10話 竿竹で星を打つ
夏の日差しも木々の天井に遮られ、昼間だというのにひどく涼しかった。
鬱蒼と茂る葉は熱された空気も光もほとんど通さず、かなり薄暗い。夜中に来れば一片の明かりなどないのは当然だった。昼に来ても、これだけ暗いのだから。
「みつけたぞ澪……いや、精霊」
林道の途中にある、きのう肝試しにきたばかりの小さな社にたどり着いた俺。
「……よく、わかったね」
そいつは、自分自身を奉っている社のまえに座っていた。
ありのままの澪の姿、澪の声。
こびとでも、羽が生えているわけでもない。
ほんとうに澪のようだ。もう七日目。誰にもばれないようにすり替わる〝入れ替え妖精〟は、ほとんど完成に近づいていた。
俺はそいつの目の前に息を切らしたまま立った。
しばし、睨みあう。
「「どうして」」
と、俺とそいつの声が重なる。
「先にどうぞ精霊。レディファーストだ」
「ありがとうツムギくん。……どうして、わたしの正体がわかったの? 精霊とか妖精なんて、どこにでもいくらでもいるのに」
「〝修理屋妖精〟のおかげだ。あいつがおまえの背中に羽を生やしたのは、ここに一番近づいた林道のなか。あいつがおまえをこびとにしたのは、海を操るおまえの気を鎮めるため生贄になった村娘たちを弔う、水晶壁の洞窟だった。ここがヒントだと言わんばかりに主張してくれたんだ。考えたら、そう難しいことじゃない」
「そっか。やっぱりティンカーベルは、さすがね」
遠い目をした精霊。
「……じゃあ俺から質問だ。本物の澪はどこだ? それと、どうして澪と入れ替わろうと思ったんだ?」
「一度にふたつ聞くなんて、ずるいよツムギくん」
澪の姿で、くすりと笑う。
その笑顔は、どこか嬉しそうで、同時にさみしそうだった。
「本物の彼女はすぐに返してあげるから、ちょっと待ってて」
「……大人しく返してくれるのか?」
「もちろん」
意外にも、精霊はうなずいた。
「〝入れ替え妖精〟ってあなたたちが呼ぶわたしたちの〝顕現〟はね、その伝承のとおり『気付かれないように入れ替わる』ことで完成するの。逆にいえば、気付かれちゃったらそこで終わり……完成しなくなる。竿竹で星を打つみたいに、不可能になっちゃう。だからティンカーベルはあなたたちにただ気付かせようとしていたんでしょ?」
「……なるほど、そういうことか」
前提が覆されてしまえば、その現象は消えてしまう。もとからなかったかのように綺麗さっぱりと。
いわば梔子のときと同じ理屈だ。
「それで……なんで、おまえは澪と入れ替わろうとしたんだ?」
それだけは、いくら考えてもわからないことだった。
精霊とか妖精とか、正直、俺にはまだよくわからない。神様と同じく信じることで生まれる類の奇々怪々だということくらいは知っている。けど、それだけだ。人間と入れ替わってなにがしたいのか……そんなこと、俺にはさっぱりわからない。
「すこし、語弊があるよ」
「……なにがだ?」
「わたしが澪=ウィトゲンシュタインと入れ替わることになったのはね、彼女がとても悩んでいたからなの。その悩みがわたしの中にいる『生贄になった娘たちの未練』と同調した。だからわたしは、自然と彼女と入れ替わることになっちゃったの。言ってる意味、わかる?」
「……いや、まったく」
澪の悩み。
そんなものがあったのか。いつもニコニコ笑うのは癖になってしまったけど、ちゃんと感情を吐露するようになってくれた。てっきり悩みなんて解決したと、思っていたのに。
「やっぱり、ツムギくんは男の子だね」
精霊にそんな台詞を言われても、俺は笑えなかった。
「せっかくだし、わたしが消える前にそれくらいは教えてあげる。彼女自身はたぶん、自分では言わないだろうからね。他人に心配をかけたがらないのも、彼女のいいところだよ」
「……そうか」
「彼女はね、後悔してたの。偉そうに他人に説教したことを後悔してた。自分が言った言葉の中身を、自分でもよくわかってなかったのに。それがなにか、あなたにわかる? わからないでしょ?」
ああ、俺にはわからない。
澪に悩みがあるかどうかなんて、考えたこともなかった。
……友達なのに。
顔をうつむけた俺に、精霊は言った。
「『――好きがわからないのに、恋人を名乗るなんて許せない――』」
その声は、ひどく静かだった。
「彼女はそう言ったことを後悔したのよ。彼女自身、好きという感情がまだなにかよくわかってないのに、偉そうにそう言って、しかもそれで相手が……あなたと梔子さんが恋人関係をとりやめたことを、すごく気にしていた。自分を責めていたのよ。だから彼女は好きという感情がどいうものか知りたくて……通りかかった小さな社に、願ったの。好きという感情を教えてくださいって、ね」
「……それが、ここか」
「そうよ」
それが七日前。調査の日。
「海を鎮めるために生贄にされていた村娘たちはね、みんな生娘だった。恋も愛も知らないような女の子だちだった。彼女たちを呑みこんだわたしもまた、それを知りたくて、澪=ウィトゲンシュタインと〝入れ替わる〟ことに決めたの」
そうして、澪と精霊は入れ替わった。
俺は拳を握りしめた。
「そうか、原因は……俺と、梔子だったのか」
「ええそうなるかもね」
その渇いた言葉に、俺は舌打ちする。
そんな俺を見て、しかし、精霊はほほ笑んだ。
まるで母親のような優しい笑みで。
「でも、あなたが気にすることじゃないわ。あなたも言ってたのでしょう?『もし相手が自分の人生を変えていたとしても、俺は気にしない。それが恩人ならなおさらだ』って。彼女をはじめに助けたときに、あなたはそう宣言していた。澪は……彼女は、そんなあなただからこそ、信頼したのよ。わたしが同じような質問をあなたにされて『わざわざ掘り返す必要がない』って言ったのは、彼女の言葉なのよ。だからあなたが気にする必要はないの。そうでしょ?」
「…………すまん」
「だから、謝る必要なんてないわよ」
「……そう、だな」
俺は笑みを返した。
「じゃあ、ツムギくん、聞きたいことはそれだけ?」
「ああ……おまえは、もう消えるのか?」
「本当ならツムギくんにバレた時点で海に帰らなきゃならないんだけど、ちょっとお喋りしたくて、残っちゃった。……彼女は水晶壁の洞窟の祠のほうに戻ってくるだろうから、ちゃんと迎えに行ってあげてね。いきなり知らない場所で目が覚めて驚くだろうから」
「……そうか。わかった」
俺がうなずくと、精霊はすぅっと体を透過させていった。
澪の姿で、澪の声で、澪として七日間を過ごしていた精霊。好きという気持ちを知るために、恋をするために澪と入れ替わり、だけど失敗して、自分の願いは叶わなかったはずの精霊。
だけどその表情は、とても穏やかだった。
「ああ、そうだ精霊」
消えていくそいつを見て、俺は思い出した。
できるだけ優しい笑みを浮かべて言った。
「……歌音のこと、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
精霊は消える瞬間、にっこりと笑った。
口 口 口 口 口 口 口
水晶壁の洞窟に澪が戻ってきたのは、黄昏時だった。
祠の前で座っていた俺の前に、いつのまにか横たわっていた澪。夜と昼が混濁するその神秘な時間は、オレンジ色の光が岩の天井の隙間から洞窟に降り注いでいて、水晶たちが黄金に輝いているときだった。
「澪」
俺は澪の体を抱えて揺さぶった。
「あれ……ツムギ、くん?」
目が覚めた澪は、きょとんとした顔つきで周囲を見渡した。
安堵の息をついた俺を、不思議そうに見上げる澪。
「どうして……? ここ、どこ?」
なにもわからないのだろう。
そりゃそうだ。澪は妖精と入れ替わっていたのだ。俺たちには見えないどこかで、七日間ずっと眠っていたのだろう。妖精として。
でも、ギリギリ、間に合った。
「……ちょっと、どうしたのツムギくん。痛いよ」
「っと、すまん」
思わず澪の体を抱く腕に力を込めてしまい、とっさに離す。
「あれ?」
首をひねる澪。
その瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
「……あれ? ええ? なんで?」
澪はわけがわからずに、自分の目から流れる涙を拭く。
その涙の意味は、たぶん、俺にしかわからないのだろう。
精霊と話した俺にしか、わからない。
「……俺の方こそ、すまなかった、澪」
「え? え? なんでツムギくんが謝るの? わたし、なにかしたの?」
「いや、なにも。でもすまん」
「ええ!?」
驚く澪に、謝る俺。
そんな奇妙な光景は、日が暮れるまでしばらく続いた。




