3-2
ハンバーガーショップを出たあと、駅前のデッキの上を歩いた。
空はまだ明るくて、昨日と同じ場所なのに、なんだか全く別の場所のようにも思えた。
平日の昼間でも、ここは人通りが多い。
こんなにたくさんの人たちは、どこから来てどこへ行くのか。考えるだけで、めまいがしそうだ。
あたしは立ち止まり、花壇のほうを見た。
今日もそこには何人かの人が、座って誰かを待っていた。
だけどそこにあの人の姿は見えない。もちろんあの歌声も聞こえない。
「つぐみちゃん? どうかした?」
少し先で立ち止まった糸ちゃんが振り返る。
あたしは首を横に振って、糸ちゃんに駆け寄ろうとした、その時だった。
「え?」
誰かがあたしの肩を叩いた。振り向いたらそこに男の人が立っていた。
黒いモッズコートに赤い髪。背中にはギターケースを背負っている。
昨日の人だ。その人はあたしの前に手を差し出す。
「これ。落とさなかった?」
「あ……」
手の上にあるのはイヤホンだった。あたしが落とした白いイヤホン。
「あたしの……です」
目の前に立つ人が、ほんの少し口元をゆるめた。
そしてあたしの手をつかむと、手のひらにイヤホンをのせて握らせた。
「じゃあ」
ギターを背負った背中があたしの前から去っていく。あたしは呆然としたままそれを見送る。
「誰なの? 知ってる子?」
駆け寄ってきた糸ちゃんに聞かれた。あたしは人ごみの中に消えていく背中を見送りながら答える。
「ううん……知らない人」
ゆっくりと手のひらを広げてみる。昨日失くしたあたしのイヤホン。あの人が拾ってくれた。
あたしに触れた男の人の手は、思っていたより大きくて、すごくあたたかかった。
その夜あたしは布団の中で、耳にイヤホンをつけて歌を聴いた。あたしの好きな「レイジ」の歌だ。
目を閉じてその声を聞いていたら、今日も会えたあの人のことを思い出した。
『これ。落とさなかった?』
あたしに掛けられた声。あたしに差し出された手。まさか今日も会えるなんて、思ってもみなかった。
『だから何?』
急に別の男の人の声が聞こえてきた。
『まさか好きになったとか言わないよね?』
あたしはハッと周りを見回す。だけど部屋の中には誰もいない。
糸ちゃんは隣の部屋で仕事中だし、誰もこんなところにいるはずはないのだ。
『人殺しの家族が、人を好きになったりしないよね?』
頭をガツンと殴られた気がした。
あたしは布団を頭からかぶって、スマホの音量を上げる。レイジの声でその声をかき消す。
身体を丸めて、布団の中で震えていた。
あの声は、お兄ちゃんが命を奪った人の声だ。
あの人はずっとあたしたちのことを見ている。
どこへ行ってもあたしたちを許してはくれない。
『謝ることもできねぇのかよ。このクソガキは』
謝った。あたしは何度も何度も謝った。
お兄ちゃんの分も、お父さんの分も、お母さんの分も……声が枯れるほど謝った。
だけど謝っても謝っても、許してもらうことはできない。
だってその人は、もうこの世にいないのだから。
シーツを破れるほど強く握りしめ、顔を押し付けて声を上げた。
くぐもった呻き声は、自分の耳には聞こえない。あたしの耳に聞こえてくるのは、スマホから流れる音楽だけ。
苦しくて苦しくて、死んでしまおうと思ったこともある。だけど死ぬのは難しい。
一度カッターで手首を切ってみたけど、そんな簡単には死ねなくて、お母さんにひどく泣かれただけだった。
だったら生きるしかないのだろう。あたしはお兄ちゃんの妹だから。
こうやって苦しみながら、死ぬまで生きるしかないのだろう。