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シーサンドワールド  作者: 百瀬(ももせ)
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後編

 翌朝。甲板には曇り空の下で船首に立つマダム・モートと彼女に向かって整列する数十人の砂賊達の姿があった。

彼女の左右にはシャレムとシャヘルが控え、舳先の少し右側にはバンタと、砂漠で焼失してしまったミニ丈のジャケットと同じデザインの物を羽織ったヴェラが、この物々しい雰囲気を醸し出した今の状況を、固唾を呑んで見守っている。

「いいかい野郎ども。今日の得物はちぃとばかし大柄だ、気を抜くんじゃないよ!」

 叱咤の言葉に短く気迫のこもった声で応える砂賊達。一段と空気が引き締まった事をバンタとヴェラは肌で感じた。

マダム・モートが船首へ振り返り地平線へ目を向ける。すると前方数千メートルの位置に蟻の行列のように連なる隊商の野営地が確認出来た。

「嬢ちゃん、こっち来な」

 不意にマダム・モートが前方を見つめたままヴェラへ手招きをした。ヴェラは呼びかけに応じて彼女の横に立つと、マダム・モートは膝を屈めて目線をヴェラと同じ高さまで降ろして言った。

「戦端を開くのは嬢ちゃん、アンタの役目だ」

「…………本当に、相手は密輸の商人達なのね?」

 ヴェラは答えを求めてマダム・モートの横顔へ視線を向けるが彼女は前を見据えたまま、感情を表に出さないで唇を震わした。

「ああ、安心してぶっ放したら、後は何処へなりとも行きな」

 その一言にヴェラは頷くと背中からソドムを降ろして、銃身を欄干へ置く。

「『ナンバ遺跡』はあの野営地のすぐ向こう側に?」

「見えれば直ぐに解るよ。だから坊やも、遺跡に辿り着く前に野垂れ死んだりするんじゃないよ」

 唐突にかけられた言葉へ瞳に力強い意志を灯して無言で頷くバンタ。

「おや、いつの間にかいい顔になったじゃないか」

「ヴェラのおかげです。俺、もう一度戦うって決めたから」

「俺、ね……一人称まで変わって、まあ全く誰かさんみたいな」

 昨晩、当然ながら二人のやり取りを密かに監視していたマダム・モートであったが、別段そのやり取りに脱走などの警戒する要素はなく、むしろ若者達の会話に首が痒くなるような思いをした彼女は薄目でバンタを凝視した後に視線を船首へと戻す。バンタはその後ろでキョトンとしていたが、彼女はそれを無視してヴェラの肩へ手を置いた。

「本気なのかい?」

「さあ、どうだと思う? 少なくともアナタが言ってた歪みは矯正出来たと思うけど」

「あたしゃ自分よりよっぽどアンタの方が悪党に……いや、悪女に感じて来たよ」

 満更でもない表情でマダム・モートの言葉をヴェラは受け取ると、隊商の野営地がどんどん迫って来る景色を見ながら狙いを定めていく。

そして、彼女は昨日からこの襲撃に対して持っていた疑問を返答代わりに投げかける事に。

「それにしても、少し都合が良すぎない? 私達の目的地にアナタ達、砂賊の標的がいるなんて」

「不服かい?」

「そんなことはないけど」

「なら、始めるよ」

 船首で話し込んでいた二人の視界には遠くで砂埃に煙るビル群が地平線から現れた。あれが恐らく『ナンバ遺跡』なのだろう。

「情報ってのは隠そうとしても何処からか筒抜けになるもんさ。あたし等の狙ってる奴等の狙いは、十中八九アンタ等かロストテクノロジーだよ」

「私達にとっても退けなきゃいけない敵って事ね」

「どうだい、覚悟が出来たろう?」

 マダム・モートの試すような問いにヴェラは片膝を付いて補助グリップをセットすると両手でソドムを握る。

相手が非合法に物資を運ぶ商人達とはいえ、ヴェラ自身実のところ今までソドムを人へ向けて撃った事は一度もない。

彼女は無遠慮に喉元へ迫り上がってくる胃液の感覚に表情を歪めながら、何度も瞬きをして徐々に視界で大きくなる隊商の野営キャンプへ狙いを定める。

「……私なら、出来る」

 船が停船したのと同時に船首から轟音を響かせて巨大な光線が隊商へ向けて放出された。その光は瞬時に標的へ着弾すると、砂漠を抉り上げて爆散させ野営地を構成していたテントや車体を容赦なく空中へ弾き飛ばす。

光が収束し、遅れて砂煙が立ち昇り始める光景を見てマダム・モートは無感情に一言。

「外したね」

 彼女の言葉にヴェラは肩を震わしながら俯いて答える事が出来なかった。引き金にかけた指へ力を込める直前、彼女は隊商へ光線を直撃させる事を躊躇い僅かに狙いを逸らしてしまったのだ。

「アンタがやらなかった分、ウチの手下共が多く死ぬって事だけは覚えときな」

 葛藤に歪むヴェラの顔を見ずに舳先から砂漠へ飛び降りるマダム・モート。彼女に続けて砂賊達は次々に砂漠へ降り立ちマダム・モートはポケットから拳銃を取り出して叫んだ。

「仕事の時間だ、全部奪いな!」

 雄叫びと共に砂賊達が一斉にヴェラの攻撃によって混乱状態に陥った隊商の野営地へ駆けて行く。隊商の商人達は今まで何が起こったのかを把握出来ずにいたが、側面から近付いて来る砂賊達を見て、初めて自分達が襲撃を受けている事を理解した。

「盗賊だ――ッ! 応戦しろ!」

 商人の一人が叫ぶが、中々迎撃は行われない。野営地にいた全員がまだ先程の攻撃によるショックと混乱から立ち直れていないのだ。しかしその間にも砂賊達は商人達へ迫り、彼等はほぼ攻撃を受けないまま野営地へ突入すると、手慣れた仕事を開始した。

 自ら開いた戦端の光景を舳先に跪いたままで見つめるヴェラと、その肩を支えるバンタ。

絶え間ない銃声と怒号が一つの喧騒となって彼等の耳元まで届いて来る。

「……人を、殺したことないのよ」

「なんとなく、そんな気はしてたんだ。もしかして、俺達を殺すのが初の仕事だった?」

 バンタの問いかけにヴェラは無言で頷いた。震える唇からの告白にバンタは意外にも冷静さを保ったまま彼女へ右手の平を差し出す。

「俺達も行こう」

「でも、この戦いは私が始めたのよ? このまま放っとくようじゃまるで……」

 ヴェラは「見捨てるみたい」という言葉を呑み込んだ。彼女にとってその言葉は何よりも辛く心へ圧しかかる言葉。

「俺達はあくまで最初の約束を守った。それで、マダム・モート達も約束を守った。だから、あとは自分達のやるべきことをやるだけ。あれはあの人達の戦いだ。淡白かもしれないけど、ヴェラが気にする事はないよ」

 尚も戸惑うヴェラの目の前に改めて片手を差し出すバンタ。驚くヴェラを彼は迷いのない瞳で見つめていた。

「行こう、ヴェラ」

 優しく促すバンタの言葉にヴェラは差し出された手を掴んで立ち上がる。

「はあ、昨日とは全く立場が逆ね。嫌になっちゃう」

 ため息混じりで苦々しげに言うヴェラに思わずバンタも小さく笑った。

それにしても、昨日自分の胸の中で泣いていたあの頼りないバンタとはまるで別人ではないか。

もしかすると、長い間彼の内側で燻っていたモノが昨日で開花したのかもしれない。

ヴェラが予想以上の成果に驚いている内に、バンタは彼女の手を引いて船から砂漠へと飛び降りる。

 砂煙を巻き上げながら器用に着地する二人。バンタが繋ぎ合っていた手を離して、戦闘が続く正面を指さした。

「……と言っても、結局は遺跡に行く為には、突っ切らなきゃいけないんだけど」

「望むところよ」

 バツが悪そうに告げるバンタに対してヴェラは『ソドム』を背中へ背負い直し、拳銃『ゴモラ』をスカートの中から取り出すと、一目散に目の前で繰り広げられている戦闘地域を突っ切る為に走り出した。そんな彼女の後を慌ててバンタは追いかける。

「突っ切ると言ってもあくまで側を、って意味だからね!」

「分かってるわよ」

 自分の背中へ向けて臆病だった時の声色で言うバンタに笑みをこぼしながら、ヴェラは戦闘地域へ近付いて行った。

多少の戦闘ならば『AP保障』での五年があるから問題はないだろうと考えていたヴェラは、少し喧騒からは外れた位置で横転している四輪駆動車の影に、見覚えのある頭にバンダナを巻いた男を見つけて側で立ち止まった。

「げっ、お前はこの間の」

「どうもその節は」

 横転した車に寄り掛かる形で座り込んでいたバンダナの男はヴェラの存在に気付くと、心底嫌そうな顔をした。対するヴェラは相手を凍らしてしまうような温度の視線で応戦する。

 ヴェラとバンダナの男は以前『トウト』の通用門で遭遇しており、奇抜な格好に独特の感性を持つ彼女に男は嫌悪の感情を抱いていた。しかしそんな事は微塵も知らないバンタが不思議そうにヴェラへ問いかける。

「ヴェラ、その人知り合いなの?」

「ベンケイさんの元で働いていながら密輸に手を出してるなんて……どうしようもないクズね、アンタ」

「テメエ――――ッ!」

 侮蔑を含んだ眼差しでヴェラに見下されたバンダナの男は突然叫び声を上げて、逆上したのかヴェラへ飛び掛かろうとした。だが、自分の布で隠れた額へゴモラの銃口を突き付けられると瞬時に男は態度を一変させて、ヘラヘラ笑いながら砂の上へ膝を付いて両手を上げた。

「へ、へへへ……冗談だろ、怒ったフリだよ、フリ」

「前にも言ってたわよね、ユーモアだったかしら?」

「そう、ソイツだ! 人生はユーモアが大切だぜ、解ってんじゃねえか姉ちゃん」

「砂漠へアンタの脳髄をぶちまけたらとってもユーモラスだと思わない?」

 額に痛みが走るほど銃口を押し付けられたバンダナの男は、ヴェラの言葉に全身から脂汗が滲み出すのを感じる。

ゴモラを突きつけるヴェラは終始侮蔑の視線を携えたままで、それがより一層男の恐怖心を煽っていた。

「本気じゃねえよな、なあ姉ちゃん? 俺を殺したって何の得もないぜ、なあそうだろう?」

「生かしておいても得はないでしょ?」

「何だよおい! じゃあ俺にどうしろってんだ、ああ!? おい兄ちゃんもコイツに言ってくれよ、殺生はいけませんぜよってよ!」

 焦るあまり語尾をおかしくしてバンダナの男は喚き散らす。バンタも一連のやり取りにヴェラはやり過ぎではないかと感じていたが、彼女は全く相手へ突きつけた銃口を下げる様子を見せずに、冷え切った言葉を吐き出していく。

「アンタ達の狙いは何?」

「狙い? ああ、俺達がここにいる理由か。いや、待て、言った途端にズドン! は勘弁だぜ?」

「言わないなら撃つわ」

 冷徹に示されるヴェラの宣告にバンダナの男は悔しそうに表情を歪めた。ヴェラへ主導権を握られているこの状況が心底気に入らないのだろう、その様子がありありと近くで眺めているバンタにも伝わり彼は思わず苦笑してしまった。

「ロストテクノロジーだ! この世界を変えちまう程の代物らしい。俺達はそれを入手して流す為に、わざわざこんな僻地まで来てんのさ」

「流すって……アンタはバラック小屋で暮らす人達の気持ちを考えた事があるの? 『トウト』の人達は決して良いとはいえない環境の中でも助け合って必死で生きてる。なのに、アンタはそれを嘲笑うみたいに――」

「あ~……そりゃ、ちょっとちげえよ姉ちゃん。夢見過ぎだ」

 いつの間にか冷静さを取り戻した男がヴェラの言葉を面倒そうに遮った。最初は銃に怯えて取り乱していたものの、ヴェラの言動を聞いている内に段々と萎んで消えかかっていた理性が復活してきたのか、男は傲慢を表情に取り戻しつつあった。

「さて、こんなガキンチョ共にどう説明したらいいものか……」

 男の自分達を小馬鹿にした言葉を聞いてヴェラは銃口をさらに強く相手へ押し付ける。

「わぁかった、わかった! 簡単に言うとだな、『トウト』で暮らす連中全ての面倒見る力は、もう何年も前からベンケイにはねえんだよ」

「俺はそんな話、一度も聞いたことない」

 即座に反論され露骨に嫌悪の表情をバンダナの男はバンタへ向けた。どうやら男はバンタが何者なのか解っていないらしい。

「そりゃ公言するわけねえよ。それにこのご時世には希望が必要だろう? 人々を助ける為に立ち上がった英雄、街を統治する英雄、それがなきゃ『トウト』なんざあっという間に崩壊だ。だからむしろ、俺達を褒めてもらいたいくらいだね、定期的に支給される物資を闇で売り捌いて街に還元してたんだ。何なら街を本当に支えているのは俺達と言っても過言じゃねえくらいさ、なあそうだろ?」

 バンダナの男は銃口を突き付けられたままで下世話に高い音で笑う。そして、跪いたままで大袈裟に両腕を広げて天を仰ぐと楽しそうに言い放った。

「慈善活動を慈愛の心だけでは出来ないなんて、何て皮肉な世の中なんだろうなァ! 打算、利益、富、夢、まやかしの希望! こんなクソッタレな世界に産んでくれてどうもありがとう神様――――ッ!」

 男の異様な叫びに二人は動く事が出来ずに立ち尽くしていた。かなり穿った見方である事は間違いないのだが、男の言葉が完全に的外れではない事にも二人は気付いていたのだ。

そうでなければ『トウト』があんなにまで廃れた姿になるわけがない。意図的に人が目を背けがちになる生々しい裏側を、二人はまじまじと見せつけられた気分だった。

「何だよ、ビビっちゃった? 衝撃? 嫌だねえ、これだからガキは。まあ、どの道何をどう知った所で、お前らは全員あのイカれたメガネの傭兵に殺されんだけどな。ざんね――――」

 恍惚な表情を浮かべて畳み掛けようとしたバンダナ男の額を、ヴェラは思い切りゴモラの銃把で殴打した。うめき声を上げて両腕を広げたまま無様な姿で気絶した男は、もんどりを打って砂の上へ倒れ込む。

 本当ならば言い返したい気持ちもあったのだが、二人は男の言葉の途中で自分達へ近付いて来る複数の気配に気付いていた。恐らくバンダナの男が派手に騒いだ事で誰かがこちらに気付いたのだろう。それに、気絶する直前に男が言っていたメガネの傭兵には、二人共嫌というほど心当たりがあった。

四輪駆動車の影に滑り込み身を屈めるヴェラとバンタ。すぐ目の前には煙った視界の先に『ナンバ遺跡』が見えているのだが、今は迂闊に前へは進めないようだ。

連続して何かが燃えるような音を伴いながら徐々に気配は自分達が背を預けている車を取り囲むように近付いて来る。側で足音が聞こえ、二人が身構えた瞬間に目の前へ現れたのはマダム・モートの部下であるシャレムとシャヘルであった。

「ぼくたち今、凄い」

「劣勢。早く逃げて」

 言葉の通り二人の顔には焦燥とも恐怖とも受け取れる感情が張り付いている。そして、ヴェラとバンタが劣勢の理由を尋ねる前に、その原因は四人の頭上を飛び越えて現れた。

 横転した四輪駆動車に片手を付いて軽々と飛び越える白い戦闘服を着た男――――ケイは、重力に逆らうかのような柔らかい動きで砂漠へ降り立って言う。

「――やあ、さようなら」

 気軽な別れの挨拶と共にケイが繰り出した炎を纏った剣はシャレムの身体を剣先が胸から大きく飛び出すまでに貫いていた。

「ッ、? っは? ――――ぅっ」

 自分の胸を貫いて突然視界へ現れた炎に、必死で脳が状況を理解しようとするシャレム。だが、脳内で何かを思い浮かべるよりも早くシャレムの意識は身体へ燃え広がる炎によって焼き尽くされてしまう。

 一瞬の出来事に誰も動く事が出来なかった。ヴェラとバンタは砂漠へ倒れる炎の塊を何も出来ずに見つめ、状況理解が追いつかないバンタの頭はケイが炎から引き抜いた剣の鍔部分がドーム状に膨らんだデザインをしているのを見て、あれは持ち主の手を火から守る為の設計なのだろうかなどと、悠長な分析に脳の容量を割いていた。

「うわあああああァァァァァ!」

 そんな二人を現実に引き戻したのは残されたシャヘルの絶叫だった。彼女は完全に瞳孔を開かせた状態で雄叫びを上げながらケイに迫り、彼の懐まで肉薄すると背中のホルダーから流線型の刃をしたダガーを二本取り出して勢いそのままに斬りかかる。

 しかし、シャヘルの攻撃をまるでダンスのステップを踏むかのような足取りで、事も無げにケイは避けた。余裕の表情を浮かべたまま彼は反撃へ転じるとシャヘルの鳩尾へ右足の靴先を容赦なくめり込ませる。

「――――っぁ」

悲鳴すら上げられないシャヘルは蹴り飛ばされた身体を数度砂漠の上で跳ねさせて、やがて砂の上を転がってからようやくその動きを止めた。しかし、止まった位置で直ぐに砂へ塗れながらのたうち回るシャヘル。そんな彼女の様子をケイは淡々とした瞳で眺めていた。

「しばらくは死ぬよりも苦しいでしょうね」

瞬時にゴモラを構え自分へ身構えるヴェラとバンタを見ても、メガネの奥に浮かぶ感情が特に揺れ動く様子は見られない。しかもケイは炎剣が纏っていた炎をいつの間にか消していた。

「ケイさんは、どうして……」

「私に接してくれていたケイ・ジェラードはとてもこんな事が出来る人間ではなかったとでもまた言うつもりですか? いい加減幻想は捨ててくださいヴェラさん。私は『AP保障』のエージェントで、専門は……殺しです」

 ケイの淡々とした宣言にヴェラは悲しそうに表情を歪めた。だが、決して動揺はせず実際は前々からこうなる事を覚悟していたのか、一瞬でその双眸に強い意志の光を灯すと真っ直ぐにケイを見据える。見る者に眩さを感じさせる程の瞳で自分を睨み付けるヴェラにケイは満足そうに微笑むと、その隣にもう一つ自分へ強烈な敵意が向けられている事に気付く。

「まさか、バンタさん……?」

「俺はもう、お前から逃げない……!」

 バンタが突き付ける決意にケイは今までにない程に表情を歪ませて、そして声を上げて笑った。真意が理解出来ないケイの奇行に二人がより警戒心を強めると、ケイは笑い過ぎたのか目元から溢れた涙をメガネの下から拭って、満足そうに口を開いた。

「そうでなくてはいけません、バンタさんはそうでなくては。そうでなければ――――殺し甲斐がありません」

 刹那、ケイが身体を燻らせたかと思うといつの間にか彼の身体はバンタへ肉薄しその襟を掴んでいた。

「がッ――!」

 勢い良く背中を車へ叩き付けられ悲鳴に似た息を漏らすバンタ。遅れてケイが移動する際に巻き上げた砂煙が顔へ降り掛かりバンタは痛みに目を閉じる。右手に持っていた剣へ再び炎を纏わせるケイだが、次に繰り出そうとしていた攻撃はヴェラが放った複数の光弾によって阻止された。

「バンタ!」

 発砲した光弾によってケイがバンタを手離し自分達から距離を取ったのを確認すると、ヴェラは直ぐ様バンタへと駆け寄って行く。

「俺は大丈夫だ、それよりもケイを!」

 苦しそうに顔を歪めて片手で喉元を気にしながらも、バンタは自分の視線の先でこちらへ接近してくるケイの姿を捉えていた。振り返るヴェラの鳩尾へ先ほどシャヘルを蹴り飛ばした時と同じようにケイは靴先を繰り出すが、その攻撃をヴェラはあえて避けずにその場で半回転しもう一度相手へ背中を向けると背負っていた『ソドム』によって防ぐ。

 流石のケイといえど金属を蹴り抜くことは出来なかった。足先から伝わる鈍痛にケイが体勢を崩した瞬間を見逃さず、背中に衝撃を受けて顔を歪めていたヴェラは振り返りざま、回し蹴りを繰り出してケイの手から炎剣を弾き飛ばした。

「おっと……これは少しばかりまずいですかね?」

「心にも無い事言わないで」

 数歩後退り、ケイは弾き飛ばされて砂漠へと突き刺さった炎の消えた剣を目で追った。大体三、四メートルくらいだろうかと自分と剣との距離を測っている間に、少しの油断も見逃さないヴェラは、立て続けに相手の動きを封じようと体術を駆使してケイに追い打ちをかける。

「そういえば、アナタが銃器のロストテクノロジーを譲り受けたのは、出発の直前でしたね」

余裕の表情でヴェラの攻撃を最低限の動作で躱しながら、ケイは思い出したように呟いた。

「本来、アナタの得意な戦闘スタイルは――――」

 言葉を遮るかの如くヴェラの突き上げた拳がケイの顎先を掠める。顎先を擦って自分の視界へ現れた白く小さな美しい拳に、目を見開いていたケイは口角を片側だけ吊り上げ不敵な笑みを見せながらその戦闘スタイルを口にした。

「インファイト……。過去、こんな容姿端麗なインファイターが存在したでしょうか? ヴェラさん、私は今のアナタのそういう所がとても好きですよ?」

「お生憎。私は昔のケイさんの方が好き」

 両拳を顔の前で構えたヴェラはやや興奮気味のケイとは対照的に冷静だった。本来ならば中距離の間合いでゴモラを使いケイを無力化出来るのであればそれが最善策であったが、この砂の上でどういうからくりか、ケイは自らの機動力を落とさずに一瞬で距離を詰めてくる。ならば、ヴェラも自分が一番得意とする超接近戦へ持ち込むのが現時点で考えられる最善の方法であった。

「じきにここで起きているゴタゴタは、賊の壊滅で収束を迎えます。それまでに逃げ出したければ私を倒すしかありませんよ?」

「言われなくてもそうするわ」

 対峙する相手からの助言にヴェラは冷たく答えて、間合いを詰める為に踏みしめていた砂を後方へ蹴り飛ばす。足下の悪さに苦心しながらも一瞬でケイまで数十センチの距離へ接近したヴェラは、次々と弧を描いて相手へ迫る左右からの打撃を繰り出し始めた。

「近付いて良し、離れても良しとは……本当に理想の殺し屋ですねえ」

「私は一度も殺し屋になったつもりはないんだけど――ねッ!」

 既にいつもの表情を取り戻したケイは少しずつ後退りながら的確にヴェラの打撃を捌いて不敵に笑う。

「そうでした、罪もない商人へ危害を加えたアナタは――――ただの、殺人鬼でした」

 ケイの言葉に反応してか不覚にもやや突き出した腕が大振りになってしまうヴェラ。その機を見逃さずに避けた彼女の右腕を左肘で跳ね上げたケイは、逆に一歩前へと踏み出し、がら空きとなった相手の懐で身を屈めると、ヴェラの顎を目掛けて先程のお返しとばかりに豪快なアッパーカットを放った。

「くっ――――!」

 小さく息を漏らしヴェラの身体が宙へ浮いた。ガッツポーズを掲げるかの如く伸び上がったケイの腕に合わせて身体を浮かせたヴェラは、驚く事にそのまま後方へ宙返りをして再び二本の足で砂漠へと着地した。

「世が世なら……本当に何と勿体ない」

 自分を睨み付けながら血の混じった唾を砂漠へ吐き捨てるヴェラに、ケイは純粋に感心していた。アッパーカットが顎へ触れた直後にヴェラは自分の身体を拳が振り抜かれる方向へ合わせて思い切り跳び上がらせ、頭への衝撃を極力受け流していたのだ。一般人なら尚の事、ケイはそんな芸当が自分でも出来るか定かではなかった。

「私はアナタが元凶だったとはいえ、ケイさんに五年間育ててもらった事を感謝してます。だから私は、ケイさんを殺さずに止めてみせる」

「例え、殺そうとして向かって来られても負ける気は毛頭ありませんが……」

 それ以上言葉は交わさずに次の出方を図っていたヴェラがもう一度拳を顔の前で構えた瞬間、不意に後方で金属音がした。ヴェラはケイに警戒しながらも後ろを振り返ると、横転した車の上には眼下の光景に唇を噛むマダム・モートの姿があった。

「……やってくれたね、やってくれたねアンタァ!」

 叫ぶと同時に猛然とその身をケイへ向けて飛びかからせるマダム・モート。彼女の網膜には、焼け焦げた死体と蹲って倒れている娘の姿がこびり付いていた。

 弾丸のように砂漠へ着地したマダム・モートは自分の初撃を柔らかい動作で回避したケイの喉笛へ向けて、瞬時にナイフ突き出す。鋭いナイフの軌道に切っ先がケイの喉へ届くかと思われたが、ケイはそれを砂漠へ上半身を平行に反らせる事で避け、同時に右足で自分を狙っていたナイフを弾き飛ばした。

「様子から見るにアナタがこの盗賊の――――」

 余裕を持った口調で話しながら上半身を起き上がらせようとしていたケイだが、言葉を最後まで言う事は出来なかった。何故なら起き上がりかけていたケイの身体へ向けて、マダム・モートがもう片方の手で持っていた拳銃を発砲したからである。

 だがケイはその弾丸をも回避する。砂の上を咄嗟に横へ身を転がした事でマダム・モートの猛攻を掻い潜り、起き上がるとメガネのズレを直すよりも先に彼女へ対して反撃の蹴りを放っていた。

「何とも、これは厄介な……」

 相手の喉元を潰すつもりで繰り出した蹴りを、両腕を身体の前で交差させることで防がれたケイは、初めてやや余裕を失くしたような表情を見せた。

「嬢ちゃんは無事かい?」

「ちょっと脳を揺らされたけど平気。まだいけるわ」

「そりゃ嬢ちゃん平気とは…………坊やはどうした?」

 マダム・モートの疑問でヴェラはこの場からバンタがいなくなっている事に初めて気が付いた。互いに距離を取りながら三人は周囲を見回すが近くに立っている人間は他に一人もいない。

 ヴェラは拳を握り直して視線をケイへ戻すと小さく笑った。

「全部許すって言ったもんね」

「嬢ちゃん、簡潔に状況を教えな」

「相手は『AP保障』の手練の殺し屋。あそこに刺さってる剣はあの人が持つと燃える剣になるから絶対に持たせちゃダメ。バンタは……多分、安全な所に避難してると思う」

「成る程ね」

 合点がいったと小さく頷いたマダム・モートの手元で何かが不意に煌めく。その輝きに気付いてケイが身を捩ると、直前までケイの左胸があった場所を高速で銀色に光る短い刃物が通過していった。

「暗器……こんなものま――――」

 それ以上ケイはまた言葉を続ける事が出来なかった。理由は簡単で、投擲された刃物と同時に走りだしていたヴェラがケイへゼロ距離まで接近し、体勢を立て直そうとした彼の左頬へ右フックを叩き込んでいたからだ。

 メガネが吹き飛びケイは顔面に一発くらった衝撃で全身が後ろへとずり下がるが、瞬時に体勢を立て直すと砂漠へ突き刺さったまま放置していた自分の剣に向かって、砂の上を走っているとは思えない速度で駆けて行く。

「何だい、ありゃ」

 ケイの砂漠を移動する速度にマダム・モートも驚愕の声をもらすが、直ぐに我に返り持っていた拳銃でケイを狙い発砲する。しかし器用に銃弾を回避して見る見るうちに剣へと近付いたケイは、さらに二人が妨害を仕掛けてくる前に剣の柄を握って砂漠から愛剣を引き抜こうとした。

「手を離せ、ケイ」

 突然の声は足下から聞こえてきた。ケイは視線を素早く下げ、そして嬉しそうに笑いながら柄から手を離す。

 ヴェラとマダム・モートは掴んだ筈の剣の柄から手を離して、ゆっくりと剣から離れるケイを不思議そうに見た。すると、剣の横で突然に水色の砂が舞い上がり、砂埃の中心にはマントを羽織ってゴモラの銃口をケイへ向けるバンタの姿があった。

「さっきの一瞬で受け取っていたのですね。隠れていたのも彼女の指示で?」

「いや、俺の考えだ」

「素晴らしい……」

 バンタの答えに感嘆の声を上げるケイ。二人がこちらへ近付いて来ているのを横目で確認しながらバンタはゴモラを構え直す。

「何でここまでして、『AP保障』は俺達を付け狙うんだ」

「トップ同士の不仲も勿論ありますが、簡単に言ってしまえばビジネスとして砂漠での活動全般を請け負っている弊社としては、慈善事業という名目を掲げるアナタ達は、非常に邪魔な存在なんです」

「だからってここまで……」

「今やこの世界では当然の如く、命よりお金の方がよっぽど尊くなっているんですよ」

 バンタはケイの語る言葉に到底納得出来なかった。だが同時に、バンダナの男が言ったような完全に否定出来ない論理だという事も解っていた。中にはケイの言うようにお金が何よりも大切だと信じている人もいるのだろう。

だからこそ、尚更バンタはその考えが許せなかった。詳しくは解らないし解りたくもないが、自分達の命をケイが狙う理由は『AP保障』の一存だけではない。裏で蠢く巨額の闇が関わってきているという事なのだ。

 バンタはそこで一旦深みに嵌まりかけていた思考を止める。近くに気配を感じバンタがそちらへ目を向けると、そこには自分へ駆け寄って来ていたヴェラが安堵にも似た表情を見せて立っていた。

「ごめん、逃げたかと思った」

「実際、迷わなかったワケじゃないよ。そのまま何処かへ消えてしまおうとも思った。だけど、震える手でヴェラから受け取ったゴモラを握りしめた時に、今の自分が出来る最善って何だろうって考えたら、自然とこうしてたんだ」

 ゴモラを握っていない手の平をバンタは凛々しい瞳で見つめていた。そんな彼にヴェラは少し微笑んでもう一言声をかけようとするが、それは突然にシャヘルを介抱に向かっていたマダム・モートの咆哮によって遮られる事となった。

「娘を二人も、娘を、二人も――!」

 マダム・モートの絶叫はいつしか咽び泣く声へと変わっていた。バンタは鼓膜を掻きむしるような泣き声に表情を歪め、ヴェラは口を固く結ぶと瞳に激しい怒りを湛えてケイを睨んだ。

「ケイさんは、自分が正しい事をしてるって本当に思ってるの?」

 ヴェラの問いかけに対しケイは目を丸くして不思議そうな顔をする。その反応に二人が戸惑っていると、不意に二人の側を大きな風が通り抜けた。風の正体は見る者に畏怖を与える程の憤怒を顔と瞳に表出させたマダム・モート。

「ここで殺す――ッ!」

 ナイフを取り出して急速にマダム・モートはケイへ迫ると大きくナイフを振り被って告げる。

「一度じゃ殺さない。アンタを(なぶ)って、嫐って嫐って嫐り尽くしてから殺してやる!」

 振り下ろされた刃はケイが身を守る為に咄嗟にかざした左の手の平へ突き刺さった。手の平を貫通させても尚、刃を押し込もうとするマダム・モートは呆然と事態を見守っている二人へ振り返って叫んだ。

「コイツへ向けた銃をあたしが良いっていうまで下げるんじゃないよ!」

「…………自分の手の届く範囲の人間すら守れない人の言う事を誰が聞きますか?」

 手の平にはナイフが刺さり鮮血が滴り落ちているというのに、ケイは極めて冷静な口調でマダム・モートへ語りかける。その様子は一種の強烈な不気味さをマダム・モートへ感じさせ、怒りに我を忘れていた彼女を一瞬たじろがせた。しかし、直ぐ様ケイへ向けて問いの答えを吠えようとしたマダム・モートは、いつの間にか自分の身体がバランスを崩されている事に気付く。

 刺された左手でそのままナイフを持った彼女の手を掴み相手を引き寄せていたケイは、足払いをかけてマダム・モートを目の前に引き倒した。足下は砂であり倒した所で殆どダメージがない事を解っていたケイは、間髪入れずに倒れたマダム・モートの横腹へ思い切り足の甲を使って豪快な一撃を入れる。

 苦しそうに呻き声を上げるマダム・モートとそれを見て引き金の指へ意識を集中させるバンタ。すると、ケイは手の平へ刺さっていたナイフを抜く動作の延長線上で、そのまま自分へ刺さっていたナイフをバンタへ向けて投擲する。

 殆ど前触れもなく飛来したナイフへバンタは反応する事が出来なかった。その代わり、ナイフが投げられる瞬間にかろうじて反応したヴェラがバンタを抱えて砂漠へ伏せる。

「ケイ、やめろ!」

 再び剣を手に取ろうとしていたケイへ砂に身体を汚しつつもバンタは叫んだ。何とか剣を再び取ることだけは阻止したかったが、ナイフを避けた時にゴモラを何処かへ落としてしまい彼はその歩みを制止することが出来なかった。感情のない笑みだけを浮かべたケイは今度こそ砂から刀身を引き抜く。

 次にどんな事態が起こるか直感で理解したバンタはヴェラよりも早く立ち上がり、マダム・モートの元へ自然と身体が走り出していた。

「さて、では二人の娘の元へお送りして差し上げます」

 にこやかにそう言いながら刃へ炎を纏わしたケイは、砂上へ倒れ伏したままで呆然と自分を見上げるマダム・モートへ炎剣を振り上げて、何の躊躇いもなく標的へ向けて振り下ろす。

「させるかァ――ッ!」

 しかし、炎剣の刃が砂漠で倒れ伏したマダム・モートを一刀両断するかと思われた刹那、必死に身を躍らせ二人の間へ飛び込んできたバンタが、身を挺して彼女を凶刃の下から弾き出した。

 マダム・モートを庇い自分は炎の刃を避けきれなかったバンタは炎剣によって、左腕の肘から先が斬り落とされる。

砂の上を転がる斬り落とされた左手と肘先が無くなった左腕を見て、バンタは痛みと共に声を上げるはずだったが――――そこで彼等は、異様な光景を目の当たりにした。

 バンタは普段からボディスーツを着用している。従って斬られた左腕と転がった手の表面が肌色でない事に何ら違和感は存在しない。

問題は――――その切り口だった。

 今この場にいるバンタを含め気絶者を除く全員が目撃した腕の切断面は、何処までも深い黒色。しかも、バンタの腕からは血が一滴も流れ出ていない。

 この不気味な現象にどうしていいのか解らなくなっていたバンタは、自分の左腕に痛覚が無くなっている事にも気が付いて、いよいよ困惑が頂点へと達した。

「何だよ、これ……何なんだよこれ……!」

 バンタの後を追って駆け出していたヴェラだったが、取り乱すバンタに何と声をかけていいのか解らずに立ち止まってしまう。周囲を見やるとマダム・モートは視線をバンタへ向けているものの今の状況に付いていけないのか呆然と跪いており、ケイは今までに見せたことのない戸惑いの表情を浮かべてその場で動けずに立ち尽くしていた。

 そして、バンタは唐突に脳内で機械が動き出す(いびつ)な音を聞く。一瞬、近くで何か金属が擦れたのかと思いビクつきながら足下を見回すが何もない。正体不明の音に怯えるバンタの頭の中でもう一度同じ機械音が聞こえた。

信じ難い事ではあったがバンタは確かに自分の頭の内側で直接、機械が動いている事を感覚で理解した。

そして、三度一際大きい音が頭蓋を反芻してバンタの頭の中を響き渡る。


――――ガチリ、という無機質な音と共にバンタの意識は深い闇の中へと落ちていった。



4


 突然充電を無くした機械のように動きを止めて項垂れるバンタを、三人は訝しげな表情で見ていた。

ただ、ヴェラだけはバンタの身に起こっている異常に心当たりがあった。それは、『トウト』の最上階に位置するバンタの部屋のドアを開けた時。


――――何なのよ、これ。


 あの時、ヴェラが唖然として言葉をこぼしたのは瞬時にベンケイに背後を取られ関節を固められたからではなかった。ヴェラが部屋のドアを開けて唖然とした理由。


それは――――部屋の壁に掛け置かれた頭部だけのバンタを見たからであった。


 ヴェラは最初、自分をモデルとした悪趣味なホルマリン漬け生首のモニュメントなのではと考えた。その後にバンタが五体満足の状態で現れ自分の考えは当たらずといえども遠からずなのだろうと、次に部屋へ足を踏み入れた時にはモニュメントが無くなっている事実が気にかかりつつも、ヴェラは勝手にそう解釈をしていた。

 だが、彼女は間違っていた。やはり自分が最初に見た頭だけのバンタは本物だった、そう考えればヴェラにとっては全てに合点がいく。

つまりあの頭から下の身体自体が全て義体であり、だからこそバンタはケイに左手を斬り落とされても痛みを感じないで気を失わずに済んだのだ。

「……バンタ?」

 異様な雰囲気を纏いガチリという一際大きな金属音を立てた後から項垂れたバンタはピクリとも動かない。その場にいた全員がどうするべきか思案にくれ互いに目を合わせた、その矢先。

 前触れもなく俯いていた顔を上げて目を見開いたバンタは、全員が一様に驚いた反応を見せているのには一切興味を示さず、次の瞬間には自身の身体を弾丸のように飛ばして、ケイの眉間近くを残った右腕で殴り飛ばしていた。

 事態を呑み込めず訳もわからないままに殴り飛ばされるケイ。咄嗟に狙われた急所からは少し打撃を逸らしたが、殴り飛ばされ砂の上を後退るように滑ってしまった彼は同時に屈辱的な思いに襲われていた。

不意打ちではあったがこんなにもあっさりと自分が殴り飛ばされるとは夢にも思わなかったケイは、先ほどまでとは豹変したバンタを注意深く観察し始めた。

「おかしなことになって来ましたね、今の一撃はとても常人のソレとは違いましたが……さて」

「……ねえ、バンタ。私の声、聞こえる?」

 ケイを殴り飛ばしたその背中へ恐る恐る声をかけるヴェラ。だが、バンタは答えなかった。彼は感情のない双眸を、舐めるように自分を観察し始めたケイへ向け続けている。

「こりゃあ……どういう事なんだい、一体」

 やっと落ち着きを取り戻したのかマダム・モートが疑問を述べると共に砂から立ち上がった。だが、ヴェラ自身もまだ正確には事態を把握出来ていないのだからその疑問には答えようがない。

その代わり、ヴェラの中では一つの仮説が生まれていた。

「推測だけど、バンタは今、誰かに操られてるのかもしれない」

「操られてるって、一体誰に……?」

「それは解らない」

 未知の事態に戸惑いと苛立たしさを半々に混ぜ合わせた顔でさらにマダム・モートはヴェラへ詰め寄っていく。

「じゃあ、あの左腕は? あの傷口は一体何だって言うんだい?」

「…………もしかしたらバンタは、もう生きていないのかもしれない」

「なっ……」

 答えになっていないヴェラの呟きにマダム・モートはそれ以上詰め寄る事は出来なかった。

そして二人の眼前では再びバンタがケイ目掛けて跳びかかっていく。もう一度繰り出されたバンタの右腕を今度は油断なくケイは掴むが、既に掴まれた瞬間から身体を捻って回し蹴りの動作に入っていたバンタに、ケイは久しく感じることのなかった背中への冷たい感覚を感じていた。

 過去、ケイが手合わせをしてきた人間の中で背筋が凍る感覚に襲われた相手はただ一人。顔の左側へ迫って来ていた踵の感覚をケイは寸前の所で炎を帯びていない剣で防ぎ、反撃にバンタの軸足へ足払いをかけると、バランスを崩した相手の身体を強引に押し切って横転した車へ勢い良く叩き付けた。

「アナタ……隊長ですか?」

「…………お前にだけは、そう呼ばれたくないと言ってるだろう」

 背中を鉄塊に押し付けられているこの状況でバンタは今までに見せた事のないような、まさに歪めてという表現が合う程に顔を歪めて不敵に笑う。

「俺がベンケイだったらどうだと言うんだ? 俺がベンケイであれバンタであれ、貴様の行うべき事は変わらんだろう」

「実の息子の身体を使って一体何のつもりです、これもロストテクノロジーの成せる業ですか?」

「いや、違う。違うぞケイ。これは純粋な現代科学の結晶だ、息子はお前のせいで身体の損傷が著しくあのままでは死を待つしかなかった。幸い、生命維持装置とこの機械の身体によって頭は生き残ったが、今後息子にどんな危険が訪れるか解らない。だから俺は、いざという時の為に、脳へ外部から身体の全機能を制御出来る機械を取り付けさせた」

 まるで己の偉業を語るかのように言葉を紡いでいくベンケイに二人のやり取りを黙って聞いていたヴェラが嫌悪の色を如実に表した。

「狂ってる……」

「同感です、隊長がこんな狂人だったとは」

「彼女にはともかく、貴様には言われたくないな、ケイよ」

「それについては異論ありません」

 憤慨したベンケイの言葉に妙な納得を見せるケイ。しかし、ベンケイの反論はそれだけでは終わらなかった。

「俺が狂っている……何故? 五年前に目の前で息子を失いかけた俺がもう二度とあんな思いはすまいと、息子を守ろうとする事の何処が狂っているというのだ?」

「志は認めるけどね……アンタはいつもやり方が間違ってんのさ。あたしが言えた義理じゃないが」

 ベンケイは会話へ加わって来たマダム・モートを見て一度目を丸くするが、直ぐに元の表情へ戻ると楽しそうにバンタの口角を吊り上げる。

「盗賊の頭領までがいるとは……随分とおかしな状況になっているなここは」

 心底楽しそうな笑みをバンタの顔で作り上げるベンケイは、にわかにケイの腕を振り払い低く腰を落とした。行動の前触れにケイとヴェラは咄嗟に身構えるが、大量に砂を巻き上げてバンタが身体を弾かれたかの如く突撃したのは、意外にもマダム・モートへ向けてだった。全体重と速度を載せたベンケイの突進に為す術もなく吹き飛ばされるマダム・モート。

今更関節の駆動を確認するかのように全身を動かし、満足気な表情でベンケイは彼女へ接触した肩口をゆっくりと右手で払った。

「ふむ、人造の身体も悪くないものだな。いっそ自分自身も機械化してしまうか」

「ベンケイさん、アナタは一体何を考えて――」

「この邂逅に賊は必要ない。加勢する気がないのなら口を閉じていろ、ヴェラ」

 言うが早いか次の瞬間には三度(みたび)ケイへ迫るベンケイ。その姿にヴェラは握りしめた両拳が小さく震える。

尊敬していた人間から良いように扱われ、彼女は怒りと悔しさで腸が煮えくり返る思いだった。勿論、自分へバンタの事を頼んでおきながらこんな信じ難い状況になっているのもそうだが、何よりベンケイが口ではバンタの為とは言っているものの、その真意は自分の中の欲求を満たす為だけにバンタの身体を操っているようにしか見えない事が、ヴェラには何より許せなかった。その身勝手さに自分の手の平へ深々と爪がくい込んでいく痛みを感じる。


『息子を襲う全ての脅威から息子を守ってほしい』


 ヴェラは唐突にベンケイの言葉を思い出していた。

 全ての脅威から。ならば、バンタの意識を奪い己の意のままに操るベンケイもまた、脅威の一つではないだろうか。そんな考えがヴェラの頭へ浮かんだ瞬間、ヴェラは落とされたままになっていたゴモラを拾い上げて、激しく交戦するベンケイとケイを見据えていた。

――――バンタを襲う全ての脅威を取り除かなければならない。例えその脅威が、私に頼んで来たその人自身だったとしても。

 ヴェラが己の目的を再確認した一方で、ケイはこの場での戦闘に旗色の悪さを感じたのか、そびえ立つ廃ビル群へ向けて走り出す。すぐさまベンケイが後を追い既に迷いを断ち切っていたヴェラも二人に続いて駆け出した。



 ケイとベンケイの攻防は決着が着かぬままに『ナンバ遺跡』内へと侵入していた。

 廃ビル、崩れた商業施設、倒壊した架線。遺跡内全ての表面に程度の差はあるが水色の砂が薄く降り積もったり、或いは完全に覆い隠したりしている。そして、周囲には依然として止む気配のない人々の怒号と複数の銃声が遠くから響いて来ていた。

遺跡内は瓦礫によって起伏の激しい場所にも関わらず、二人はまるでここが平地かの如く機敏に動き、互いに命を削り合っている。

 だが、形勢は次第に傾き始めていたようで防戦一方となったケイにベンケイが拍子抜けしたように尋ねた。

「どうして手を抜く?」

「隊長が操った状態のバンタさんを殺しても、何の意味もありませんから」

「貴様……」

 防御に構えた剣ごと蹴り飛ばされて瓦礫の上を滑りながらも、直ぐに体勢を立て直し独特の姿勢で相手を待ち構えるケイ。その姿はまるで四肢を空から吊られた軟体動物のような、不自然と言える程の柔らかさと脱力が相手から見て取れた。

「何かバンタさんを隊長の支配から解き放つ方法はありませんか?」

「敵に聞かれて素直に話すバカが何処にいる。それに……俺の事は隊長と呼ぶなと言ったはずだ。何度も」

「困りましたねえ。私の中で隊長はいつまでも隊長ですから。ヴェラさんが私へ向けた言葉の意味を、今更ながら理解しかけていますよ」

 全く目が笑わずに口元だけで笑うケイと終始無表情で相対するベンケイ。そして二人は不意に自分達へ一つの銃口が向けられている事に気が付いた。

「何のつもりだヴェラ、これはバンタの身体だぞ」

「そうです、ヴェラさん。今はアナタの出る幕では――」

「二人共黙って……ベンケイさん、私に言ったわね? 息子を襲う全ての脅威から息子を守って欲しいって」

「ああ。だが、君は約束を違えた」

「確かに私はバンタを守り切れなかった。でも、まだ約束は終わりじゃない。だから私は、ケイさんとアナタ(、、、)をここから排除する」

 ゴモラを構え二人を威嚇するヴェラの瞳には確固たる決意が灯っていた。自分達へ特殊な拳銃向けているとはいえ、たった一人で二人を排除すると言ったその宣言にケイは困ったような表情を浮かべ、ベンケイは豪快に笑い声を上げる。

「共に英雄になる人間はそうでなくては! 心意気は買ったぞヴェラ。さあ、銃を下ろせ。ケイだけに向けるならまだしもこの身体はバンタだぞ」

「だからこそアナタへ向けてるのよ。アナタが大人しくその身体を開放しないなら、私はアナタも撃つわ」

 途端、ヴェラの言葉に笑みを浮かべていたバンタから表情が消える。ベンケイの変貌にヴェラは全身へ寒気を感じ、震え出しそうになる身体を必死で留めてベンケイを睨み続けた。

「本当に俺と息子の道を邪魔しようというのか」

「と、じゃない。息子を英雄にしたがっているように見えて、アナタはやっぱり自分で英雄になりたいのよ。だから、息子にこんな酷い事が出来る」

「……いいだろうヴェラ。貴様から始末してやる」

 底冷えするような暗い闇を湛えたバンタの双眸がヴェラを直視する。たじろぎ一歩後退ってしまったヴェラへ、ベンケイは足場を蹴り砕いて走り出した。一気に距離を縮めてくる相手に対してヴェラは発砲することが出来ない。撃つと宣言したはいいが相手の言う通り、身体は義体とはいえバンタのものなのだ。頭など直接的に彼の生死に関わる部位は間違っても撃つことは出来ない。

 苦し紛れに放たれた威嚇射撃へ全く動じず直進を続けていたベンケイは、相手の少し前で立ち止まるや大きく砂を巻き上げて跳び上がると、そのまま左膝を突き出してヴェラへと迫る。寸前の所で彼女は斜め前方へ転がってこの攻撃を回避するが、体勢を立て直そうと立ち上がった時には既にベンケイの第二撃が鼻先まで近付いていた。

「息子を俺自らが英雄にして何が悪い!」

 怒気の籠もるベンケイの言葉と共に放たれた拳をヴェラは無理やりに身を反らす事で何とか避ける。

「ッぅ――ッ!」

 横腹の筋繊維が何本か千切れた痛みに耐えながら彼女はバンタの背中を蹴飛ばし、何とか相手ともう一度距離を取り直した。

脇腹から脇下まで広がる痛みに顔を歪めるヴェラ。バランスを崩し彼女から少し離れた位置で振り返ったバンタの額には、はっきりと見えるほどの青筋が浮かんでいた。

「俺がなれなかった英雄に、愛する息子をしてやろうというこの親心が何故貴様らには解らん!?」

「何故、それが暴走した考えだと気付けないのでしょう」

 先程の二人の攻防が始まる瞬間から駆け寄って来ていたケイがバンタの後頭部を背後から不意に鷲掴む。そして、振り払おうともがく頭をそのまま足下の砂の中へ無理やりに押し込んだ。

「窒息させれば一時的に隊長の意識も無くなってしまいますかね?」

 砂に顔面を押し付けられ呼吸が出来ない事にベンケイはもがく。片腕両足をバタつかせて必死に逃げ出そうとするが、剣を置いた無傷の右腕で余程しっかりと固めてしまっているのかケイはビクともしない。やがて徐々に抵抗が弱くなってくるとバンタは力なく手足を弛緩させて砂漠の上へ伸びてしまった。

「バンタ!」

「大丈夫、一時的な窒息です。直ぐに救命措置をしますので」

 焦るヴェラへ冷静に答えて、ケイはバンタを仰向けに寝かせると直ぐに救命措置を始める。

その様子を見守ることしか出来ないヴェラ。彼女にはケイの考えている事が全く解らなかった。

ベンケイの言っていた通りに殺しの標的がベンケイとバンタであるならば、別にこの場でバンタの命を奪ってしまってもいいはずだ。だが、ケイは決してそうしなかった。

「……ケイさんは一体何が目的なんですか?」

「不思議な事を聞きますね、私の目的は『AP保障』から与えられた任務を全うする事。そして、私は真っ向から立ち向かおうとするバンタさんを手にかけたいだけです」

 己の目的を淡々と告白するケイにヴェラは畏怖にも似た感情を心の中で感じていた。救命活動を行うケイへ彼女は改めて言葉を発しようとしたが、その直前でバンタが激しく咳き込みながら息を吹き返した。

「おかえりなさい、バンタさん? それとも隊長ですか?」

「……ケイ、何で僕はこんな」

 言葉の途中でバンタは再び咳き込み苦しそうに上半身を小刻みに上下させた。その様子を見てケイは立ち上がるとバンタから離れて行き、代わりにヴェラがバンタへと駆け寄って行く。

「大丈夫、バンタ?」

「ヴェラ……僕は、どうして……何でこんなに息苦しいんだ?」

 苦しさで歪んだ顔面を汚す砂を払いながらバンタはヴェラへ疑問を投げかけるが、その答えはケイから告げられた。

「隊長がバンタさんの身体に脳を支配できる装置を埋め込んでいました」

 ありのままの真実をオブラートもなしに伝えるケイにヴェラは上体を後ろに向けて振り返り、ケイが何故バンタから離れたのかを理解して言葉を失った。

「バンタさんの身体は生身ではなく、どうやらオーダメイドで作られた特殊な義体のようです」

 またも事実だけを正確に、それでいて冷酷に述べていくケイの右手には炎を纏う前の炎剣が握られていた。ヴェラはバンタを庇うように前へ出てゴモラを構えるが当然ながらケイは威圧的な薄い笑みを浮かべたままで動じない。

「衝撃的な事実です、心の動揺も大きいでしょう。でも、バンタさんは戦わなくてはいけません。何故なら、私という敵が今、目の前にいるのですから」

「父さんが……僕の身体を弄っていた? だから、さっき頭の中で嫌な金属の音が……」

 先程の記憶がフラッシュバックしてしまったのか小刻みに身体を震わせ、バンタは(うずくま)り身を縮めてしまった。

「もう嫌だ……何で、頑張ろうとするたびにこんな事になるんだよ……」

その姿にケイは落胆の表情を露骨に見せ、首だけを動かして状態を確認したヴェラは胸が張り裂けるような気持ちに襲われていた。

 信じてきた、愛して来た人間に裏切られる痛みがヴェラには今にも泣き出してしまいそうな程に解る。しかも自分もバンタも、それは一度だけの出来事ではないのだ。

 感傷に浸りかけてしまったヴェラだったが、それは突然にケイが表情を変えて駆け出した事で払拭される。急速に自分達へ迫って来るケイにヴェラのゴモラを持つ手は無意識に力んでしまう。

「止まってください、ケイさん!」

 ヴェラの制止にケイは微塵も止まる気配を見せない。牽制の意味を込めて一発、ヴェラは光弾を発砲するが、驚くことにケイは全く避ける素振りすら見せずに肩口へ光弾を受けると、尚も止まらずにヴェラ達へ近付いて来る。不審なまでの突撃行動に戸惑うヴェラの眼前までケイは辿り着くと、攻撃に備えて身構えたヴェラの身体を思い切り押し退けるような手付きで薙ぎ払った。

「えっ――――」

 唖然とした声を上げながら身体を砂と瓦礫の上へ倒したヴェラは、次の瞬間に突き出されたバンタの右腕に胸部を貫かれるケイの姿を見る。

「元とはいえ、部下を庇うとは意外と思いやりがあるじゃないか、ケイよ」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべてケイを片腕で突き刺したまま、ベンケイは高らかに笑った。



 気付くとケイは黄色い砂埃で汚れた路地裏から空を見上げていた。

――――何だ、これは……?

突然の事に脳が混乱を起こしてしまうケイだったが瞬時に思考が一つの結論に辿り着く。

――――ああ、これはきっと走馬灯だ。

 老朽化の激しい建物の外壁に寄り掛かった自分の身体は何回りも小さく、今にも雨が降り出しそうな空はいつもより遠く感じられる。背中を壁に預けながらズルズルとケイは地面へと座り込んだ。

――――これは多分、十歳前後の記憶。仲間を皆、失った直後の事だ。

 ケイは砂漠化が進み砂によって廃れてしまった街のスラムに生まれた。その為に彼には生まれた時から親はおらず、自分の正確な年齢も把握した事はない。彼は街の子供達のリーダー的存在であったが、当時はいよいよ街から人も物も消え去って空腹に苦しみ、意識が薄れ始めた時の事だった。

「――――おい、コドモ。お前、そろそろ死ぬのか?」

 頭上から粗雑な声が浴びせかけられケイは力なく顔を上げる。そこには金髪を逆立て両耳に瞳の色とは対照的な真紅のピアスをした一人の男の姿があった。

 ケイは哀れみの色を微塵も見せないままで自分を見下ろす男に対して力なく頷く。自分がもうすぐ死んでしまうだろうということは幼いながらにでも直感で察する事が出来た。

「そうか。しかし、お前も不幸だな。言うなれば不幸の申し子だ。人間のエゴでこんな場所に生み落とされて、パパとママには見捨てられ、小悪党に成り下がり、挙句の果てには空腹に喘いで、虚ろな目をしたまま世界を呪って死んでいくなんて」

 独特のテンションで語る男の勝手なケイの一生を表した言葉はあながち間違っていなかった。違う点といえば、ケイにはもう世界を呪うほどの力も残されてはいなかったという点である。

 しばらく死にかけの目で自分を見つめるケイを男は黙って見下ろしていたが、不意に彼はしゃがみ込んでケイの胸ぐらを掴み上げると、口の端を片側だけ吊り上げて楽しそうに笑った。

「ここで俺が一思いに殺してやろうか……?」

 ケイにとって、その提案は決して悪い話ではなかった。生まれてからこれまで、ケイはまともに生きることが出来なかった。食べ物を盗み、金品を奪う、それが当たり前の世界に身を置いてきた。そんな中で、人知れず野垂れ死ぬくらいなら誰だかは分からないが、人間に殺してもらえるなんてこんなに幸運な事があるだろうか。

 少なくとも男はしばらくの間自分の事を覚えておいてくれるだろう。自らが命を絶たせた哀れな少年として。

 ケイは胸ぐらを掴んでいる男に向かって小さく首を縦に振った。すると男は一際大きく笑い声を上げて小さなケイの身体を持ち上げると、肩へと抱え上げる。

「気にいったよ、要らねえ命なんだろう? だったら俺がその生命を使ってやる」

 ケイを肩に抱え上機嫌に笑う男――――アーサー・クラウチは、こうして彼を自分の懐に迎え入れた。

あらゆる事柄に使用できる便利な駒として。


 数時間後。アーサーの私邸へと連れて来られたケイはテーブルの上に並べられたご馳走の数々に目を丸くして静止していた。

「なんだ? 遠慮せずに食えよ。お前の為に準備させたんだ、がっつけ、ほらほら」

 華美な装飾が施された広い室内で楕円のテーブルに並べられていた料理の数々をケイはもう一度見下ろす。だが、まだ彼は料理を口へ運ばなかった。そしてその代わりにもう一度恐る恐るアーサーを見た。

「ったく、可愛いやつだなあ。さあ、食え! ダッ! と掴んでバクッ! だ!」

 アーサーの呆れたような再三の許可の声を受けてケイは今度こそ料理へ手を伸ばす。見たこともない食べ物に少しの警戒心を見せながら、サイコロステーキのような肉を自らの口へ放り込んだ。

「――――――ッ!」

 口の中いっぱいに肉の旨味が広がった瞬間、ケイの料理へ伸ばす手は止まらなくなった。それどころか、噛む時間すら惜しいとばかりに速度を上げて無我夢中に次々と何種類もの料理を飲み込んでいく。

 しかし、ある時にケイの料理へ伸ばしていた手がピタリと止まり、急に彼は溢れるほどの涙を流し始めた。

「あいつらにも……食わせてあげたかった」

 顎先から涙がテーブルへ滴り落ちるのも気にせずに、悔しそうにケイは唇を噛んだ。

 ケイの生まれた街はかつて資源採掘地として賑わった街であり、若い炭鉱夫達の人口増加に伴って発展を遂げた街であった。その為に探鉱が閉鎖されて街が廃れ始めると、ここで子を為した炭鉱夫達の多くは子供を置き去りに街を捨てて行った。結果、ケイを始めそこら中の路地裏に親のいない子供たちが溢れかえる。それでも彼等がすぐに死に絶えなかったのは、街が辛うじて砂漠の数少ない交易路の休憩地として機能していたからだ。

 時折訪れる旅人を襲っては身ぐるみを剥いでケイ達は生活を繋いできていたが、当然の事ながら悪い噂はすぐに広まる。次第にケイの街へ足を運ぶ旅人の数は減り、それに歩調を合わせて路地裏には痩せ衰えた子供の死体が日に日に数を増して転がっていった。

 そして気付けば、砂と空虚だけが住んでいる街の中で生き残っていた子供はケイだけになっていたのだ。

 いつまでも泣き止まないケイを見て、面倒くさそうに後頭部を掻きむしりながらアーサーは言う。

「人間には出来る事と出来ない事がある。限界ってやつだ。俺だってお前以外も助けたかった。でも、悲しいことに人間の両腕の届く範囲ってのは、自分で思ってるよりも遥かに狭いもんだ」

 全く説得力を感じさせない声色ではあったが今のケイにはニュアンスなど問題ではなかった。アーサーの言葉に黙って頷くと片腕で両目に溜まった涙を拭い、アーサーの側まで歩いて近付いて行くと、彼の横でケイは片膝を床についた。

「助けてくれた礼に、アンタに一生の忠誠を誓うよ。おれの両腕でアンタを守ってやる」

 弱々しくも覚悟を決めたように聞こえるケイの宣誓。それを両耳で聞き届けたアーサーは片側の口角を吊り上げ務めて冷静に答えた。

「その言葉、確かに受け取った。俺達二人でどんな(、、、)手段(、、)を(、)使って(、、、)も、この地球上で生き残ってやろう」


 それからケイの生活は一変した。スラムでゴミ箱を漁り、人を襲う生活から、一気に上流階級の文明的な生活に様変わりしたのだ。そして驚くべき事にケイは自分でも己の感覚を疑う程、すんなりと新しい生活水準に適応した。

 読み書きに一般教養、そしてアーサーの会社は傭兵紛いの依頼も多かったことから、戦闘の基本まで彼は次々にその技術を吸収していった。

 そしてその過程で『AP保障』という会社が表の顔と裏の顔を持っている事にケイは気付く。表向きは人間を脅かす二色の砂漠から依頼者を守る傭兵業であったが、裏側ではその技術を駆使して高額な報酬と引き換えに暗殺業を営んでいた。

 二つの顔を持ち合わせる会社の実態にケイは特に何の感慨も持たなかった。自分でさえ、スラムで生きている頃には非合法な事を日常的に行ってきた。だからそれを、大きな企業がビジネスとして運営していてもケイにとっては何ら不思議なことではなかったのだ。

 そして、ケイもいつからか仕事として標的の人間を殺し始める。最初は多少の躊躇いがあったものの、数を重ねる内にそれは完全な作業と化していった。

 それから『AP保障』での日々があっという間に過ぎて、ケイは推定で二十歳を迎えた頃には立派なアーサーの右腕として成長していた。

そんな或る日、アーサーのオフィスで彼は唐突に告げられた。

「ケイちゃんさ、ベンケイの所にちょっとばかしスパイとして潜り込んできてよ」

 この頃にはケイにとってアーサーの命令は絶対となり、彼は何の躊躇いもなくその申し出を受けると単身二色の砂漠を横断し、『トウト』で英雄と呼ばれているベンケイの元に難なく潜り込んだ。持ち前の勤勉さはここでも功を奏しケイは数年足らずでバンタの養育係を任されるまでとなる。

――――この抜擢さえなければ、自分はこんなにはならなかったかもしれない。

ケイは目の前を流れ去っていく記憶を眺めながら苦々しい気持ちに襲われていた。

 バンタの養育係を任されて半年。或る日、彼は芝生の上でまだ幼いバンタと共にゆったりとした空気の中で寝転がっていた。

「ねえ、ケイ」

「何でしょうか?」

「どうして砂ばくは人間を食べちゃおうとするの?」

 子供特有の表現にケイは小さく笑いながら冷静な口調で答えを返す。

「それは、人間が砂漠の胃袋を大きくしてしまったからです。砂漠は元から食いしん坊だったのではなくて、私達が食いしん坊にしてしまったのです」

「この間、また新しくこのまちに来た人が何もかも砂ばくにのみこまれてしまったって言ってた。砂ばくってがまんは出来ないの?」

「彼等に我慢という考えは残念ながらありません。特に水色の砂漠は黄色い砂漠でさえも食べてしまうのです」

「お友だちまで食べちゃうってこと?」

「そういうことです」

 肯定の返事にバンタは突然立ち上がると不思議そうに自分を見ているケイへ向かって、勢い良く叫んだ。

「じゃあおれが砂ばくをおこってあげる! そうすればみんなこまらなくなるでしょ?」

「それは名案です。お父さんは既に何度も砂漠を叱りつけていますから」

「父さんの言うことだけじゃ聞かないならおれもおこる。そうすればきっと砂ばくもいくらお腹がへってるからって、人のモノを食べちゃいけないってわかると思うんだ」

 子供心からの発想ながらケイはバンタの発言を頼もしく感じた。

 ケイには『トウト』へ来てから分かった事が幾つかある。

一つは、ベンケイのプロジェクトは人類の為に無償で行われていて自分が身を置いている利益至上主義の『AP保障』とは、活動内容は同じながら活動理念は全く違うという事。

二つ目は、ベンケイとアーサーは理念が正反対な事と同様に、人柄的にも間逆だという事。アーサーは自らの目的のためならば手段すら選ばない。事実、ケイは何度か彼の為の暗殺を請け負った事がある。表も裏もなく気に入らない事は全て排除しようとするのがアーサーであり、その為に周囲からは恐怖の対象として見られる事が多かった。

 逆にベンケイは筋の通らない事を嫌い、何事も正攻法で進もうという不器用さが感じられた。最も、その方針があればこそ有志での砂漠へ立ち向かう計画が成り立っており、ベンケイの周囲からの絶大な信頼と期待は恐らくその愚直さに起因しているのだろう。

 ケイは今まで圧倒的な自然の脅威を前にしてここまで他人を思いやり誰かの為に何かを為そうという街と人を見た事がなかった。もはや地球に残された人々は全員が全員、自らが生き残るためなら他人の事などは平気で蹴落とすような人間しかいないのだと思ってすらいたのだ。そしてケイは皮肉にも自分の行動理念が最もベンケイ達と近いという事実に気付きつつあった。


「…………撹乱、ですか?」

《そう。潜入スパイ期間満了祝いに、一発ドカンとスモークを『トウト』に打ち上げてやろうぜ!》

 手で持つことが出来る小型のホログラム表出装置に映ったアーサーが陽気に灰皿を天井へ向けて投げつけている。

《どうやらベンケイがちょっとばかし厄介な事をしでかしそうなのね。だから、その出発の直前に爆弾騒ぎを起こして引っ掻き回しちゃってくれるかな》

 落ちてきた灰皿を受け止めては投げを繰り返していたアーサーだったが、落ちてきた灰皿が不意に掴もうとした指先へ当たり、軌道を変えてそのまま床へ落下して粉々に砕け散った。

《ああ……俺のおニューの灰皿……。装置は他の部下に持って行かせるから、あとは好きにして》

 露骨に自分が切り出した話題への興味を失うアーサーにケイは戸惑いながら与えられた任務を復唱する。

「では、私はその装置を受け取って防塵壁内で装置を起動させればいいのですね?」

《そゆ事。あ…………》

 アーサーは頷いてから思い出したようにケイへ一つの指示を付け加えた。

《装置を取り付けるのは、ベンケイの息子が乗る車でよろしく》


――――自分は今まで忠実に与えられた仕事をこなしてきた。そしてそこには達成感や後悔など微塵も存在した事はなかった。なのに――――。

「スモークだけだと言った筈です、なのに何故!」

『トウト』から遥かに離れた黄色い砂漠でジープ車を止めて、ケイはホログラムとして現れたアーサーへ思わず叫んでいた。

《二日間も鬼コールしてくるからその事だろうな~って思ったよ。煙が出るとは言ったけどさぁ、爆発はしないとも言ってないでしょ? ケイちゃん、何怒ってんのさ~》

「バンタさんはまだ十一歳でした。彼はこんな人間のエゴの渦に巻き込まれるには早すぎます!」

《なになに、ケイちゃんもしかしてベンケイの息子に情が移っちゃったの~? やだな、勘弁してよぉ》

 あくまで相手の調子を狂わすような喋り方をするアーサーにケイは苛立ちを隠し切れない。円盤型のホログラム表出装置を思わず握り締めてしまうケイへ、アーサーは突然ホログラム越しでも伝わる冷え切った双眸を向けた。

《あんまり俺を失望させるような反応はやめてよね。ケイちゃんは十歳にもならずに強盗を働いて殺されてもおかしくない命だったわけでしょ? その生命の重みと箱入り息子の命、どう違うわけ?》

 アーサーの温度のない言葉は興奮状態にあったケイの感情を一気にクールダウンさせた。命を救われてから今まで、何度見た事があるか分からない相手の背筋を凍らせるような態度に、ケイはすぐに返答を返さなければいけないと解っているにも関わらず上手く言葉が喉から出てこない。

《金持ちの息子も、貧乏人の息子も、英雄の息子も、悪党の息子も、一つのおんなじ命。皆死んだら終わり!》

 高級デスク・チェアが壁に激しく叩き付けられる音がホログラム装置から聞こえてきた。恐らく、アーサーが言葉と共にヒートアップして蹴り飛ばしたのだろう。

「……無意味に野垂れ死にそうな所を助けて頂いた事、本当に感謝しています」

 やっとの事でケイは言葉を絞り出した。だが、ケイの掠れ気味の声を聞いて何を思ったかアーサーは突如狂ったように笑い声を上げる。

《無意味? クァははははははははははははははは、死ぬことにそもそも意味なんてないよ? 傑作だよこりゃ、ゥクアはははははははははははははははははは》

 狂気。まさにその言葉がピタリと当てはまるアーサーの様子を呆然と眺めるしか出来ないケイ。

《ケイちゃ~ん、大きな勘違いをしてるよ? 死には有意味も無意味もない。つまり、俺がケイちゃんを拾った事に意味なんてないんだよ。はっははははははははは!》

――――自分を救った事に意味が無い? ならばどうしてあの時にアナタは私を助けたのか。

ケイは結局最期までその疑問の答えを聞くことは出来なかった。

 一頻り狂ったように笑い尽くしたアーサーは歪めていた顔を無表情に戻すと、両手で髪を後ろへ向かって撫で付け乱れたスーツの襟を正す。

《俺もケイちゃんも死んだらそれまで。まあ、そういうことで長い潜入お疲れ様でした。じゃ、気を付けて帰っておいで》

 一方的に通信を終了されしばらくの間ケイはその場から動く事が出来なかった。今の一瞬で、自分が積み上げてきた物が全て崩れ去ってしまったような感覚に陥り、これから為すべき事が完全に解らなくなっていた。

――――いっそ、アーサーを裏切ってこのまま砂漠の何処かへ消えてしまおうか。

――――きっとこの時に『AP保障』を去る決断をしていたら、バンタやヴェラを含む大勢の人間の人生が今とは大きく違っていただろう。

流れてきては消えていく走馬灯を眺めながら、ケイはそんな事を考えていた。


 思い悩んでいたケイは不意に両足へ微かな砂漠の振動を感じた。思考の海から我に返った彼は鼓膜にも砂漠が動く音を聞き取ると、ジープ車へと乗り込みアクセルを踏んで音と振動が響いてきた方角へと車を走らせる。水色の砂埃を巻き上げて高速で砂漠を進み、やがて徐々に近くなるに連れて何かを呑み込んでいくかのような轟音と、車体を震わすほどの衝撃にケイはハンドルを握る手の平に滲み出す汗を感じていた。

 そして、目の前にある砂丘をアクセル全開で登りきり――――ケイは右足へ瞬時に持てる力全てを注ぎ込んで急ブレーキを踏んだ。

――――目の前の光景を何と言い表せば良いのだろう。

蘇った記憶ながらもケイは的確な表現を見つけることが出来なかった。

 端的に表すのならばそれは二つの砂漠の境界線に出現した、街一つを呑み込んでしまう程の蟻地獄とでもいうのだろうか。黄色と水色が渦を巻いてゆっくり、ゆっくりと地中へ全てを呑み込んでいく。確信を持って言えることがあるとすれば、あの渦の中央に生命体は絶対に存在しないという事だ。あの中心に生き物がいたとするならば、例え白鯨であってもひとたまりもないだろう。

 周囲を震わすほどのエネルギーを持って地中へ向かっていく渦の中にケイは民家に使われていたのであろう木材や、コンクリートの残骸を見つけていた。そして彼はそこで一人の少女の事を思い出して、周囲を見渡す。すると、ベンケイに泣きながら助けを求めていた少女は、やや渦からは離れた小高い砂丘の上で生気を失った状態で立ち尽くし村を呑み込んでいく自然の猛威を眺めていた。

 ケイはハンドルを思い切り回し再びアクセルを踏み込む。車は直角に曲がりながら急発進し、傾斜を勢い良く降るとやがて少女が立ち尽くしている砂丘の上へ到着して、彼は静かに車から砂丘へと降り立った。

「……その、生きていて良かった」

 ぎこちない口調でケイが白金色の長い髪がたなびいている後ろ姿へ声をかけるが、少女は一向にこちらを振り向く様子が見られない。放心状態なのかケイの声が聞こえていないようだ。

「ここまで送って来た『トウト』の人間は……逃げたんですね。君を置いて」

 ケイはさらに少女へ近付いて肩に手をかけるが、それでも少女は振り向こうとしなかった。仕方なしに彼は彼女の肩へかけた腕に少しばかり力を入れて振り返らせる。だが、振り返った少女の瞳にケイは思わず息を呑んだ。

 直前まで渦を眺めていた少女の瞳は映り込んだ渦巻く絶望を取り込んでしまったかのように深く、暗い闇を携えていた。

 思わず肩から手を離し後退ってしまうケイ。そこで初めて少女はケイの存在に気が付いたのか、離れようとしたケイへ詰め寄ると胴へしがみついた。

「私達が一体何をしたっていうんですか? 私の村は厳しい環境の中でも心を失わずに皆で助け合う事が出来るのどかな村でした。なのに、なのに、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんですか? 村人全員の命より、英雄の息子一人の命の方が重いっていうんですか?」

 捲し立てる少女の、底の見えない穴のような暗がりを宿した瞳からは一滴も涙は流れていなかった。それが苦悩に歪む彼女の表情をより一層引き立たせる。

――――自分が、装置を起動さえしなければ。

 ヴェラの村がベンケイに見捨てられてしまい砂の中へ沈んでいったのはケイの引き起こした爆発事件が原因で、彼はそれを当時も今も深く後悔している。

仕事に関しては何の感慨も持たない。ケイの概念が崩れてしまったのはこの爆発事件からであった。

――――自らの行いが一人の少年の未来を奪い、一人の少女の平穏を奪う結果となった。私は一体どうするべきなのだろう。

 ケイはスラムを出てから初めて、アーサー以外の人間の為に何が出来るかを模索し始めた。生まれた時から罪深く生きて来てしまった自分に、もはや人並みの幸せは望まない。だが、自らの腕が届く範囲の人間の幸せを望む事ならば自分にでも出来るのではないか。

「――――君、良ければ私と一緒に来ませんか?」

 その第一の選択として、ケイはヴェラを『AP保障』へと招き入れた。この過酷な時代に一人砂漠へ取り残されてしまっては遅かれ早かれ野垂れ死ぬ以外にないだろう。まずは彼女を助けて再起させ、砂漠と人間で汚れてしまったこの世界を生き抜いていくすべを身に付けさせる。

 しかし、そのままずっと『AP保障』にいては自分と同じことになってしまうとケイは解っていた。

だから、ヴェラの初仕事となる村の仇討ちの為にベンケイと相対していた彼女に真実を語り冷たく突き放した。

『嘘ではありません。あの日、バンタさんの乗ったジープへ爆弾を仕掛けたのは私ですよ』

――――これでいい。これで、彼女は自分と同じ道を進まなくて済む。彼女の怒りは数倍に膨れ上がり自分へ向けられるだろうが、それが本来自然な事だ。

 ケイは虫の息になっていたベンケイも意図的に見逃すことにした。バンタの部屋で力なく転がるベンケイへわざと隙を作ってビル内から逃亡させたのだ。

――――今思えばこれが私自身最大の失敗と断言してもいい。隊長の外面しか知らなかった私はあそこで彼を逃し、あとはバンタさんが立ち直ってくれさえすればいいと考えていた。

 爆発事件後にケイが見た五年ぶりのバンタの姿は幼い頃に備わっていた英雄としての素養が全て失われてしまっている状態だった。父親の命よりも自分の身を守ろうとするバンタの行動に、ケイは酷いショックを受ける。勿論、バンタにではなく彼をここまで追い込んでしまったのは自分だという罪悪感からだ。

 そして、今。砂漠で二度目の遭遇をバンタと果たしたケイへ猛然と襲いかかって来たのは、バンタではなく彼の身体を操るベンケイだった。この瞬間、彼の腕の届く範囲からベンケイが消える。人の命を、息子の人生を一体何だと思っているのかと、ケイは憤りさえ感じていた。勿論、発端が自分だとは忘れていなかったが。

 なんとかしてバンタの意識を取り戻す事が出来ないか戦いながらも思案を巡らしていたケイだったが、最期は自分で考えていたよりも呆気なくヴェラを庇って胸に取り返しのつかない大きな傷を負ってしまった。

――――出来ることならバンタさんとヴェラさんの幸せを見届けてから死にたかったですが……それはアーサーを裏切れない私が居ては成り立たない事。

 永遠の忠誠をケイはアーサーに誓った。彼はその誓いを微塵も破らず生涯貫き通す覚悟を決めている。しかし、同時に自分の両腕の届く範囲の人間を守りたいと願い、その幸せを見守ろうとした、その相手こそがバンタとヴェラだったのである。

 勿論、自分の命の恩人であるアーサー・クラウチの幸せも同様に。


 その証拠に走馬灯の最後――――彼の脳裏に思い浮かんだのは、優しく笑うアーサーの姿だった。



 ベンケイが胸部から血に染まった腕を引き抜くとケイは無残に砂の上へ仰向けに倒れる。その光景にヴェラの口からは自然と疑問がこぼれ落ちた。

「ケイさん、何で……」

 パニックに近い状態となり砂漠へ座り込んだまま動けないでいるヴェラをベンケイはしばらく見下ろしていたが、ふと足下に炎剣が落ちていることに気付くと拾い上げておもむろに倒壊しかけた建物へ向かって行く。

 ベンケイがケイに興味を無くして離れていくのを見てヴェラはピクリとも動かないケイの側へと寄った。

「どうして、私を……」

「最後まで……見届け、られないのが……心残り、です」

 驚くべきことに彼はまだ生きていた。虫の息で意識も虚ろとなりヴェラの声が届いているのかも分からなかったが、ケイはほとんどかすれた息となってしまった声で何事か呟いている。

 その微かな言葉をヴェラは必死に聞き取ろうとした。だが、それを嘲笑うかのように何かの切断音が聞こえ、次の瞬間には周囲へ轟く程の爆音が辺りへ響き渡る。

爆心地は倒壊した建築物。

ベンケイが炎剣で廃ビルを一刀両断したのだ。自らが引き起こした爆発によってベンケイ自身も爆風で吹き飛ばされていたが、倒れた砂漠の上から軽々と立ち上がると、満足そうにケイの炎剣を眺める。

「良いロストテクノロジーを持ってるじゃないか、なあケイよ」

「……死んだわ、たった今」

「そうか、息子を殺そうとしたのだから仕方がない」

 砂漠へ横たわり命を終えたケイの横に立って、ヴェラはゴモラの銃口をベンケイへ向けている。

「この期に及んでまだ俺へ銃を向けるのか貴様は」

「まだ脅威が一つ排除されただけでしょ。残りの一つも排除しなきゃ……だってそれが、ベンケイさんとの約束だから」

 この状況下において平然とした口ぶりのヴェラに、ベンケイは警戒の眼差しを注いだ。現状、マダム・モートとケイを無力化した今となっては一対一の戦いであれば負ける気がしなかったが、急に冷静さを取り戻したヴェラの様子に何か策があるのではないかと疑う。しかし、そこまで思考を巡らしてベンケイは初歩的な事に気付いた。

ヴェラは絶対にこの身体へ発砲しない、する事が出来ないのだ。

「貴様もケイと同じ末路を辿らせてやろう」

 背にした燃え上がる炎の揺らめきへ己の影を落とし、足場を蹴り抜いて一気にベンケイがヴェラ目がけて突進する。すると、彼女は驚くべき事に何の躊躇いもなく引き金を引いた。

「何ッ――!?」

 自らの頭部へ急速に迫る光弾を間一髪でベンケイは右へステップを踏み回避するが、横へ移動することにより生じた減速具合をヴェラは見逃さなかった。

 背中から瞬時に大型銃『ソドム』を下ろし補助グリップを開放してヴェラはソドムへ小さく呟く。

機関(マシン)(ガン)モード、オン」

 言葉と共にヴェラが引き金を引くと、今まで巨大な円柱の光線を放射していた銃口からソドムは無数の光弾を連射し始めた。ばら撒かれた大量の光弾は次々と砂漠へ着弾し砂埃を巻き起こしていく。しかし、一発たりともその弾丸はベンケイの操るバンタの肉体へは飛んでいかなかった。一見するとただの乱れ撃ちに見えるが、その実しっかりと制御された発砲行為だったのだ。

「猪口才な真似を――ッ!」

 続けざまに着弾した光弾はやがてベンケイの周囲へ砂の煙幕を作り上げていた。視界を奪われヴェラを見失ったベンケイは怒りを放出させて叫ぶが、それにヴェラが答えるはずもない。

 段々と濃くなっていく煙幕にしびれを切らしたベンケイが炎剣の炎量を上げる。豪快に縦に薙ぎ横に薙ぎ斜めに薙ぎ払う炎剣の暴れ模様が見る見るうちに砂煙を晴らし始めるが、ベンケイは不意に足元の感覚に違和感を覚えた。

 違和感の正体を確かめようとベンケイが下を見るより早く、小さな拳を相手の顎へ的確に当てて、ヴェラが全身を伸び上がらせる。

「ガッ――――!?」

銃での攻撃は全て撹乱であり砂煙で身を隠して相手の懐へ潜り込めるこの瞬間を、彼女は待っていたのだ。渾身のアッパーカットを顎にお見舞いされたベンケイは脳を揺さぶられて膝から崩れ落ち一瞬意識を失いかけたが、強靭な意志を持って強引に五感を引き戻す。

しかし、ベンケイが意識を失いかけた刹那にヴェラはバンタの後頭部に長髪で隠されていた肌とスーツの境目へ跨って取り付けられている、ペンライトサイズの機械を片手で鷲掴みにしていた。

「貴様、何故――」

「ケイさんが教えてくれたのよ」

 ケイが死ぬ間際に呟いていた事。それは、バンタの後頭部を掴んだ際に手の平へ感じた違和感についてだった。ヴェラは彼の最期の言葉を聞き取っており、僅かに感じた違和感が全ての元凶だとケイは予測していたのだ。

「機械を破壊して俺が息子を守れなくなったらどうする気だ! また息子は大怪我を負うかもしれない、死ぬかもしれない、英雄に成り損ねてしまうかもしれないんだぞ!?。良く考えろヴェラ、俺は息子の為に最善の選択をしているんだ」

 首根っこを掴まれながら一気に捲し立てるベンケイをヴェラは冷ややかな目で見下ろしている。

「うっとおしいのよ、アンタ」

「う、うっとおしい……?」

 予想外に発せられた彼女の一言に動揺を隠し切れないベンケイ。

「世界を救うだとか英雄になるだとかの前に、過保護を通り越してうっとおしいの。だって、少しでもバンタが『トウト』を出てから変わったことを見てあげた? バンタがもう一度踏ん張ろうとした事の背中を押してあげた? してないでしょ? だって知るはずがないんだもん。なのに、本人の意志を無視して最善だとか、親の愛だなんて、聞いて呆れるわよ」

「どういうことだ……? 息子が、どう変わったというのだ」

「自分の事を俺って言うようになった」

「なっ…………」

 ヴェラの語った事実にいつの間にかバンタの顔は驚くことに子を持つ親の顔となっていた。おかしな事ではあったが、ヴェラも今のバンタの顔を見てそう感じてしまったのだから仕方がない。

「本当か、本当にバンタはまた自分の事を俺と言ったのか」

「ええ、間違いなく」

 肯定の言葉を聞き急速に表情へ落ち着きを取り戻したベンケイは、何かを悟ったかのようにゆっくりと一つため息をついた。

「…………外してくれ。垂直に引けば問題なく外せるはずだ」

「悲しいけど子は親がいなくても育つのよ」

「たかだか、十五、六の小娘が知った口を」

「安心してよ。ベンケイさんから頼まれた事はまだ私の中では実行中だから。それと、ケイさんからの遺言」

 装置を取り外す直前、ヴェラはもう一つケイが遺した言葉をベンケイへと伝えた。



 深い微睡みから目を覚ましたバンタの視界に、自分を見下ろしているヴェラの赤紫がかった碧眼の瞳が映った。

「……気が付いた?」

 ぼんやりと自分の膝の上で目を覚ましたバンタにヴェラは優しく微笑みかける。廃ビル内部の一角でヴェラに膝枕をされているバンタは眼球だけを動かして周囲を見渡した。

「ここは……?」

「『ナンバ遺跡』よ。あとは私達、ロストテクノロジーを回収するだけだから」

「いつの間に俺達はこんな所まで、確かケイに左手を斬られて……」

 首を横に向けると自分の言葉の通り、バンタの左腕は肘から先が無い。それなのに何故平然としていられるのか、バンタは徐々に状況を把握しつつあった。

「俺、身体が機械だったんだね?」

「そう。それを今まで隠し通したのはベンケイさんの親心だと思うわ。勿論、それをバンタがどう受け取ろうが自由だけど」

「…………勝手、だね」

 小さく笑いながらバンタは右腕で上半身をヴェラの膝枕からゆっくりと起こす。

「それでその後は……?」

 バンタの質問に対してヴェラは答えあぐねた。真実をありのままに話す事も出来たが、それではあまりにバンタが報われないのではないかと考えたからだ。

――――恐らくベンケイは、もう二度とバンタの前には帰って来ない。

 バンタは自分の右腕に乾いた血がこべり付いている事に気付いていた。そしてそれは、ヴェラにとって誤魔化しが聞かないことを示すサインでもある。

「ベンケイさんがアナタの身体を使ってケイさんを殺したの。それで、今私達は無事にここにいる。多分だけど、マダム・モートも死んではいないわ、きっと大丈夫」

 告げられた事実にバンタはしばらくの間何も話さずにビルの床へ座って上体を起こしたまま動かずにいた。ヴェラは誤魔化しきれなかった事に若干の後悔を感じつつも内心、安堵している部分もあった。もし、バンタへウソを付いていたら今後一生そのウソを背負っていかなければならなくなる。その途方もない道のりに比べたら自分は楽な選択をしてしまったと彼女は感じていた。

「…………行こうか、ヴェラ」

 しばらくしてやっと開かれたバンタの口から出た言葉は今の思いではなく、出発を促す言葉。

「いいの?」

「いいって?」

「その、もっと喚き散らすとか泣き散らすとか、今更私達の関係なんだから遠慮しなくていいのよ?」

 戸惑いながら発揮されるヴェラの姉御肌発言にバンタは立ち上がりながら不思議そうに尋ねる。

「ヴェラだってケイさんを亡くして泣き喚いたりしてないだろう? それとも、もう一度俺達親子の事を恨んでる?」

「もう、そういうのは疲れたから嫌。最期にケイさん、私を見て笑ったの。信じられないでしょうけど」

「信じるよ」

「……だから、もう誰も恨んだりしない。それに、私は泣かないわよ? 私、大人だから」

「だったら、俺だって大人だよ」

 笑いつつもヴェラへ食ってかかり、その後表情を元に戻してバンタはガラスのない廃ビルの窓から少し遠くを見た。

「過ぎ去ってしまった過去に今更泣き言を言っても始まらない。だったら俺は、全部を受け入れて心が血を流しながらでも前へ進んでいくよ」

 バンタの決意にヴェラは小さく頷く。そして二人は互いに顔を見合わせて微笑み合うとロストテクノロジーが保管されている場所へ向かって歩き出した。



 アーサー・クラウチはいつものようにオフィスの窓から遠景を眺めていた。大概は葉巻を燻らせながら景色に浸っているアーサーだが、今日は口元に葉巻を咥えていない。

 その理由は或る男の来訪を待っているからで、アーサーがこの世で一番消してしまいたいと願う男が、もうすぐこのオフィスへやって来る。期待に瞳を狂気が感じられるまでに輝かせて、アーサーは黄色い砂漠の果てを穴が空く程に見つめていた。

 そして、オフィスのドアが開けられる音がアーサーの鼓膜を震わす。

「何年ぶりだ? おいおい随分と老けこんじまったなベンケイちゃんよ」

 ガラス越しに映ったベンケイへ振り返らないままでアーサーがクツクツと笑った。デスクを挟んだ位置でオフィスの中央辺りに立ったベンケイは感情を表に出さないままで事も無げに答えを返す。

「そういうお前は全く老けないな」

「もう千年近く生きてるが、いつまでも若々しいぜ俺は」

 鏡に移ったアーサーの顔がより一層喜悦の感情に歪んだ。千年という途方もない年月を口にする彼に対して依然として全く動じずに、尚且つ淡々とベンケイは言葉を紡ぎ始める。

「もう、清算の時だと思わないか? 思えば俺達は世界へ充分すぎる程に影響を与えた。良くも、そして悪くも」

「俺はまだ、水色砂漠ビジネスを辞める気はないぜ」

「ビジネス? 地球と人間を使ったお前の独り遊びにすぎないだろう」

「あァ、そうだな。長い時間を生きてると、どうしても楽しみは必要になる。そんで、その独り遊びに乗っかったお前は、海を砂漠に変えちまったんだもんなァ」

 本当に相手を挑発するのが楽しくて堪らないといった様子で顔を歪めるアーサーに、ベンケイは苦しそうな表情で押し黙ってしまった。

「皮肉なもんだよなァ、今は跡形もなく滅んじまってる奴等の遺物のせいで、俺は不老不死を、お前は大罪を背負うハメになった。水色砂漠と戦う英雄が自作自演だと知ったら、人類は一体どう思うだろうねェ。挙句、その様子だと尻拭いは完全に息子へ託してきたとみたぜ?」

 挑発的な問いかけに対してもベンケイは答えを返さなかった。アーサーの推測は当たっており、今後の水色砂漠へ立ち向かう人間の中心となるのは、遺跡でろ過機を回収した二人になるだろうとベンケイは考えていたのだ。

「形はどうであれ、成し遂げれば息子は穢れ無き英雄となれる。俺のような(けが)れきった仮初めの英雄とは違う」

「ペテン師の息子はペテン師だろ。どうせどっかでヘマをやらかすさ」

「違う――ッ!」

 語気を荒らげ拳を握り締めながらベンケイが叫ぶ。

「息子は、純粋にこの世界の平穏を願っている。俺みたいな、犯してしまった過ちを償う行為とは違う、無垢な救済の志。それこそが正真正銘の英雄なのだ」

「おいおい、随分と息子を溺愛してんだなベンケイちゃんよ。そりゃあ、ちょっとばかし盲愛ってやつじゃないのか?」

「人を駒としてしか見れないお前に、愛が何たるかなど解るはずもあるまい」

 間髪無く吐き捨てるように言うベンケイに憤慨した表情でアーサーはデスクまで近付き、力強く両手の平をデスクの上面へ叩きつけた。

「おいおいベンケイちゃん、それは幾ら何でも酷いんじゃないの? 俺は常に愛を持って全てに接しているよ。愛を持って傷付け、愛を持って奪い、愛を持って虐げる。幸福なんてのは一瞬だ。だけどな、愛は永遠だ、愛は不滅だ! だから俺は常に愛と共にあり、つまり愛こそは…………俺自身だ」

 満面の笑みを浮かべて高らかに宣言するアーサー。その姿にベンケイは知らず手の平に汗を滲ませている事に気付いていた。普通の人間がこんな戯言を言えば笑われもせずに捨て置かれてしまうだろうが、アーサーにはそうさせない狂気に満ちた気迫があった。まるでこの地球上の全てを愛し、全てを包み込んでいるのは自分だと、聞く者へ信じさせてしまう何かがその言葉にはある。

「それで、息子への愛に溺れてるベンケイちゃんはわざわざこのオフィスまで出向いて来て一体どうする気なんだ? ん?」

 余裕と嘲りを持って尋ねてくるアーサーにベンケイは容易に答えを返すことが出来なかった。デスクへ手を置きニヤつくアーサーを見据えながら彼は瞬時に脳内で行われた思慮の末に――――ただ、前へ歩き始めた。

 それは、本当に何の他意も含まない純粋な歩行。

 ベンケイとアーサーは互いに相手をこの世から一番抹殺したいと願い、そして今まで互いの攻防は全て未遂で終わってきた。そして今、遂に二人が直接顔を突き合わせ殺し合う機会が訪れたかに見えたが、ベンケイはただ、アーサーへと歩み寄って行く。

 張り詰めた空気感に全くそぐわないベンケイの行動にアーサーは内ポケットへあらかじめ忍ばせておいた拳銃を取り出すことも忘れたまま、目の前へ迫る大男に釘付けにされていた。

「正気か、ベンケイちゃん」

「俺達の時代は終わったんだ。俺の短い人生も、お前の永遠にも感じられるその人生も、もう終わるんだ。だから、仲直りしよう」

 ベンケイは諭すような声で、目で、アーサーへ語りかけた。それに対しデスクに手をついたままで大きく目を見開きアーサーは言葉を返す事が出来ない。今まで散々にお互いを憎悪し、殺し合ってきた相手の口から突然に仲直りをしようという信じられない言葉が発せられたのだ。長く生きているからこそアーサーは過去という遺物が、人間が生きるにおいて如何にしがみついてしまう重要な物であるかを理解している。

「俺はいつまでもバンタが十一歳で止まったままな気がしていた。俺が息子を守らなければ、俺がアイツを英雄にしてやらなければと思っていた。だが、時に子供は親がいない方が強く育つ時もある」

「なんだ、一体何が言いたんだ、おい」

 敵意も見せずただ慈しみだけを瞳に宿らして迫るベンケイにアーサー必死で後退った。アーサーは千年生きて来た中で今までに一度も感じた事がない恐怖を今まさに体験している。

「だから俺達は考えを子供まで戻そう。険悪になっても次の日には笑い合えていた子供の頃のように。俺はお前を許すよ、アーサー・クラウチ」

 許す。その単語を耳で聞き取った瞬間にアーサーは背中を背後のガラスに押し付けていた。未知の恐怖に包まれて後退り、気付けばここまで追い詰められていたのである。

「おいおい冗談言うなよ!? お互いに何人も仲間を殺し合ってきたよな? 利益を奪い合って街を潰してきたよな? 息子を殺そうとしてやったんだぜ、俺は!!」

 怯えた子犬のように吠えるアーサーの顔の横をベンケイの丸太のような右腕が通過し、ガラスへ手の平を付けた。

「全て許す。だからお前も、俺のことを許してくれ。千年の孤独を理解してやれなかった、俺を」

「ばっ、そんな、俺が、許さ? そんな、ウソを、よくも、解っ」

ベンケイはもう片方の腕を取り乱し震えるアーサーの肩へ載せると柔和な笑みを見せて呟く。

「ケイが向こうでお前を待っている。安心しろ、一人では逝かせん」

 何かを察しその場から逃れようとするアーサーの耳の横で、耳鳴りを高音へ引き上げたような超音波が窓一面へ広がった。すると、ガラスへ押し付けていたベンケイの右手を中心に一枚のガラスは粉々に砕け、気付くとアーサーはその身を空中へ飛び出させていた。

「ばっ――――――か、――――」

 たった一言を口から発する事も出来ずに身体が急速に地面へ惹かれ始めるアーサー。風圧で身体を動かす事は出来なかったが、かろうじて動かすことの出来る眼球を使って左右を見ると、既にベンケイの姿はない。恐らく先に落下していったのだろう。

 アーサーは常に自分の身体に生じている秘密を周囲へ明かす必要がある時は、ロストテクノロジーから受けた恩恵は不老不死だと話していた。唯一自分が実は不死ではなく不老のみだと知っていたのは、ケイただ一人。

 つまり、アーサーはケイに裏切られたのだと、少なくとも今の状況をそう理解した。

 アーサーは高速で上昇していく真横の光景や明滅する空には目もくれず、全身へ当たる風が生じさせた轟音を耳栓代わりにしながら、それ以上考える事をやめる。

重力に引かれ風に包まれて得た感覚はまるで、今まで生きて来た長い人生に良く似ているような気がした。


「――――ああ、人に好かれてる内に死にゃあ良かったなァ」


 直後、高層ビルの真下には大きな赤黒い広がりが出来上がっていた。



 預かっていた鍵を使いヴェラは廃墟の一角にあったシャッターをゆっくりと持ち上げる。『ナンバ遺跡』へ入ってからの細かい位置は、全てバンタが把握していた。実際に来たことは一度もなかったのだが、幼い頃から道順や情景をベンケイに叩きこまれていたそうだ。

 シャッターを開けると奥は明かりが無い為に暗闇で見えないがどうやら道は緩やかに地下へと続いている。バンタは持ってきていた炎剣を松明代わりにして火を灯し、二人は明るすぎる程に照らし出されたコンクリートの通路を進み始めた。

「ちょっと、いや、かなり熱い」

「ご、ごめん。でもこれ、炎に調節が効かないから……」

 ヴェラの不平に対して申し訳無さそうに炎剣を彼女から少しでも遠ざけようとするバンタ。本来の用途は戦闘であるため、剣には炎の量を細かく調節する機能は備わっておらず、バンタは途中何度も天井や壁のコンクリートを焦がしながら奥へと進んで行く。

 この無機質な道が何処まで続くのだろうと二人は足を踏み入れた直後から考えていたが、思っていた以上に地下通路はあっという間に終わりを告げた。五分も歩かない内に二人は前方に広いスペースがあることを炎剣の明かりによって発見する。そして、広場まで自然に早まってしまった足取りで向かうと通路が終わりその先に存在していた空間は、未知に対するワクワクやスリルを覚悟していた二人にとってやや拍子抜けするものであった。

 広さは十畳弱だろうか。それ程の広さしかないコンクリート製の床や壁を持つこの空間は、天井までもが高さ約五メートルあるかないかのかなり質素で無機質な空間であった。

 そしてその中央にバンタとヴェラが、広く言えば世界中が望んでいた機械が呆気なく、申し訳程度に鎮座していた。

「本当にこの機械……?」

 ベンケイから直接説明を受けたにも関わらずヴェラは思わず確認せずにはいられなかった。それほどまでに二人の目の前に置かれている砂のろ過機は、錆色でみすぼらしい見た目をしていたからだ。

「俺も、全くピンと来ないんだけど……場所も合ってるし散々見せられた写真もこの機械に間違いないと思う」

「じゃあ…………あとは、これを持って帰るだけなのね」

 ヴェラがしみじみと確認するので二人は同時に図らずもこれまでの苦難を振り返ってしまった。

挫折、絶望、痛み、嘘、復讐、裏切り、死別、再起――。五年の歳月をかけてバンタは再び心の中へ勇気を取り戻し、ヴェラは五年の歳月をかけて心の中を蝕んでいた復讐心を払拭した。

「これで、俺やヴェラみたいな人間をもう生み出さずに済むようになる」

「その為にはまず、私達が前へ進んで行かなきゃね」

「うん」

外へ運び出す為にろ過機の後ろ側へ回ってバンタは腰を落とし、右腕と右肩を機械に付けて力一杯に押した。最初はビクともしなかったが徐々にゆっくりとろ過機は空間の出口へ向けて進み出す。

 ろ過機が通路に入った所でヴェラも機械を押すのに加わった。二人は特に会話を交わすこともなく黙々と外へと向かって行く。

結局二人は一言も言葉を発さないままで地上へと戻って来た。

 二人が地上へ出るといつの間にか遺跡には雲の合間から太陽の光が降り注いでいた。バンタは気にせずろ過機を押し続けて水色の砂塵を光の中へ舞い上がらせ、ヴェラは瞳へ当たった日光に思わず顔を逸らして目をつむった。

すると不意に、瞼の裏へ自分に笑いかけるケイの顔が浮かび上がる。自然とヴェラはケイが最期に呟いていた言葉をもう一度思い出していた。


『バンタさんの首裏を。隊長に不老は不死でない事を。バンタさんとヴェラさんに、そして、アーサーに、どうか幸福を』


バンタの首から装置を取り外す間際。ケイの言葉を伝えるとベンケイはバンタの喉を震わしてしばらくの間、子供みたいに泣いていた。理由は解らなかったがヴェラにはそれが決別の涙のように見え、取り押さえた姿勢のまま胸が締め付けられる思いに彼女は襲われる。

「改めて、ヴェラ。君に頼もう……これからも息子の事を宜しく頼む」

 ヴェラは頷いて了承の意を示すと言われた通りに制御装置を首から取り外した。


「――――ヴェラ?」

心配するようなバンタの言葉にヴェラはふと我に返った。いつの間にか足を止めて思考に意識を集中させていたヴェラを気にかけて、バンタが少し前方へろ過機を置き彼女の元へ戻って来ていた。

「大丈夫……?」

「ええ、大丈夫。ちょっと考え事」

 多くの物を失って、得た物は余りに少ない。だが、その少ない物はヴェラの中で一際輝いて必死で彼女を支えようとしている。勿論、バンタもその中の一人だ。ヴェラはその輝き一つ一つを愛おしく、そして美しく感じた。

 尚も心配そうに自分を見てくるバンタへ優しく微笑みながらヴェラは再び歩き出した。

――――大丈夫だ。何があったって私達はきっと生きていける。だって、世界はこんなにも輝きで満ちているのだから。

「行こう。これからが私達の本当の仕事なんだから」

「俺達が、この世界を砂から救うんだ」

 太陽の光が降り注ぎ、立ち込める砂塵がまるで幾重にも重なり合う金色のベールかのように輝く中で、バンタも穏やかな笑みを見せて二人は手を取り合った。






「――――――――いいなァ、若い奴等の無謀な夢ってヤツは」

5


 心底愉快だといった声色と堪えるようにクツクツと不気味にもれ出す笑い声。

突然に現れた不気味さの正体を突き止めようと、ろ過機を置いていた方向へ二人は同時に振り返る。すると、ろ過機へもたれかかるようにして立っている短い金髪をツンツンに整髪剤によって逆立て、碧眼の瞳を歪んだ笑みで細ませた純白スーツの男――――アーサーがそこにいた。

「あ、アーサー……さん」

「よお、ヴェラ。『トウト』へ向けて旅立った時以来だな、正直俺は……がっかりしてるぜ?」

 アーサーの物言いにヴェラは思わず一歩後退る。不気味な笑みを携えた彼は対峙する者に畏怖を与えるには充分な程の威圧感を放っており、心へ恐怖を感じたのはバンタも例外ではなかった。

「アーサーって、もしかしてコイツが――」

「コイツ呼ばわりは不本意だけどよ、喜べ。お前の読み通り、俺が子供の頃のお前を爆弾で殺そうとした……張本人だ」

 陽気さすら感じ取れる口調で自分が諸悪の根源だと名乗りを上げるアーサー。そんな彼の挑発にバンタは気付くと弾かれたように炎剣へ炎を纏わせて地面を蹴り抜いていた。

「お前のせいでどれだけ――ッ!」

ヴェラが制止の声を上げるよりも早く、バンタはアーサーへ燃えたぎる剣を突き出す。だが、アーサーはバンタの一撃を軽々と躱して伸びきった相手の腕を掴むと、バンタの身体をいとも簡単に宙へ浮かせて砂漠の上へ大の字に転がしていた。

「な、ん――――」

「一時の感情に身を任せると命取りになるって親父から教わらなかったか?」

 態度も目線も相手を見下してアーサーは言葉を続ける。

「あァ、教わるワケないよなァ。なんせ、ついさっきお前の親父が感情に身を任せて無駄死にしたばっかりだもんな。血は争えないんだろ」

「何を言ってる……?」

「死んだんだよ、ベンケイちゃんは。俺を許す、仲直りをしようなんて気が狂った事を言い出したかと思ったら道連れに窓を割って飛び降りたのさ。なァ、ヴェラ……笑える話だろ?」

「よくも、そんな事を……」

 おちょくるようなアーサーの言葉にヴェラは一段と表情を険しくする。頭の中では既にアーサーの撃退方法を思案していたが、ヴェラ自身一度として彼と拳を交えたことはない。しかもアーサーの足下にはバンタが倒れている。迂闊に手出しが出来ないことだけは確かだった。

「自分で現場に足を運ぶのが一番嫌いそうなのに、どういう風の吹き回し?」

「俺を見て気付かないか?」

 促された事でヴェラは改めてアーサーを見るが、自分が最後に顔を合わせた時と何一つ変わった様子は見当たらない。

「人相が一層悪くなった」

「おいおいヴェラよォ、相手の変化には積極的に気付いてあげないといつまでもモテねえぜ?」

「余計なお世話よ」

「そういうぶっきらぼうなところも良くねえなァ、おい」

「喋り過ぎる男もモテないって知ってた? アーサーさん」

「ほお……言ってくれるじゃねえか」

 売り言葉に買い言葉。言葉の応酬によって緊迫した空気がさらに張り詰めていく中で、彼女は今一度目を凝らした。先程のアーサーの言葉を受けて愕然としているバンタを起点として徐々に視線を上へ上げていくヴェラ。すると、

「…………ピアスがない」

「ご名答だヴェラ、少しだけお前の事を見直したぞ?」

 依然としてろ過機へ寄り掛かり続けているアーサーは普段から両耳に碧眼とは対照的な真紅の宝石がはめ込まれたピアスを身に付けていた。だが、今二人の目の前にいるアーサーの耳には片側しかピアスが付いていなかった。

「ロストテクノロジー……」

「ご名答だヴェラ。今の俺は――――」

 刹那、ヴェラは背後に気配を感じ本能的に身を屈める。

「テメエ等の認識の『外側』にいる」

 横薙ぎに空を切った漆黒のナイフを彼女が回避出来たことは奇跡だったといっていい。そしてヴェラは手繰り寄せた奇跡を無駄にせず、瞬時にゴモラを構えてアーサーへと光弾を放つ。

「――――だから言ってんだろ、俺は『外側』にいるって」

 正確に狙って放たれた光弾をアーサーは躱すという動作ではなく、その場から消えることで回避していた。ヴェラがゴモラの引き金を引いた時には既に、アーサーはバンタの側へと戻っていたのだ。

「……瞬間移動するロストテクノロジーなんて、いよいよ反則級じゃない」

「元々ロストテクノロジーってやつは人知を越えた代物だったろ? 今さら瞬間移動出来ようが時間を止めようが、俺は驚きやしねえぜ」

「その力で、父さんを殺したのか?」

「あァ?」

「それで、父さんを殺したのかって聞いてるんだ!」

 自分を見下す位置へ立っていたアーサーへ再び炎剣を薙ぐバンタ。しかし、その斬撃も空を斬り、狙われたアーサーはいつの間にか二人から程近い瓦礫の上に腰掛けていた。

「質問しておいて相手を殺す一撃を放っちゃ意味ねえだろうよ、落ち着け」

「うるさい! お前だけは、俺が殺してやる……」

「おいヴェラよ、お前の相方随分物騒な事を口走ってんぞ」

「加勢するけど、文句無いでしょ?」

「おいおい……若いって良いなァ本当。千年も生きてるとフレッシュのフの字も残ってやしねえ」

 小言を漏らすように言葉を吐き捨てていたアーサーの身体が、いつの間にかバンタの目の前に現れている。

「バンタ、避け――――ッ!?」

 突然に顔面を裏拳で殴り飛ばされ、砂の上へと弾き飛ばされるヴェラ。一度バンタの前へ姿を見せたアーサーは、裏拳を繰り出すタイミングに合わせてヴェラの元へと瞬間移動したのだ。

「ヴェラ――ッ!」

「ここは一つ、年長者としてちゃんとクソガキ共を躾けてやらねえとな」

 高慢な笑みを浮かべてバンタへと振り返るアーサーに、彼は憤怒の表情で炎剣を構えて肉薄を試みる。

「この、この! このォ! このォォォ!」

 幾度となくバンタは相手へと斬りかかるが、全ての攻撃をアーサーは安々と回避した。愉悦の笑みを貼り付け、彼は片手に漆黒のナイフを構える。

「この無謀さも、若かりし頃のベンケイちゃんにそっくりで反吐が出るなァ」

「お前に父さんの何が分かるって言うんだ!」

 惜しみなく怒りを吐き出すバンタの言葉に対してアーサーは何度目か知れない相手の背後へ瞬間移動で現れると、瞬時にナイフを横へと薙いだ。

「分かるさ。何せ、この世界に水色砂漠を産みだしたのは……ベンケイちゃんと俺なんだから」

 途端、振るわれた斬撃を紙一重で回避していたバンタの炎剣が動きを止めた。

「何だ、聞いたことなかったのかよ。起動させてはいけないロストテクノロジーを起動して、この世の海を砂漠へと変貌させたのは他ならぬ砂漠の英雄の仕業だぜ?」

「……ウソをつくな」

「意地張るなよ、心当たりあんだろ? ベンケイちゃんは必要以上にお前がこの世界の英雄になることを望んでた。そりゃそうだ、自分が世界を救って英雄になった所でソイツは所謂自作自演だからな」

「やめろォォォ!」

 特攻にも近い、がむしゃらな炎剣を避けたアーサーは隙だらけの背中を蹴り飛ばすと彼を顔面から砂へ倒れ込ませる。

「心当たりありありじゃねえか。そもそもテメエ等、何でロストテクノロジーなんて悪魔の道具がこの世にあるかなんて、考えたこともねえんだろう」

 倒れたバンタの手から炎剣を弾き、バンタの頭髪を掴んで砂から頭を上げさせるアーサー。

「おいおい良い歳して泣くなよ、まるで俺が悪者みたいじゃねえか」

 顔中を砂まみれにして涙を流すバンタは唇を血が滴り落ちる程に噛み締めている。

「薄々は気付いてたんだ……父さんが、俺が知っている以上の何かを隠してるって」

「商売敵に泣き言は勘弁してくれ、そんなとこまでベンケイちゃん似とか頭がおかしくなりそうだ」

「――――アンタの頭は元からおかしいでしょ」

 突然にアーサーの後頭部へ投げかけられた言葉。それが彼の鼓膜を震わした時には既にヴェラはゴモラを撃ち放っていた。

だが、アーサーはこの至近距離から放たれた光弾すらも瞬時に二人の目の前へ現れる事で回避し、彼は困ったような表情で後頭部を掻きむしる。

「ヴェラ、今のは無言で俺を殺るべきだったな。これ以上俺を失望させるなよ」

「あら、アーサーさんの大好きな長話が途中みたいだったから生かしてあげたのよ」

 不敵な笑みを浮かべ口腔内にたまった血反吐を豪快に吐き捨てるヴェラ。

「それで? ロストテクノロジーが何故生まれたのか。でしょ、アーサーさん」

「オーケー。分かった訂正してやるよ、お前のその打たれ強さと不遜さは尊敬に値する」

 少し楽しそうにも聞こえる声色でアーサーはそう告げると、少しだけ目を見開いて未だ砂の上に座り込んだままのバンタを見る。

「それに比べてお前は、親父そっくりな上に根性なしと来てる。だが、安心しろ。そして感謝を込めて悲鳴を上げてくれ。責任を持って俺が殺してやるから」

 アーサーの慈悲として向けられた殺害宣言に、両の脚に力を込めてバンタは立ち上がり力強く拳を握りしめた。

「そんなの、死んでもごめんだ」

 バンタから鋭く睨み付けられヴェラからは銃口を向けられながらも、依然としてアーサーの余裕は微塵も揺らぐ様子はない。その証拠に、彼は敵意を向ける二人に対して拍子抜けするような言葉を投げかけ始めた。

「神は死んだ……お前等もそう思うか?」

 二人が質問に答える気配を見せないためにアーサーは言葉を続ける。

「そもそも神とは何だ? 本当に神がいるならソイツは一体何者だ? ロストテクノロジーの生産者、俺達の創造者か? 俺一人では千年生きていても解けなかった疑問を、俺とベンケイちゃんは解こうとしていたのさ」

『ベンケイ』という単語が織り交ぜられたことによって相手の関心を得たと感じたアーサーは、立っていた場所から瞬間移動し、転がっていた炎剣を拾い上げると何の迷いもなく剣をバンタへと投げ渡した。

「な――――っ」

「俺達が感じた第一の疑問は、ロストテクノロジーにはあまりにも殺戮の道具が多過ぎる事だ。俺達を産み出した神が俺達を滅ぼす為の道具をわざわざ作るのか? 答えはノー。なら、最初から人類なんざ造らなきゃいい。だが、俺達は生み出された……どうしてだと思う?」

 提示された問いに二人は答えることが出来ない。そもそも、ほんの少し前まで殺し合っていた相手から大真面目に講義を始められて、正常に答えられる人間はまずいないだろう。

「答えはヒマ潰しさ。俺達の祖先が紀元前に人間同士を大きな決闘場に閉じ込めて殺し合う姿を楽しんでいたのと同じように、このロストテクノロジーを産みだした奴等は地球を決闘場に見立てて俺達が殺し合う様子を楽しもうとしていたのさ」

「……楽しもうとしていた?」

 やっと発せられたヴェラからの疑問にアーサーは楽しそうに答える。

「先に自分達がおっ死んだのさ。だから、ロストテクノロジー。お互いにバカな話なのさ、企画者は祭りが始まる前に死滅して、メインに据えられていた俺達も観客なんて最初から存在しないにも関わらず命削って道化を演じ続けていたってワケだ」

「なら、ロストテクノロジーを全て廃棄してしまえばいい。何で、父さんはそうしなかったんだ」

「したぜ? その結果が今なのさ」

「…………どういう事?」

 ヴェラの疑問には直ぐに答えず、辺りを覆い尽くす砂を感慨深げに眺めながらアーサーは片手で握っていたナイフをクルクルと器用に回し始めた。

 そんな金髪碧眼の男の様子に彼等は容易にその答えを予測出来てしまう。

「お前等が今頭で考えている通り、ロストテクノロジーを全て破壊しようと起動した装置が……水色の砂漠を生み出したってワケだ」

 予想していた通りの事実が告げられ重たい沈黙が三人を包み込んだ。

 ベンケイは最初から最後まで世界を救おうとしていた。だが、既にこの世へ存在しない悪意に踊らされ最後には破滅を見たというのならば、その人生は何と理不尽なものだったのだろう。

「その後はお前等も知っている通りさ。俺達はロストテクノロジーの使い道を巡って決裂し、ついさっきまで互いの命を奪おうと狙っていた。だが、それももう終わる……テメエ等が死ねばな」

 言葉と共にヴェラの背後に現れたアーサーは漆黒の刃を彼女のうなじへ突き立てようとナイフを振り下ろす。しかし、その凶撃は繰り出されたバンタの刺突によって弾き飛ばされた。

「確かに父さんは間違った事をした。でも、父さんの志は間違ってなかった。それだけでも……俺がこれからを生きていくのに充分な理由だ」

 刀身へ炎を灯した剣を握り締めるバンタの両目には再び確固たる意志が宿っていた。

「アーサー。過去がどうであれ、お前が俺の父さんを苦しめていた事は変わらない。だから俺は……お前を倒して未来を歩んでいく」

「クソガキが……話が早くて助かるぜ。俺もテメエ等を清算し終えて、やっと新しい一歩を踏み出せるってワケだ」

 刹那、バンタの視界からアーサーが消える。その事実に直ぐ様背後へと反転して炎剣を振りぬくバンタ。相手の動きを予測した一撃は剣先がアーサーのスーツジャケットをかすり燃え上がらせた。

「流石にワンパターン過ぎたか、オーダーメイドだってのによ!」

 ジャケットを投げ捨ててその場から姿を消すアーサー。何度目か知れない姿くらましに流石の二人も要領をつかみ始めていた。

 砂塵を僅かに舞い上がらせて再び姿を現したアーサーを瞬時に数発の光弾が襲う。

「クソッ、がァ!」

 もう一度瞬間移動をして光弾を紙一重で躱すことに成功したものの、次に現れた場所にはバランスを崩したのか、片足の膝を砂で汚した状態でアーサーは現れた。その事実は彼にとってプライドを酷く傷付けられる事態であり、膝を付いたアーサーの額にはくっきりと青筋が浮かび上がって来る。

「死ぬ事を恐れて前線から長い事離れてたツケが来てるわね、アーサーさん?」

「……やってくれるじゃねえかガキ共」

 怒りに声を震わすアーサー。だが、その眼前には間髪入れずに炎剣を振りかぶったバンタが迫る。

「クソガキ如きが――――ッ!」

「っ――――!」

 短く気合の入った力みと共に振り降ろされた炎剣は地面を叩き砂塵を舞い上がらせる。

間一髪でバンタの一撃を回避したものの、アーサーの容易に優位へ立てる筈の能力は二人の連携によって完全に防御のみへ使わされていた。

次々に襲い来る波状攻撃をからくも避け続けていたアーサーだったが圧倒的な劣勢に一矢を報いようと、彼はヴェラの放った光弾を回避した直後に彼女の死角へと姿を現す。

「――――トドメを刺す瞬間にはもう声も聞こえないだろうから、今の内に言っとく。気まぐれとはいえ、ケイさんと一緒に私を育ててくれて……ありがとうございました」

 刹那、必殺の一撃として繰り出されたナイフの切っ先を難なく躱したヴェラの銃口がアーサーの眉間を捉えていた。焦った彼は咄嗟の回避行動で直前に座った瓦礫の上へ瞬間移動を行う。だが、

「バンタ!」

「分かってる!」

驚く事にアーサーが瓦礫の上へ身体を現した瞬間に瓦礫は溶け消え、彼の身体は大型銃『ソドム』の円柱状の光に包まれた。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァ」

 声帯が焼き切れる程の叫び声を上げて光の中から身体を瞬間移動させたアーサー。砂上に膝から崩れ落ちたのと同時に、彼の耳に付いていた最後のピアスが粉々に砕け散った。

「…………父さんに、息子は大丈夫だって伝えてくれ」

 僅かな気力を持って顔を上げたアーサーの前には炎を消した剣を構えるバンタが立っていた。

「テメエのバカ息子が途方もねえ世界救済にバカみてえな希望を持ってバカみたいな旅を始めるそうだと伝えてやるよ」

「…………ありがとう」

 両腕を広げ不敵に笑うアーサーをバンタは袈裟斬りに一刀両断した。力なく身体を燻らせてゆっくりと砂上へ倒れ伏すアーサー。

「ずいぶん躊躇いなく斬り捨てられるのね。初めてだったんじゃないの?」

「いや、斬れないところで……殴った」

 自分でも戸惑った様子を見せるバンタの手から剣がこぼれ落ち、砂漠へと突き刺さる。

人生を、しかも自分と父親の人生を狂わした憎き相手だった。だが、殺さないという選択をしたバンタにヴェラは少しだけ微笑む。

「なんで殺さなかったの?」

「分からない。分からないけどこの人、なんか……俺達よりも寂しそうで」

「千年の孤独って……私達じゃ想像の付きようがない」

「長過ぎる孤独がこの人をここまで歪ましてしまったのなら、何だかそれはこのまま斬って捨てていいものではないような気がしたんだ」

「でも、このまま放置していたらいずれ死んじゃうわね」

 アーサーへと近付きおもむろに倒れた彼の両手首を掴むヴェラ。

「ほら、早く両足持って」

 言われるがままにバンタはアーサーの両足を持ち二人はアーサーの身体をろ過機の上へ載せる。

バンタがろ過機を押し始める前に砂へ突き刺さっていた炎剣を回収しようと剣の持ち手へ手をかけるが、彼の行動は何故かそこで止まってしまった。

「バンタ、行くわよ?」

「…………やっぱり、憎い」

 ろ過機を押そうとしていたヴェラへ向けて嚙みしめる様にバンタは言葉を漏らす。

「当たり前でしょ。殺さなかっただけで許したわけじゃないんだから」

「この剣を持ったらそのまま、今度こそそいつを斬ってしまいそうで」

「例えそうしたとしても、誰もバンタの事を責めないわよ?」

 砂漠から剣を引き抜きアーサーの載せられたろ過機へと近付いていくバンタ。しばらくの間何も言わずに剣を握った手に力を込めながら立ち尽くしていたが、やがてろ過機へ右肩と右手を添えるとゆっくりと機械を動かし始めた。

「……いいんじゃない? 私達はこれから、生きていくんだから」

「そんな簡単に割り切れないよ。世界を救うって考えたら、こんな奴も助けなきゃいけないなんて」

「それでもきっと、バンタは助けるんだよ。アナタ達親子は…………そういう人なんだもの」

「先が思いやられるなぁ……」

 ろ過機を押しながらぼやくバンタと楽しそうに微笑むヴェラ。

二人が進んで行く道が荒れ切った砂漠だろうと、想像を越えた水色の世界であろうとも。


――――二人は進んで行くのだ。


自分たちの、そして人類の可能性を信じて…………。


エピローグ


 病院の廊下を泥で汚れた作業服を着た山のような大男が走っていた。片手にタオルを握り締め、息を弾ませながら脇目も振らずに大男――――ベンケイは駆け抜けて行く。

日は既に沈み廊下に設置された窓は強風によって小刻みに震えていた。

「ベンケイさん、院内を走らないでください」

「子供が生まれたんだ!」

「なら、たらたらしてないでもっと急いで!」

 女性看護師の興奮した物言いに背中を押されてさらにベンケイは走る速度を上げた。

 結婚したのは三十代の事だったがベンケイはその後子宝には恵まれず、四十代になってやっと今、待望の一子を授かった。

 病院内を端から端まで走り切ったベンケイは最後に一階分の階段を猛然と瞬時に登りきり、病室のドアを勢い良く開けようとして寸前で思い留まる。

ドアを開けた衝撃で赤ん坊が泣き出してしまったらどうしよう。自分ではとてもじゃないが対処することが出来ない。そう考えたベンケイはタオルを首にかけてから静かに汗ばんだ手でドアの取っ手を掴んでゆっくり、そっと、ドアを開ける。

 恐る恐る中を覗くベンケイ。室内には背もたれを少し上げてベッドへ横になっている妻とその隣ですやすやと眠る赤ん坊の姿があった。

「お前……この子が……」

「声、震えてるわよ。そう、この子が私とアナタの子」

 室内へゆっくりと足を踏み入れてベンケイはミニベッドに寝ている赤ん坊を、戸惑いを多分に含んだ瞳で見下ろす。身長が二メートルを軽く越している彼から見れば、赤ん坊は今にも重力だけで何か怪我をしてしまうのではないかと心配してしまうほどの小ささだった。

「だ、抱いてもいいのか……?」

「いいわよ」

 表情を輝かせてベンケイは腕を伸ばすが、彼の指先が赤ん坊へ触れる直前にすかさずベッドで横になっている女性は釘を刺し始める。

「解ってると思うけど力を入れ過ぎないで。アナタの力じゃ赤子の手を捻るどころか、捩じ切ってしまうから」

「わ、分かった。気をつけよう」

 妻からの忠告に頷いてベンケイは普段は見せないようなぎこちなさと無駄な全身の力みを持って赤ん坊を抱き上げた。ベンケイが予想した通り赤ん坊はとても軽く、彼にしてみればこの小さな命が本当に自分と同じ人間である事実を、にわかには信じ難かった。

「ははっ、良く寝てるな。俺が持ち上げても起きないなんて」

「お父さんに抱っこしてもらえてるって、本能的に分かってるのよ」

 ベンケイは赤ん坊を抱きかかえながら言い表しがたい幸せを胸と喉の間に感じて、不器用な笑みを浮かべる。赤ん坊を刺激し過ぎないように小指で柔らかい頬に恐る恐る触れた。

指先から伝わる体温と弾力が、より一層ベンケイの全身へ新しい命が生まれた事を染み渡らせる。そして気付くと、

「おい、見てくれ。この子、俺の指を掴んでる……」

 赤ん坊の頬へ触れていた小指へいつの間にかとても小さくてか弱い手が添えられていた。

「……山みたいな大男が何泣いてるのよ」

「だって、だってさ…………嬉しくて」

「きっとお父さんに似て、この子も立派な英雄になるわ」

 妻の言葉に泣きながらベンケイは首を横に振る。

「いいんだ、英雄になんかならなくたって。ただ、この子が元気に育ってくれれば僕はそれで……」

「気持ちが高ぶったり弱ったりすると自分の事を僕って言う癖、もう治りそうにないわね」

「別にこのままで構わないさ、お前しか知らないんだから」

 気持ち良さそうな寝息を立てている赤ん坊をベッドへ戻してベンケイは首にかけていたタオルで額に滲み出た汗を拭う。

「今、砂漠の真ん中に防塵壁で囲まれた街を建設中なんだ。それが出来上がったら二人も俺と一緒にその街で暮らそう」

「本当にやるのね?」

「ああ。誰かが抗わなければ文明は砂に覆い尽くされてしまう……だから、俺がやるんだ。この子の、未来の為にも」

 気持ちに引っ張られる形で強くタオルを握り締めるベンケイ。すると突然、より一層強い風が窓を激しくざわつかせた。窓が大きく揺れたのは一瞬だったがその音で目覚めてしまったのか、赤ん坊が声を上げて泣き出してしまう。

 慌ててベンケイはあやそうとしたが、そもそも彼には何をすればいいのか分からない。そんな、右往左往するベンケイを微笑みながら彼の妻が見つめ赤ん坊も狼狽えるベンケイの顔に無邪気な笑い声を上げた。

いつの間にか風は収まり窓の外には穏やかな静寂が訪れていた。夜は束の間の幸福を見守ってただそこに在り続ける。もし許されるならば、今日は一秒でも長く此処に居続けたいと願いながら――――。                          完。


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