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その歌声に壊された。
悲しみも、苦しみも、痛みも、後ろめたさも。
全部感じたくなくて、自分を閉じ込め生きてきたのに。
彼の声につけられたわずかな亀裂は、あたしを覆っていた薄っぺらなガラスを、ゆっくりと優しく壊していった。
守られるもののなくなったあたしの心は、誰かに傷つけられそうで怖くて心細くて。
あたしは彼の前で、泣いていた。
その切ない歌声を聴きながら、震えるように泣いていた。
***
【同級生を学校内で刺殺。中学二年生逮捕】
【ひでぇクソガキ。一生刑務所から出すな。親も同罪】
【友人をナイフでメッタ刺しって、こいつヤバすぎ】
【少年Aの通ってた中学特定】
【実名と顔写真晒せ。家族もろとも私刑にしろ】
「つぐみちゃん。着いたよ」
運転席から鈴の鳴るような声がする。あたし、穂高つぐみはスマホから顔を上げ、ガラスの向こうの建物を見た。
道路に面した細長い四階建てのビル。白っぽい壁はカビやコケで黒ずみ、茶色い蔦が複雑に絡まり合っている。
ビルの前にあるゴミ置き場のゴミは道路に散らばり、二羽のカラスが夢中で突いていた。
「あーあ、また。この辺カラスが多くて困ってるんだよね」
そう言いながらエンジンを切るのは、あたしのお母さんの妹の糸子叔母さん。
ショートヘアでモデルさんみたいに顔が小さく、細身のジーンズがよく似合う彼女は、お母さんより十二歳も年下の二十八歳だ。
みんなから「糸ちゃん」って呼ばれていて、あたしは小さい頃よく遊んでもらっていたそうだけど、実はあんまり覚えていない。
「中学校はあっち。この前お母さんと行ったでしょ? 歩くと二十分くらいかな」
あたしは糸ちゃんの指が示した「あっち」の方角をちらりと見る。けれどすぐに目をそむけて、スマホの画面を掲示板から音楽アプリに変えた。
「まぁ、見た目はボロだけど、中は綺麗にしてるから安心してよ。さ、おいで」
後部座席に置いてあった上着をてきぱきとはおり、糸ちゃんが車を降りていく。
十一月のひんやりとした空気が一瞬吹き込んだあと、重いドアが音を立てて閉まり、車内は恐ろしく静まり返った。
あたしはポケットからイヤホンを取り出し、耳の穴に突っ込む。スマホの画面に指をすべらせ、いつも聴いている音楽を流す。
耳に聴こえてくるのは、お気に入りのロックバンドの男性ボーカルの声。
深く息を吸ってそれを吐き、呼吸を整えた。だけど頭の中に、さっき見たネットの掲示板の文字がまだこびりついている。
【少年Aの家族特定。会社員の父親、専業主婦の母親、五歳年下の妹。名前は……】
「つぐみちゃん」
コンコンッと車の窓を叩かれた。ゆっくり顔を上げると、糸ちゃんが目を細めて笑っている。
「早く降りておいで。おいしいシュークリーム買ってあるんだ。一緒に食べよ?」
曖昧にうなずいてから、スマホの音量を一気に上げた。そして顎にへばりついていたマスクを鼻まで押し上げ、パーカーのフードを深くかぶる。
あたしはこんな薄っぺらな方法で、自分自身を守っていた。他にどうすればいいのか、中学二年生のあたしにはわからなかったから。
周りから注がれる視線も、耳に聞こえる噂話も、目に見える文字も、すべてがあたしを責めているようで怖かった。