2話 マザーフッド
「え、プロレス?」
夕飯のカレーを食べながら、歌音に聞いてみた。
「歌音はそんなに好きじゃないなあ」
スプーンを指先でくるくると回す歌音。
「なんで?」
「だって痛そうじゃん。格闘技全般そうなんだけどね、歌音はああいうのダメだなぁ。どれくらい痛いのか想像しちゃったら、あとはなにしてても痛くなってくるもん。柔道とか剣道ならマシだけどボクシングとかプロレスは一番やだよ。顔とか腫れたらつぎの日のご飯とか美味しく食べられないよきっと」
たしかに。
わざわざ自分から痛みを受けるなんて、俺には理解できない思考だ。
「きっとプロレスラーさんはみんな変態なんだね」
「そうかもな。殴られて喜ぶとすれば」
「殴って喜ぶのも同じだよ。どっちにしろ格闘家は変態なんだよ」
「言い切りやがったな。日本プロレス協会を敵に回すぞ」
「え、なんで? 変態って褒め言葉じゃないの? 小学生のとき歌音よく褒められてたよ。『歌音ちゃんはほんと変態だよねすごーい』って」
「おおっと、中学生で気付けてよかったな歌音。それはバカにされてるんだ」
「な――――に――――っ!? 隆平くん次あったらシバく!」
すまん隆平くんとやら。俺は君をピンチにさせたようだ。
「でもな、プロレスラーってほんと痛そうだよな。今日も白々雪が友達と見に行ってたんだけど、パイプ椅子で殴ったり目潰ししたり、血が出たりするんだぞ」
「ひ~やだなぁ。歌音痛いのはダメだよ。ほんとむり」
「おまえすぐ感情移入するからな。絵本で号泣する癖はもう治ったか?」
「それはさすがに治ったよ! でも痛いのだけはむりー暴力描写だけはむりー」
「同感だな。さすが歌音だ俺と気が合うじゃねえか」
「そりゃ合うよ! とうぜんだよ!」
「当然なのか?」
「だって歌音は生まれてこのかた兄ちゃん依存症だからね! いわゆるブラコンってやつだよ!」
「わかってるなら兄離れしろ!」
「大丈夫、発情期がくれば治るよ。だからそれまでは歌音のこと慰めてね! 性的に!」
「もう来てやがるぜ!」
「あらうっかり!」
はい茶番終わり。
俺はノリを標準に戻す。
「……でも感情移入する癖治ってないなら、アクション映画とかもダメだろ。あれもけっこう主人公痛い目に合ってるぞ」
「なに言ってんの兄ちゃん。映画は映画だよ。まったくもって映画だよ。もちろん映画じゃない映画もあるけど、基本的に歌音が好きなのは映画なんだよ!」
「意味がわからん」
「映画にはストーリーがあるじゃん。物語性を持ったエンターテインメントだよ」
「プロレスだってそうだろ。あれも見世物なんだから」
「わかってないなぁ。プロレスはショーであってもドラマじゃないんだよ。エピソードはあってもストーリーはないの。あれはただの見世物なだけ。知ってる? あれだけ男同士の体のぶつかり合いなのに、プロレスで妄想する腐女子はほとんどいないんだよ。やっぱりみんはわかってるんだよ。あれは見世物だから、もうとっくに完成されてて妄想を挟む余地はないってことが。だってほとんど誘い受けだよねむしろ襲い受けと言ってもまったく過言ではないんだよ」
「そうだったのか」
「そうだったの。ほんと兄ちゃんはバカだなぁ」
まあバカは自覚している。
しかしおまえも腐女子だったのか。
「でも勘違いしないでね」
「なにを?」
「それはあくまで一般論ってことだから」
「つまり?」
「歌音にはまったく関係ないってことだよ! 必要さえあれば歌音はいつでもあれをBL変換する準備はできてるんだよ! 仮面で顔を隠した謎の男、彼には愛する弟がいる。でも弟はその気持ちに気付かない。兄は仮面で顔を隠したままリングの上で弟と戦う。弟はそれが兄だと気付かない! 擦り合う肌、すべる汗、ヒートアップする会場にふたりのボルテージは高まり、観客にばれないようにお互いを慰め合うふたり! うめき声に交じって聞こえるかすかなあえぎ声! 用意されていたシナリオに沿いつつ繰り広げられるさりげない愛撫は、徐々にオーバーフローを起こしてしまいあわやふたりの行為が観客たちにバレる展開に!」
「…………。」
「しかし、そこで会場が停電するというハプニング! 暗闇のなか、ふたりは猛る肉体をぶつけ合う。闇で戦うふたりの姿を想像した観客たちは歓声をあげ、なおも盛り上がるリングで盛り上がるふたりの闘志! 痛みと苦しみと快楽に耐えたさきに待っているのは愉悦と絶頂! 体力も気力も精神力も使い果たし倒れこむふたり! そこでようやく停電がなおり、会場に明かりが戻る。観客たちが見たのは、ダブルダウンの現状と、そして仮面がとれた仮面マンの姿。弟はその仮面がとれた相手を見て絶句する。まさか……兄貴だったなんて! そして兄は言う『血のつながりなんて気にするな』……こうして葛藤と苦悩と誘惑の日々が、幕を開けるっ!」
ぐっと拳を握って立ち上がった歌音。
さすが歌音。くぐってきた修羅妄想の数が違う。
ぜんぜんうらやましくないけど。
「……どうでもいいんだけど、それは兄弟である必要があるのか?」
「あるよ! 血の繋がりはなによりも大事なんだよ! 同じ血を持つことへの親愛と喜びはなによりも崇高なんだよ! だけどそれは禁忌の愛だから、ふたりは禁断の道へと堕ちていくことに困苦するの。その艱難こそ愛を盛り上げる礎になっているの。だから兄ちゃん、兄ちゃんも一度禁断の愛を歌音といっしょに経験して――」
「みない。もはやBL関係ない」
「おっとしまった。まったく自分の欲望が制御できてなかったよ。てへ」
「ほんと気をつけろよおまえ」
相変わらずの妄想癖と暴走癖だった。
「でも兄ちゃんも相変わらず動じないね。ご飯食べてるときにBLネタ振るなんて驚きだよ。よく食欲減らないね。歌音はあらゆる欲が増すけどさ」
「増すな。てかそう思うなら言うな。俺に気を遣え」
「ヤだよ。なんで兄ちゃんのためなんかに歌音が我慢しないとダメなの」
「兄ちゃんなんかってなんだ。兄は偉大なんだぞ。寝転がってても家督を継げとか言われるほどにな。だから俺は寝転がりながら家督を継ぐんだよ。それが長男の仕事だからな」
「うちに家督はないよ。兄ちゃんに必要なのはむしろ人徳だよ」
「人徳? なにそれ持ってたらタダで飯が食えるのか?」
「またそうやって。ほんと兄ちゃんは歌音が面倒みないとニート死するよ」
「ニート死ってなんだ。初めて聞いたぞ」
「そりゃあ初めて言ったもん。社会的に死ぬってことだよニートだから」
「ニートだって生きてるんだ。そう言ってやるな」
「なにを偉そうに。だから兄ちゃんだって立派な予備軍なんだよ。働きたくないを口癖にして部屋に引きこもるダメ兄貴だよ。……うわああ想像しちゃったらやばいリアリティがありすぎてまったくもって否定できないよ! もう兄ちゃんの将来は確約されたようなものだよ! ニート界のドラフト一位だよ! 注目株でCM出演決定だよ!」
「ニート界にはスカウトがいるのか。そしてスポンサーもあるのか」
意外と巨大だな、ニート界。
「でも兄ちゃんは歴戦の猛者のなかでもエリートニートすぎて嫉妬と羨望の眼差しを受けるんだよ。先輩からの陰険な嫌がらせ、批判や非難、そして隙あらば働かせようと目論むOBたち! 兄ちゃんはそんな逆風と戦いながらもニート界を背負って立つ存在として、最前線で活躍しないといけないの!」
「意外と大変なところだな、ニート界」
「だからそんなニートを極める兄ちゃんを、影で支えるひとが必要なんだよ!」
「そりゃ必要だろうな。ニートは金稼がないから」
「それが妻であり母であり妹であるんだよ!」
「最後のは聞いたことないな」
「ってことでダメでクズでヘタレでどうしようもなくみじめな兄ちゃんは、歌音のヒモにならせてあげるよ。ずっとお世話してあげる。そのかわり、夜はお世話――」
「しない」
「じゃあ嫌だよ! 歌音を満足させられない兄ちゃんなんて養いたくない!」
「俺も養われたくねえよ」
というかニートにはならねえよ。
たぶん。
……気持ちの面では。
「やる気だけあっても意味ないんだよ。行動こそが人格、なんだから」
「わかってるよ。無駄な名言を残すな」
「わかってるなら動けばいいんだよ。兄ちゃんもう高校二年でしょ。卒業したらどうするの? ちゃんと将来考えてる? ほんとになにもなかったら、本気で歌音がフランス連れていくよ?」
「……おまえ、最近母さんに似てきたな」
「え、マジで?」
マジだけど、顔をしかめるなよ。
母さんにバレたら殺されるぞ。
「ううん、ポジティブに考えるんだよ歌音っ。ママに似てきた……つまりそれは歌音に母性があるということ。母性、それは男に安心感を与えるすばらしいもの。そこにあるだけですべてを包み込むといわれるマルチな才能。あるいは広い海原のような寛容さ。極めてしまえば女神と同格を為すといわれるナイチンゲールの代名詞・マザーフッド」
「そこまで仰々しくねえよ」
「それが歌音にある、と」
「ごめん。ない」
「うそだああ」
がっくりと肩を落とす歌音。
大きくため息をついたあと、うらみがましく俺を睨む。
「そこは嘘でもあるって言うんだよ。いつも言うけど、ほんと女心がわからない兄ちゃんだよね。もうちょっと少女漫画読みなよ」
「めんどくさい」
「そんなのだから彼女だっていつまでもできないんだよ」
「……。そうだな」
「え、なにその一瞬の沈黙」
歌音は勢いよく顔を上げた。
「なに、なになになになになになに!? 彼女できたとか言うの!?」
「……いや、べつに言ってねえけど」
「うそ! うそだよそんなのウソだよ! 兄ちゃんに彼女なんてできるわけないよ! こんな唐変木でひねくれた兄ちゃんに彼女なんてできるわけないんだよ!」
「ひどいなおまえ」
「だってツムギ兄ちゃんだよ! 平和に生きるとかほざいてるただのナマケモノなんだよ! 友達もひとりしかいないような残念兄貴だよ! どうせ歌音が婿にもらわないと子孫も残せないような人類の不良品だよ! 史上最高の劣化生物だよ!」
「おいおい」
「そんな兄ちゃんが彼女? はははそんなのウソだよこれは夢だよもしくは幻覚だよあれれおかしいなあ歌音クスリはやってないはずなんだけどなあ、これが噂の脳内麻薬ってやつなのかなあそういえばなんだか景色が歪んで見えるよ現実じゃないんだよ、こんなことってないよありえないよ死にたいよもう生きる意味も希望もなくしたよ」
「おーい、帰ってこーい」
「そうだ歌音なんて必要ないんだ誰にも必要とされてないんだどうせ兄ちゃんもそう思ってたんだいままでだってこれからだってなにも歌音は必要とされないんだそうだそうなんだよだから死のうそうだ死ねばいいんだそして兄ちゃんも殺せばいいんだそうすれば歌音たちを邪魔するものはなにもないんだおててを繋いでごーとぅーへーる」
やばい。これが本物のヤンデレというやつか。おそろしいものを見てしまった。
しかたない。背に腹は代えられない。
あと、めんどくさい。
「すまん歌音」
バチンっ、と俺は歌音の頬をぶった。
きょとんとする歌音。
「あれ? 歌音、いまなにしてたっけ? というかいま、なんで殴られたの?」
「蚊がいたんだ気にするな」
「そうなんだ! ありがとう兄ちゃん!」
前回から進歩のないやつだった。
「それで兄ちゃん、彼女できたってほんと?」
「できてねえよ。だからその手に持ったナイフを降ろせ。ゆっくりとな」
「そっか、よかったよ! 歌音の勘違いならよかったよ!」
どうにか誤魔化せた。
安堵の息をついていると、歌音が時計を見て声をあげた。
「あ、もうすぐママが帰ってくる時間だよ! 急いで食べないと怒られちゃう!」
「うお、ほんとだ。ってやべえ、洗濯物畳んでねえ!」
「こ、殺されちゃうよ! はやく兄ちゃん!」
「お、おう!」
慌ててカレーを腹にかっこむ俺たち。
こんな余計な話をしてたら気付けばもうこんな時間に。
というかまだ一口しか食ってなかったな歌音。
どんだけ喋りたがりなんだよ。
「……ん?」
そこで俺はふと気付いた。
この本編とはまったく関係のなさそうな会話。
ただの日常のひと幕。
……ここ、べつに小説にしなくてもよくね?




