職安編
職安へいきます。
退職を伝えて三週間ほど、何もする気が起きずただただ過ごしていた。怒りがあるとか悲しいなどの感情はなく、ただただやる気というか生きる気というものが無いという期間だったと思う。活動をしていない為か二日か三日に一度の食事で大丈夫だった。しかし活動に栄養が必要なくとも生命維持には栄養が必要な様で体の変化は手に出てきた。爪がもろく感じぶつけた様なへこみが目立ちだし、さらに指にかゆみが出てきた。指先にやけどの様な水ぶくれができ、そこから脱皮のように皮膚が崩れだした。これは拒食時期が三週間ほどでの症状だった。
この間行ったことは職業安定所と市役所に退職の為の申請に行ったことだけである。
職業安定所。ここでは雇用保険に伴う申請である。申請方法や手順などは調べれば皆が知ることが出来ると思うが、初体験の私の感想は「化石の役所仕事」であった。二重三重に同じ内容を書く書類にローテクな書類管理、前職建築業も申請書類の多さにうんざりする物であったが似た印象をもった。ただこの文章は役所仕事を批判する物ではない為、この稀有であろう私の相談内容についての話をする。
もろもろの申請の中に職員との面談のような時間があった。いわゆる職員と私で確認を取りながら書類に記入する物であった。この中で「前職の退職理由は会社都合か、自主都合か」というものがあり私はただ事実を述べた。「転職の際、先方に雇用契約上の不備があった為5回の出勤で退職しました。これはどちら都合か」という内容を尋ねた時、今まで音声アナウンスの様に定型文を話す職員が固まり「…え、少しお待ちください」と初めて人間らしい対応と表情を頂けた。五分ほど事務所の奥に引っ込んだ、おそらく上司か年長者に相談にいったのだろう。戻ってきた職員は少し困ったような様な雰囲気になっていた。
「ええっとですね。雇用保険の申請には保険の加入期間での話ですので、今回の場合は前職の退職理由になりますね」
「転職にともなう退職って事ですか、それってどっちになるんでしょう」
「自己都合になりますね…」
「前職の退職が会社都合ではないからって事ですか」
「…そうなりますね」
職員は少し言葉を選ぶ様な話し方なので、おそらくここで怒鳴ったり不服を申し立てる人間が少なからずいると察する。ここで問題なのが会社都合と自己都合で雇用保険の支給金の支払い時期が違うことなのだろう。ざっくり説明すると会社都合の場合は即時、自己都合の場合は2か月ほどの待機期間を設けての支給である。この時期の私は先述した生きる気が希薄な状態だったので、大変聞き分けが良かった。
「分かりました、それで申請をお願いします」
そのままスムーズに申請を行い最後に何か質問があるかと聞かれたので色々と質問をしてみた。
「さっき雇用契約上の不備の話したんですが職安ではそういう事ってあるんですか」
「…ありますが指導を行います」
「やっぱりあるんですね。職安所が斡旋した場合で今回みたいな事があっても自己都合なんですかね」
「あまり前例がありませんので」
「指導って民間の職業斡旋にも行うんですか」
「そうなったら労働基準監督署の対応になるとおもいます」
割と根ほり葉ほり聞くのが業務の妨げになる様だったのでその日は退散した。支給は10月になったがその頃には愉快な状況になっていたのでまた文字に起こそうと思う。
後日、市役所には年金や保険の相談に行ったのだが、ここの話はとてもシンプルである。早い話「払ってください」の一点張りである。
担当者へ現在の状況を話すと「分かりました」と奥に消え一通の書類をもって「現在の状況ですと〇〇円の金額で納めて頂く事になります」と。
「いや、それが払えるか分からないので相談に来たんですが」
「そうは言ってもですね」
「免除とか要項とかないんですか」
「ホームページなどでお知らせはしているので、そこを確認していただければ」
ここで、なるほど松本清氏はずいぶんと市民目線な市長だったのだなと現在の状況への思考を脳が拒否した。現在マイナンバーカードにてそういった役所への申請は自宅のパソコンやスマートフォンにて行えるがそれが無い時代は、さぞ市民の負の感情を育てていた事と思う。
諸々の申請や拒食症状、さらには不要と思い車を売却したことで金銭の余裕ができた。8月も半ばであったが年が明けるまで何もしたくないと私は決心していた。
しかし9月。退職した会社から給与の入金がない事で私は労働基準監督署と弁護士の所へ足しげく通う事になるのだった。