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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
2巻 しらゆきひめの、ムダバナシ

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9話 クリーキー



「…………で、どういうことなんだ、これは」

「それはこっちの台詞ッスよ、ツムギ」




 差し向かいという言葉がある。

 ちょうどいま、俺と白々雪がそんな感じだった。


 夏休み前日。

 つまり、一学期最終日。

 生徒も教師もみな諸手を挙げてひゃっほっ――――――う! と叫ぶ日。教室では生徒たちの鞄が宙を舞い、職員室では先生たちの生徒指導案が宙を舞う。校長は胴上げされて校内一周を巡る大パレードに発展し、体育会系も文化部系も関係なく踊り狂い、夏休みの到来が歓喜とともに告げられる。祭囃子が校庭を埋め尽くし、学校前の川には屋形船が浮かび、空には祝☆夏休みと二尺玉の大花火が打ち上げられる。キャンプファイヤーは轟々と天まで昇り、生徒会長が『夏休みに行きたいかーっ!』とマイクパフォーマンスをすると全校生徒が『おお――――っ!』と答える。

 そんな終業式後の学校。


 俺と白々雪は、窓をすべて解放したままの教室にいた。

 机を挟んで向かい合う。

 わざわざ向かい合わせに座る意味はある。いつもなら白々雪が足を横に投げ出しているから、自然と白々雪の体は斜め向きのはずだった。だが今日は違う。まっすぐこっちを向いて座っている。

 目は据わっている。


「だから、これはどういうことなんスか?」


 真剣な白々雪も、素敵だ。


 俺の周りにいるやつのなかでもっとも美人なやつは誰かというと、掛け値なしで南戸だと断言できる。しかしあいつは美しすぎるせいで、そもそも人間味も薄い。年上であまり幼さが残っていないというのもあるだろうが、あれは同じ世界に住むような容姿ではない。最良で最優の遺伝子。……前世はきっと女神だろう。


 一番の美少女は誰かというと、澪に一票を投じよう。銀色の髪に白い肌、整った顔立ちのなかにも愛嬌があり、すこしばかり童顔だ。胸の起伏がなだらかだがそれもまたいい。発展途上の四肢に、自分の心を隠しきれないほどよい無垢さ。……前世はきっと天使に違いない。


 しかしそのふたりを差し置いて、一番の艶美な女は誰かというと、それはもう白々雪に違いない。くすみのない肌に、はだけたシャツの胸元から覗く鎖骨はなめらかで、ほどよい肉付きの手足に大きな双丘。終業式の体育館が暑かったせいか、それともこの教室のクーラーがついていないせいか、汗ばんだ制服はうっすらと透けていて白い下着のデザインがわずかに浮き上がっている。傍若無人だがスタイル抜群で誰も寄せ付けないプロポーションは、『しらゆき姫』と崇められ揶揄されるのはしかたがない。リンゴを食べたように赤くなっているぷるんとした潤う唇、いつも眠たげな二重まぶた、そしてきゅっと締まった腰元。その目でじっと見つめられたら男なんてすぐに落ちるだろう。それが白々雪桜子。……前世もきっと、白々雪桜子だったに違いない。


「……なんスか、そんなに見つめて。ウチに惚れたッスか?」


 白々雪は不満そうだ。

 ここまで俺が高評価するのも珍しいのに。なにがそんなに不満なのか。俺がモノローグで言ってるからなのか? ちゃんと台詞にしろと言うのか。バカめ、そんなこと恥ずかしくてできるはずがない。恥ずかしくなくても言うつもりはないが。


「もう一度訊くッスよ。これ、どういうつもりッスか?」


 白々雪が指差しているのは一枚の紙。


 婚姻届。


 俺と白々雪のあいだに置かれているそのA3サイズの紙は、おおよそプリントという用紙がこの国のなかで最も恒常的かつ大量に配られているだろう環境にあってさえ、異質なものに見えた。白い紙はどこで見てもまばゆく輝いている。後光が差している。校長の頭と同格以上のルーメン数値を叩きだしている。


 その紙の片側に、俺の名前が書いてあった。

 とまあ、これは俺が見る前からとっくに書かれてあったものだからよしとしよう。ぜんぜんまったくもってちりひとつよしではないのだが、とにかく白々雪も半分が俺の名前であることに異論は挟まなかった。

 重要なのはもう片側。


 梔子(、、) ()


 そう書かれてある部分を指差し、そして俺と白々雪のすぐそばに腰かけている梔子をギロリと睨んだ白々雪は、


「どういうことッスか、これは」

「……それは俺も訊きたい。どういうことだ、梔子」


 梔子は、なぜか目を逸らしたまま動かない。


 ――南戸の立てた作戦はこうだ。

 俺と白々雪が婚姻することにより(もしくはそのそぶりを見せることにより)、白々雪に精神的束縛をかける。白々雪に拒否されてもそういう意思を見せるだけでも多少の効果はあるから、とにかく婚姻届を見せればいい。そうしてこの街から離れないように縛りをかけて、家族の形骸をちらつかせておくのだ。白々雪はバカではないから、これを無視してまでかつて自分を苦しめた(というか追い詰めた)両親のもとに行くことはないだろう。もし白々雪が家族というものに飢えているのなら、そちらではなく婚姻届に固執するくらいの損得計算はできるはずだ。よって、俺は白々雪にこの婚姻届をちらつかせるだけでいい。そうすれば白々雪の両親は白々雪を連れて帰ることができなくなるのは必然だ。白々雪自身がすこしでも嫌がれば、家庭裁判所で認定された結果を覆すことはできず、保護責任者の立場に戻れるはずもないからだ。

 そう南戸が言い、俺はしぶしぶ承知した。

 念のため、押印は――していない。

 その紙を、梔子がここに持ってくるはずだったのだ。俺の名前を片側で埋め、もう片側を白々雪の名前で埋めるために空白にしたまま。


 そうして白々雪に、結婚――もとい婚約詐欺を仕掛ける。


 それが詐欺師らしい南戸の手法だったのだが。

 だ・が。

 ……なにを間違ったのか、婚姻届は梔子の名前で埋まっていた。

 しかもご丁寧に押印までされてある。しかも、指紋で。真っ赤に、濃く。

 本気……なのか?


「……あの、梔子……?」


 す、と梔子は視線を逸らし続けている。

 なにも言わない。いや、言わないのは自然だが筆談すらしないのは不自然だ。

 梔子が感情をあらわすとき、そこには恐怖か羞恥があるはずだけど。

 いまどちらかといえば……わからない。

 無表情のままだった。


「ツムギ、これはどういうことッスか?」

「いや、それが俺にはどうにも……」


 俺が答えあぐねていると、白々雪はため息をついた。


「梔子さんの思考はずっとまえから謎ッスけどね、ツムギと梔子さんが親密な愛コンタクト――もといアイコンタクトをとる関係だったってことは知らなかったッスよ。なんスか、いつのまに仲良くなってたんスか? 雨の日の図書館同盟以来、あんたらが関わっている瞬間なんて見たことなかったんスけどね」

「ま、まあ、それなりに親交があるんだよクラスメイトだし。それに俺が梔子と仲良くなろうが、おまえにはたいして関係ないだろ」

「……ふうん。まあ、それはそうなんスけどね」


 つい言い訳がましくなってしまった。

 白々雪の視線は冷たい。


「まあそこらも気にはなりますけど、それは後日にします。それよりも梔子さん、これはどういうことッスか? 婚姻届? ツムギはまだ十八歳になってないッスよ? それにあんたら高校生でいまから夏休みでしょ? こんな冗談はいくら暑くて脳が沸騰しても笑えないッスよ」

「ま、まあそこまで怒ることもないじゃねえか」

「ツムギは黙っていてください! それは目的如何(いかん)によります!」


 ビシッ、と白々雪は叱った。

 しゅんとなるツムギ。

 白々雪がどこぞの(しゅうとめ)に見えた。

 ただし嫁のほうは無感情に視線をそむけ続けるだけだが。


「だいたいッスよ、未成年が婚姻を為す際には親権者の承諾が必要なんです。いくら梔子さんがツムギと結婚しようと思ったとしても、それがなきゃ実現は不可能なんですよ。梔子さんはツムギのママに会いましたか? まだでしょう? ツムギのママがツムギの結婚にゴーサインを出すなんて思えません。あのママさんの鬼具合は異常ですからね、もしツムギに彼女ができてそれがバレたとなれば一族郎党ひとり残らず焼き殺されるくらいに嫉妬深くて執念深い――ってなんでいきなり蒼白になってんスか!?」


 梔子の顔から血の気が失せた。

 この世の地獄だと言わんばかりの恐怖を体現していた。


「つーか梔子さんってそんな表情もできたんスね……」

「それより梔子、なんでこんなことしたのか、答える気はないんだな?」


 俺が確認すると、梔子はうなずいた。

 打つ手がない。

 いまさら新しい婚姻届を持ってきて白々雪に見せたところで、白々雪の精神的束縛になるとは思えない。せいぜい二番煎じにしかならず、説教されるだけだろう。


 ……なら、打開策は……


「…………やってみるか」

「ん? なんか言ったッスか、ツムギ」

「ああ。受けると言ったんだ」


 きょとんとする白々雪。

 俺は、机のなかから文房具を出した。

 そこからカッターナイフを取り出す。


「え、ちょ、ツムギ!」


 ピッ、と指先を切った。

 右手の、親指。

 そこに滲んだ血を、迷うことなく紙に押し付けた。


「「……………………。」」


 白々雪と梔子は、目を見開いて、俺の行動を眺めていた。


 白々雪に対して婚約詐欺ができないのなら。

 梔子と婚姻すればいい(、、、、、、、、、、)


 少なくとも、白々雪は俺を慕ってくれている。感謝すれこそ怨むことはない、とまで言い切ってくれている。

 それを利用するのは忍びないが。

 

「ただ、ひとつ条件がある。……白々雪」

「……なんスか?」

「これは、おまえが持っていてくれ」

「……どうしてッスか?」

「どうしても、だ」


 婚姻届を白々雪に押し付ける。

   

 ひとまず、こんなところだろう。

 これで繋げることができた。

 あとは……


「どこいくんスか、ツムギ!?」

「ちょっとトイレ」


 俺は教室から出る。


 廊下を歩きつつ、トイレに向かう。

 さすがにここで慌てて南戸に電話するようなことはしない。そう頼ってばかりだと恰好がつかない――なんて小さなプライドも、確かにあるが、それよりも南戸の策略が一度つぶれた以上、俺はあいつに頼ってはいけない。

 ……すこしほっとしたからだ。

 俺の都合だとはいえ、白々雪を騙すようなやり方は嫌だ。万が一にでも白々雪が本気で婚姻したと思い込んだとき、俺は本当の意味で彼女の友人である資格を失うような気がしていた。


 俺は宣言通りトイレに入り、鏡の前で立ち止まる。


 平凡な顔立ち。

 いたってふつうの高校生。


 そういえば、俺の描写はまた一度もしてなかったっけか。

 まあとくに特筆すべきことはない。身長、体重、髪型、どれもとっても至って普通だ。道端ですれ違っても俺の容姿を覚えることは誰にもできないだろう。それこそ完全無欠の記憶力をもっていないかぎり、俺を俺と認識することだってできないはずだ。中学のころから徹底して行ってきた自己改変。自己革命。それが俺、久栗ツムギだ。


 ……たしかに、さっきのあれは、俺らしくない。


 白々雪桜子。

 成績という数値に縛られるこの学校でそのトップに君臨し続けている少女。

 経験したことを忘れることができない不憫な少女。

 飄々とした態度で、ふざけた言葉遊びばかりする変態な少女は、きっといまでも傷つき続けている。中学のときに死にかけた想い出は、家族や友人をすべて失った想い出は、まだ鮮明に覚えているだろう。

 そんな白々雪桜子は、だからこそ白々雪桜子なのだ。


 自分の過去までも客観的に。

 自分の傷までも俯瞰的に。

 そうやって白々雪桜子はこれからも臭いものには蓋をせず、ただのらりくらりと生きていくのだろう。俺にそれを止めることはできないし、白々雪本人だってできない。選り好んで記憶を消せるはずもなく、しかし想い出を想い出として必要以上に強調することもない。生まれたときから両親の目的のために利用され続けてきたと知った過去は、それはあくまで過去になる。トラウマになりようもない。白々雪は、過去で傷つかない。

 だからこそ、両親の言葉に客観性があると感じれば、またのこのことついていくかもしれない。

 俺は、それが怖い。

 それが嫌だ。


 だからひとつだけ、俺は俺の道を踏み外させてもらう。

 凡人を目指している俺が白々雪を追い抜くことはできないが。


「……せめて、追いすがるくらいは、させてもらうぞ」


 あとは、白々雪次第だ。


 白々雪の嫉妬心。そして観察力。

 白々雪はすぐに俺のとった行為の真意に気付くだろう。

 しかしおそらく、梔子には黙ったままにしておくだろう。

 そうなったとき、白々雪桜子の感情がどう転ぶか。

 

 白々雪の心の軋み(クリーキー)を、俺の三文芝居で引き出せるかどうか。


 俺は、これに懸ける。

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