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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
2巻 しらゆきひめの、ムダバナシ

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4話 グリモワール


 白々雪桜子の親は、ひとことでいえばロクデナシだった。


 常識はわきまえていた。何度か顔を合わせたこともあるが、温厚な人柄でひとあたりもいい。資産家の息子だった白々雪の父は銀行マンで、朝から晩まで働いては金を貯蓄している。

 母のほうはというと、若くて綺麗でスタイル抜群、穏やかで礼儀正しく、他人のことを悪く言ったことはないようなひとだ。近所づきあいもそこそこにしていて、主婦としての立場のほかに本業があり、それが絵を描くことだった。絵を描いてはそれを売る。そんな商売をしていたらしい。

 近所の評判も良かった。あの白々雪でさえ「さすが白々雪さんの娘さんね」と家の名を背負わされて褒められるくらいだ。あの親あってこの子あり。すべてがうまくいっている家庭があるものだと、半ば嫉妬と諦念(ていねん)の混じった視線で俺たちの親は白々雪家を眺めていた。

 

 すべてがうまくいっている家なんてあるわけないのに。


 父はまじめな銀行マン。

 母は良妻賢母の芸術家。

 しかし彼らは、稀代のオカルトマニアだった。


 白々雪家の邸宅の地下室には、巨大な書庫がある。

 そこには黒書、魔術書、呪術書といった数多くの神秘の書(グリモワール)が所蔵してあった。

 薄暗くて淀んだ空気に、壁や床に描かれた魔方陣、正体のわからない動物のホルマリン漬け……一度だけ入ったことがあるが、吐き気を覚えるほどに不気味な場所だった。

 そして同時にそこは、小さな教団の集会場でもあった。


『ネクロフィ』


 教団に名前などない。

 あるのはそこで祀られている神の名と、その神を盲目的に信じていた信者たち。

 正直、初めて見たときは異常すぎてわけがわからなかった。信者の大人たちはそのネクロフィという神の姿を壁に描き、生の肉を捧げる。肉が腐れば新しい肉。それが腐れば次の肉。肉。肉。肉肉肉肉肉。


 壁にエサでもやっているのか。


 と思ったが……そんな単純なことではなかった。

 肉を腐らせ、腐った肉を新しく取り替える。

 肉体を蘇らせる。

 それは神の肢体の再生の儀式。文字通りの、再生。

 ――いや、正確にいうなれば、神の降臨の儀式のための下準備。


 いくら力が弱かろうが、神というものがたかだか儀式ひとつで顕現してくれるわけがない。

 梔子のときは、彼女自身の個性――梔子詞としての個性を捧げてようやく神が顕現した。しかしそれもたったひとりの人柱をささげただけだ。あの梔子の個性を奪った神にできることは、梔子の周囲に存在し、ガラスを割ったりまわり南戸をつかって回りくどい呪いをかけるだけだった。

 人柱をささげず、神を拝むためにはより労力がかかる。

 肉体を生肉で代用するには時間が必要だった。

 十五年。

 つまり彼らは、白々雪が生まれてからずっと、その儀式を継続してきた。


 白々雪桜子がネクロフィに憑かれた日のことは覚えている。


 もともと有能すぎるくらいに有能だった白々雪桜子。

 彼女を除いて、クラスの生徒たちは高校受験シーズンにもなれば勉強にストレスが溜まる。

 自分の能力を客観的に見ていた白々雪は、どんな高校でも受験さえすれば合格できることをわかっていた。そこには油断も慢心もない。ただひたすらに自分の立場を理解していたのだ。

 しかしそれは勉強のみのことで、自分の有能さや振る舞いが、周囲に与える影響は含まれてなかった。


 白々雪は純粋だった。

 他人に対してあまり感情を動かさない。恨むこともうらやむことも、怒ることも恥じることもなかった。そんなに純粋だからこそ、他人からも好意以外の感情を直接向けられることもほとんどなかった。

 だからこそ、白々雪はそこでようやく生まれて初めて、嫉妬と羨望の嵐を浴びた。

 勉強しなくても記憶できる能力。

 それは反感を買う。恨みも、ねたみも、そねみも、買う。

 そしてクラスという狭い社会では、そんな感情はすぐに伝播する。

 白々雪は少しずつ友達を失い、孤立していった。

 むかしからいつも周囲に誰かがいた白々雪桜子は、こうして孤独を知った。

 そんなとき、彼女は両親の手によってネクロフィの身許みもとへといざなわれた。


 もちろん白々雪は拒否しなかった。


 両親が没頭している無意味な趣味も、現実にはそれほど悪影響がないことを知っていたからだ。白々雪桜子は白々雪桜子だからこそ、他人の趣味や嗜好に嫌悪を抱かない。それがたとえ両親でも他人でも関係なく、寛容に受け入れてきた。

 そしてネクロフィ降臨の儀式は、白々雪桜子がその地下室に足を踏み入れたときに完成した。

 その瞬間から、白々雪桜子は、神に憑かれたのである。



 その後の具体的な白々雪の言動は、あまり言い触らすべきことじゃないだろう。

 クラスで孤立したやつが、狂ったように暴れまわる。それは誰がどう見ても現実を受け入れられなかったのだと判断し、彼女を精神病院に連れて行こうと考えた。それほど白々雪桜子の姿は痛々しく、愛おしかった。狂おしかった。

 初恋の女の子はおかしくなった。

 あり得ない。

 そう、天地転覆(ありえない)

 あの白々雪桜子が、たかがクラスのやつらに無視されているからといってそんなことになるわけがない。それは俺が、白々雪とはあまり関わらなかった小心者だったからこそ、わかったことだ。


 だから俺はその原因を突き止め、たかが一般人の俺が神様なんてものに手が届くはずがないことを悟り、それならと白々雪の両親を潰していった。彼らだけでなく教団の団員たちの信仰心が失われるまで、徹底的に潰した。

 結果、白々雪の両親は仕事を失い、街の住民に追われ、この街を出ていくことになった。保護された白々雪は両親が残した金でつつましく生活している。まだ家は残っているが、白々雪はアパート暮らしだ。

 裕福じゃなくなり、両親も行方知れずだけど、白々雪は笑っている。

 それでいいと思えた。


 だけど俺は、間違っていた。


  彼らは信仰心を完全には捨てていなかった。

 ……いや、彼らにとってあの神は信仰の対象ですらなかった。オカルトマニアとしての好奇心探究のための道具にすぎない。

 宗教心ですら道具にすぎない。

 自分の心ですら、道具なのだ。

 そして自分の娘すらも、道具だった。


 彼らはロクデナシでヒトデナシだった。

 白々雪に二度と関わらないように、もっときちんと、話をしておくべきだった。

 なのにこんな手紙を寄越された。

 いまさら、二年も姿を消してから、娘に充ててなにもなかったように振舞って手紙を書ける。


「……くそ」


 俺は手紙を握りつぶしたまま、下駄箱でのろのろと靴を履く。


 手紙の細かい内容や白々雪の過去の話は、澪にはしなかった。

 細かいところを伏せたままで相談なんて満足にできない。結局は澪を困らせるだけで終わってしまった。澪は「そうだね……もしツムギくんの友達が白々雪さんのことなら、本人に言うのが一番だよ。あの子はあれで神経図が太いから、笑って捨てるか怒って捨てるかするよ」と助言をくれた。

 それは俺も、思う。


 ……でもできない。


 これは俺のわがままだ。

 見せたくないだけ。

 白々雪との関係を変えたくないから。


 あの偏屈で変態で天才な女の子は、俺の親友だ。友達だ。

 友達を失いたくないのは、誰だってそうだろう。

 手紙を見せたら白々雪はどうなる?

 笑うだろう。怒るだろう。呆れるだろう。

 ……そして気付くのだ。


 久栗ツムギは失敗した、と。


 白々雪は俺に救われたと思っている。

 だがそれは失敗していた。

 恩に感じる必要もない。

 むしろただ俺は、白々雪の家庭を壊した男になる。

 それを気付かれるのが怖い。

 ただ、怖かった。

 

 もちろん白々雪は、それでも俺を友達と呼ぶだろう。

 あいつはそんなやつだ。恩とか関係ない、と言えるだろう。

 恩は消える。

 友情が残る。


 ――けど、俺のほうがダメだ。

 気付かれた時点でダメだ。


 あんな才能あふれるやつの隣に、恩人もどきが立っていることなんてできなくなってしまう。

 白々雪の友達でいられる自信がなくなってしまう。


 怖い。

 ひたすらに怖い。

 友達を失うのが、怖い。

 怖い。


 俺は校門をくぐる。


 平和主義者の仮面をかぶったピエロ。

 とんだ小心者。

 ただの怖がり。


 ……嫌になる。


 俺は、強い人間じゃない。

 いつまでたっても、弱いままだ。


「…………あ」


 と。


 うつむく俺の視界に、一対の足が見えた。

 小さな足。細い足。

 スカートからちょこんと覗いた肌色は、驚くほど白い。

 そして抱きしめたら折れてしまいそうな腰が見えて。

 ほとんど膨らんでいない胸と、きちんとリボンをつけた首元。

 黒い髪。

 長い前髪。

 その隙間からのぞく、大きな瞳。


 こんなとき、こんなタイミングで。

 まるで俺を助けに来たかのように。

 俺を待っていたのは、彼女だった。


 梔子くちなしことばだった。


『話して』


 梔子は俺の顔を見ると、梨色の手帳にさっと書き込んで掲げた。

 そこにはなんの感情も宿っていないような無表情があった。

 だけど、彼女は知っている。


『なにかあったのなら、話して久栗くん。どんな話でも、聞くから』


 彼女は俺の臆病さを知っている。

 俺のちっぽけな虚栄心を知っている。


『だって私は、あなたの彼女だから』


 俺の弱さを、知ってくれている。

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