第8章 かめと語るふたつの正しさ
森の奥に差し掛かる小道の先で、うさぎはふと足を止めた。風に乗って聞こえる、懐かしい足音。どこかで聞いたことのある、あの静かな、一定のリズム。
「……かめ?」
姿を現したのは、確かにかめだった。草を踏みしめるたびに、丁寧に、一歩一歩を積み重ねて進んでいる。
二人は、言葉を交わさぬまま、しばらくその距離を見つめ合っていた。気まずさも、懐かしさも、全部含めて。
先に口を開いたのは、うさぎだった。
「久しぶりだな。……元気だった?」
かめは、ゆっくりとうなずく。
「まあ、ね。きみは?」
「うん……いろいろ考えてた。」
ぽつりぽつりと、言葉が落ちていく。話したいことはたくさんあるのに、うまく言葉にならない。
沈黙を破ったのは、かめのほうだった。
「……ねずみが、謝ってきたよ。ぼくが、倒れている君を無視したって責めたことを。」
うさぎは驚いたように目を見開き、そして少し俯いた。
「……寝てただけなんだ。けど、あのとき、体が重くて。何で走ってるのか、わからなくなって。」
かめは黙って、うなずいた。
「ぼくも、正直迷ってた。君に声をかけるべきかどうか。でも、止まったら……勝てないかもしれないって思ってしまった。」
うさぎはその言葉を聞いて、口元をゆがめるように笑った。
「結局、ぼくらふたりとも、自分のことで精一杯だったんだな。」
しばらくの沈黙のあと、うさぎが言った。
「でもさ、あのとき、かめは迷いながらも、前に進んだんだろ? それって……すごいと思うよ。俺は、走るのやめた。自分の速さだけにしがみついてて、それが揺らいだら、動けなくなった。」
かめはゆっくりと顔を上げる。
「でも、ぼくも悩んでた。勝ったのに、何かを置いてきたような気がして。……君と、ちゃんと走りたかったんだ。」
「正々堂々とな。」
うさぎの声は、少しだけ強くなった。
「俺、また走りたい。今度はちゃんと、自分のために。そして、君とちゃんと向き合って。」
かめは驚いたように目を見開いたが、すぐに目を細めて微笑んだ。
「それなら、きっと意味がある。」
二人は並んで歩き出す。かつては「競争」の中でしか見えなかった互いの姿が、今では少し違って見える。
速さの正しさも、遅さの正しさもある。どちらか一方だけではなく、それぞれがそれぞれの「道」を持っているのだと、二人は少しずつ実感し始めていた。