あなたは世界一綺麗な花嫁
妻が認知症になった。
初めは少しの違和感だった。
コンロの火を消し忘れて煮物を焦がしたり、買い物に出た時に「ティッシュが無かったわよね」と毎回買ってきたり。
家の中はティッシュの箱で溢れた。病院に行ったほうがいいよ、と娘が言った。
歳をとると忘れることが多くなるからな、と言っていた私は、娘が妻を病院に連れて行くのを、いつものように見送った。
病院から帰ってきた妻は、いつも通りだった。異常はなかったかのように、いつものように笑っていた。
だが、そんな妻から告げられた。
「認知症だったわ」
認知症。物忘れの病気。妻が私を忘れてしまう。
頭を鈍器で殴られた衝撃が走った。
何も言わない私を前に、妻は笑っていた。
娘は妻と同居すると言った。実家に帰ってくると言った。
1週間後、娘はアパートの契約を解除し、娘婿と孫と共に荷物をまとめて私達の家に帰ってきた。
妻は「そんなに心配しなくても大丈夫よー」と困った顔をしていたが、また娘と暮らせると、孫に毎日会うことができると喜んでいた。
妻が認知症と診断されてから、私は妻と一緒に出掛けるようになった。妻は「大丈夫よ」と笑っていたけど、私は妻について行った。
だが、毎度妻に付き添うことはできなかった。
妻が行方不明になった。
その日、私は地区の新年会があった。娘と娘婿は仕事に、孫は友達の家に遊びに行っていた。
誰もいない家に、妻は1人だった。1人残された妻は、何を思ったのだろう。
昼前に私が家を出る前に声をかけた時、妻はいつものように笑っていた。笑って「いってらっしゃい」と送り出してくれた。「さあちゃん(妻の友人)が来てたら、よろしく言っておいてね」と笑っていた。
新年会から帰ってきた私は、家に妻がいないと知って呆然とした。
私の後に帰ってきた孫が、娘に電話した。
娘は仕事を早く切り上げて帰ってきた。
私達は妻を探した。
妻の散歩コース。よく行くスーパー。行きつけの美容院。妻のかかりつけ医。
思いつく限り、全てを探した。だが、妻は何処にもいなかった。
1時間探して、私達は1度家に帰った。家に帰った私達は妻に出迎えられた。
妻が、家にいた。近所の長谷さんと一緒に。
1人家に残された妻は、昼食を摂った後昼寝をしたらしい。昼寝から目覚めた妻を待っていたのは、誰もいない空間と、机の上に置かれた私の財布だった。
もともと私と妻はお互いの予定をカレンダーに書く習慣があった。目覚めて誰もいないと知った妻はカレンダーを見たのだろう。そして私が新年会に出かけていることを知った。
家を出る時に、私は新年会だけだからと財布を置いていった。妻にも言ってあった。だが、昼寝から目覚めた妻は、そのことを覚えていなかった。私が家を出る前の事から、妻の記憶は抜け落ちていた。
新年会は毎年地区の公民館で行っている。妻は、私に財布を届けようとしたようだ。
だが、妻が公民館に辿り着いた時、新年会は終わっていた。私は公民館を後にしてしまっていた。私が途中で妻と会っていたらよかったのだが、そうはならなかった。私は妻が歩いて公民館に向かった道とは違う道を車で帰宅していた。
公民館まで辿り着いた妻は新年会が終わっていると知り、自宅に戻ろうとした。だが、道を間違えた。
自宅へ帰ることができず、公民館の周辺を歩いている妻を保護してくれたのが、近所の長谷さんだった。
妻の病気のことを知っていた長谷さんは親切に家まで送ってくれ、私達が帰ってくるまで妻に付き添ってくれていた。
私達は、妻の身に何もなかったことに安堵した。だが、妻は違っていた。
妻の物忘れが激しくなったのは、この時からだったと思う。
ある日、妻は自分の通帳をしまった場所を忘れてしまった。私が場所を教えると、「そんなところにしまった覚えはない。誰かが隠したんだ」と、強い口調で否定された。
私は再び頭を鈍器で殴られた気分になった。あの優しかった妻が、人を疑っている。私は信じることができなかった。
それでも信じざるを得なかった。
昼食を摂った後、10分経って「お昼はまだかしらね」と言ったことがあった。私が「お昼は今食べたよ」と言うと、妻は「食べておりませんとも。全く娘はご飯も用意してくれないのかしら」と娘に対して怒ることが増えた。
夕方になって、大きなカバンに服やらタオルやらを詰め込むと、「実家に帰らせていただきます」と家を出ていこうとすることが増えた。
排泄を失敗して、汚れた服をタンスの中に隠すことが増えた。
「そこに小さい男の子がいる」と、幻覚を見るようになった。
夜中、寝ている時に大きな声を出すことが増えた。
私も、娘夫婦も、限界だった。
あの優しかった妻が、穏やかに微笑んでいた妻が変わってしまった。私達はこの事実を受け容れることができなかった。
妻が骨折したのは、そんな時だった。
歩幅が狭くなり、妻は歩行が安定しない日が増えていた。家の中では杖を使い、手すりにつかまって歩いていたが、廊下を歩いている時、妻は何もないところで躓いて転んだ。うまく受け身をとれずに、そのまま足の骨が折れてしまった。
妻は入院することになった。手術を受け、リハビリをしたが、妻が歩くことはなくなった。車椅子の生活になった。
1か月半入院して、退院することになった。だが、私達は妻を看ることができなかった。
妻は施設に入ることになった。だが、空いている施設がなかった。
私達は妻の介護支援専門員に相談して、いくつかの介護老人保健施設と、短期入所施設を紹介された。妻は3か月ごとに違う介護老人保健施設に行き、申請中は短期入所を利用することになった。
2年近くそんな生活が続いた。たびたび施設を移ることは、私達にも妻にも負担が大きかった。
漸く、施設の空きが出た。妻は短期入所で利用していた施設に入所することになった。
その頃には、妻の病気はかなり進んでいた。
自分で食事を摂ることはなく、しゃべることも滅多になくなっていた。
私達と妻の間に出来た溝も、大きく深くなっていた。
妻が施設に入った後、私はなかなか会いに行くことができなかった。
一月近く経って、私は娘に連れられて妻に会いに行った。
久しぶりに会った妻は、私のことを覚えていないようだった。初めて妻が認知症だと知った時ほど、私は衝撃を受けなかった。遂にその時が来たのか、と感じただけで、私は対してショックを受けなかった。
60年以上連れ添って、私の妻への愛は知らず知らずのうちに冷めていたのだと考えが過り、そちらにショックを受けていた。
だが、この日から、私は度々妻に会いに行くようになった。会いに行けるようになった。
1度会いに行ったことで、足が軽くなっていたのかもしれない。まだ少しばかり、私の妻への愛は温もりを持っていたのかもしれない。この時はそう思っていた。
私は週に1度、毎週火曜日の午後に、時間を作って妻に会いに行くようになった。
毎日行けるなら行っていたかもしれない。だが、この時には私も身体を悪くして週に1度しか行くことができなかった。
妻と会い、私はポツリポツリと、最近のこと、昔のこと、子供や孫のことを話した。
妻はいつもニコニコして私をじっと見ていた。
ある日、私は妻が昔から好きだった行きつけの和菓子屋、福寿堂のどら焼きを持って行った。その和菓子屋が、年内に店を畳むと聞いたからだった。
食べれなければ仕方が無い。でも、食べることができるのなら、食べられなくなる前に食べさせてあげたい。
職員の方に聞く時、私の手はずっと湿っていた。
「大丈夫です、食べられますよ!——さん、時々福寿堂の話をしてくださるんです!どら焼きが1番おいしいって」
そうなのか、と思った。
妻は福寿堂のことを覚えているのか。まだ喋ることができるのか。
長い間、60年以上もの間、私と妻は共にあった。それは私にとって当然のことだった。当たり前のことだった。だが、今私は妻と共にいない。今の妻を、私は知らない。
「——さん、今日は調子がいいですよ」
調子がいいとはどう言うことなのか、私は問いかけなかった。そうですかと、いつもありがとうございますと、ただそれだけ言って頭を下げた。
妻の部屋へ向かい、私は車椅子に座る妻に話しかけた。いつものように、初めましてと言うように、「こんにちは」と声をかけた。
「あ、昭仁さん」
妻はニコニコ笑っていた。妻の瞳には、驚きに目を瞠る私が映っていた。
妻が、私の名前を呼んだ。
施設に入ってから、幾つもの施設を転々とするようになってから、足の骨を折ってから、行方不明になったあの日から、認知症と診断されてから。いつから妻は私の名前を呼ばなくなったか覚えていない。もっとずっと前からだったかもしれない。
妻は私を忘れてしまったと思っていた。いつもニコニコ笑って、私が来る時も、帰る時も、変わらず笑って、時々私の話に頷いている妻は、私のことを覚えていないのだと思っていた。
妻が、私の名前を呼んだ。
気づけば、私の両目から温かいものが流れていた。
妻は、私を覚えていた。
私の妻への愛は冷えてしまったと思っていた。
そうではなかった。
私の妻への愛は、温度がわからないほどに私の中で当たり前に存在して、大きくなっていた。
きっと妻も同じ。
私と妻はずっと共にあった。それが当たり前だと思っていた。
そうではなかった。
私の隣に妻がいたのは、妻がずっと私に寄り添ってくれていたからだ。
それは今も変わらない。私の隣には、私の中にはいつも妻がいる。
そして、妻の中にも私がいる。
妻は私のことを忘れてなどいなかった。
施設に入ってからも、幾つもの施設を転々とするようになってからも、足の骨を折ってからも、行方不明になったあの日からも、認知症と診断された日からも、妻は変わらない。妻はずっと妻のままだ。
みっともなく涙を流す私を、妻はニコニコ笑って見ていた。
妻は横になっている時間が多くなった。
近頃はご飯もあまり食べられないと言う。
妻が私の名前を呼んだあの日から、妻には食べられないものが増えた。あのどら焼きも、もう食べることができない。
少しでも何か食べることができればと職員の方に聞くと、「プリンかアイスなら」と言われた。
私は妻がよく食べていた抹茶アイスと、妻が好きだと言っていたプリンを持って行くようになった。
会いに行っても、妻は私のことを分かっていないようだった。
でも、「調子がいい日」もあった。
ある日、私がいつものように妻に会いに行くと、職員の方が嬉しそうに話してくれた。
「今日はお昼ご飯を半分も食べられたんですよ!それに「おいしいねえ」って言ってくださったんです!」
その後、私を見た妻はいつもと変わらないように見えた。
でも、私が妻に「ご飯はおいしかったかい?」と聞くと、妻が「おいしいわよお」と言って笑っていた。
それからこんな日もあった。
いつものように私が会いに行くと、横になっていると思っていた妻が起きて車椅子に座っていた。
「今日は体調がいいんです」
職員の方が妻の体調を見て車椅子に座らせてくれていた。
元気そうな妻を見て、私は涙が滲みそうになった。
そんな私を見る妻は、いつものようにニコニコ笑っていた。
だが、それが長く続くことはない。
日に日に妻の状態は落ちて行った。
私が会いに行っても寝ている時間が長くなった。
ご飯を食べれなくなり、水を飲むことすらできなくなった。
施設の看護師さんから「もってあと数日でしょう」と言われた。旅立ちの衣装を用意するように言われた。
家に帰って、私は娘と押し入れの中を探した。
漸く見つけたそれは、私が知る60年前から全く変わっていなかった。
若い頃妻がよく着ていたワンピース。子供が生まれてからは着なくなっていた妻のワンピース。
真っ白なワンピースは、妻が私と出掛ける時に毎回着ていたお気に入りのワンピースだ。
子供が生まれてからは「恥ずかしいから」と着なくなっていた。でも、私が記憶する中で、このワンピースは妻の1番のお気に入りだ。
ワンピースを持って、私は娘と娘婿と孫と共に妻に会いに行った。
その日、妻は起きていた。声を出すことはなかったが、私達を見た妻は目を丸くした。そしていつものように笑った。
妻にワンピースを見せると、妻の口が動いた。声は出なかったが、私は妻がなんと言ったのか分かった。
その日の晩、娘は妻に付き添って施設に泊まった。
次の日、朝ごはんを食べている私に、娘から連絡が入った。
「お母さんの様子が変わったから来て欲しい」
私は急いで支度を整え、妻のもとに駆けつけた。
昨日は落ち着いていた呼吸が、その影をなくしていた。
徐々にその時が近くなっていると、私達は感じていた。
娘は妻の左手を、私は妻の右手を両手で包み込んだ。
既に妻の目は私を映さなくなっていた。
それでも妻は私の手を弱々しくも握っていた。私には妻が私の手を握っているように感じた。
ツ、と妻の目から光の筋が溢れた。
苦しいよね、辛いよね。妻の左手を握る娘の目が潤んでいた。
私は一層手に力を込めて、それでもガラス細工を扱うように優しく妻の手を握りしめた。
弱々しくも上がっていた妻の瞼が下がってくる。
私の目に溜まっていた雫が頬を濡らす。
ポ、と小さな妻の手を、私の涙が湿らす。
窓から差し込む光が、私達を優しく見守っていた。穏やかな日の光は、にこにこ笑う妻のようだった。
※
「最近、あのワンピースを着ていないね」
「あのワンピース?」
妻の腕の中で眠る娘を眺めていた私は、自分の口から出た言葉に驚いた。
妻にはお気に入りのワンピースがある。結婚する前によく着ていた真っ白なワンピースが。裾には繊細な花の刺繍が咲くワンピースが。
「ほら、よく旅行に行く時に着ていただろう」
私と出かける時にいつも着ていたワンピース。
そのワンピースを着た妻を、最近見ていない。
「ああ、あれ。そうねぇ、また昭仁さんと2人で旅行に行くことがあれば着ようかしら」
「そうかい」
今、私の目の前にいる妻は、そのお気に入りの白いワンピースを着ている。
60年ぶりに、妻はそのワンピースを着ている。
「お母さん、こんなワンピース持ってたんだね」
妻の眉を整える娘が、知らなかったと呟く。
「結婚前にはよく着ていたよ。お前が生まれてからは着なかったからね」
結局、子育てだ仕事だと忙しくなり、2人で旅行に行くことはできなかった。
娘が社会人になり、また2人で旅行に行くようになってからは「もうしわだらけのおばちゃんじゃない。恥ずかしいわあ」と言って着ることはなかった。
「そっか」
眉を整えた娘は、職員の方からパレットを受け取って肌を綺麗にしていく。
「はい、お父さん」
ファンデーションを、パウダーを塗り、眉を描いてチークを塗った娘が、私にパレットを渡してくる。最後のリップを残して。
「私がやっていいのかい?」
私は生まれてこの方化粧などしたことがない。そのまま娘がやった方がいいのではないか。
「お父さんがやらないで誰がやるの」
だが、娘は私の手にパレットを握らせた。
パレットには、オレンジベースのものと赤色ベースのものがある。
私は赤色を選び、震える指先がブレないように、慎重に妻の唇に乗せた。
ゴム手袋越しに妻の唇の柔らかさが伝わってくる。
仄かに赤く色付いた唇が、白い肌に映える。
「綺麗……」
娘の声か、職員の方の声か、はたまた私の声だったのか分からない。
室内の全ての目を受け止めて、ベッドに横たわる妻は穏やかに笑っていた。
「お母さん、綺麗だねえ」
白い肌と、穏やかな微笑み。
どこまでも目を引く美しい姿は、まるで花嫁のよう。
君は、世界で一番綺麗な花嫁だ。




