14話 なのらない
南戸と梔子に連れられて、俺は屋敷の最奥にある武道場のようなところに足を踏み入れた。
広大な敷地の一角に、剣道場のような板張りの床の道場があった。居住区画から長い渡り廊下を歩き、林のように雑木が茂る庭に囲まれたそこは、まるで隠れるようにしてひっそりと建っていた。鉄扉と閂でかたく閉ざされていた道場は、しかし道場とは思えない様相だった。
広さは高校の体育館と同じほどで、天井は高い。
……まあ、それはいい。
しかしたったひとつの看板で、そこがただの道場ではないことがわかった。
古めかしい木の板に、毛筆で力強く書かれた巨大な看板が、道場の壁にかけられていた。
『神はすべてを見ている』
それだけで、この空間が一気に異様になる。鉄の扉も広い道場も、どこかよそよそしく感じてしまった。
「……なんだここ?」
俺は怪しすぎるその雰囲気に、一歩だけ道場に足を踏み入れた状態で訊く。
にやり、と南戸が笑って振り返った。
手を胸にあてて、軽やかに頭を下げる。
「ようこそ、我が神の身許へ」
芝居がかった口調だった。
「どういうことだ?」
「そういうことだ」
南戸はクククと嗤った。
「ここは、かつて宗教団体の本部だった。それと同時に集会場でもあった。だからこんなものが飾ってある」
宗教団体。
良い響きではない。すくなくとも、俺にとっては。
「とはいえ、もうその阿呆の集まりも解散して消滅した。それが去年の話だ」
「そんなに昔の話じゃないのか」
「そりゃそうさ」
南戸はうなずいた。
「なんせ、教祖様が喋れなくなったせいで潰れたようなものだからな」
「……え?」
聴き違いかと思ったが、南戸は道場の真ん中まで歩いていくとそこであぐらをかいて座りこんだ。ちょいちょい、と梔子を手で呼ぶと、梔子は従順に南戸のすぐ隣に座る。そして入り口に立ちすくむ俺を見て、
「キミはアタシと梔子クンの関係が気になっていただろう? 血縁でもないのにこの家に居座っているアタシが何者か。梔子クンを護衛してるわけでもなく、むしろこき使っているアタシが誰なのか。気になっているだろう?」
「ああ……かなり」
俺がうなずくと、南戸はさも楽しそうに笑みを浮かべた。
まるで、秘密の玩具をひけらかすこどものような純粋な笑みで、
「アタシは梔子クンの両親を言いくるめて梔子クンを教祖に祭りあげ、信者どもから金を巻き上げるシステムをつくり、嘘っぱちの宗教団体を創設したここの〝創始者〟だ。キミもアタシが善人だとは思ってなかっただろう? 変なやつだと確信していただろう? そのとおり、アタシは悪人なんだぜ。この梔子屋敷で隠遁している、ただの犯罪者さ!」
南戸は、無邪気に笑っていた。
妙なやつだとは思っていた。最初っから自分を偽称して、本名を明かさず、そのくせこっちの事情はすべて通じている。ストーカー気質の澪よりもあきらかに警戒すべき相手だとは思っていたが……。
「そう堅くなるなよ、久栗クン」
南戸はなぜか嬉しそうだった。
「アタシは詐欺師だ。梔子クンを利用して生きていた傲慢な女さ。価値のないものには目もくれず、頭の悪いやつらを食い物にしてきた。……だが梔子クンの両親が不在のいま、梔子家を維持するための金銭はアタシが出してるんだ。いわば持ちつ持たれつの関係さ。ほとんど記憶のない梔子クンも、それを承知でアタシと過ごしている。だからこそアタシは梔子クンに対しては詐欺師ではないし、共存関係にあることを理解していてもらおうか。だから、久栗クン……そんな敵意の籠もった視線は筋違いだぜ?」
「…………。」
「キミが白々雪クンの一件で、宗教というものの怖さを身に染みつかせたことは、アタシもよくわかっている。お隣の教団がキミの手で壊滅させられたのは記憶に新しい。肝を冷やしたぜ? こんどはウチの神様が殺される番じゃないかってな。……まあ、それは冗談だが、とにかくいまはアタシ個人のことは些細なことだ。それよりも、なぜアタシがこんな自分語りなんて不埒な真似をしたのか、考えてくれないか?」
「……梔子のためか?」
「御名答。なんのためにこんなむさ苦しい部屋にキミを招いたのか、理由はただ一つだぜ。〝梔子クンを神の魔の手から救う〟それだけのためだ。そして梔子クンのためになにかするのは、キミだ。それをプロデュースするアタシのことを知らないままじゃあ、不信感のせいで失敗する可能性があるだろう」
「おまえが悪人だと知って、そのほうが不信感を持たれるとは思わないのか?」
「冗談キツイぜ少年。いつだって人間が最も怖がるのは理解できないことだろ。キミはアタシを理解した。敵意も持った。憎しみも持った。だが、それはある意味信用と同じだろ。アタシの正体を知ったからこそアタシに対して明確な感想を持てる。それはつまり、アタシの言質を信用してもらえたってことだ。ほかに判断材料がないなかで、いまアタシが自分を詐欺師だと言った言葉を、信用したんだろ? なら不信感は消えてるはずだ」
「……。そうかもしれないが、おまえが梔子を利用してるって聴いて、俺がおまえの言うとおりに動くとは限らないぞ」
「いいや、動く」
南戸は断言した。
「キミは冷酷なほど平和主義者だろう。そのためにはなんでもやるだろう? だが方々への知識は少なく、それも自覚している。……梔子クンが神に呪われたと聴かされて、そのために講じる手段を知っているアタシを、キミが利用しないはずはないだろう?」
見透かしたふうに、南戸は笑っていた。
俺は黙った。
……たしかに南戸の言うとおりだった。
俺は梔子に助けられた恩がある。恩を返すためには、南戸の言葉に従うしかない。
「……なら、俺はなにをすればいい?」
「話がはやくて助かるぜ。意外と冷静な判断と強靭な理性を持ちあわせてるようだな、感心感心。……ってことでまずはキミに、梔子クンの身に起こっている現状を把握してもらおう。そのためにこんな道場までわざわざ足を運んでもらったんだ」
と。
南戸は甚平の袖の下から、太いワイヤーのようなものをひっぱりだした。いきなりなんだと思っていたが、それを梔子に手渡す。
すると梔子は、そのワイヤーで南戸の体を縛り始めた。
ぐるぐると自分の体が拘束されていくなかで、南戸は俺に向かってまた笑いかけてきた。
「よく見てろよ、久栗クン。これから梔子クンを、ひとつ呪いが襲う。あと……五秒」
縛られ、床に頬をつけて寝転がる南戸は、
「あと四秒」
「あと三秒」
「あと二秒」
とカウントする。
梔子は後退して、南戸と数メートルほど距離をとった。
「あと一秒」
その瞬間だった。
メキメキメキメキッ!
と、まるで木が軋むような音を立てて、南戸の体が蠢く。体に括りつけられたワイヤーのなかで、むりやり腕を動かす。南戸は決して体格が隆起するほどの筋肉質ではない。むしろスタイル抜群の細身だ。それなのに、顔を伏せてワイヤーをほどこうとする南戸の動きは、本気でワイヤーを引きちぎろうかといわんばかりだった。
俺はつい、倒れている南戸の背中に訊く。
「……南戸? どうした?」
と。
「――オマエ誰ダ?」
ぐるんっ、と、南戸の首が百八十度回ってこっちを向いた。
その顔は、自他共に認める美女のそれから、変色し変形していた。
まるで青鬼だった。鼻が膨らみ、瞼が垂れ、瞳は淀んでいた。額の左右に、わずかに隆起した角のようなものが生えている。ヘドロの中から生まれてきたと言われても納得できるほどの、異様な顔立ちになっていた。
――醜い。
俺はとっさにそう思った。そんな顔になり果てた南戸が、俺をまじまじと眺める。
「……オマエ、誰ダ?」
声は低く、しわがれていた。南戸の高くて甘い声の名残なんてすこしもなく、腹に響く地鳴りのような声で語りかけてくる。
どう答えて良いか、迷った。
「オマエ、誰ダ?」
三度目。おまえこそ誰だ。
そう思って口を開こうとすると、
「――んんっ」
梔子が、俺の口を手で押さえた。かなり小柄なので、背のびをして俺の口元に手を当てていた。その表情はいつもの無表情だったが、言いたいことはわかった。
「……名乗らないほうがいいのか?」
コクン、と梔子はうなずいた。白いジャージのポケットから、手帳を取り出して俺に見せてくる。
『これは、人間の名前を喰らうことで顕現できる神の使い魔。俗にいう〝天使〟』
天使? 俺は南戸の顔を注視する。
青い肌に鬼のような面構え。
こんな醜い天使など、認めたくはないが。
『いまは南戸と名乗っている彼女は、すでに本名を奪われている。名を奪われ、夜の八時になるとこうして体も乗っ取られる。それがこの天使の力』
「……八時になると乗っ取られる?」
『そう。それがこの天使――青蛇』
青蛇。
どうみても鬼のようにしか見えないが、蛇なのか。
青蛇は何度も「オマエ誰ダ?」と訊いてくる。その間にも、ワイヤーの拘束から逃れようとして体を動かしている。だが、南戸の筋力じゃワイヤーが千切れるはずもない。
梔子と同じように、俺も青蛇の様子を黙って見おろしていると、思い出したように梔子が手帳をぱらりとめくった。その紙を俺に見せてくる。
『これが、私に対する呪い』
「……梔子に?」
つい訊き返す。どうみても、これは南戸を祟っているようにしか見えないのだが。
梔子は首を振った。
『青蛇は、もともとは水神――白蛇だったらしいの。でもあるとき仲間の白蛇を殺してしまい、その返り血で青く染まった体を隠すために、人間をも殺して赤い血を浴びた。それが弁天様に見つかって、使い魔に落とされたの。つまり青蛇は〝仲間喰らい〟の呪いの象徴。呪いの青蛇が憑依した人間は、祟りの対象である私を、喰い殺そうとするの』
「……南戸が、梔子を喰い殺す呪い……?」
梔子はうなずいた。
『うん。それが私に対する呪い……〝青蛇〟』
寒気がした。
悶えるような動きでワイヤーから脱出しようとする南戸――青蛇を見おろして、俺は不快な感情を抑えきれなかった。その姿を想像してしまったからだ。バリバリムシャムシャと、梔子の肉を貪り喰う南戸の姿を。
梔子が手帳をぱらりとめくる。
そこには、短くこう書かれていた。
『だから久栗くん。まずはこの青蛇の呪いを祓うために、私と……キスしてくれませんか』




