第11章 障害物レース、開幕
スタートの合図とともに、うさぎは弾かれたように飛び出した。第一関門――見晴らしの良い丘を駆け上がるのは、彼の得意分野だ。
軽やかな足取り、風を切る音。まるで草原と一体になったかのように、うさぎは走った。
だが、今回の彼は違った。かつてのように「誰かより速く走る」ことではなく、「自分がどう走りたいか」を見つめていた。
「亀は、どこにいるだろうか?」
ちらりと後ろを振り返りそうになるのを、うさぎは首を振ってこらえた。今は前を見て、自分の道を走ることだけに集中する。それが、自分にとっての「正々堂々」だ。
丘を越えると、目の前に広がるのは第二関門――ゆるやかに流れる川だった。
うさぎはこの川が苦手だった。水に足を取られる感覚が好きではないし、泳ぎにも自信がない。けれど、止まるわけにはいかない。すでに丘を越えた頃には、かめの姿は後方に見えなくなっていた。
「ここを越えれば、あとは森だ。なんとか飛び石を渡って……!」
ひとつ、ふたつ、うさぎは勢いよく石を飛び越えた。だが三つ目に足を置いた瞬間、苔に滑って足を踏み外し、そのまま川に落ちた。
「うわっ……!」
水の中に投げ出された体は、流れに逆らえず、ぐんと下流へ押し流されていく。
もがきながら水面に顔を出すと、視界の端に見慣れた甲羅が飛び込んできた。
「……かめ?」
「しっかりつかまって!」
声が聞こえたと思った次の瞬間、水を切って近づいてきたかめが、うさぎの手を取った。
ずぶ濡れのまま、なんとか岸に引き上げられたうさぎは、しばらく呼吸を整えた。息は上がり、体は冷えきっていたが、不思議と心は落ち着いていた。
「……ありがとな」
ぽつりと漏れた言葉に、かめは少しだけ笑ってうなずいた。
「レースの途中でも、困っている誰かがいたら助けるよ。それが“正々堂々”ってことじゃないかな」
うさぎは、かめの言葉を黙って受け止めた。何かを言い返す必要もなかった。ただ、その言葉が胸に残った。
やがてふたりは、また歩き始める。次に待ち構えるのは、第三の関門――ぬかるんだ森。だが今、ふたりの間にはかつてとは違う静かな空気が流れていた。
それぞれの道を、それぞれの歩幅で。
その道の途中で、助け合うこともある。
それを、負けだと思う必要はないのだと――うさぎは、初めて気づきかけていた。




