「燻る想い」
―――トゥルルルル………トゥルルルル………トゥルルルル………
「………う…んう…」
祐輝は電話の音で目を覚ました。気にせずそのまま寝ていたかったが、反射的にベッドから降りてしまったので、祐輝は、受話器を取ることにした。
「…もしもし」
祐輝はいかにも眠そうな声色を発した。
「あ、祐輝君? ひさしぶりね」
相手は柊真実だった。相変わらずな張りのある透き通った声だった。
「…どうしたのですか?」
祐輝は決まり文句的に質問してみた。しかし、寝ぼけ気味の祐輝でも、柊が自分へ電話をしてきた理由はなんとなくわかる。
「やっぱり敬語なのね、同学年なんだから敬語なんて使わなくていいのに」
とりあえず、真実はそこを指摘した。祐輝は、女子には全員敬語という、電波よりの特性がある。しかし、それが照れや緊張などからきているのではないということを、真実は初対面のときから見抜いていた。
「いえ、昔からの癖ですから」
祐輝は苦笑しながらいつもの言いわけを答えた……あの子だけには敬語を使っていないのに…真実はそう思った。
「そう、まぁいいわ。JO(ジュニアオリンピック)への選手登録の申し込み、来週の月曜日までなんだけど………本当に出ないの?」
真実は間をおいて、もしかしたら気が変わってくれるかもしれないという期待を込めて、祐輝へ確認をとった。
「……前にも言いましたが、僕は出る気はありません」
その物言いはやはり寂しげだった。何かを堪えるような、そんな感じだった。
「気が変わらないのなら仕方ないけど、あなたが走るのをやめたって…何も戻らないのよ…」
触れちゃいけない部分なのかもしれない、私がとやかく言っても、拒絶されるだけかもしれない。真実はそう思いながらも、あえて、触れてみた。このままだと、祐輝は、いつまでも自分を責め続けるだろう。だから、真実は触れた。
「…………………」
祐輝は何も言わずに受話器を握り締めている。直立不動で俯きながら。
「祐輝君! 確かにあの事故はあなたの応援へ行く途中で起きた。だけど、梨奈ちゃん達が死んでしまったのは、あなたのせいじゃないわ!」
夏の大会の日、祐輝の母と妹の梨奈と朝日歩美は、祐輝を応援しに車で競技場に向かう途中、大型トラックと
衝突して命を落とした。このことを祐輝が知らされたのは、決勝の後だった。監督には、祐輝のレースが終わるまでは悟らせるなと真実は言われた。その後、監督から、祐輝に事実が伝えられた。そして、この日を境に祐輝は陸上から離れた。…辛かっただろう。想像を絶するくらいに。
なんで祐輝がこんな目に遭わないといけないのと真実は思った。でも、また走ってほしい…祐輝の走る姿が見たい…真実の率直な思いだった。
「………君に…何がわかるのですか?」
祐輝の口調は穏やかなままだが、目は笑っていない。
「何がって…本当はまた走りたいんでしょ?! 今まで、あんなに努力してきたじゃない!」
真実は思わずそう叫んだ。
「……違うんだ、違うんだよ。僕にはもう、走る理由が…意味が、意義が、価値が……見つからないんだよ…」
項垂れるように、独り言のように、言葉を発した。
「見つからない…? 何を言っているの…? 自分のためにじゃないの? 走るために走っていたんじゃないの?」
真実はひどく困惑した。祐輝は、ただ、走ること自体が生きがいだったのではないのか?
「……違いますよ。ただ、自分のためと言えば、そうかもしれませんね。所詮は自己満足ですもんね、ははは」
祐輝は意味深な返答をした。そして、渇いた笑いが電話越しから聞こえた。
「……何を言っているのか、よくわからないわ」
真実は不安だった。祐輝のことならそれなりには理解しているという自負が崩れていく。それと同時に好奇心が湧いてきた。
「わからないのなら、それでいいです。では、さような「待って!!!」
真実は、電話を切ろうとした祐輝を引きとめた。祐輝が感傷的になっている今こそ、祐輝という存在を、本当の意味で知ることが出来る…真実はチャンスだと思った。
「マネージャーとして、あなたの本当の入部理由と休部理由を知っておきたいの。最後の手土産として、教えてくれないかしら」
真実は巧みに問いかけてきた。空はもう真っ暗だ。ひとりぼっちのお月様が都会の眩い光の影をひっそりと照らしている。
「……わかりました。…歩美は、陸上が好きだったんです。特に短距離の純粋なレースで走る選手の姿が…」
ふと祐輝は、自分の部屋に飾ってある、ひとつの写真を見つめた。そして、簡潔に、的確に、理由を述べた。
「!?………」
暫時、表情には出さなかったが、真実は鳩が豆鉄砲をくらったような心境に陥った。しかしその後、真実は、祐輝の答が存外、平凡なのに失望した。真実は、携帯小説のラブストーリーのようなものに憧れを抱くような女子ではない。むしろ、馬鹿みたいと冷笑するような性格の持ち主だ。それで真実は、祐輝の理由に対しても、恋愛ごっこのようなくだらない理由、という評価を抱いた。そう、真実は悪い意味で期待を裏切られた。
「…そうだったの、あなたが朝日さんに気があったのは知っていたけど…そんな理由で…好きな子にもてるために……わかったわ。そんな理由じゃ、11秒をきれなかったのも、天野君に勝てなかったのも仕方ないわね。あははっ」
真実は嘲笑った。それにはがっかりさせられたことに対する嫌悪も込められていた。それと…
「…用が済んだようですね。では、さようなら」
祐輝は何も反論せず、受話器を本体へ置いた。祐輝は壁に掛けてある時計を見た。夜の8時半を過ぎた頃だった。
祐輝はコップに水を注ぎ、一気に飲み干した。それから祐輝は着替えを始めた。白を基準としたランニングウェアに着替え終えた祐輝は、玄関へと歩いた。白と青のランニングシューズを履き、ドアを開けた。
「僕も中途半端だな…」と呟きながら…。
外は、人工の、都会の光がとても眩かった。祐輝は光から逃れるようにゆっくりと走り出した。
燻る想いを抱えながら…―――
次話に続きます。