運命の出会い
登場人物
エリアス・アルドレッド:異世界の大賢者、魔法使いの老人。見知らぬ世界に転移した。
どのくらい歩いただろうか? すでに繁華街の賑わいは遠くなり、今は人気のない夜の住宅街にいた。エリアスは見知らぬ場所――といってもこの世界そのものを彼は知らないのだが――でこの後どう行動すべきかを悩んでいた。
その住宅地は比較的大きな邸宅が並んでいて、明かりの漏れている庭付きの一軒家が広がる。区画整理されて拡幅された道路には、ときおり自動車が爆速で通りすぎるだけだった。広い歩道は他に歩く人影もなくエリアスを孤独な気分にさせていた。
「誰かがいれば、ここがどこか聞けるのに……」
そんな独り言が思わず口をついて出てしまう。
そうしてエリアスがトボトボと歩いていたその時、突然、エリアスの背後でトラックのクラクションが鋭く響いた。エリアスが驚いて音の方を見ると、道の真ん中に小さなネコが怯えた様子で座り込んでいる様子が見えた。トラックは止まりきらず、ネコに向かって迫っていく。
「危ない!」
エリアスは反射的にネコを救おうと走り出した。
急ブレーキの音がエリアスに近づく。
ギリギリのタイミングでネコを抱きかかえる。
そのまま勢いを殺さず、滑り込むようにして道路反対側の歩道へとエリアスは飛び込んだ。トラックは間一髪でエリアスたちを避け、通り過ぎていった。タイル張りの歩道に転がったエリアスの手や足、そして顔面にも、酷い擦過傷ができていた。だが、彼女はネコをしっかりと守り抜くことができた。
しかし、エリアスの腕の中で怯えていたネコは、次の瞬間、元気に飛び出していき、何事もなかったかのようにその場から走り去っていった。
非情?
いやたくましいと言うべきか。
エリアスはこの世界に来てから始めて笑みを浮かべた。
「大丈夫……?」
エリアスがネコの去っていく姿を見送りながら、自分の身体の痛みを感じ始めたその時。彼女の横にひとりの少年が駆け寄ってきた。少年はエリアスの無事を確認し、驚いた様子で彼女の顔を見つめた。
「危なかったね……危うく異世界転生するんじゃないかと焦ったよ」
少年が冗談めかして軽口を叩いた瞬間、エリアスの目が驚きに見開かれた。
「……転生? 異世界……?」
彼女の呟きは、どこか遠い記憶を呼び起こす鍵となったようだ。エリアスは自分が聞いた言葉に心が揺さぶられ、胸の奥がざわめいた。
少年はエリアスの反応を見て、軽口が過ぎたことに気づいた。まだ名前も知らない少女に言うべき事ではなかった。彼女を不安にさせてしまったのではないかと焦り、すぐに謝罪の言葉を口にした。
「ごめん、変なこと言って。空気読めてなかった。君、怪我は大丈夫?」
確かに、傷は大きく痛い。しかし、彼女の元の人生ではよくある怪我にすぎなかった。。
エリアスは少年の言葉に少しだけ微笑みを返すと、すり下ろしたよう傷で痛む両腕を持ち上げた。
「これくらい……」
彼女が両手を掲げて歌うように呪文を唱える。その瞬間、彼女の身体から柔らかな光が溢れ、全身の擦り傷が見る見るうちに癒えていった。エリアスがそのまま静かに手を下ろすと彼女自身の傷はすっかり消えていた。
少年はその光景を目の当たりにし、驚きで言葉を失った。ぱくぱくと口を開いたり閉じたりしているが、言葉を発することができない。それでも目の前の少女が普通の人間ではないことは理解できた。少年は慎重に言葉を選びながら再び彼女に話しかけた。
「君……ただ者じゃないね?」
エリアスはその言葉に戸惑いつつも、答えた。
「そうかもしれない」
「君の名前は?」
エリアス……そう答えようとして、彼女の中に不思議な逡巡があった。なぜか、別の名前を言わなければいけない、そんな気がしたのだ。
彼は、心の中からわき上がってきた名前を言った。
「……私は、エリカ。あなたは?」
「俺は、鈴樹大輔。よろしく、エリカさん」
ふたりが名乗り合った瞬間、エリアスの中で何かが変わった……。魔術には「真名」という概念があるという。それは、名前が本質を現すという思想だ。彼女は「エリカ」――そう名乗った。その瞬間に、彼女の本質は書き換えられたのかもしれない。それともすでに本質は変化していたのだろうか……。
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