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「担任の井上です。よろしくね、穂高さん」
翌日あたしは、前の学校の制服を着て学校へ行った。学校までは糸ちゃんが車で送ってくれた。
帰りも迎えにきてくれると言われたけれど、「帰りは大丈夫。ひとりで帰る」と言って断った。
糸ちゃんはあたしが面倒をかけたせいで、アクセサリー作りの仕事がだいぶ遅れてしまったようだから、これ以上迷惑はかけたくなかったのだ。
担任はすごく優しそうな、若い女の先生だった。
転校初日に学校をサボったことについては、何も言われなかった。
新しい生活に慣れるまでゆっくり見守って欲しいと、糸ちゃんが先生にお願いしてくれたらしい。
教室に行き、みんなの前で挨拶をした。何度やっても緊張して、あたしはみんなから目をそらし続けた。
休み時間になると女の子たちがあたしの席に集まって、話しかけてくれた。
優しくて親切そうな人たち。だけどあたしは一言二言返事をするだけで、ずっとうつむいていた。
そうしているうちに「つまらない子」と思われて、あたしの周りには人が寄り付かなくなる。
それでいいのだ。今までもずっとそうやってきた。
友だちなんていらない。仲良くなっても、あたしがあのお兄ちゃんの妹だとわかると、みんな怖がって離れていく。
当たり前だ。あたしだって人殺しの妹が同じクラスにいたら、その子がどんなにいい人でも、気持ち悪くて寄り付かないだろう。
だけど……授業中、ぼんやり黒板の文字を眺めながら思い出す。
前の学校にいた『絵里ちゃん』は、あたしの唯一の友だちだった。
絵里ちゃんはおとなしい子でクラスに友だちがいなかったせいか、あたしと仲良くしてくれた。
あたしも絵里ちゃんの前では、素直になれていたんだと思う。
放課後誰もいない教室で、絵里ちゃんとおしゃべりをするのが好きだった。
下校時刻までの、そのわずかな時間だけは、あたしも普通の中学生でいられる気がした。
絵里ちゃんはいつも、「この町にハンバーガーショップがあればいいのにね。そしたら学校帰りにふたりで寄って、もっとたくさんおしゃべりできるのに」と夢見るように言っていた。
だけど彼女の耳にも、あたしのお兄ちゃんの噂が伝わってしまった。
「ごめんね。つぐみちゃん」
引っ越すことになったあたしに、絵里ちゃんはそれだけ言った。
あたしを責めることも、怖がることもしなかったけど、「これからも友だちだよ」とは言ってくれなかった。
そしてあたしもそんなことは言えなかった。
絵里ちゃんはどうしているだろう。授業の終わりのチャイムを聞きながら考える。
あたしのことなんか、忘れてくれているといい。そして絵里ちゃんに、新しい友だちができていればいい。
ひとりで帰る支度をしながら、あたしはそう思った。
「おかえり。学校どうだった?」
カラスの散らかしたゴミ置き場の脇を通って家に帰ると、糸ちゃんが仕事場から顔を出して聞いた。
糸ちゃんは今日一日ここで、アクセサリー作りをする予定だと今朝言っていた。
「うん……まあまあ」
あたしの微妙な答えに、糸ちゃんは笑ってうなずく。
「そう。ならよかった。あ、そうそう、今日わたし聴いてみたんだよ」
糸ちゃんはスマホを持って部屋から出てくる。なんだかすごく嬉しそうだ。
「何を?」
「つぐみちゃんの好きな、レイジって人の歌」
「え、聴いたの?」
「うん。わりとよかった」
糸ちゃんはいたずらっぽく笑ってから言う。
「この人もう活動してないの?」
「五年前にバンド解散してから行方不明なんだって」
「へぇ。でもそんなバンド、つぐみちゃんどこで知ったの? テレビとか出てた? わたし全然知らなかったんだけど」
あたしは言葉を詰まらせた。あたしがレイジの歌を好きになったのは――お兄ちゃんの好きだった歌だからだ。
五年前、お兄ちゃんはこのバンドの歌をよく聴いていた。
「あたしにも聴かせて」と言うと「小学生にはまだ早いよ」なんて言いながら、イヤホンの片方をあたしの耳につけてくれた。
レイジの歌を聴いているあたしは、なんだか少しだけ大人になったような気がして、お兄ちゃんに近づけたみたいですごく嬉しかった。
「たまたま……知っただけ」
あたしはそう答えて、糸ちゃんに背中を向ける。糸ちゃんは黙ってあたしを見ている。
「今日の食事当番あたしだよね。今支度する」
部屋に入ってドアを閉めた。そして深く息を吐き出す。
レイジの曲をあたしに教えてくれたあと、お兄ちゃんは事件を起こした。
優しかったお兄ちゃんが、学校で友だちにナイフの刃を向けたのだ。
刺された人は亡くなって、お兄ちゃんは警察に逮捕された。
中学生だったお兄ちゃんの名前は報道されなかったけど、ネットではすぐにバレて拡散された。
家族の名前やお父さんの会社やあたしの学校まで。
そんな恐ろしいことをしたお兄ちゃんの好きなものを、あたしはまだ好きでいる。
きっとあたしはどこかおかしい。