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2-1

 眠れないと思っていたのに、いつの間にか眠っていて、翌朝あたしはカラスの鳴き声で目が覚めた。

 ベッドから降りて窓を開けると、ゴミに被さった黄色いネットとそれを突いている真っ黒いカラスが見えた。

 カラスはあたしが窓を開けたのに気づき、こちらをじっと人間のように見上げている。


 気持ち悪い。


 あたしは窓を閉め、服を着替えた。この前まで通っていた中学校の制服だ。

 壁に掛かっている鏡をのぞくと、伸ばしっぱなしでボサボサ頭の女が映って、あたしはすぐに顔をそむけた。

 気持ち悪いのはあたしのほうだ。



「おはよう。よく眠れた?」


 部屋を出ると糸ちゃんが、澄んだ声で話しかけてきた。

 キッチンのテーブルの上には、糸ちゃんの作った朝食が並んでいて、いい匂いが漂っている。


「その制服かわいいね。あ、でも新しいの買わなきゃいけないか」

「……これでいい」

「そういうわけにはいかないよ。今度採寸に行こう」


 糸ちゃんがあたしの背中をそっと押して、朝食の前に座らせる。

 目玉焼きに厚切りベーコン。それに野菜サラダ。糸ちゃんが飲んでいたコーヒーも、そばに置いてある。


「今パン焼くからね。つぐみちゃんは紅茶がいいかな?」


 あたしがうなずくと、糸ちゃんはにこにこしながら紅茶の用意を始めた。

 朝からこんなに食べられる気がしなかった。だけど糸ちゃんはあたしのために作ってくれた。だから食べたほうがいいのだろう。


「いただきます」


 あたしは糸ちゃんの作ってくれた食事を、無理やり喉の奥に押し込む。

 おいしそうに見えたのに何の味もしなくて、糸ちゃんに申し訳なく思った。



「道わかる? やっぱり一緒に行こうか?」


 ビルの下まで出てきてくれた糸ちゃんに首を振る。


「大丈夫。ひとりで行ける」


 糸ちゃんは心配そうな顔をしていたけど、小さくうなずいてあたしの髪を指先でそっと梳いた。


「今度美容院も連れて行ってあげるね。いってらっしゃい」


 糸ちゃんがそう言って笑う。糸ちゃんの胸にはあたしがもらったものと同じ、ガラスのペンダントが揺れている。

 空は青く晴れていた。あたしはマスクをつけ、糸ちゃんと別れて学校に向かう。

 そして歩きながら、昨日糸ちゃんが言った言葉を思い出していた。


『これからよろしくね』


 糸ちゃんはどうしてあたしを引き取ってくれたのだろう。

 いくらお母さんの頼みでも、断れたと思うのに。あたしなんかと暮らしても、いいことなんかひとつもないのに。

 むしろ迷惑がかかるのはわかりきっている。


 制服を着た男子生徒が、走ってあたしを追い越していく。

 その瞬間、ちらりとあたしを振り返った。見慣れない制服を着た女が歩いているからだろう。

 気づくと周りには制服姿の中学生が何人も歩いていて、あたしはマスクを押し上げ顔を隠した。

 転校には慣れている。好奇の目で見られるのはいつものこと。数日間我慢してじっとうつむいていれば、そのうち誰も話しかけてこなくなる。


 女の子のグループが、ひとりで歩くあたしを見ていた。ひそひそと小声で何か話して、くすくすと笑い合っている。

 大丈夫。大丈夫。自分に言い聞かせながら歩く。だけどあたしを守るものは薄いマスクひとつで、やっぱり心もとない。


 近くのバス停には十人くらいの人が並んでいた。スーツを着た男の人や女の人。オシャレな制服を着た高校生の姿も見える。

 あたしが近づくと、みんな手に持っていたスマホから目を離し、さりげなくあたしのことを見たような気がした。


「……うっ」


 その瞬間、さっき食べたものが胃の奥からせり上がってきた。

 大丈夫。大丈夫。マスク越しに口元を押さえ、呪文のように何回も唱える。

 みんなはあたしが、違う制服を着ているから気になるだけだ。あたしがあの少年Aの妹だってこと、まだ誰も知らない。


 だけど吐き気は治まらず、ますますひどくなってくる。糸ちゃんの作ってくれた朝食を、無理して全部食べたからだ。

 吐きそうになるのをこらえて、人の並ぶバス停を早足で通り過ぎる。足が震え、マスクの中でする呼吸が苦しくなる。


【あなたたちは人殺しの家族なのに、どうして普通に生活しているのですか?】


 そう書かれた文字が、頭の中に浮かんだ。逃げても逃げても追いかけてくる文字だ。

 ごめんなさい。ご飯なんか食べてごめんなさい。学校なんか通ってごめんなさい。


【許されるはずなんてないでしょう? 私たちはあなたたちのことを死ぬまで、いいえ、死んでも許しません】


 耐え切れなくなり、近くにあった公園のトイレに駆け込んだ。

 便器に顔を押し付けるようにして、胃の中のものを全部吐く。

 吐けば楽になれるかと思ったけれどもっと苦しくなって、あたしはしばらくトイレの中で動けなかった。

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