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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
2巻 しらゆきひめの、ムダバナシ

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21/86

1話 アクロバティック


 この日常、思い通りにならないことが多すぎる。



 平和を愛することをモットーとする俺こと、久栗ツムギにとって日常は非常である。

 本当の平和というのは一分のズレもない日々の営みであり、一切の思考能力を放棄しても快適な日々を享受できる環境だと思うわけで、宿題やらテストやら文化祭やら体育祭やらが青春の代名詞とばかりに跋扈する学生生活において、本当に平和な日など存在しない。そんな甘い日々は一瞬たりともない。断じてない。

 とはいっても世にはばかる小説の類にあるような大事件がそうそう起こるわけもなく、ささやかな水の流れに笹船を乗せて些細な波の揺れを感じるような日々を、ゆらりゆらりと過ごしていく。

 いわゆる、平凡なのだ。平和ではなく、平凡。

 平凡。じつに良い言葉だ。体育では平均台をこよなく愛する俺としては、もう平と凡の漢字の組み合わせは憧憬を覚えるほど好きだ。憧憬どころか同棲したい。毎日味噌汁を作ってもらいたい。同じ墓に入りたい。朝から晩まで添い遂げたい。


 誰か本気で漢字と結婚できる法律つくらねえかな。


 まあ、そんな夢想はよそう。現実を生きてこその日和見主義だ。

 おや……日和見もなかなか乙な字だな……じゅるり。

 いや、半分冗談だ。

 勘違いしないでもらいたい。俺はどこにでもいるような平和愛好家なだけで、決して文字に愛憎を抱くほど常軌を逸していない。

 アブノーマルは違うやつの役割だ。

 たとえば、こいつのように。


「見てくださいツムギ! こいつはレアッスよ! この裏表紙のシミ! おそらく塩ッスね! おお! 紙に沈んだ透明の結晶がかすかに残ってますよ! ねえこれもらって帰ってもいいッスかね! この塩もらっても万引きにならないっすかね! てかこれいつの時代のものッスかねえ! ツムギ!」

「いいんじゃね。どうせどっかのオッサンが食卓で読んでたときについたやつだよそれ」


 両手に抱えた本をレジに置く。となりで本棚から本を抜き出して奇声をあげる白々雪だった。

 商店街の古書店には、俺たち以外の客はいない。

 ボケて耳も遠くなり始めた爺さんが経営するこの古書店は、俺の行きつけだった。

 俺はそれほど本を読むのが好きではないが、雑学・蘊蓄(うんちく)・豆知識を身につけるのは嫌いじゃない。そうそう小遣いも多くない一般的な男子高校生の休日は、こうして安く長く楽しめる道具を手に入れるために消化される。


「ぬほっ! この文学全集かすかに香水の匂いがするッスよ! 紙の繊維に染みついてインクの匂いと相まってウチの鼻腔をくすぐってくるッス! ああ、お持ち帰りしたいテイクアウトしたい夜の街に寄り添って消えてゆきたい……でもごめんッス、お姉ちゃんいまお金ないから買えないんスよ、許してください。でも……ちらっ」

「買わねえよ」

「けちー」

「なんでおまえの性癖に金出さねえといけねえんだ」

「守銭奴」

「そこまで言われる筋合いもない」

「あとで返すから」

「信じられん」

「なら先払いすればいいッスか」

「じゃあ自分で買えよ」

「……相手が爺さんはちょっと……」

「体で払う気だったのか!?」


 古書一冊にそこまで。

 恐ろしい性癖だ。

 白々雪は無理だと知ると床に両手をついて、涙を流しながら絶望する。


「あああああっ! ごめんなさい、ウチがきょうお金を持っていれば君を買えたのに。運命が憎いッスよ。この出会いを恨むッス。世界の天蓋にいる出会いの神様を殴ってやりたい。人生をやり直したいむしろ紀元前まで遡ってメシアの誕生を阻止したい」

「そこまでするか」

「唯々諾々と運命に従うツムギにはわかんないッスよ! アダムをそそのかした蛇が憎い知識の実をそこに吊るしておいた神が許せないリンゴが育つ土壌だった楽園よ滅びればいいノアの箱舟よ壊れろ相対性理論よ狂え遺伝子よ螺旋構造を放棄しろおおおおお!」

「お会計、千百五十円ね」

「ありがとう爺ちゃん。また来るよ」

「うんにゃ」


 店の外に出る。

 慌てて白々雪がついてきた。


「ちょ、なにさっさと帰ろうとしてるんですか。あのままひとりで本くんかくんかしてても、ただの変態じゃないッスか」

「自覚あんのかよ」

「なのに置いてくなんてサディスティック!」

「知るか」

「あなたの反応リフレクティック!」

「黙れ」

「酷いあなたにトラウマティック!」

「うぜえ」

「こんな社会はデモクラティック!」

「そんなおまえはアクロバティック!」


 なぜ商店街のど真ん中で漫才をしなければならん。

 俺は早足で歩く。

 白々雪はぴたりとついてくる。


「なんでついてくるんだ。まわれ右して帰れよ」

「もし右にまわっても結局まわるんだからもとに戻るのが自然の摂理だと思うんスよね。まわれ右の用法に意義を唱えてもいいッスかね。どこに唱えればいいんスかね文部省とかですかね?」

「どうでもいいわ。いいから帰れよ。俺はひとりの時間を過ごすんだ」

「ふたりの時間を過ごすんだ!」

「なんでそこまで」

「そこに美尻があるから。それ以外に意味があるとでも?」

「まだ狙ってたのか!?」

「創造神に褒められるところがあるとすれば、尻と桃を作ったことくらいッスよね」

「地球創造はどうした」

「地球なんて所詮はちっぽけな惑星。無数にある星々のなかのたったのひとつ。どこにいたって輝いて見えるツムギの美尻ひとつには及ばないッスよ」

「おまえの天秤はおかしい。あと俺のケツは輝いていないぞ決して」

「わかってないッスねえ。尻は無限の可能性ッスよ。なぜセカンドイパクト後に人類補完計画が立案されたか知ってるッスか? それは尻の形が全人類違うことにゼ―レが気付いたからッスよ。すべての尻の欠点を埋めるために、いま、人類はひとつになるッス!」

「間違えた。おまえの脳はおかしい」


 もしくはDNAがおかしい。


可笑(おか)しい……なるほど、ツムギの笑いのツボはここッスか」

「ちげえよ」

「をかしい……そんなウチが可愛いッスか?」

「古語でもねえよ」

上手(おか)しい……まさか、まだ夜伽したことはないッス?」

「そっちの用語でもねえよ」

「ま、まさかお菓子い……ウチが甘甘だなんて言うんじゃないッスよね!?」

「やはり俺の友達は奇特(おか)しい」


 こんな青春は間違っている。


「ところでツムギ、いまからどこか行くんスか? 予定とか予定とか予定とか予定とかあるッスかないッスよねはい決定!」

「ある。帰る」

「還る? 土に?」

「やすらぎの場所に帰るんだよ!」

「魂のやすらぎ?」

「家だよ! 自分の生まれた家だ! ふるさとだ!」

「輪廻のふるさと?」

「どうあっても俺に死んでほしいのか、おまえは」

「まさか」


 白々雪は滅相もない、と首を振る。


「ツムギに()死んでほしいだけッス」

「心中する気はねえよ」

「一緒に還りましょう……ウチらだけの世界へ……」

「ヤンデレ顔をするな!」


 怖い。けっこう迫力があった。


「そもそも、さっき偶然会っただけなんだから、なんで俺についてきてるんだよ。おまえもなにか用事あったんじゃないのか?」

「いえ、とくには。ヒマだったッスから散歩してただけッス」

「おまえの家、学校の反対側だろ」

「だからどうした」

「んなこと言われても。こんなところまで散歩しに来るなんて疑問に思っただけなんだけど」

「だからどうした」

「いや、だから……なんもねえよ」

「だからどうした」

「…………そっちこそどうした。ついに壊れたか?」

「からだどうしだっ!」


 いきなり雄叫びをあげた白々雪。


「ぶつかりあうのは体同士。飛び散る汗、荒ぶる吐息、呻く声、湧き立つ歓声、こもる熱気。その空間はすべてにおいてパフォーマンスが優先され、苦痛も享楽も喧騒も諦念も観念も激情も、アドレナリンとベータエンドルフィンに支配され操作され転換される。見よ、あの熱き闘いを! 見よ、あの赤き闘いを! さあ、君も一緒に燃え上がってみないか!?」

「……なんだ、いきなり」

「というわけでプロレス見に行かないッスか? 偶然手に入れたチケットなんスけど、夕方五時から富士ドームで開演なんス」


 さっと紙を二枚、鞄から取り出す白々雪。

 なるほど。

 こいつはプロレスに誘うためだけにノンアポでこんなところまで来て、ちゃっかり俺を見つけてつきまとっているということか。なんという暇人。


「もしかして見に行きたいのか? プロレスを?」

「愚問ッスよ。行かない道理はないじゃないッスか。プロレスッスよ? さてプロレスとはなにをするところでしょうか、はいツムギくん」

「レスリングだろ、レスリングのショー。見世物だ」

「けっ、このクールを気取った凡人野郎の言いそうなことッスね!!」

「間違ってねえだろ」

「間違ってなければすべて正解ッスか、ははんツムギの脳内は世界のすべてが○×クイズでできているんですねああすごい感心しましたどこかで高校生でも集めてアメリカ目指していればいいんですよそしてニューヨークなんて大した距離でも場所でもないところをエサに参加費と称して高校生共から金を巻き上げていればいいんですよこの劣悪漢め!」

「じゃあおまえは劣悪漢をプロレスに誘っているケツの軽い女だな」

「ケツ!?」

「ケツに反応するなッ!」


 目が尻の形になってるやつなんて初めて見た。


「とにかく俺はプロレスには興味ないから」

「興味あるなしじゃないッスよ。こんな可愛い女の子がデートに誘ってるんじゃないッスか。それを無下にするとは鬼ですね。鬼の所業です。いや鬼畜です家畜ですペットです下僕です奴隷ですなので一緒に行く義務があります!」

「その言葉運びは無理ある。せっかくだが失格」

「むむ、韻を踏んで返すとはツムギもなかなか腕を上げたッスね」

「だろう? 日ごろの努力のたまものだ」

「まあそれはともかく、プロレス一緒にいきましょうよ。べつに嫌いじゃないッスよね?」

「嫌ではない。だが断る」

「そうッスか。だが断る」

「やめろそれは無限ループだ」

「なら一緒に行ってください。まさかプロレスを女子ひとりで行けっていうんじゃないッスよね? ウチはツムギをそんな子に育てた覚えはありません、だってそもそも育ててないですからね。……ほらどうですか、ツッコミを入れる前に自分で言うなんて新しいボケじゃないですかね。これからの上方漫才はこれが主流になっていきますよツッコミ不要の会話術」

「ふつうの会話にツッコミは必要ねえ!」

「とツッコむツムギ。まんまと罠にかかりましたね、ふふふ」

「わざとらしい笑顔をやめろ。澪かおまえは」

「なっ!? どこぞの二重人格と一緒にしないでください!」

「ほんと嫌ってるよな」

「いや間違えないでください! ウチがあの子のことを嫌いなんじゃなくて、あの子がウチのこと嫌いなんスよ! 真であることは偽の否定ですが、偽の否定は真であるわけじゃなんスよ! そこんところ理解しててもらえないッスかね!」

「べつにどうでもいいし。とにかく、俺はプロレスには行かんからな」

「このままウチに家に帰れってことッスか!? ほんと情のない男に育ったッスね!」

「うるせえうるせえ、ほかの誰か誘って行けばいいだろ…………って、いないか」

「おっしゃるとおりッスよ!」

「胸を張って言うな。おまえもかわいそうなやつだな……」


 ま、こいつ友達いねえからなあ。

 憐れんでしまい、思わずつい了承しそうになって――


「あ。そうだ」

 

 いいことを思いついた。というかなぜ気付かなかった。

 ポケットから携帯を取り出すと、電話をかける。

 突発的な行動だったのに、ワンコールもしないうちに電話がとられた。

 受話器の向こうで、澄んだ声が響いた。


『もしもしツムギくん、どうしたの?』

「なあ、おまえ今日ヒマ?」

『え? う、うんもちろん! すべてを差し置いて二十四時間ヒマだよ!』


 言葉の意味はわからないが。ヒマならいい。

 俺は澪=ウィトゲンシュタインに言う。


「じゃあ夕方四時半に、富士ドームでな」

『え? あ、うんわかった! ぜったい行くからね!』


 電話を切り、白々雪に向けて報告。


「ってことで、澪誘っといてやったから。じゃあ俺はゆっくり休日を楽しむからな。そっちも楽しめよ~」


 そそくさと立ち去る俺。

 まあ、白々雪とプロレスデートなんて俺のガラじゃないしキャラでもない。

 それにこれを機に、このやかましい白々雪があのストーカー娘ともっと仲良くなってくれればいい。あいつらはどうにも仲がよろしくない。せっかくの同じ図書委員なんだし、友達をつくるチャンスだと思えばいいんだ。


 だから白々雪……。

 そのめちゃくちゃ嫌そうな顔を、四時半までにどうかしておけ。



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