第十七話 決意の…
時間は数日前に遡る。
ヴィンセントが馬の手綱を握り、覚束ない足取りで傭兵ギルドへと向かっていた。
貨物を背に座る小夜の胸の内側には一つの小さな不安が、確信へと変わりつつあった。
それを紛らわそうと隣りでそわそわとして落ち着かないラミアに声を掛ける。
「ラミア、シンの事が心配?」
「はいっ…シンさんの強さは知ってますけど、その、あの黒衣の女の人から感じた気配は異常ですっ…」
「…異常、か……」
自分の体を抱しめ、顔面蒼白になっているラミアの肩を抱き寄せ、寄り添う。
一定のリズムで肩に置いた手を動かし、安心させようとする。
その行為の何処かに自分を落ち着けようとしている風にも感じるが、それでも、現状は誰かと触れ合っている方がマシだ。
「――まぁ、異常と言えば異常よ。貴方達、一般人からすれば、逸般人」
不意に馬が踏鞴踏み、乗っていたヴィンセントが転がり落ちた。
そして、響く声に、3人の間に戦慄が走った。
小夜とラミアは一斉に荷台から飛出し、距離を置いた。
「あら?折角、荷物を届けに来たのに、随分なご挨拶ね?」
「荷物?一体何の事?」
荷台の上に仁王立ちする黒衣の女――アイン・クセルセスカ。
片手に動かし、手に持っていたモノを投げた。
――ゴロッと地面に転がる、傷だらけのシンだった。
「――ッ!?」 「ヒィッ!?」 「こいつはァ……」
辛うじて息はあるらしく、呻き声が聞こえるが、すでに虫の息のようだ。
「さて、もう逃げられないわよね? オーダーを遂行させてもらうわ」
「……クッ…貴女の目的は何なの!?」
「…まぁ、それくらいなら知る権利はある、か。 『魔女』。貴女の命を貰うわ」
「私…の命……!」
高鳴る胸に手を置き、募る不安がこれだったのか?疑惑に嫌な汗が流れる。
それと同時に、蒼穹から薄暗い声が小夜にだけ聞こえた。
『うふふ……小夜。黒衣の女を殺す程度なら使えるわよ? 黒衣の女を殺すなら油断している今がチャンスよ?』
「…るさい。私は私のやり方で進む!」
「あくまで抵抗する気なの。戦力差が判らないの? それとも、そこに転がっている囮の犠牲を無駄にするつもりなのかしら?」
ギリッと奥歯が軋む音がした。
左手を強く握り、俯く小夜。
常夜の言うとおり今ならアインを殺すことができる…かもしれない。
しかし、チャンスは一瞬で、外せば自分が殺されるかもしれない。
それでも、目の前にボロ雑巾の様になってまで自分のために闘ってくれたシンの仇を取りたい。
無限に続く逡巡の果てに小夜は指を合わせた。
「――はいはーい。通りますよっと!」
「…味方、なの?」
「多分ね。ほら、突っ立ってないで治癒、治癒」
「あ、はいっ!」
桜吹雪の様なピンク色の旋風と共に一人の獣人が、倒れていたシンを担ぎ、小夜とアインの間に舞い降りた。
颯爽と登場した獣人に唖然とした小夜。
ゆっくり地面にシンを下した獣人はラミアを手招きしそう告げた。
「へぇ、貴女も来るとはね…」
「いんやぁ、私は別に懐かしい香りがしたから走って来ただけだよ。まさか、アインとシンが戦ってるとは思わなかったけど?」
「私はオーダーを遂行しているだけよ。だから退いて」
「退いてもいいけど、その代わりにアインのオーダーの依頼者を教えてほしいかな?」
シキが言い終わるや否やサイスを振るおうとしたアインが異変に気付いた。
「んー?気付いちゃったかー。出来るだけ細くしておいたんだけどね」
「当り前よ、こんなきつく縛られたら普通気付くわ。それを拾う時にわざと遠回りしたのはこれを仕掛けるためね」
「そゆことー。真正面からやり合って勝てる相手じゃないからね」
アインの両手足に結ばれた細い鋼鉄網。
それは、シキが仕掛けた罠。
木々に巻き付け、張巡らされていた。
「……まぁ、いいわ」
突然、アインの殺意の籠った顔つきが一転し、余裕を持った柔らかい顔つきになる。
「興醒めよ。邪魔が入るんなら、先にあっちを片付けるまでよ」
「………判った。でもそれを解いたからと言っても罠はそれだけじゃないかもしれないよ?」
シキには判っていた。アインは本当に退くつもりだという事を。
アインは知っていた。罠は鋼鉄網以外何一つ無いという事を。
互いが嘘を吐きあっている事を知りながらも、背を向けた。
そして、元・仲間が何も変わっていない事に安堵する2人。
2人の繋がりはそう易々と解けるものではなかった。
「あ、そうだ。シンが目を覚ましたら、伝言お願い。『また今度、今度こそ本気で殺りあいましょう』って」
「判ったよ。じゃーね、リーダー」
「ええ、また逢えるといいわ」
振り返り、僅かに口許が緩んだアインの儚い笑顔に、シキは悟る。
もう、前みたいにはなれないかな…
空には一点の曇りなく蒼く高く、この一本道を照らしつける太陽。
今なら、間に合いそうと幻想を抱かせる。
それでも、後を追う事はしない。仲間の覚悟を無下にはしない。
「――さて、『魔女』御一行さん?とりあえず、私の家まで来てくれるかな。本格的な治癒を施したいし、ね」
† † †
そして、あの夢を見た。
「ってか、ちゃんと意識はあったんだね」
「まぁな」
正しくは意識があった訳ではない、ただ、感じた。
丁度、今、ティーカップへと注がれているハーブティーと似た香りを。
あんな夢を見たのは、そのせいかもしれない。
「…『開眼』したんだね?隠そうとしても無駄だよ。アインにも感謝しておきなよ、アインなりに助けてくれたんだから」
「…判ってるさ」
「なら、よろしい」
湯気の立つハーブティーをただ味わった。
無言の時間で懐かしむ。
何度、飲んでも変わらぬこのハーブティーを味は、五臓六腑に染み渡り、傷だらけの心身を癒してくれた。
「サヨ達は?」
「サヨちゃん達はギルド登録してオーダー受けてる最中よ。そのうち帰ってくるんじゃないかな?
ま、私は買出し行ってくるから大人しくしてるように」
ピッと指差し、真剣な眼差しで忠告したシキが部屋を出て、家を出て行った。
「……悪いな。大人しくしていられる状況じゃないんだ」
窓際の壁に掛けてある縫い直された自分の蒼いコートを見る限り、シキは判っているのだろう。
忠告など無駄だ、という事を。
「お前は…相変らずだな……いや、俺も、か」
猫の総てを見透かしたかのように振舞いは、シンにとっていくら感謝してもしきれないほど、膨大な恩義だった。
また、甘えてしまう。と心の中で詫びを入れながら、冷えつつあるハーブティーを一気に飲み下し、コートを羽織った。
やるべき事を見据えて。
† † †
ガヤガヤとした喧騒の中、居住区を歩く、1人の青年――シン・マクスウェルは、迷いのない足取りでとある場所を目指していた。
すれ違う住民に後ろ指を指されようが、肩越しにぶつかって来られようがお構いなしにただ、歩く。
居住区の中でも最も治安が悪い裏路地の一角へ辿り着いた。
「……ここも、変わってないか」
『アトロン』と掲げられた看板を吊り下げ、古い趣を感じさせる骨董品屋。
『千塵』の仲間も知らず、当然、小夜達にも判らない場所。
ゆっくりとだが、そのドアを開き、中へ足を踏み入れた。
中は薄暗く、仄かに蒼い燈火が揺らいでいる。
哀愁すら感じさせるその背中は、その中へと消えた。