3話 イニシアティブ
県立富士吉高校は初夏になるとあるイベントが発生する。
イベントと言われるとなにか大事があるような響きだが、それは俺にとってのイベントであり、ほとんどの生徒諸君にはどうでもいいものだろう。
梅雨が明けたこの時期にコレが行われるなんて知らないやつも多いだろうし、知っていても実際になにをしているのか理解していないやつもいる。
中学から続けてきたことなので俺は馴れたものだが、もちろん高校で初めて、という者は少なくない。いや、今年に限ってはほとんどそうだといえる。
白々雪は去年も参加したので経験者だ。しかし澪は違う。
「や、優しく教えてねツムギくん」
とはいえそんな甘ったれた声を出されても知らん。
俺はゆっくりと腰を沈めた。
「え、いきなりするの……?」
笑顔のまま戸惑う澪。
むろんだ。
未経験だとしても気を遣うことはない。俺はそんなに優しくないのだ。
「もうちょっと肩の力を抜け。自然な流れに身を任せるんだ」
「自然って……私、初めてだしツムギくんにはちゃんとしてほしいよ」
「これが俺のちゃんとなんだよ。いいからいくぞ」
「あ、ちょ、はやいよっ」
焦った声を上げる澪。
そして俺は脚を踏ん張り――
パラパラパラパラ
教室にずらっと並べられた本をめくっていく。
「な、簡単だろ、本の虫落とし」
「うん……それだけなんだね」
期待したか? それはすまない。
ちょっとは歌音の想像力というものを見習ってみようと思っただけだ。妄想力というものの可能性を試してみただけだ。俺と澪はただ梅雨の湿気の影響で本に寄生した害虫どもを、本を順番にめくって落とすという作業をしているだけだった。
初夏の図書委員のイベント、虫落とし。
空き教室でくりひろげられていたのはそんな陳腐な光景だ。
「これ、どこまでやるの?」
「全部だ。それを三周」
「三周もするんだ……大変だね」
たしかに、教室の床を埋め尽くす本をめくっていくのは骨が折れる。
だがそれを聞いても嫌な顔ひとつしない澪は、さすがだ。
鉄壁の笑顔と銀色の髪が今日もまぶしい。
「日本の図書委員って大変だね」
「インスブルックではこういうことしないのか?」
「さあ。私、そういう当番にはなったことないから。でも聞いたことないなあ。むこうはあまりジメジメしてないしね」
「そうだろうな。こっちより寒いらしいし」
「うん冬はすごいよ。スカートなんてとてもじゃないけどはけないの」
パラパラと、本をめくりながら喋る。
「でも澪はスカート似合うよな、脚長いし」
「そうかな?」
そうである。さすが東欧の血というべきか、伸長こそ高くないものの、澪の脚の長さは日本人離れしている。
「白々雪さんより似合うかな?」
「どうだろうな。あいつはあいつで良い肉付きで甘そう……いや、なんでもない」
「へえ、ツムギくんってああいうのが好みなんだ」
にっこり笑顔の視線が冷たい。
口が滑った。
「ほ、ほらよく言うだろ、すももも太もももももももものうちって……桃は甘いほうがいいよな!」
「…………。」
澪が真顔に戻った。
ギャグも滑った。
「……いまのナシで」
「それは桃と梨をかけた冗談? そんなつまらないことを言うツムギくんならいらない。山梨県まで箱詰めにして送ってあげる」
「産地直送っ!」
意外と果物に詳しいやつだ。
「というかツムギくんって最初の挨拶のときから変な冗談言ってたよね。『勉強のことなら教えてくれキラッ☆』だっけ」
「さあ覚えてねえなそんな黒歴史」
「黒歴史とか言ってる時点で覚えてるよね」
「……少なくとも『キラッ☆』は言ってない」
「『教えてくれゴパッ』?」
「なんか出たな、口から」
「『教えてくれキュポッ』?」
「逆に入ったな」
「『教えてくれグフッ』?」
「腹殴られたな」
「『教えてくれにゃんっ♪』?」
「おまえなあ、俺がそんなこというわけないにゃんっ♪」
「言った!?」
驚く澪。
俺の勝ち。
「い、いまのは油断してただけよ!」
「油断も隙も実力だ」
「リベンジを申し込みます!」
「いいだろう。なにをもって勝負とする?」
「相手に指定した単語を言わせたら勝ちっていうのは? 『ありえる』とか」
「いいだろう。ただし単語は『ありえない』でどうだ」
「いいよ。じゃあツムギくんは負けたら性転換ね」
「マジで? 負けるの楽しみ~」
「ありえないっ!」
叫んで、ハッとする澪。
「い、いまのはノーカンで! ツムギくんったら卑怯だよ!」
「卑怯? どこがだ」
「お題決めたのツムギくんだから! つぎはわたしね。お題は『うそ』でどう?」
「わかったよ。俺は本当のことしか言わないから余裕だな」
「う……冗談ばっかりだねツムギくん」
「そんなことはない。俺は小さなころから近所のマダムたちから『ツムギくんは大きくなったらなにになりたいの?』と聞かれて『お金があればなんでもいい!』と答えていたほどだ。正直すぎる自分が怖い」
「ツムギくんって、昔からそうなんだね」
「むしろいまは金なんていらん。平穏があればな。澪は小さい頃の夢とかあるか?」
「うん。月並みだけど先生になりたいって思ってた。ううん、いまでも変わってないよ。わたしこっちで日本語の勉強をもっとして、日本語教師になる資格を取るの。むこうに戻っても日本語を教えたいし、むこうに帰らないってなったらこっちでドイツ語教師になろうかな。だから教育大に行こうと――」
「あ、いま澪言ったぞ。はい負け」
「うそっ!?」
「……はい、ほんとに負け」
「あ~~~~~~~っ!」
澪は頭を抱えた。
「ひどいよね! ツムギくんひどいよ! いまわたし本気で夢語ってたんだよ! 誰にも言ったことなかったのよ! 親にも内緒で留学してるんだから!」
「そうか」
「そんなわたしの純真を踏みにじるなんてほんとひどい。ツムギくんはわたしを弄んでどうする気なの? さっきからわたしに風当たりが強くない?」
「教師を目指すなんて良い夢だな。精進してくれ」
「さらっと流した!?」
スルースキルは習得済みだ。
日ごろ白々雪に鍛えられてる俺をなめるなよ。
「……ツムギくんなんて変態のくせに」
「それは聞き逃せんな」
「変態だよね。太ももが甘いほうがいいとか変態以外の何者でもないよね」
「久栗ツムギは『するーすきる』を使った。効果はばつぐんだ。なので澪は黙って本をめくっていればいいんだ」
「へえ、そうくるの」
澪はいつも以上にわざとらしく笑んだ。
「いいんだよいいんだよツムギくんがぷにぷにした太ももが好きでも。たとえ去年の図書室で触ってその感触が忘れられずいまでもときどき白々雪さんの脚をみてニヤニヤしてたとしても、わたしはそんなツムギくんの下卑た心でも受け入れる自信はあるよ」
「なぜ知ってる!?」
「そして家でときどき枕とか触ってみて『たしかこんな感じ……いや、違うな。もうちょっと柔らかかった……そのくせ弾力があって暖かくてすべすべで……枕じゃ再現は無理か。よし、ちょっとスライムでも作るか』とか言って化学薬品を買おうとネットサーフィンしてることもあるよね」
「なぜ知ってる!?」
「でも結局スライム作りは断念してベッドに寝転がって『あ~あ、あいつがもうちょっとバカな女なら俺の舌先三寸でだまくらかしてもう一度触ってるんだけどなあ。でもあいつは会話スキルがすげえから喋りでイニシアティブを握れねえんだよなあ。ちょっと誰か白々雪に催眠術かけて太もも触らしてくれねえかなあ』とまで言ってるよね」
「それは言ってねえ!」
「あと『あ、そうだそれなら澪でもいいじゃねえか。そうしよう。澪もなかなか綺麗な脚してるし髪もさらさらだし可愛いし声もいけるしいつも抱きたいって思ってたんだよなあそれになにより胸が控えめですごく好みだしこの際澪の太ももを――といわず全身を抱きしめて愛を囁いてやりてえなあ』とも言ってるよね」
「言ってねえ!」
神に誓って言ってねえし、それに。
「俺の好みをなぜ知ってる!?」
「それは乙女の七不思議のひとつだよ☆」
にっこり笑う澪が怖い。
まさかスト―キングが家にまで及んでいるのか。
ちゃんと鍵は閉めておこう。
そうこう言い合っているあいだに、一周目が終わった。
最初の場所まで戻ってきて、また紙をめくる作業を始める。
そういえば澪はオーストリア出身だったか。
「……なあ澪、おまえ神様って信じるか?」
「信じるってなにを?」
首をかしげる澪。
それもそうか。
「神なんてものがいるかどうか」
「そりゃあいるよね。信じるとか以前の問題だもん」
「そう思うか?」
「思うっていうより、そういうものじゃないの? 神様も悪魔も妖精も地球がある限りいるんでしょ? おばあちゃんはいつも言ってるよ。『神様が世界をつくったんじゃなくて、世界が神様をつくったんだよ』って。世界創造の物語は好きだけど、そもそも神様がいる世界がないと世界なんて作れないんだよね。鶏が先か卵が先か……そういう例えじゃないけど、世界っていうのはなんでも作り出す装置なんだよね。そういう仕組みが、この世界そのものなんだと思う」
「だから神はいると?」
「少なくともわたしたちが信じている限りは」
信じている限りは神がいる。
それはひどく、不安になる言葉だ。
「……おまえは、俺が神を信じてると思うのか?」
「もちろん。だって、ツムギくんは神様をひとりやっつけちゃったんでしょ? やっつけるってことは、神を認めてないとできないでしょ? 白々雪さんを助けるためだっていうのはちょっと気に食わないけど、でもそんなツムギくんだからこそ、わたしのことも助けようとしてくれたんだよね? 妖精のことだって、すぐ信じてくれた」
「助けたのは南戸だけど……ってちょっとまて。おまえ、なんで俺の昔を知ってるんだよ?」
さすがにストーカーでも調べられるとは思えない。
中学生が神をひと柱、殺したなんて。
すると澪は何食わぬ顔で、
「教えてくれたよ。あの南戸ってひとからこのまえ電話がかかってきて、『久栗ツムギくんの秘密その一』って。なんだかツムギくんには調べてもわからないような秘密がいっぱいあるんだよね? そのうちのひとつを教えてもらったの。これから定期的に教えてくれるんだって。最後の秘密はとんでもない秘密だ! って言ってたから、ちょっと楽しみにしてたり。南戸さんはいいひとだよね」
「あんのあまっ!」
なんてやつだ南戸。
澪の性質を知ってて教えるとは厄介すぎる。あいつのケラケラと嘲笑する姿が目に浮かぶ。
そして最後の秘密は絶対に言うなよあんにゃろう!
「まあそんなことはどうでもいいの。それよりもツムギくん、わたしに相談したいことがあるんじゃないの?」
「え?」
俺が訊き返すと、澪はうなずいた。
「だからわざわざ、本の虫を落とすの、わたしを指名して組んだんだよね? めんどくさがりのツムギくんだったらとっくに経験のある白々雪さんの誘いを断らずに、サボりながらやると思ってたから。だから、白々雪さんには話せないことがあるんじゃなかったのかなと思って」
「……澪……」
いつの間にか手を止めていた。
そこまでわかっていたのなら、話は早い。
そうと理解しつつもいままで尋ねなかったのは、やはり澪が他人に気を遣えるやつだからだろう。
俺は澪に感謝しつつ、話を切り出した。
「……なあ澪、おまえならどうする?」
これは俺の手に余る問題だった。
とくに、いまの白々雪との関係を壊したくない俺には。
「友達の親から、友達に充てた不幸の手紙を渡されたら……どうする?」
俺はポケットを握りしめた。
そのなかには一通の手紙が入ってあった。
白々雪の母からの手紙。
その、二通目の手紙。
『白々雪桜子様へ
拝啓桜子へ。
前略。
夏休みが始まったら、私達がいる島へ引っ越しなさい。
敬具
母、父より』




