4話 隠
「……白々雪さんはね、正しかったと思うよ」
さっきまで射していた太陽は、灰色の雲のむこうに消えた。
風はすこし肌寒かった。秋のおとずれを告げるかのように、枯れた木の葉が風に吹かれ、俺と澪の目の前を過ぎ去っていった。
押して歩く自転車のカゴにはふたりぶんの鞄。チリチリとチェーンが空回りする音が響く。
まだ昼前。それにしては、空気が重かった。
「もしあのままツムギくんが隠し通せても、梔子さんのためにはならかったと思うの。嘘で真実を誤魔化してしまったら、隠された真実はどこに行くと思う? わたしはね、幽霊みたいにずっと嘘のあとをついて歩くと思うの。誰にも気づかれずに、涙を流してずっとついてくの。ツムギくんは梔子さんのことを大事にしてるつもりかもしれないけど、梔子さんをかばうのと、大事にするのは違うんじゃないかな?」
「それは……」
反論できない。
そりゃあ白々雪が悪かったとは思ってない。あいつはただ純粋なだけだ。
むしろ悪かったのは俺のほう。
白々雪が俺の嘘を見抜き、俺は真実を話さざるを得なかった。クラス中の冷たい視線を浴びる中で、梔子が嘘をついてこの場から立ち去った――なんて、どんなに迂遠させて言おうが梔子を疑わせることになる言葉を吐くしかなかった。
俺が気に食わなかったのは、そうしてしまった自分自身だ。殴りたかったのは甘かった俺自身だ。白々雪じゃない。
白々雪はそのとき俺の表情を見て、すこし悲しそうな顔をして教室から去ってしまった。先生が止めるなか「早退します」とだけ言い残して。
歩道の青信号が点滅し、赤になる。
俺と澪は足を止める。
「……あいつには、白々雪には昔から迷惑ばっかりかけててさ」
掘り返せば苦い記憶ばかりだ。
小学の頃も、中学の頃も。
「意味もなくちょっかいかけて泣かせたこともあった。心にもない言葉を吐いて泣かせたこともあった。中学時代はしばらく遠くから見てるだけだったけど、近づいたのはあいつの家庭をぶっ壊すためだった。俺はあいつを助けたフリをして、ずっと迷惑ばっかりかけてたんだ」
「それは違うんじゃないかな。わたし聞いたよ、中学のときツムギくんがなにをしたのか。誰のために罪を背負ったのか」
「それが傲慢だったんだよ、俺は。親と離れることになって、ひとりで生きなきゃならなくなったあいつがどれだけ大変なのか……俺は考えようともしなかったんだ。あいつがいまをうまく生きてるのはあいつ自身の力だ。もしその才能がなけりゃあ、あいつは俺を許さなかっただろうよ」
「でも、いま白々雪さんはツムギくんのこと信頼してるよ。ならそんなこと考えるだけ無駄じゃないかな。ツムギくんが白々雪さんに引け目に感じる必要はないはずだし、白々雪さんだってそれを望まないんじゃないかな」
「……ああ。そうだろうな。あいつはそういうやつだ」
純粋に世界を見て、考える人間。
それが白々雪桜子だ。
だからこそ、俺は白々雪に頭があがらない。
あいつの判断は、いつも間違わない。
「だからこそ、あいつに頼ってばっかじゃダメなんだ。あいつがいつもたどり着く答えを、俺は超えてみせなきゃならねえんだよ。だからさっき俺が怒ってたのは、あいつに対してじぇねえよ」
「……そっか。ならよかったかな」
「気ぃ遣わせてすまんな、澪」
「ううん。気にしないで」
にっこり笑う優等生。
誤解もとけたところで、分かれ道になった。
まっすぐ行けば俺と澪の家がある方向。曲がれば梔子屋敷がある方向。
そこで澪は足を止める。
「行くんでしょ? ツムギくん」
見抜かれてやがる。
「さっきは白々雪さんの味方したけど、友達を守ろうとするのはツムギくんの良い所だと思うよ。やろうとおもっても、恥ずかしかったり勇気がなかったり、なかなか真似できないものだもん。そんなツムギくんだから、わたしのことだって助けてくれたし、白々雪さんのことだって助けたんだろうし、梔子さんのことだって助けるんでしょ?」
「助けられるかはわかんねえけどな。今回ばっかりは余計なことしてるだけかも」
「そうかもね。じゃあ、やめるの?」
試すように笑みを浮かべる澪。
まったく、こいつは。
「……やめねえよ」
「そう。なら、いってらっしゃい」
「ああ。いってくる」
歌音がちょっと前に言ってたっけ。
俺を尻に敷くくらいの姉さん女房なやつが、俺には一番合ってるって。
思い出して苦笑する。
梔子屋敷の門にむかう自転車のペダルが、軽くなった気がした。
口 口 口 口 口
そういえば、昼間っから梔子屋敷にきたことはなかったか。
灰色の長くて高い塀瓦が途切れているのは、閉じっぱなしの正門のところだけだ。正門のほうが塀よりわずかに低いから、この門をよじ登る必要がある。錆びついた梯子が立てかけられていて、そのすぐ横には監視カメラ。
もはや登りなれた入口だ。俺は躊躇なく門を越え、敷地内に入った。
「くちなしーいるかー?」
とりあえず呼んでみる。奥の道場にいない限りは聞こえるだろう。
しばらくして玄関をあけたのは、甚平服。
「悪いがセールスはお断りだ」
「なんの話だ」
「おやおや。お節介の押し売りに来たわけじゃないのか? 厄介事に首を突っ込むのが趣味になったのかと心配していたよ」
「趣味はないけど俺もそろそろ心配してきた」
「藪をつついて蛇を出すのは人間の仕事だが、蛇をつついて藪に戻すのもまた人間の仕事だ。キミはどう考えても後者の人間だろう。前者がいなければ棒を持つことすらしない受動体質のキミが、近ごろはもっぱら自ら藪へと入ろうとしているように見受けられるぜ」
「蛇の道は蛇、だろ。おまえに教わったんだよ藪のなかの人間」
「ようこそ藪へ。どうぞ入りたまえ」
部屋に案内される。
梔子はまだ帰ってきてないみたいだ。部屋が散らかってるから聞くまでもない。
「ちょっとは自分で片づけたらどうなんだ?」
「意義の無いことはしない性質でね」
「意味はあるだろ」
「そりゃあ健常的な生活を送ろうとすれば整理整頓に価値も生まれるさ。然れどもアタシは片づけても一時間後には元通りにする魔法使いだからな。時間も労力も、無為に使いはしないのさ」
「そのくせ梔子に掃除してもらってるじゃねえか」
「梔子クンがするから、意義が生まれるのさ。それより少年、こんな時間に来たのはアタシにつまらない説教を聞かせるためなのか? もしそうだとしたらとっととこの屋敷から去って、梔子クンを探しにいきたまえ」
「そう、それだよ南戸」
どうやら前置きはいらなさそうだ。
俺の懸念は、今回は南戸の憂慮と重なる。
余計な説明はいらない。
「今朝、教室が荒らされてたんだ。一番早く登校したのは梔子で、梔子は家に帰ったと嘘をついて教室から消えた。南戸、なにか心当たりは?」
「見当もつかないね。今朝の梔子クンの様子は一寸の狂いもなくいつもと同じだったぜ」
「なら、教室につくまでになにかあったのか」
なぜ、姿を見せないのか。
メールも返信がこない。電話もでない。
どこにいるのかわからない。
「ただ推測することは可能だぜ少年。梔子クンはああ見えて藪をつつく側の人間だ。人間が能動的な行動をするとき原因と理由がそれなりに必要だろうが、考えてみろ久栗クン……梔子クンが現状、なにかを感じて行動しているとするなら、その感情はなんだと思う?」
恐怖。羞恥。憤怒。嫉妬。
南戸が言うには、少なくともこの四つの感情はいまの梔子にあるらしい。
「嘘をついた、か。アタシは神様でも心理学者でもねえから梔子クンの思考をぴたりと言い当てることなどできないが、なにか切迫した事情でもある可能性が高い。いままで梔子クンが嘘をついたことなんて一度しかないからな」
「一度はあるのか」
意外だった。
南戸は、何をバカなことをと言うような表情で、
「梔子クンは教祖様だったんだぜ? 飢えて死ぬか騙して生きるか、それくらいの瀬戸際になれば多少の嘘は誰だって吐けるさ」
「……そうだった、な」
それは梔子にとっても、心苦しかっただろう過去だ。
そのときの記憶はないだろう。でも、もし思い出したら後悔するに違いない。たとえその罰として個性を失ったとしてても。
それより。
「ってことはいま梔子は……くそっ」
「あくまで予想だが、な。だから落ち着け少年」
俺は床を殴る。
こんなところであぐらかいて話してる場合じゃないかもしれなかった。
梔子が自分から嘘をつくような切羽詰まった事情なら、助けにいかないと。
でも、どこにだ。
あいつが行きそうな場所。
もし困ってるなら、ひとりでなんとかするだろう。
ひとりでどうにもできないなら、南戸を頼るだろう。
それもできないなら、どうするか。
「ひとつ聞くが久栗クン。キミの学校には裏門などはあるのか?」
「ないけど」
「なら、登校時刻に教室から姿を消した梔子クンが、目立つような真似をして学校から抜け出すと思うか? しかも今は文化祭の準備期間で校門やグラウンド、体育館など学校中に人の視線があるんだろう。もしアタシが誰かから逃げたり隠れたりするなら、まずは学校のなかで身を潜めるけどな」
「それだ!」
なぜ気づかなかった。
教室からいなくなったのに、外に出た目撃情報もないことを。
俺は部屋から飛び出して、急いで学校へと戻った。
幸い自転車だ。
ものの数分で学校へと到着した。
校門では『ようこそ!』と歓迎の看板を作ってる一年生たちがペンキを振り回し、屋台の組み立てに追われる文化祭実行委員たちが汗を流し、見回りの教師たちが気楽そうに校内を見回っていた。
自転車を止め、教室に。
綺麗に片づけられた教室だ。本棚や展示物の残骸は、焼却炉のほうへと運んだ。いつも通りの教室に戻っていた。
どこにいる、梔子。
俺は教室の窓から外を眺める。
他の教室にもたくさん人がいて、準備をしている。
静かなのはこの教室くらいじゃないか。
もしこれが俺の杞憂で、本当に余計なお節介ならいいのだろうか。だとしたら梔子がこの教室を壊したことになる。でも、もしそうだったら梔子は苦しまないのだろうか。
わからない。
ただ俺がひとつ言えるのは、もし梔子が苦しんでるのなら、その苦しみを取り払ってやりたいってことだ。余計なお節介でもなんでもいい。
悔しいんだ。
なにかあったら、頼ってくれると思ってた。
そういう友達になれたと、思ってたのに。
「……頼る……か」
もし。
すこしでも梔子が俺のことを頼りにしてるなら。
あるいは。
俺は教室から出て、階段を降りる。
中庭を通り、特別棟へ。
階段を登り、三階の一番奥にあるのは――図書室。
自惚れかもしれないけど。
俺を少しでも頼ろうとしてくれるなら、隠れ場所はここにするかもしれない。
俺は図書室のドアを開けた。
隣のクラスの顔なじみの図書委員が、カウンターで本を読んでいた。ちらりと俺を一瞥しただけで、また本へと視線を戻す。
それ以外、誰もいない……ように見えた。
人間が物理的に姿を消すことはない。消えたように見せるためには物理的死角、心理的死角を利用する。
だっけか。
歌音に見せられた夢のなかで詐欺師がそんなことを言ってた。
図書室のほとんどの位置から死角になり、誰もそんな場所に長居しようとしない位置。おおよその高校生は文化祭の前日にまで好んで立ち入らないだろう、古典文学全集だけが並んでいる棚。
「……見つけた」
その床に、まるで座敷童のようにひっそりと膝を抱えて座る梔子がいた。




