弱者おじさんのリアルタイム社会批判
「契約書、そんな物は無いよ」
半笑いの店長の言葉に、人生で初めて「コイツは何を言ってんだ」を真面目に思った。
事は7月初旬、私は転職の為風俗店に面接に来ていた。求人情報サイトから連絡し、流れる様に面接日が決まり、滞りなく採用が決まった。正社員登用、完全週休2日の30万という内容だった。その他諸々の手当などの説明もあったが明確な金額の説明は無かったが、そもそもの期待はなかったのでそれで了承した。
そもそも「なぜ風俗店なんかに」と思われただろうが、簡単な話早急にお金が必要だったからである。
これまでの来歴を説明する。建築会社に7年間ほど勤めた。年々裁量と業務が増え、また働き方改革などで実務時間は減るが業務は減らない、むしろ諸悪のソレを上司が実現する為に上司の仕事が流れてくる始末だった。業務を改善し余白を作ってもそこに新たな業務が埋まる、有給も消化できず残業時間で詰められる日々が3年ほど続き退職した。田舎に逃げた私は畜産会社で働いた、「畜産業なんて」と思われそうだが私には性に合っていた。決まった時間に決まった作業をし、空いた時間でちょっとした雑務をこなす。前職には無いのんびり出来た期間だった。
しかし、現実は甘くなくみるみる貯金が減っていた。給料が半分になった事もだが、趣味で売っていたアクセサリー販売の売り上げが減った事も原因だった。切り詰めれば生活が出来るという現状を打開する為、採用が容易い職に就きその間で更に転職を行おうと思った。その一歩目が風俗店だった。
はじめは畜産会社の休みの日に研修の形で出勤した。その間はアルバイト扱い、8月からの社員との話だった。業務自体は簡単なもので接客と備品補充、清算業務や店内の清掃で来客が無ければ畜産業とはまた別口ののんびりした時間だった。
そして社員にもなりアルバイト含め通算5回目の出勤時にあのセリフが吐かれた。
基本的な業務もあらかた教えてもらい後は慣れていくだけ、緊張も少しほぐれた気がした。ある種の先の余裕が出来たので面倒事はやれる時にやろうと休憩が一緒になった店長に尋ねる。
「あの、保険とかの申請があると思うのですが必要な書類があれば教えてほしいです。明日は休みなので役所にも行けますし」
「んー。大丈夫大丈夫。要らないよ」
「そうなんですか。雇用契約書とかそうゆうのは」
「そんな物ないよ、業務委託だもん」
「…そうなんですか」
なに食わぬ顔で煙草を吸いながら言う店長にそれが本気の発言なのを察し、深く追求せず別の話題を振ってその日の業務を終わらせた。帰宅中、その発言による不利益を想像し心がざわついた。契約書がない、業務委託だから、給料は提示通り貰えるのか、保険はどうなるのか、そもそも面接と言っている事と違うじゃないか。深夜2時に帰宅した私はこの疑問を調べる事にした。
そもそも正社員と業務委託では契約形態が違うという事。前者は企業と正社員が直接締結する契約で後者は仕事を完成させる義務を負う契約らしい。「正社員は会社が労働者を部下にする契約」で「業務委託は会社が契約者に仕事を手伝ってもらう契約」というイメージを受けた。この違いは後の労働基準監督署での話で面倒が起こるので覚えておいてほしい。
正社員と業務委託で契約書が必要ない事も調べる。正社員では労働条件通知書の交付が義務のようだ、明示が必要な事項もあり30万以下の罰金刑。業務委託に関しては契約書を作った方がいいよという情報しかなく契約書の交付義務が無いようだった。ただ「それ委託契約じゃなくて労働契約だよね」という業務委託契約の場合は違法になるみたいだった。この仕事の様に労働時間も業務も定められている仕事は明らかに労働契約になる。
少しダーティーな仕事だとは思っていたが、少しどころではない。つまりこの会社は会社の気分で労働者を扱うよと言っている様なものである。私はこれは自分自身の失敗だと諫め、会社に退職する旨を伝えた。すでに店長と直で話す事に嫌悪感があった事と、文章として残した方が良いと思いSMSにて連絡をした。
『誠に勝手ながら退職させて頂きたいと思います。貸与品は御社へ郵送いたします。ご理解をよろしくお願いいたします』
割とすぐに返信がありその内容もサッパリしていた。
『かしこまりました。7月労働分は8月に、8月労働分は9月に振込みます。今後のご清祥を心より祈念いたしております』
何かしらの罵倒をもらうと思っていたが肩透かしだった。これからハロワ通いかとうんざりした気分だったが、これからの面倒事を思えばまだ呑気な気持ちだったのだと思う。