃だった。
だが、そうだ。
南戸は初めて話したとき、言ってたじゃないか。
『――偽名を使うとはこういうことだぜ?』
神の呪いを受けたとき、南戸は体を半分支配されていた。
だから俺は納得してしまった。その言葉が真実だとして、疑おうともしなかった。
「……くそ、あの詐欺師め」
「姉さんのいつもの手段さ。同情を得て協力を乞う。気づけばずるずると沼の中、さ」
呪いで奪われたのは偽名だけ。
あとは南戸の狙い通りだったのか。
「それで、少年はわざわざそれを聞きにきたのかな?」
いや、ちがう。
最初の最初から騙されていたことがすこしショックだっただけだ。南戸に言っても、いまさらどうしたって笑われるだけだろうけど。
そうじゃなくて。
「じゃあやっぱり、梔子にドッペルゲンガーを見せたのはおまえなんだな?」
「そうだよ。あの子が選んだのは、自分が恐れていた未来だったようだけどね」
「……なら、俺には?」
喉にひっかかっていたのはコレだった。
ドッペルゲンガーは自己現像視だと征士郎は言い切った。俺たちに見せたものも、征士郎には見えないと言った。他のやつらもあくまで自分を自分で見ただけだ。
だが俺は違う。周りに起きてることがドッペルゲンガーだと気づいたきっかけだけは、その理屈に合わない。
あのとき、俺が、焼却炉に佇む梔子のドッペルゲンガーを見たのだ。
「君には図書館で見せただけだよ?」
首をかしげる征士郎。
嘘をついてるようには見えない。つく理由もないだろう。
「……そうか。それを確認したかった」
「そう。じゃあボクは行くよ」
「ああ。引き止めて悪かったな」
「そんなことないさ。楽しい時間をありがとう久栗君」
今度こそ去っていく征士郎。
その後姿を眺めながら、俺は小さくつぶやいた。
「……ならあの梔子は、何だったんだ?」




