2話 魔法瓶少女
ひとは、見かけによらない。
やたら怖い柔道家の体育教師が、家に帰れば奥さんの尻に敷かれているとか。
金髪ピアスの不良少年が、無類の猫好きだとか。
誰からも好かれる真面目な好青年が、脅しの常習犯だとか。
第一印象は見た目で八割決まるとは言うが、第二印象がそれを八割裏切る。すくなくとも、俺はそう思う。
心は誰にも見えない。だからこそ、この日常は不安と期待に満ちている。
――そう考えていた。
少なくとも、俺はそう自分で知っていたつもりだった。わかっていたつもりだった。
だが、本当に理解していたわけじゃなかったのだ。
そう自覚したのは、夏休みも残すところあと十日になった頃だった。
口 口 口 口 口 口
「兄ちゃん、映画見行こ!」
歌音に誘われたのは、毎年夏にやっているアニメシリーズの映画。
家族向けのコメディアニメだが、映画ではいつも感動のラストを迎えることで有名だ。長い休みに映画のひとつも観に行かなければ、平凡な高校生とは言えないかもしれない。俺はそう考えて歌音についていくことにした。
映画館は街の中心にあるショッピングモール三階。もともと大きな街とは言えないので、自然、映画館も独立していない小ぶりサイズになるが、映画が見れればどうということはない。
歌音は、寂れた売店でオレンジジュースとホットドックを買った。俺はもちろんコーラとポップコーンだ。標準装備は怠らない。それが映画を観るときの俺のスタンスだ。
映画自体は、とても楽しめた。
笑いあり、シリアスあり、涙ありの感動のストーリー。感涙のあまり、歌音が俺のシャツで鼻を拭いたのには鉄拳制裁しておいたが、そこを差し引いても面白かった。豪華な声優を楽しめたことも理由だろう。
「でも欲を言わせてもらうならね」
映画のあと、俺たちはファミレスに入った。
遅めの昼食。
ランチセットを二つ注文すると、歌音がテーブルを叩いて物申す。
「バトルシーンにもうちょっと迫力あればよかったよね。作画はよかったんだよ。背景もかなり細かく描き込まれてたし、ぬるぬる動いたしね。でも音があんまりよくなかったよね」
「たしかに、ちょっと地味目だったな」
まあ、バトルがメインじゃないので仕方ないけれど。
「あともうひとつ欲を言わせてもらうなら、ヒロインがもうちょっと活躍してほしかったよね。助けられるだけっていうのも、なんだかなぁ」
「そうだな。絵で可愛くてもストーリーで可愛くなってほしかったかも」
「さらに欲を言わせてもらうなら……こっそり手握ったとき、もっと優しく握り返して欲しかったな兄ちゃん? とっさに離さなかったらあやうく手が千切れるところだったよ?」
「それは強欲ってやつだぞ。あれは俺なりの愛情表現なんだ」
ちなみに握力には自信がある。
そして歌音には遠慮しない。
これぞ家族の絆だな。うん。
歌音は頬を緩ませた。
「愛情表現なの? なら手が千切れても歌音はでゅふふふふ……ちらっ」
「あ、ドリンクバー頼むの忘れてたぜ。すみませーん」
「ええっ!? 無視!? ひどくない!?」
わめく歌音はおいといて、俺は店員を呼んで追加注文。
「ちょっとちょっと! まったくもってそりゃないよ兄ちゃん! せっかくボケたのにツッコンでくれないとダメなんだよ! 放置プレイは条例で禁止されてるんだよ!」
「駅前の自転車かおまえ。ドリンクバーじゃ不満なのか?」
「ドリンク婆でも爺でもいいけどね、まったく兄ちゃんったら歌音のことをもう少しは考えてくれたっていいのにね。愛情表現って言えばなんでも許される世の中に苦言を呈したいよ。ねえそう思わない兄ちゃん?」
「さて、ドリンク取ってくるか」
「また無視!? ひどくないっ!?」
ドリンク婆なんだろ? 耳が遠くてなにが悪い。
俺が紅茶を入れて戻ってくると、歌音はテーブルに肘をついて頬を丸めていた。
「……最近、ちょっと愛が足りないんだけど」
「欲の出すぎだ」
映画を兄妹で見に来てるだけでも十分だろ。世の中の兄妹よりはまだ仲は良い方だと自覚している。
「……むむ……最近、ちょっと兄が足りない」
「分身の術は覚えてないぞ」
「……最近、ちょっと脚が足りない」
「虫にでもなればいい」
「むぅ……このところ、心なしツッコミがやりなげ」
「俺は陸上部か!」
立ち上がってビシッとツッコンでやった。
正しくは『なげやり』。
歌音は俺を見上げて、小さくため息をつく。
「ちょっと落ち着いてよ兄ちゃん」
「誰のためにやったと思ってんだ」
「勢いはべつに大事じゃないんだよ。まったくわかってないね兄ちゃん。大事なのはカリスマだよ。陳腐なツッコミでも笑わせられるくらいのカリスマ性だよ」
「あら、こんなところにお花が……にこっ」
「それはカリヤザキスマイルだよ。略してカリスマだよ」
「正解じゃねえか」
「そもそもの発想が不正解なの」
呆れられた。
「あ~あ……兄ちゃんが映画の主人公みたいなカリスマンだったらなぁ」
「あのな、いっとくが俺には正体不明の敵を倒す力とか、ないから」
俺の役回りはせいぜい、敵の情報をリークする仲間ってとこだろう。
歌音はさらに頬を膨らませた。
「じゃあ兄ちゃん、魔法少女になってよ。それで力を手に入れればいいんだよ」
「なれるかアホ」
「なら……ボクと契約して魔法少女になってよ!」
「言い方をぽくしてもダメだ」
「ボクと契約して魔法瓶少女になってよ!」
「よしきた。お湯をくれ、保温してやる」
「……それは弱そうだね」
「必殺技:豚汁ぶちまける」
「冬に大人気だね」
どっちにしろ弱い。
とまあ、昼飯を食いながらする会話でもない。とくに真夏には。
まだなにか言い足りなさそうな歌音を諌めて、俺はゆっくりとファミレスのランチをいただくのだった。
「たとえば、こういうのウィンドウショッピングって言うじゃん?」
「ああ」
ファミレスから出たあと、俺たちはショッピングモールのなかをぶらぶら歩いた。とくにやることがなかったのと、モール内がクーラーで涼しいから外に出たくなかったのだ。せっかくの休日、そのまま帰るのが癪だったというのもある。
ブランド店や雑貨屋を回りながら、とくにとりとめのないことを話していると、歌音が思いついたように言った。
「でも実際になにも買ってないわけでしょ? ならショッピングって言わなくない? また日本の英語バカにされるよ?」
「甘いな歌音。ウィンドウショッピングは和製英語じゃねえんだよ。そういう英語がもともとあるんだ。意訳すると〝買い物の下見〟らしいぞ」
「へえ。それは知らなかったよ。でもさ、いま、下見でもないわけだよね? その場合はどうするの?」
「甘いな歌音。ショッピングには〝見るだけ〟っていう意味がある。意訳をさらに意訳すれば、〝冷やかし〟ってことも言える」
「なるほど。でもでも、歌音はじっさい品物なんて見てないよ。だって、兄ちゃんのことばかりを見てるからね! その場合はどうするのさ!?」
「甘いな歌音。ウィンドウこそ真のボスだ。このウィンドウっていうのには『電磁スペクトル波長帯』って意味もあるんだぜ? 俺たちは知らず知らずにそれを見てしまってるんだ! だからこれはウィンドウショッピングなんだよ!」
俺が胸を張っていうと、歌音は目を丸くして驚いた。
「な、なんだってえええ!? そ、それは知らなかったああ!?」
「そうだろう!? まあ俺もこの電子辞書を調べていま知ったんだけどな!」
「辞書!? そりゃすごいよ! ちっちゃいのに万能だね!」
「ああ! いまならこの電子辞書、ケースもセットでなんと二万五千円なんだ! すごくお買い得だと思わねえか!?」
「すごーい! それはすごいよまったくもってお買い得だよ!」
「そしていまならなんと! 画面の保護フィルムもついて、同じ値段なんだって!」
「わあ! それは買わないと損だね!」
と本屋の隅に置いてある電子辞書の前で通販のまねごとを遊んでいた。
一度はやってみたいシリーズの『通販ごっこ』。やってみたら店員がむこうから怒りの形相で歩いてくる。ちょっと悪ノリが過ぎたかもしれない。
すぐにダッシュで逃げだした俺たちは、ショッピングモールの一階のスーパーで夕食の買い物をして、帰ることにした。
時刻はまだ昼過ぎ。夏の一番暑い時間だったが、夕食の準備もあるのでそれほど長居はできない。
スーパーでカートを押しながら、歌音がにやりと笑った。
「面白かったでしょ? 通販ごっこ」
「笑われて恥ずかしかったけどな……あ、そこの麗しいお姉さん、この試食のハムもうひとつ食べていいですか?」
「あらヤダわ~お姉さんだなんて」
「兄ちゃんこそ恥ずかしいよ!? オバチャンも顔赤らめてないで!?」
そんなふうに歌音に背中を押されて買い物を終え、袋を腕に提げてショッピングモールを出た。
バスに乗って数十分、家の近くまで帰ってくる。
家に近づくにつれて、歌音は「あ~あ」と残念そうにしていた。なにがそんなに不満なのか聞いたら、予想通り「もうデート終わりか~」と唇を尖らせていた。
デート。
そういえば、梔子と仮にも付き合っていたとき、デートというデートをしたことがなかった。たまに下校のときに一緒に帰っていたくらいだ。まあそれをデートというのなら、白々雪とふたりで過ごして日々のほうがよっぽどデートだっただろう。ましてや妖精と入り混じった澪とは、ちゃんと肝試しデート、と銘打った行動をしたのだ。
「……あれ? よく考えたら、俺ってなんか最悪な彼氏……?」
「だよ!」
つい漏れたひとりごとを、歌音に拾われる。
歌音は怒っていた。
珍しく、真剣に。
「まず歌音、コトバお姉ちゃんと付き合ってたなんて、一言も言われてないんだけど」
「ああ、言ってなかったな」
「言ってなかったな、じゃないよ! いつからなの? どうやって付き合うことになったの? なんで黙ってたの? ねえ、なんでなの!?」
「それは……べつに、いいだろ」
言えるようなことじゃない。
そもそも、神とか妖精とか、そんなことに歌音は巻き込みたくない。ちゃんとした道を歩んで、ちゃんと自分のことを考えて生きていてほしい。歌音にはまっすぐ育ってほしいのだ。神が原因で付き合い始めた、なんて言えるわけがない。
「よくないよ」
でも、歌音はそれじゃあ納得しない。するはずがない。
それもまた、わかってるんだ。
歌音が、俺に依存してることくらいわかってる。
こいつとずっと過ごしてきて、それくらい理解していた。そろそろこのブラコンをすこしでも治していかないと、いつか……そう遠くないいつか、大変な思いをするってことはわかってる。俺も同じ。歌音にばかり安らぎを求めていたから、そろそろ妹離れをしなければならないことも。
「兄ちゃん、なんで黙ってんの……?」
眉根を下げる歌音。
不安になればいい。いつまでも俺のことがわかると思うな。
もとより、俺たちは違う人間だ。
秘密を抱えて当然。言いたくないことがあって当然。
――それを歌音にわかってもらわないといけない。
この夏、歌音はいつもと違う人々に囲まれて過ごした。梔子、白々雪、澪……あいつらが、これからの歌音の人生を広げる役割を担ってくれていると信じている。歌音の成長を促してくれると、信じている。
だから俺は、この夏にちゃんとしておきたい。
歌音と、俺の関係を…………ふつうの、兄妹に。
依存し合わない、ちゃんとした関係に。
「兄ちゃん」
「……どうした?」
いつのまにか、歌音は止まっていた。
俺は振り返る。アスファルトから立ち上る蜃気楼が、歌音の足元を揺らしているようだった。
「……歌音は、べつに、兄ちゃんに彼女ができても、文句は言わないよ。兄ちゃんに本気で好きなひとができたなら、歌音、嫌だけど……嫌だけど、ちゃんと我慢するよ?」
蝉が近くの公園で合唱している。
空の高みを、飛行機が飛んでいく。
「でもね兄ちゃん……兄ちゃんがもし、コトバお姉ちゃんのことが本気で好きなんだったら、どうして言わなかったの? 好きなひとがいるってこと、どうして隠すの? 誰かを好きになることって誇らしいことじゃないの? 歌音、兄ちゃんが好きだって胸を張って言えるよ?」
「それはおまえ……兄妹だからだろ」
「なに言ってんの?」
歌音は、薄く笑った。
快活な妹には似合わない、冷やかな笑みだった。
「兄ちゃん、とっくに気付いてるんでしょ?」
よくない空気を肌で感じとる。
「兄ちゃん気付いてないフリ、下手だもん」
やめろ。
「これだけ一緒にいるんだよ」
言うな。
「歌音は隠してないんだよ」
それ以上は。
「だからもう誤魔化さないでよ」
「やめ――」
「歌音、兄ちゃんのこと、本気で好きなんだよ? 異性として好きなんだよ? それくらいとっくにわかってるんでしょ? なのに、なんで見えないフリばっかりするの?」
蝉の鳴き声が、ぴたりと止んだ。
汗が、首筋を伝ってしたたりおちていく。
日射しが焼けるように熱い。
でも、歌音の目は、恐ろしく冷えきっていた。
「もう歌音だって大人だよ。兄ちゃんにそんな感情持つのはダメだって、わかってるよ。だから隠さなかったの。兄ちゃんが『ダメだ』って言ってくれるの待ってたの。そしたらあきらめつくって、わかってたから。でも兄ちゃんは冗談めいてばっかで、いつも本気で答えてくれない。いつも笑ってばっかで、真剣に考えてくれない。彼女ができたことは隠して教えてくれない。ねえ、どうして? どうしてそんなに……」
「あっ」
ゆらり、と。
俺の視界が、ソレを捉えた瞬間。
歌音は、泣き笑いのような表情で、言った。
「どうして歌音はこんなにも兄ちゃんが好きなのに、兄ちゃんは歌音のことを考えてくれないの?」
「――それ、どういうことかしら?」
俺は、自分の失敗を悟る。
真剣に考えてなかったわけじゃない。先延ばしにしていたわけじゃない。
歌音は嘘をつかない。隠さない。どんなやつよりも純粋に、俺と向き合ってくれていた。それは兄妹だからってだけじゃないことくらい、とっくにわかっていた。その気持ちが混じっていることくらい、わかっていた。
だから俺は、まっすぐに応えてやりたかった。
歌音はまだ中学一年だ。経験も浅ければ、恋もしたことがない。俺に対して『異性として』と思っているその気持ちが、本当にそうなのかちゃんと確かめたかった。家族への依存を、恋愛と勘違いすることだってあり得るのだ。
だからこそ、俺は答えてこなかった。逃げているように見えたのなら、それは間違いだと言ってやりたかった。本気で俺は、歌音と向き合いたかった。
でも、俺はもうひとつ失敗をしてしまった。
こんなところで――家のすぐ近くで、歌音の〝本音〟をぶちまけさてしまった。
多少の妄言は許される。多少の悪ふざけは許される。もちろん、いまのを聞いたのが他人だったのなら、『相変わらずぶっ飛んだ兄妹だ』くらいで済むだろう。
だが、それを聞いたのが、親ならどうだ。
いままで娘のことを『気弱でお兄ちゃんっ子』だとしか考えてなかった親ならどうだろう。そして曲がったことが嫌いな母親だったなら、どうか。
「どういうことか説明してもらおうかしら、ふたりとも……?」
母――久栗舞華の声が、アスファルトに反射して響いた。




