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2-2

 公園を出たあと、どこを歩いてきたのか自分でもわからない。

 気づけばふらふらと駅前に立っていて、あたりは薄暗くなっていた。


 都心からつながる私鉄の駅と、少し離れたところにあるJRの駅。

 ふたつの駅を結ぶペデストリアンデッキの上を、乗り換え客がひっきりなしに行き交っている。

 そのデッキの真ん中にはゆらゆらと動いているモニュメントと花壇があり、待ち合わせの人が何人もそこに腰かけ、退屈そうにスマホをいじっていた。


 これ以上歩けないと思ったあたしは、他の人たちと同じように花壇の淵に座った。

 目の前を行き来する人の多さにめまいがしたけれど、どこかホッとしている自分もいた。

 これだけたくさんの人の中なら、誰からも気づかれずにいられるような気がしたから。


 マスクをはずしてぼんやりしていると、ポケットの中でスマホが震えた。

 学校にスマホを持ち込むことは禁止だってわかっていたけど、これがないと不安でこっそりしのばせていたのだ。

 転校初日から学校に行かなかったあたしのことは、とっくに糸ちゃんに伝わっているようで、朝から何度も着信が入っていた。

 そして今もまた、糸ちゃんからの電話だった。


「……はい」

「つぐみちゃん? よかった! やっぱりスマホ持ってたんだね? 出てくれないから心配したんだよ? 今どこにいるの?」

「駅前」

「そこにいて? すぐ迎えに行くから」


 あたしは驚いて、スマホを持ったまま首を横に振る。


「大丈夫。もう少ししたらちゃんと帰る」


 糸ちゃんは考え込むように黙ったあと、電話の向こうで言う。


「わかった。気をつけて帰っておいで。夕飯作って待ってるから」


 見えなくても、糸ちゃんの笑顔が目に浮かぶ。


 糸ちゃんはどうして怒らないのだろう。怒ってくれたらいいのに。

 なんで学校サボったの? なんで電話無視したの?

 もう帰ってこなくていい。あんたの面倒なんかみたくない。

 いっそそう言ってくれたらいいのに。


 そしてあたしは無意識に、それを望んでいたような気がする。

 だってあたしの行き場がなくなれば、またお母さんが迎えにきてくれるかもしれないから。


「……うん」


 あたしは一言だけつぶやいて、電話を切った。そしてスマホをポケットに押し込む。

 帰らなきゃな……心の中でつぶやく。帰らなければいけないことは、頭でわかっている。


 空がどんどん暗くなる。糸ちゃんはあたしを心配してくれている。

 もしかしたらお母さんにも連絡したかもしれない。きっとお母さんもあたしのことを心配している。

 帰らなきゃ……そう思うのに、あたしの身体は言うことを聞いてくれない。


 なんだか息苦しくなってきた。大事な人に心配をかけているだけの、情けない自分が嫌になる。

 あたしはポケットに手を突っ込んで、イヤホンのコードを引っ張り出す。

 だけどあたしの手は、それを耳につけようとしたところで止まった。周りの音を遮断しようとしていた耳に、その声が聞こえてきたからだ。


 あたしは手を止め、耳を澄ました。それはギターを弾きながら歌っている、男の人の声だった。


 急ぎ足で行き交う人ごみの中、その人は花壇の淵に座って歌を歌っていた。

 立ち止まり聴いている人など誰もいない。ビルの灯りがその人の横顔を様々な色に照らしている。


 あたしは身体をふらつかせながら立ち上がり、声の主の前まで歩いた。

 あたしの耳にその声がはっきりと聴こえてくる。

 甘く切なく優しい歌声。それはあたしの耳を通過して、胸の奥まで響き渡る。


 周りの視線や声が怖くて、必死に自分を守ってきた。目を閉じて、耳を塞いで、息をひそめて、震えながら生きてきた。

 そんなあたしを覆っていたものに小さな亀裂が入り、ゆっくりと壊れ始める。静かに静かに、音を立てずに壊れていく。

 無防備に放り出されたあたしはすごく怖くなって、その声を聴きながら泣いていた。

 誰かの歌を聴いて泣いたのなんて、この夜が生まれて初めてだった。


「どうして泣いてるの?」


 うつむいてしまった顔を上げると、ギターを弾く手を止めた人があたしに言った。

 歌声とは印象の違うハスキーな声。長めの前髪に隠れた顔は思ったよりも若そうで、高校生くらいに見える。

 黒いコートに黒いパンツとブーツ、持っているのはアコースティックギター一本。そして髪は明るい赤色だった。


 あたしは黙ったまま、手の甲で目の周りをこすった。

 花壇の前に突っ立っているあたしの後ろを、人の足音が次々と通り過ぎる。


「なんでも……ないです」


 やっとそれだけ声に出したら、ものすごく申し訳ない気持ちになった。

 あたしがこんなところで泣いたりしたから、この人は歌うのを止めてしまった。


 小さく頭を下げて顔を上げたら、あたしを見ているその人と目が合った。

 赤い髪の隙間から見える瞳は、暗闇の中でもすごく綺麗に見えた。

 それと同時に見られている自分の目がすごく汚らしく思えて、あたしは慌てて背中を向け、その場から駆け出した。


「あ……ちょっと……」


 あたしのことを、その人が呼び止めてくれたような気がする。

 だけどあたしは振り返らずにデッキの上から階段を駆け降りて、ちょうど動き出そうとしていたバスに飛び乗った。

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