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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
5巻 おおうそつきの、ホラバナシ

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9話 涙

 

「ほざけ」


 認めない。

 認めるわけがない。


「俺は見たことないけど、そりゃあドッペルゲンガーってのは自分にそっくりなんだろうよ」


 征士郎の言葉に、俺がうなずくわけにはいかない。


「でも、それは自分自身じゃねえんだよ」

「どうしてだい? ボクができるのは、君たちの心のなかにある衝動を実現するだけさ。つまりドッペルゲンガーは君たち自身でしょ?」


 たしかに俺たちの心には、そういう見えない小さな欲求がたくさん隠れてるかもしれない。

 でもそれは、ちゃんと隠されてるんだ。

 たとえ心に秘めたものが悪事でも、俺たちはそうすることを選ばなかった。


行動こそが人格(・・・・・・・)なんだよ、征士郎」


 もし梔子が展示品を壊される未来を想像したとしても、それが悪いとは口が裂けても言えないし、言いたくないし、言わない。

 俺が梔子の味方だからってだけじゃない。


「てめえが選ばなかった未来を見せられてそれがてめえ自身だ、なんていまどきキャッチセールスにしても流行らねえよ。時代錯誤もいいとこだ」


 こんなこと、俺の妹でもわかってる。

 征士郎はすうっと目を細めた。


「ふふふ、君にこの理屈は通じないか」

「……なにがおかしい?」

「嬉しいのさ。久々に骨のある相手に逢えたからね」


 いまの論戦はまず間違いなく俺の勝ちだった。

 なのに、征士郎は肩を落とすことも悔しがることもなかった。

 ただ享楽的に嗤うだけ。


「ボクは有象無象(にんげん)が嫌いだけど、君みたいな男は大好きだよ」

「嫌いで結構なんだけどな」

「そのついでに、もう少し遊んでくれないかな?」


 征士郎が両腕を広げた。

 俺は息を呑む。

 瞬きをしたそのわずかな刹那に、机に座る征士郎の後ろに何人もの俺(・・・・・)が立っていた。

 まごうことなく俺。

 いつも鏡で見ている平凡に平凡を重ねた顔立ちの俺が、そこにいた。


「さあ、君にもドッペルゲンガーが見えたかい?」


 ニヤニヤと口角をあげる征士郎。


「いまから彼らは君の深層心理を写し、現実に描くだろうね。さあどうするかな? 本棚を倒してみる? ガラスを割ってみる? それともそこの女の子をいじめてみる?」

「……やめろ」

「一度生んでしまえばボクにはどうもできやしないさ。ドッペルゲンガーはあくまで自己像幻視だからね、他人であるボクにはその姿は見えないし制御できない。けど、君にはすべてが見えてるはずだよ。さてさて、どうする?」


 生み出された俺のドッペルゲンガーたちは、好き勝手に動き始める。


 本を手に取ろうとする俺。

 寝転ぶ俺。

 椅子を抱えて投げようとする俺。

 走り回る俺。

 梔子に歩み寄る俺。

 征士郎を殴ろうとする俺。


「くそ……頭がおかしくなりそうだ」


 なんて光景だ。いまなら芥川龍之介の気持ちがわかる気がする。


《おいおい図書室なんだから本読もうぜ》

《めんどくさいことなんて忘れて寝よう。心の平穏が一番》

《むしゃくしゃするんだよ暴れてえ》

《ひゃっほおおおおおう! いええええええあ!》

《今日も可愛いな梔子。キスしていいか?》

《こいつ殴れば解決だろ? さっさと済ませようぜ》


 たくさんの俺の声が重なる気がする。ドッペルゲンガーは、何一つ言葉を発していないというのに。


「混乱するかい? 実際にドッペルゲンガーを目の当たりにすれば、理性ではわかっていてもそれが自分じゃないなんて簡単には否定できないんだよ、少年」


 ああ、そうかもしれない。

 あの後輩の女子生徒が怖がっていたのも無理はない。

 俺だって怖いさ。

 目の前の自分が自分じゃなくなるのは、誰だって怖い。


「――だけどな、おまえは俺じゃねえんだよ」


 自分から乖離した自分?

 そんなもの、自分じゃねえんだ。

 俺は俺たちを睨む(・・・・・・・・)


 俺は本を読まない。

 俺は投げださない。

 俺は暴れない。

 俺は叫ばない。

 俺はキスしない。

 俺は殴らない。


「久栗ツムギは俺だけだ。失せろ」


 一喝。

 それだけで、ドッペルゲンガーは霧散した。

 綺麗さっぱりと現実以外の未来は消え去った。

 征士郎が口笛を鳴らす。


素晴らしい(マーヴェラス)! 期待以上だよ少年!」


 なにが期待以上だ。

 征士郎が楽しそうに笑う理由が、俺にはわからない。


「この世界はつまらないもんさ。社会、資本、暴力、欲望……そんな当たり前の構造(・・)に支配された有象無象(にんげん)にボクは興味ないんだよ。ボクが心から愛するのは、ドッペルゲンガーみたいなそういった普通から逸脱した現象だけだよ。そしてそれをねじ伏せる君もまた、ナニカが逸脱している」

「うるせえ。俺は平凡だ」

「狐の衣を借る虎だよ。君は」


 征士郎の舐めまわすような視線にはそろそろ慣れたが、不快感はなくならない。

 俺がどんな人間かなんて興味はない。

 でも、俺は誰よりも平和を求める。

 退屈な人生に刺激を求めるOLよりも、俺は普通なはずだ。


「君は納得してくれなさそうだね」

「当然だ」

「まあいいよ。ボクは君に出逢えただけで満足さ。この街に来たのは君に出逢うためだったのかもしれないね。やはりボクたちは赤い糸で結ばれてるようだ」

「そんなことり、これ以上ふざけてみろ。俺のドッペルゲンガーがおまえを殺しかねんし、つぎは止めない」


 冗談じゃない。

 けっこう本気で。


「そりゃあ物騒な君がいたもんだね。わかったよ、楽しませてくれたお礼だ。もうこの街では遊ばないと誓おうじゃないか。この君への愛とともに」

「愛はノーサンキューだ」

「わびしいね。さびしいともいう」


 冗談なのか本気なのか。

 とにかく、こいつの遊びに付き合うのはもうこりごりだ。


「久栗ツムギ君ね。覚えたよ」


 すこし残念そうにしながらも始終笑みを絶やさなかった征士郎。


「それじゃあ楽しいひとときをありがとう。何度でもまた逢おう」

「何度でも断る」

「ありがとう。楽しみにしてる」


 机の上から飛び降りて、鼻歌まじりに図書室を出て行く。

 とはいえ文化祭そのものは普通に楽しみたいようで、パンフレットをとりだして次はどこにいこうかと唸っていた。

 享楽主義者、か。

 南戸の言ってた理由が身に染みた。



 口 口 口 口 口 口



 そのあと俺と梔子は、ドッペルゲンガーを見たという生徒を探しては、話を聞いて回った。


 最初に訪れた後輩の子以外は、思ったより気にしている様子はなかった。自分が見たものがなんなのか気にはなってるけど、誰かのイタズラだと考えたほうが楽だとわかっているようだ。

 俺のクラスの委員長もそのうちのひとりだったらしく、自分が見た自分を俺にしつこく聞いてきた。はぐらかして答えると、なにかを悟ったような表情になって「なかったことにすればいいんだね?」と無理やり納得してくれたようだった。

 なんにせよ騒ぎはおさまりそうだった。大きな歪みは少しだけ修正されただろう。


「あ、久栗くんと……梔子さん」


 別れ際、委員長は苦虫を噛んだような顔になって言った。


「梔子さんのことなんだけど。もしかして……あなたも同じだったの?」


 クラス展示が壊されていたことだろう。

 梔子が小さくうなずくと、委員長は震える声で「ごめんなさい」と頭を下げた。

 それ以上、言葉はいらなかった。

 正義感が強い委員長のことだ。梔子本人がやったんじゃないことを、クラス全員に説明して回ろうとするだろう。

 それを見越した梔子はメモをさっと取りだして、


『私たちだけの秘密だから』

「えっ」

『秘密だから』


 梔子だって俺と一緒に何度もこういうことを体験してきたんだ。

 ドッペルゲンガーのことを吹聴しても、所詮は噂話程度。

 委員長ならまだしも自分で体験してないクラスメイトが信じるとは思わないし、なにより話して回るような内容じゃない。

 何回も繰り返すようだが、歪みは歪みを生むのだ。


「……わかったわ」


 こうして俺たちは梔子の名誉をわずかに挽回させて、学校をあとにした。






 天気予報は晴れだったのに、空は雲が立ち込めてきた。

 雲がゴロゴロとうなりをあげているのが聞こえて、なんとなく振り返る。

 梔子屋敷の前はまっすぐな道だ。梔子の家の塀がずうっと奥までつづいていて、自転車を停めた正門から振り返ると、歩いてきた道が後ろに伸びている。

 そのはるか向こうの雲は、日が暮れはじめたにしても暗かった。

 ギシ、と梯子が軋む音がして前を向く。梔子が塀のむこうに降りていったのを確認してから俺も門に登った。

 玄関からいつのも部屋に直行する。

 どうせあの詐欺師のことだ。午前中に片付けたばかりだが、とっくに散らかしてるだろうな……という予想は、しかし裏切られた。


「やあ久栗クン。何度もご苦労様だな」


 部屋は綺麗に整頓されたままだった。

 俺だけじゃなくて梔子も意外そうに部屋を見回していたが、そんなことは素知らぬ顔で南戸はいつもの軽口をたたく。


「そんなにこの家が好きなら住めばいい。うまい飯と美少女ふたりのオプションまでつけて、家賃は格安にしてやるぜ」

「それは魅力的な提案だが、美少女はひとりでいい」

「おいおい照れるぜ」

「おめえじゃねえよ」


 本棚に一糸の乱れはなく、電子機器のコードは絡まっておらず、飲み物もこぼれておらず、座布団もきちんと整えられたままだ。

 そしてなにより、南戸が寝そべっていなかった。

 立ったまま腕組みをして、俺たちを迎えたのだ。


「……地震でもくるのか?」

「キミはアタシをなんだと思ってんだ」


 苦笑された。

 まあ部屋を汚さなくなったのはいいことだ。おもに梔子にとってだが。


「それで久栗クン、首尾は上々かね」

「申し分ねえよ。うまく解決したさ」

「そりゃあよかったよ。貸しはつくり損ねたけどな」


 残念残念、と鼻をならす南戸。

 そりゃあよかったな、と皮肉のひとつでも言ってやろうかと思ったとき、ふと俺は気になった。


「……なあ、南戸」

「どうした少年」

「おまえって征士郎の姉だよな?」

「ああ。これまた残念なことに」

「征士郎がどんなやつか知ってたのか?」


 たしか、南戸がこの街に来たのは四年ほど前のことだったはずだ。

 それからずっとこの街に居座り、梔子屋敷に隠遁生活を送り続けている。そのあいだ連絡を取ってなかったとしたら、征士郎と最後に会っていたのも少なくとも四年前だ。

 四年。

 征士郎も南戸も、変わるには十分な時間。


「そりゃあ生まれる前から足蹴にしていた弟さ。知らないことなんてほとんどない。それにたとえ何年離れていようと、征士郎って人間が変わるはずもないからな」

「……そうか」


 征士郎の性格なんて、南戸にとってはお見通しなんだろう。

 だから、だとすれば。


「征士郎は、いつからドッペルゲンガーをつくれたんだ?」


 腑に落ちないのはそこだ。

 南戸はいつものように、不確定要素が多いなかで俺を導いてくれた。

 正しい選択。

 正しい道。

 ……でも、都合が良すぎじゃないか?

 ヒントがあからさまに提示されていた。俺が考えなくても答えに辿り着けるような、そんな誘導じみた展開。

 あきらかな違和感だった。


「最初からだよ」


 その俺の疑問に、南戸は不敵な笑みのまま答える。

 その表情だけは征士郎とそっくりだった。


「関わってわかったと思うが、征士郎は異質でね。アタシがこういう事態に慣れているのもアイツのおかげさ。あいつは生まれたときから(・・・・・・・・)怪奇を操れる。天性の素質だよ。アタシはいつも尻拭いさ」

「そうか」

「ま、人間関係のトラブルはアタシの分も征士郎に任せてたから、都合持ちつ持たれつだったわけだが……それがどうしたんだ少年?」


 どうしたもこうしたもない。

 ってことはつまり。


「……おまえ、最初からわかってたんじゃねえのか?」


 征士郎がこの街に来たと知ったあの瞬間から、こういうことが起きることは想定できたはずだ。頭がキレる実の姉なら、なおさら考え付かないわけがない。

 確信に近い推測だった。

 こんなもの、あまり当たって欲しくなかった。それが意味することは単純だったから。

 俺の推理が幼稚だと笑い飛ばしてくれるのを、かすかに期待してしまう。

 ――だが。


「だとしたら?」


 南戸は笑みを崩さない。


「だとしたら久栗クンはどうだっていうんだ」

「……なんだと?」


 もし知ってたんなら、教えてくれたらよかったんだ。

 もっとはやく防げたかもしれない。

 無駄に騒ぎは広がらなかったかもしれない。

 慌てて走り回ることもなかったかもしれない。

 その前に征士郎を追い出せたかもしれなかったかもしれない。

 なにより梔子が怖がったり不安になったりする必要なんて、これっぽっちもなかったんだ。


「なのに、おまえが――」

「それじゃあ意味がねえんだよ少年。まったくもって無意味じゃねえか」


 南戸は冷たく遮る。

 窓の外で空が光った。

 その直後に雷鳴が轟いた。


「……なにを言ってるんだ」

「意味がないだろ? 事件が起こる前に解決する探偵がいるか? 宝できあがる前に盗む怪盗がいるか? 犯罪が起こる前に裁く裁判官がいるか? いねえだろ」

「だからなにを――」

「忘れたか少年。アタシの目的はな、梔子クンの感情を取り戻すことだぜ?」


 なんでだろう。

 その何度も聞いたはずの言葉が、俺には遠かった。


「アタシの判断は間違ってなかっただろう? 征士郎のおかげで(・・・・・・・・)梔子クンの感情に変化があったはずだ」

「おかげ、だと?」


 クラスメイトから嫌悪の視線を向けられたとき、梔子はたしかに怯えていただけじゃなかった。

 それくらい俺にもわかる。

 でも、そうじゃねえ。


「……おまえは、梔子の感情が戻るなら、梔子が傷ついてもいいっていうのか」

「いいさ。むしろ望むべきことじゃねえか」

「冗談はよせ!」


 つい怒鳴る。

 梔子が俺の隣で、ビクリと身をすくめる。


「冗談じゃねえさ」

「おまえは、梔子のために動いてるんじゃねえのか!」

「アタシが? キミという人間は本当に愚かだぜ」


 南戸は梔子を見下ろす。

 何の感情も籠ってない目で。

 まるで玩具を見るような視線で。


「アタシが慈愛に溢れるような人間だと思うのか? アタシが優しい女だと思うのか? それはそれは勘違いも甚だしい。反吐が出る思考だな」

「じゃあ、おまえがいままで過ごした梔子との日々はなんだったんだよ!」


 喉から叫ぶ。

 ぎゅっとスカートを掴む梔子。

 そんな俺たちを眺めて、詐欺師は忌々しくつぶやいた。


「最初から言ってるだろ? アタシは自分が残した厄介事(・・・)の後始末のために、梔子クンの感情をとりもどすだけだ。久栗クンが仲良しごっこを求めてるなら、悪いがそりゃアタシの管轄外だ」


 ――厄介事。

 その言葉は、梔子の胸に突き刺さった。

 とても深く。

 とても鋭く。




 梔子の大きな瞳から、一粒の雫が頬を伝って落ちるくらいに。




「南戸おおおっ!」


 気づけば、俺は南戸の胸ぐらをつかみあげていた。

 俺は南戸が好きじゃなかった。いつも平気で嘘をついて騙して指図して思い通りに動かして、それでも梔子のことだけは大事に思ってると信じてたから、嫌いじゃなかった。

 だがそんなものは幻想でしかなかった。

 蜃気楼のような、まやかしだった。


「謝れ! 梔子に謝れ!」

「いてえじゃねえか少年。放してくれたまえ」

「少なくとも梔子は! おまえを大事に思ってたんだ! それを……っ!」

「だからどうした? 梔子クンのその感情(・・・・)は、ただ失うことへの恐怖心だろう。自分を守る存在を大事に思うのは生物学的な自己防衛能力だ。事実、アタシは梔子クンの保護者として守ってきた。相互関係そのものじゃねえか」

「だったら泣かしてるんじゃねえよ!」

「逆だろ? 少なくとも新しい感情を取り戻せたってことじゃねえか。喜べよ少年」

「てめえっ!」


 腕が震えた。

 南戸を殴らないように我慢するだけで精一杯だった。

 自制するために唇を噛みしめる。


「俺は、ずっと、梔子を笑わせてやりたかったんだよ……泣かせたいわけじゃなかった!」

「喜ぶことか悲しむこと。生きる上で役に立つのは後者だぜ。笑わせてもたいした役には立たねえはずだ。むしろ喜びは油断を生む」


 そうじゃない。

 そうじゃなかった。

 南戸の言ってることは正しいだろう。間違ってないんだろう。

 むちゃくちゃだったけど、納得できた。


 理屈だけだったなら。


 でも、俺はいまの台詞でわかった。


「……もうすこしいいやつだと思ってたよ」


 俺は乱れた呼吸を整えると、肩の力を抜いて南戸の服を放した。

 梔子の手をとってから、一歩下がる。

 俺たちのあいだに距離がひらく。

 たった数メートル。

 されど数メートルの距離が。

 

「おまえは、梔子のそばにいるべきじゃない」

「おいおい。説教に他人の名前を借りるんじゃねえぞ少年」


 南戸は嘲るように言う。

 こいつなら、こうなることくらいわかってたはずなのに。

 ちっとも痛くもかゆくもなさそうにいつもの態度をつらぬく。


「キミが納得できないだけだろう? キミの思考の結果を、キミの感情を、キミの怒りの理由を梔子クンの大義名分で語るんじゃねえ。それは正義面したただの暴論だ」

「……うるせえ」


 わかってる。

 俺が気に食わないだけだ。梔子を泣かせたのが気に食わない。否定しないのが気に食わない。

 そんなもん、わかってる。


「でも、俺は梔子をおまえのそばには置いておきたくない」

「そうか。梔子クンはどうかね? アタシのそばにいるべきだと思うか?」


 俺と南戸の視線を浴びて、梔子は顔を伏せた。

 なにも答えられない。

 ただ震えて涙を堪えるだけ。

 そんな姿は、見たくなかった。


「……ま、いいさ」


 南戸はそれでもなお、へらへらと笑む。

 ふざけんなってくらいに、冗談まじりに。


「なら、しばらく久栗クンに面倒をみてもらうといいさ。久栗クンなら投げ出さずにアタシの尻拭いをしてくれるだろうし」

「おまえのためじゃねえし、二度と顔も見たくねえよ」


 俺は梔子の手を強く握りしめて、踵を返した。

 南戸は追ってこなかった。

 空は黒と灰色が入り混じり、混濁としていた。なまぬるい湿った風が肌を撫でる。

 自転車のうしろに梔子を載せて、フラフラとこぎだす。


「……すまん」


 誰に、なにを謝ってるのか、自分でもわからなかった。

 俺も泣きそうだった。

 うしろに座る梔子は、俺の背中に額をあてながら首を横に振る。

 小さな嗚咽(おえつ)が聞こえてきた。


 腰に回された手がやけに冷たくて、俺はわけもなく叫んだ。


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