6話 レスポンス
「つまり、詳しいことは話せない……と?」
南戸が呆れた。
「ああそうだ」
「話さない上で意見を訊きたい、と?」
「ああそうだ」
「それはアタシに対してだけでなく、梔子クンに対しても同じということか? 他の女との間に抱えた秘密があると明言しておいてなお、その内容は頑として話せない、と?」
「ああ……そうだ」
俺はうなずく。
もちろん南戸の言いたいことはわかる。
せめて梔子だけにでも話せ――むろん、南戸にとって梔子は信頼に値する人間で、なおかつ喋ることができないから話した内容が漏れることもない。結果、話しても問題がないのと同じで、そして俺と梔子の信頼関係の強化にも繋がる。そう言いたいのだろう。
だけど俺にはできない。
「俺は、白々雪の友達だ」
「彼女と友達の違いは大きいぜ、久栗クン」
「そうかもな。でもこれは天秤問題じゃないだろ。たしかに俺は問題を解決するためにはできるかぎりのことをしたいと思ってる……けど、必要以上に平穏を乱してちゃ意味がないんだよ。あくまで最低限のラインで、俺は動くだけだ」
「だがその前提は、梔子クンに嫉妬心がないという現状で成り立っていないかね? 梔子クンに並大抵の感情が宿っていれば、キミはその選択肢は選べなかったはずだ。つまりキミは梔子クンに甘えているのだよ。利用しているともいえる。そのことについては罪悪感がねえのか? もしそんなことを平然とするような男なら、殺してでもキミを梔子クンから遠ざけてやる」
やけに物騒なことをいう。
さすがにそれは過保護すぎる気もするが、そんなつもりは毛頭ない。
「わかってるよ。だから、梔子には申し訳ないと思ってる」
「そんな口先だけの言葉に信用性があるのか? アタシはそんな上っ面だけの謝罪がなにより嫌いだね」
「おまえに好かれたいとは思ってない。……ただ、梔子に対して不誠実になるのは変わらないし、梔子のためにもできれば違う形で誠意を見せたい」
「違う形とな?」
「ああ。梔子の言うことをなんでも聞いてやってもいい。だから南戸、この俺の不誠実には、おまえが調停してくれ」
「ほほう、それはいい心がけだな」
南戸は感心したようにあごに手を当てた。
ちらっと梔子を見ると、彼女はメモを掲げた。
『私は久栗くんの言う〝不誠実〟の意味がわからない』
「義に反してるんだよ俺は。もし梔子に嫉妬の感情があれば、俺の行動になにかしらの不快感を持ってたはずなんだ。それをわかっててやるから、俺は不誠実なんだ」
『……わからない』
「こう考えろ梔子クン。この久栗フギリがその秘密をほかの女と共有することにより、しだいに梔子クンから心が離れていく。しまいには『おまえの彼氏なんてやってられるか!』と言い出す羽目になるかもしれねえ。さあ、そうなるところを想像してみろ。……怖いだろう?」
『うん、すごく怖い』
目を伏せ、怯えたように俺を見てくる梔子。
ようやく梔子にも俺の不義理が伝わったようだった。
「つか南戸、いまおまえさらっと久栗フギリとか言いやがったな。名前は大事なんだぞ丁寧に扱ってくれ。なんせ名前は人生で一番使う固有名詞なんだから!」
「それは名言だが、澪クンの受け売りだろう。感動はしてやらない」
「ちっ」
知ってやがったか。
「まあともかくだ。久栗クンの条件は妥当なものだな。それで手を打ってやらんこともない。だがキミは少々アタシを侮ってないか?」
「なんだよ。まだなんかあんのか」
南戸は首を振った。
「アタシに対する条件が不足してるぜ? このアタシに相談するからには、それ相応の対価を用意してもらわねえと困る。……知ってるか。アタシの腰は重たいんだぜ?」
「まあひきこもりだからな」
「名探偵だからと言え」
「ニートだからな」
「就労意欲ならあるぜ」
「じゃあ働けよ」
「でも働いたら負けだと思ってる」
「それがニ―――――トっ!」
「でもいつか働くって」
「いつかじゃねえ。いまやれ」
南戸は首を振った。
「知ってるか。アタシの腰は重たいんだぜ?」
「まあひきこもりだからな」
「名探偵だからと言え」
「ニートだからな」
「就労意欲ならあるぜ」
「じゃあ働けよ」
「でも働いたら負けだと思ってる」
「それがニ―――――トっ!」
「でもいつか働くって」
「いつかじゃねえ。いまやれ」
南戸は首を振った。
「知ってるか。アタシの腰は重たいだぜ?」
「まあひきこもり――ってループしてる!?」
いつのまに。
無意識に言葉を返すものじゃないな、気をつけよう。
「……まあ、なんだ。もちろんおまえにもそれなりの礼はする。常識と良識の範囲内で、だけどな」
「ふむ。期待していようではないか」
「ってことで、ふたりの意見を訊きたいんだが……」
俺は居住まいを正す。
梔子がメモにペンをさっと走らせた。
『白々雪さんの親が白々雪さんに対してよからぬことを考えているということで、いいの?』
「まあ、そんな感じだ」
『それなら止めるべきだと思う。久栗クンが白々雪さんのことを大事な友達だと思っているのなら、止めない理由なんてないよ。それに私も嫌だよ。白々雪さんが嫌な目にあうのは……それはとても、怖いことだから』
「そうだな。そうなるんだよ……」
『なにか問題があるの?』
「問題というか難題だな」
『つまり?』
「手段がわからねえ。白々雪の親はどこかの島にいるらしいんだが、そこから手紙っつう一方通行な情報伝達を使って娘にコンタクトを取ってくるわけだ。いまはまだ俺が全部握りつぶしてるけど、そろそろ白々雪が勘付いてもおかしくない。それがバレる前に、手紙そのものを過去のものにしておきたいわけだ。つまり、白々雪の親に手紙を送ることをやめてもらいたいんだよ」
「そうは言うが久栗クン」
南戸がごろんと寝転がりながら言う。
「そもそもこの問題は白々雪桜子本人の問題なわけだろう? もしその手紙とやらが娘に会いたい一心で出したものだとすればどうする? アタシは白々雪桜子と、彼女の両親の過去を知っているから改心という表現を使わせてもらうが、そのふたりが改心して娘とともに暮らしたい、と心から願っているだけのことだとすれば、それはキミがしゃしゃりでてくる問題ではないだろう?」
南戸には珍しく、しごくまっとうな意見だ。
だけど、俺はそんなことくらいわかっている。
「だから言っただろ、南戸。俺はなにも白々雪のためにこうしたいってわけじゃねえ。俺は俺の平和を守りたいだけなんだよ。俺が白々雪と離れたくないから、そう言ってるだけだ」
「はっ! よくもぬけぬけと、彼女の前でそんなことが言えるな」
「友達を失いたくない気持ちに嘘はつけねえよ」
「だがもし手紙の件が露見したあと、白々雪桜子が両親のところに行くことを選べば、キミが悩んでいることも起こした行動がすべて無駄になるぜ?」
「しらねえよ」
そりゃあ白々雪は、両親を選ぶかもしれない。
いくらオカルト狂いでも、ずっとともに過ごしてきた大事な親だ。その悪癖さえ治れば、彼らはとてもできた人物で、さすが白々雪家と言われるほどの家族に戻れるのだ。
それくらいわかってる。
でも。
「知ってるか南戸……白々雪桜子っていう女はな、いつだって予想の斜め上を行く女なんだよ。二秒先のあいつの行動さえ読めねえんだ。そんな凡人の俺が、あいつがとる未来の行動なんていちいち考えてたら……俺の身が持たない」
肩をすくめて言ってやった。
南戸は、満足そうにケラケラと笑った。
南戸が提案した手段は、シンプルなものだった。
手紙には住所はない。消印からかなり遠方の小さな島に住んでいるということはわかったのだが、彼女たちが住んでいる詳しい場所はわからない。訪ねて行って直接真意を問い質すのが最後の手段だと考えていた俺に、南戸は言った。
「おいおい久栗クン、キミは社会に出て活躍していた大人と直接顔を合わせて話し合い、相手を説得できる技能と自信があるのか? それほどに長けた話術を持ちあわせているとでもいうのか? そんなことをしても、丸めこまれて泣きかえってくるのがオチだ」
「じゃあどうすればいいんだよ。こっちからは手紙を送ることもできねえんだ」
「直接が無理なら間接。間接が無理なら歪曲だ」
「……なんだって?」
「歪曲手段だよ。誠意に対して不実で答えるように、善意に対して悪意で返すように、通常では忌避されるべき手段で答えてやればいい」
「……どうするんだ?」
「手紙をそっくりそのままコピーしてやれ」
「は?」
南戸は片手を広げた。
「むろん、両親以外の個人情報の部分だけは伏字に変えてな。まずはそれをざっと五百枚だ」
「五百って……なんでそんなことを」
「さてさて。ここで文明の利器の出番だ」
南戸はケータイを取り出す。甚平にはまったく似合わないスマートフォン。
「まったくもって情報化社会というのは怖いねえ。白々雪桜子の両親がどこに住んでいるのかはわからなくても、その島の住所はすべて地図に載っている。その島の適当な住所に充てて、コピーした手紙を送り返してやれ。もちろん内容だけでなく、色や紙質がわかるように精度の高いコピー機を使ってな」
「いや、でもおまえ、それは……」
「ああ、無関係な者に届くだろうぜ。だがそれがどうした? アタシは久栗クンのちっぽけなプライドのせいで内容は推して測るしかできねえが、おそらくその手紙はぱっと見て異質なものとわかる程度にはなっているんだろう?」
そりゃあ赤い文字の手紙だ。
非常識極まりない。
「なってる、けど……」
「それが五百枚。宛名のない手紙は郵便局ではじかれることと、宛名の間違った手紙は検閲される可能性を考慮して、苗字は書くな。てきとうに下の名前を使って『史郎さんへ』などと書いて出せば、存在する住所ならポストに入れてくれる。それを五百枚書いておけば、まあ七割程度は誰かの目に留まるだろう」
「なんでそんなことを?」
「現状把握だ。いいか久栗クン、人間というのは自分の行動に一定の理念を持っている。彼らの場合は普段は常識人、じつはオカルトマニアという二面性だ。そんな彼らにわかるように、こっちから異常な――ただし疑問に思う程度の――行動を起こす。彼らが本当にオカルトを捨てたのなら、こちらに対する反応は『なぜ』『なにを』『やめてくれ』だ。彼らだって島での生活があるし、島民に気味悪がられて追い出されたくはないだろう。……だが彼らがまだオカルトを捨てていないのなら、異常な行動に対するレスポンスが常識人のそれとは異なってくるだろう。『なぜ』『やめてくれ』という以外に、なにかしらの異様な反応がある可能性が高い。想像だが、おそらく彼らがまた送りつけてくる手紙で、その行動の意味を問われる。理由ではなく、意味を。なんせ同じような手紙が島に届くのだからな、なにかの儀式だと思っても……不思議ではない」
南戸の言葉どおり、俺はまず手紙を五百枚近くコピーした。
大量に封筒を買い、ネットで調べた住所に適当に名を書いて切手を張る作業を繰り返す。
なんでこんなことをしてるんだろう、と途中何度も思ったが、折れずになんとかやりきった。
随分と資金がかかってしまったのは頭が痛かったが、それを十日に分けてポストに投下する。郵便仕分けの人は、不審に思うだろうな。
そして待つこと二週間とすこし。
俺のもとに、一通の手紙が届いた。




