「愛することはない」と言われましたら、それはそれでこちらも人生設計させていただきます。
「俺がお前を愛することは、絶対にない」
婚約が結ばれたその日のお茶会で、わたくしメリアの婚約者となったデビッド様が最初に口にした言葉がそれでした。
いきなりの暴言に、折角の金髪碧眼な美少年っぷりも一気に色あせて見えますね。
まあ、相手は伯爵家嫡男、こちらは同じ伯爵家と言えども次女と少々立場が弱い上に、15歳という厨二病真っ盛りなお年頃ですから、傲慢な口ぶりになるのも仕方ないかも知れません。
気分がいいか悪いかは別問題として。
おまけにこれは純然たる政略結婚、まともに顔を合わせたのは今日が初めてという婚約とくれば、こんな態度に出るのもわからなくもありません。
わかって差し上げる必要もございませんが。
とは言え、こちらも愛情だなんだは然程期待はしておりませんでしたので、異存があるわけでもなく。
「はあ、かしこまりました」
少々戸惑った感じにはなりましたが、わたくしは頷いて返しました。
いえ、お会いするまでは『この婚約をスタートラインとして、いい関係を築くことが出来たら』とも思っていたのです。
わたくしとて貴族の娘、政略結婚となるのは当たり前とわかっております。
ですが、そこからお互いを思いやる関係を築かれているご夫婦もそれなりにいらっしゃるので、わたくしもそうなれたら、と淡い期待もございました。
今この瞬間に霧散いたしましたが。
「はっ、あっさり頷くとは、随分聞き分けの良いことだ。感情のない人形のようで気味が悪い」
「なるほど、そうお考えですか」
嘲るようなデビッド様に、しかしわたくしは小首を傾げて返すのみ。
ここで『貴族たるもの感情の制御が出来てこそ』などと正論を返しても彼には響かないことでしょう。
いえ、むしろ正論だからこそ激高するかも知れません。
「まったく、反応が薄くて人間と話している気がしないぞ。これがソフィアなら、もっとこちらを気遣った言葉を明るく言ってくれるだろうに」
彼が欲しているのは、対等なやりとりでなく彼へのお追従。自分を気持ちよくさせてくれる相手としか機嫌良く応対できないタイプなのでしょう。
どう考えてもお互いに尊重しあって、などという関係は望めそうもなく、溜息が漏れそうになるのを何とか堪えます。
こんなのでも政略結婚の相手、変に関係がこじれても困りますから。
しかし……彼が口にした名前。
「ソフィア様、ですか。あの子爵家の」
聞き覚えがあったので、思わず口にしてしまいました。
わたくしとデビッド様、それぞれの家が治める領地は隣り合っているのですが、ソフィア様の家が治める領地もご近所様。
だから名前に聞き覚えがあったのですが……そんなご近所様と不倫三角関係のトラブルだとか御免蒙りたいところ。
これは色々考えなければ……と思ったのですが、どうもデビッド様は全く別の捉え方をしたようです。
「なんだ? 子爵家だからなんだというのだ? それとも何か、自分が伯爵家だからって見下しているのか!」
「いえ、そんなことは全くございませんが」
まるっきり見当違いなことを言いながら感情を露わにするデビッド様。
この方、ちゃんと伯爵家次期当主としての教育を受けてらっしゃるのかしら……。
受けていてこれでしたら、それはそれで先行きが色々と心配になりますけども。
「大体、女のくせになんだその身長は。そんなだから誰も彼も見下すような女になるんだ。その黒髪も陰気だし」
……いえ、これはだめですね、この方と一緒になってもまともな関係が築ける未来が見えません。
女性としてはかなり身長が高い方であるわたくしと、男性としては低めのデビッド様は、並ぶとほとんど背丈が変わりません。
男性の方が成長期が遅いとも言いますから、まだこれから伸びる可能性はございますが……今の段階でこれだけ拗らせているのです、大きくなろうがこれ以上伸びなかろうが、いずれにせよわたくしへの当たりはきつくなることでしょう。
「見下しておりませんし、生まれつきのものに文句を付けられましてもどうしようもございません」
一応、言うべきことは言っておきましたが、やはりこういう正論で返す女はお気に召さないらしく、随分と不機嫌に。
そこからはもう、不機嫌なデビッド様を淡々とあしらいながら、お茶会が早く終わってくれることを願うばかりでございました。
予定の時間が来たところでお茶会は終了、そそくさとわたくしは辞去いたしました。
その帰り道、馬車に揺られながら考えます。
どうにかしてこの婚約を穏便に解消できないか、と。
いかにイケメンで経済力があろうとも、あんな傲慢で歩み寄りの期待出来ないお方はまっぴらご免ですが、政略結婚である以上、わたくしの感情だけでどうこう出来るお話ではありません。
かといって、相手の瑕疵を見つけてそこを攻撃した場合、遺恨が残る可能性もございます。というか、高いでしょう。
「となると……この手しかないかしら」
ある考えに至ったわたくしは、家に帰り着くなりすぐさま手紙を書いたのでした。
そして、手紙を出してから数日後。
「ようこそおいでくださいました、ソフィア様」
わたくしは、件のソフィア様を我が家にお招きしておりました。
本当はこちらから伺いたいところでしたが、あちらは子爵家、こちらは伯爵家でこちらの方が家格が上。
となると、あちらにご足労いただき、こちらがお迎えの準備をするというのがこの国の慣例であるため、このような形になっております。
家格が下の者が移動して体力を、上の者がおもてなしで財力を使うわけですね。
ともあれ。
慣例に従いお招きしたソフィア様は、緊張しているのかガチガチのご様子。
それもまあ、仕方のないところでございましょう。
「ほ、本日はお招きいただきまして、ありがとうございます」
それでも口上を述べ、手土産を渡してきて、と礼儀作法に則っているところは好印象。
草原色の瞳に亜麻色の髪をした彼女は、夏の日差しの中ではその髪がすけて儚げにも見えます。
なるほど、デビッド様はこういうタイプがお好み、と。
しかし芯はしっかりしているのか、少なくとも理性的に会話することが出来ない、なんてことはなさそうです。
「まあまあ、あまり緊張なさらないでくださいまし? こちらとしても、取って食うつもりはございませんから」
などと冗談めかしてテーブルへと案内します。
季節は夏の終わり、木陰に入れば心地よい風が通りますので、本日は我が家の庭でのお茶会。
……彼女からすれば、屋内ですと色々と圧迫感を感じるのではないかとも思って屋外にしたのですが、はてさて、どう受け取ってもらえるのやら。
どちらにせよ、要らぬ勘違いをされる前に、さっさとこちらの思うところをお伝えした方がいいでしょう。
向かい合ってテーブルにつき、お茶を少々いただいて喉を潤してから、わたくしは早速用件を切り出しました。
「さて、本日お越し頂いたのは……予想が付いているかも知れませんが。
まず、わたくしとデビッド様の婚約が結ばれたことはご存じですか?」
「は、はい……先日、伺いました」
「それは、お手紙で? それとも直接? ……いえ、お答えにならなくて結構ですわ、どちらであろうとあまり関係はありません」
問いかけてすぐに遮れば、ソフィア様は明らかにほっとしたご様子。
この分ですと、直接聞かされましたわね……恐らく、彼に都合のいいように。
「勘違いしないでいただきたいのですが、この婚約は全く以て政略によるもの。
ですから、わたくしはデビッド様に対してこれっぽっちも気持ちはございません」
「そうなのですか? で、でしたら今日は一体……」
わたくしから「泥棒猫!」だとか詰られること覚悟で来たであろうソフィア様は、キョトンとした顔。
ですが、そんな無駄で無意味なことに時間を費やすつもりはございません。
もっと前向きで建設的なことを話したいのです。
「正直に申し上げて、気持ちがないどころか、むしろ積極的に婚約を解消したいとすら思っております。
先日お会いした時の態度が少々……恐らく恋人であるソフィア様は見たことのない形相だったのではないかしら」
率直にわたくしが言えば、ソフィア様は目をぱちくりと瞬かせました。
やはり、好みのタイプにはかなり甘いようです。わたくし、そういう人は好みではないのですよね。
「そんなことが……すみません、ちょっと想像がつかないです……」
ソフィア様の反応を見ていると、わたくしが会ったあの方は本当にデビッド様だったのかとすら思ってしまいますわねぇ。
ですが、ソフィア様になら優しい、というのならば好都合。こちらの良心も痛まずにすみます。
「ということで、本日お越し頂いたのは、この婚約を解消した上であなたとデビッド様が婚約できるよう手を組まないかとお誘いするためだったのですよ」
「手を組む、ですか……それは、こちらとしてはありがたいことですけれど、難しいのでは?
こう言ってはなんですが、我が家ではメリア様のお家に比べて、政略的な旨味がまるでありませんし」
わたくしの申し出に、しかしソフィア様は慎重です。この浮ついていないところ、デビッド様に爪の垢を煎じて飲ませたくなりますわね……。
また、何が問題かをきちんと把握しているのも好感が持てます。
わたくしの家は陸運や水運といった運送業を手がけており、各種鉱山を持つデビッド様のお家はお得意様の一つ。
あちらとしても鉱石を手広く売りにいける足は、販路を広げるのにとても有効であり、政略結婚で結びつきが強まれば、かなり旨味が大きいわけです。
対してソフィア様のお家は、主産業が麻を中心とした繊維業。
デビッド様のところに鉱石を詰め込む麻袋などを納めているのが、二人が知り合った切っ掛けだったとか。
残念なことに、麻袋が多少安く納入されたところで大したコストカットにはなりません。
我が家とソフィア様のお家、どちらと組む方がよいかは考えるまでもないでしょう。
「ええ、失礼ながらそれはその通りです。……ただし、今は」
「今は? ということは……いえ、しかしお恥ずかしながら我が家には他に大した特産品もなく、旨味を高めるにも手段が……」
困ったような顔になるソフィア様を見ながら、しかしわたくしは内心で感心していました。
たったこれだけのやり取りでこちらの意図を汲んでくれるとは、思っていなかったのですが。
思っていたよりも遙かに頭が回る方のようです、ソフィア様。
「他にないのであれば、今ある物で何とかいたしませんか。
例えば……麻袋を作ってらっしゃるとお聞きしていますが、他に麻布などはいかがです?」
「確かに麻布もありますが……あれも庶民向けの素材ですし、中々……それに、生産量にも限りがありまして」
ソフィア様がおっしゃるには、麻袋に使うのは黄麻、布に使うのは亜麻などと種類がそれぞれ違うのだとか。
それらをそれぞれに作っているため、限られた領土の中では自ずと生産量も限られてしまうのは致し方ないところです。
しかし、でしたら……。
「でしたら、その麻布を貴族でも着られるような物に昇華するのはいかがでしょう。
実は、以前外国から入ってきた麻布に、随分と薄くて上品な風合いのものがございまして。
あれを国内で作ることが出来れば、あるいは……」
「そ、そんなものがあるんですか!? も、もし今お持ちでしたら、是非拝見させていただきたくっ」
思わぬ食いつきっぷりに、今度はわたくしがぱちくりと瞬きをしてしまう番。
もちろんこの話を振るために実物を用意しておりましたので、侍女に合図を送って持って来させます。
運ばれてきた薄布を、ソフィア様は食い入るようにして見始めました。
何でも子爵家としても現状に行き詰まりを感じており、ソフィア様も頭を悩ませていたところだったらしく。
「あ、だからってデビッド様からの支援を期待して近づいたというわけではないんですよ?」
「いえ、そこはそれ狙いで近づいてもいいところですわよ? わたくし達もあちらも、貴族の一員なのですから」
利益を優先して感情に折り合いを付けるのが貴族というものかと思いますが、ソフィア様は少々そういったことが苦手なご様子。
そういうところがデビッド様には好ましく思えたのかも知れませんが。
いえ、これくらいであればわたくしも嫌いではないですけれども。
そんなやり取りをしながらもソフィア様は薄布をしっかりと検分し、ほぉ、と一つ溜息を吐きました。
「とても素晴らしいですね、この布……お見せいただき、本当にありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして。それでいかがでしょう、再現できそうですか?」
「そうですね……」
問いかければ、ソフィア様はしばし目を伏せて思案し。
それから、決然と顔を上げました。
「やります。やってみせます!」
「いいですわね、そのお返事。わたくし、そういう方って好きですわよ」
できるかどうかを思案するのではなく、やると決めてやりきる。そういう方は時に予想外の力を発揮します。
今のソフィア様には、そういう方の空気を感じました。
「これでこの薄布を実現して売り出すことが出来れば……あちらの伯爵家としても取り込もうとしてくる可能性は十分にございますよ」
わたくしが言えば、ソフィア様もこくりと頷いて返します。
デビッド様の伯爵家は、鉱山から出る鉱石で潤っておりますが、反面、文化的な領域が手薄になっているところがございます。
裏ではそのことを「野蛮な山掘り」などと悪し様に言っている方もいらっしゃるとか……。その山掘りが掘り出した銀や金で着飾っているでしょうに。
しかし、話題の布を取り扱う家と縁が結ばれたとなれば、そういった声も抑えられるでしょうし貴族としての面目も施せますから、嫡男であるデビッド様の要望も通りやすくなることでしょう。
もちろん、婚約解消となれば我が家にはマイナスですが……。
「販路の開拓には、是非ともうちに一枚噛ませてくださいましね?」
「もちろんです。というか、そんなことをお願いするだなんて、厚かましいくらいですが……」
「いえいえ、こちらとしてもそれくらいの手土産がなければ親に話を通しにくいですからね。
わたくしは新たなお得意様獲得と引き換えに婚約解消、あなたはお家の利益とデビッド様との婚約。
お互いの幸せのために、力を合わせてまいりましょう?」
「はいっ、よろしくお願いします!」
そう言って、わたくしが差し出した手をソフィア様はしっかりと握り返したのでした。
そこからは、色々と大変でした。
デビッド様のお家など従来のお得意様の運送を恙なく行うその裏で、今後増えるであろう衣類運送に備えて余裕を確保。
あちこちで新しい素材を扱ってくれそうな仕立て屋、裕福な庶民や下級貴族向けの衣類を扱ってくれそうな服飾店の開拓。
これらの根回しを、伯爵であるお父様に勘付かれることなく進めていくのは、中々に骨が折れることでした。
ですが、その甲斐もありました。
「いかがでしょうか、メリア様!」
「あらあら、これは……素晴らしい風合いに仕上がりましたわねぇ」
あのお茶会から1年近く経って初夏となった今日。
ソフィア様が持ち込んで来た生成りのワンピースを着たわたくしは、くるりと鏡の前でターンをしながらそう答えます。
淡い水色は爽やかで、この時期にぴったり。
そこに麻布のシャリ感が合わさることで、いっそう涼しげな風合いを出しています。
「このワンピースを着て避暑地を歩けば、それだけで気持ちよく過ごせそうですわね」
「ありがとうございます、そう言っていただけると苦労した甲斐がありました……。
それに、メリア様のようなお美しい方に着て歩いていただけたら、それだけで宣伝効果が!」
「まあまあ、そんなお世辞を言っても、お茶くらいしか出ませんわよ?」
「あは、ありがたく頂戴いたします!」
このワンピースの開発と販売戦略の相談で幾度も顔を合わせるうちに、すっかりわたくしとソフィア様は打ち解けました。
ちなみに、この間にデビッド様とお会いしたのは一回だけ、新年のパーティでのみ。まあどうでもいいのですけど。
おかげで余計な雑音に悩まされることなく、このようなワンピースを仕上げられたのですし。
「ただ、まだ微妙に糸が太いというか堅いというか……あまり細かな縫製には向かなくて。
だからワンピースは作れても、デイドレスとかサマードレスはまだ無理なんですよね~……そっちの方が単価を上げられていいんですけど」
「ふふ、でも『まだ』と言うことは、改良は続けてらっしゃるのでしょう?
でしたら、後押しするためにもしっかり売ってまいります」
ここまでの開発資金は私の個人資産からもこっそり出していますが、やはり多くはソフィア様のお家の方が出しています。
その資金をこのワンピースの売り上げから出せれば、さらなる技術の向上が見込めるはず。
そうして絹のように柔らかく……は流石に無理だとしても、出来る限り柔らかく作った布で夏のお茶会に着ていけるようなドレスが仕立てられるようになれば、一気に価値は上がるでしょう。
そして社交界で話題になれば、ソフィア様とデビッド様の婚約も現実味を帯びてまいります。
「ここが正念場です、頑張りましょうね、ソフィア様」
「はい、頑張りましょう、メリア様!」
元気にお返事をしてくるソフィア様を見て、私は思わず目を細めるのでした。
ということで、わたくし頑張りました。
お父様にお願いして、複数の避暑地に、例年よりも長く滞在したのです。
その間、避暑地のあちこちを、例のワンピースを着て歩いて回りました。
親しい友人とのお茶会にも着ていけば、当然話題にもなります。
売れました。
ドレスのようには気張らず、程よく上品で垢抜けている麻のワンピースは、夏の普段使いとして伯爵家やそれより下のご令嬢、ご婦人には使い勝手がよく、大人気。
肌触りが心地よいからと、話を聞きつけた侯爵令嬢がナイトウェアとしてお買い求めになったこともございました。
予想通り、いえ、予想以上に麻のワンピースは売れて、十分な開発資金を獲得することが出来たのです。
結果。
「ご覧くださいメリア様!」
「まあまあ、腕回りがこんなに細く出来るだなんて……目指す柔らかさまで後一歩のところまで来ましたわねぇ」
それから一年、また夏が来た頃、さらなる進化を遂げた麻布は最早木綿にも負けないほど柔らかくなっておりました。
去年のワンピースは全体的にゆったりとした仕上がりでしたが、今年はもう少し身体の線に沿った形も作れるようになったようです。
「そ、それでですね、今年はこんなものも作ってみまして……」
「これは……男性物のシャツ、ですわね。もしや、デビッド様に?」
「え、えへへ、わかってしまいます? 父にも着てもらったのですけど、肩につっかえた感じもなく凄く動きやすく出来ているそうで……贈り物にしてもいいかなと思いまして」
「ついでに二人でデートにでも出かければ、宣伝効果は倍増ですわねぇ」
恋する乙女な表情ではにかみながら言うソフィア様の可愛らしいことったら。
……ちょっと、妬けますわね。デビッド様に。
「それに実は、こんなのも作ってみまして……」
「あら、これは銀……いえ、この輝きは、錫のネクタイピンですか?」
「流石メリア様、よくおわかりで! デビッド様のところで産出される錫を加工して、アクセサリーを作ってみようかと思いまして」
「なるほど、銀や金は既に十分な価値がありますから、それ以外のもので、と。
麻布製品の購買層にも訴求できるでしょうし、いい狙い目かも知れません」
銀とはまた違う、少し抑えの利いた渋い輝きを見せる錫は、こうして合わせてみれば麻布の風合いとのマッチングは悪くありません。
それに、サビなどもほとんど来ないため手入れが楽で、使用人がいない、もしくは少ないお家にご購入いただいても、その後の負担をあまり考えなくていいわけです。
当然、錫にも付加価値が付けられるとなれば、デビッド様のお家からも一目置かれるようになるでしょう。
ソフィアさん、目の付け所がいいですわね。
「デビッド様、喜んでくれるかなぁ」
「ええ、きっと大丈夫ですよ」
そう太鼓判を押して、ソフィア様を送り出したのでした。
まさか、それが間違いだったとは、思いもせずに。
それから数日後。
「どうしたのですか、ソフィア様。アポなしだなんて、あなたらしくもない」
そう、事前のお約束も、先触れすらなしにソフィア様が当家を訪れたのです。
こんなことは今までなかったので、わたくしは内心で慌てておりました。
何より、ソフィア様のお顔。
「メ、メリア様ぁ……」
今にも泣き出しそうなお顔を見て、これはいけない、と思いました。
人目につかないよう、急いでわたくしの部屋へと案内し、ソファへと座らせます。
なんだか、普通の椅子に座らせてはいけない気がしたのです、崩れ落ちてしまいそうで。
そして支えるように隣にわたくしが腰掛ければ、ソフィア様はぽつりぽつりと話し出しました。
聞いていてわたくし、はしたなくもデビッド様をぶん殴って差し上げたくなりました。
「言うに事欠いて、『麻布のように低級なものなど着たくない』ですって……?」
あの男、思い人であるソフィア様には優しく振る舞っていたはずなのに、ここに着て馬脚を現しやがったのです。
それも、最悪の形で。
本人からすれば、傷つけた自覚すらないのでしょう。
ですが彼の言動は、ソフィア様のここ二年ばかりの努力を踏みにじるものだったのです。
「私が何か言おうとしても、『君がそんなことをする必要はないんだよ』とおっしゃって取り合ってもらえず……私、今までのことを否定されたようで悔しくって!」
叫ぶように言うソフィア様の目から、涙が零れます。
それを見てわたくしはたまらず、彼女の肩を抱き寄せました。
「当たり前です、悔しくて当然です。ソフィア様や職人の皆様の苦労が、努力が、こうして形になったというのに、それを踏みにじるだなんて」
デビッド様は、差し出されたシャツをろくに見もせずに拒否なさったそうです。
それもまた噴飯もの。きちんと見れば、このシャツがどれだけ良い物かわかったでしょうに……いえ、あの方ならわからなかった可能性も捨てきれませんが。
いずれにせよ、彼は大事にしているつもりのソフィア様を、深く傷つけたのです。
……どうにも、苛つきますわね。
「……見返してやりましょう」
「メリア様……?」
ええ、見返してやりましょう。
彼が馬鹿にした、このシャツで。
「この夏、わたくし達二人で、避暑地の話題を独占してやりますわよ!」
「え、ええ~~!?」
ええ、やります。やってやります。
目に物見せてくれますわよ、デビッド様。
そして、死ぬほど後悔するがいいですわ。
そう心に誓いながら、わたくしはソフィア様にアイディアを話すのでした。
そして、迎えた夏のバケーションシーズン。
「え、見てあのお二人……とっても素敵」
「ソフィア様とご一緒のあちらの殿方、どちらの方かしら……?」
「まって、あの方もしかして……」
避暑地で、わたくしとソフィア様は視線を独り占め……いえ、この場合は二人占めかしら。
ともかく、大きな話題となっておりました。
「ふふ、作戦成功ですわね」
「そ、そうですね……」
得意げに笑う私の隣を歩くソフィア様は、どことなく緊張気味です。
これだけ視線を集めてしまっているのですから、それも仕方ないところかも知れません。
「でも、本当に大成功と言いますか、ありがとうございますと言いますか……」
そう言いながら、昨年よりも洗練されたデザインのワンピースを着るソフィア様は、わたくしをまじまじと見て……ほぉ、と小さく吐息を零しました。
先程の会話からお気づきになった方もいらっしゃるかも知れませんが、今のわたくしは少々どころでなく普段と違った服装をしております。
長い黒髪は首の後ろで一つに縛り、先日デビッド様から拒絶されたシャツに、スラックス。そう、男装をしているのです。
ここまではしたない真似をするならいっそのこと、と袖もまくってラフで気軽な路線を追求。元々デビッド様用のシャツでしたから、わたくしには少々大きめですしね。
これが我が家の侍女やメイドに大受け、反応を見るにソフィア様にも好評なようです。
普段からある程度わたくしを見慣れている人でもその反応なのです、道行く方々の目を引くこと引くこと。
そして異彩を放つわたくしの隣には、正統派に可愛らしい、涼しげなソフィア様。
これならば、二人のどちらか、あるいは両方とも道行く人の心を掴むことでしょう。
「ふふ、人目を引くためにもう少し親しげにしてみますか、ソフィ?」
「ソ、ソフィ!? い、いえ、いい、ですよ? えっと、リア、様……?」
「あら、呼び捨てでも構いませんが?」
「そ、それは無理です、心臓がもちません!」
顔を真っ赤にするソフィア様の、なんとも可愛らしいこと。
こんなソフィア様を見ることが出来ないデビッド様、ざまぁ見ろですわ。
こうして存分にあちこちの避暑地でいちゃついて回ったわたくし達は話題を独占、わたくし達の着ていた衣服は飛ぶように売れました。
流石にここまで話題になると父に隠しておくことは出来なくなりましたが、売り上げの実績と今後の売り上げ予測で黙らせることにも成功。
やはり数字。数字は全てを解決します。
また、デビッド様からどういうことかと抗議も来ましたが、女二人で街を歩いて何が問題なのかと問い返せば、言葉に詰まっておりました。
こんな時、女二人というのは変な勘ぐりを退けられるので便利なものですねぇ。
そんなちょっとしたゴタゴタはありましたが、無事去年の数倍に及ぶ売り上げを獲得、豊富な研究開発資金を使えるようになり、更なる技術向上を成し遂げました。
こうして、高級で上質な麻布を目指して三年目。
「これならば、どんなお茶会にも着ていけますわね……」
ついに、細やかな縫製も出来る程に柔らかく、上品な風合いの麻布が完成しました。
早速作り上げたサマードレスは華美ではないのに優雅で、夏の日差しの中に溶けていきそうな程。
他の素材では出せないであろうこの風合い、これはもう、唯一無二のドレスと言ってもいいでしょう。
「はいっ、自信を持ってお渡しできましたっ」
ぐっと両手を握って迫ってくるソフィア様も、わたくしと同じデザインのドレスを身に纏っております。
わたくし達がしているのは、いわゆるお揃いコーデというもの。
「それでは参りましょうか、ソフィ」
「いきましょう、リアっ」
わたくし達は、互いに愛称で呼び合いました。
この格好で、今から公爵夫人主催のお茶会に参加するのです、これくらい近しい空気を纏っておきませんと。
公爵夫人という女性社交界のトップに君臨するお方が主催するお茶会、ここで話題になれば勝ったも同然。
しかし同時に、厳しい審査の目にさらされるのですが……この出来であれば、大丈夫。
わたくしの自信は、お茶会の会場に入った瞬間に確信へと変わりました。
「ご覧になって、メリア様とソフィア様のあのドレス!」
「あれは、最近話題の……いえ、もっと洗練されたものですわね!」
今市場に出回っているのは、去年までの改良版。
しかし今わたくし達が着ているのは、そこから進化と言っていいレベルで向上したもの。
目の肥えている皆様には、その違いも一目瞭然だったようです。……というか、きっとおわかりになると思って着てきたのですけどね。
「それに、色違いで同じデザインのドレスを纏っていらっしゃるだなんて、なんて仲がよろしいのかしら」
「制作をソフィア様が、販売をメリア様がと聞いてはおりましたけれど……商売以上の絆を感じますわね……」
そうでしょうそうでしょう。
実際、その通りだと思います。
このドレスを生み出すまでに様々な苦難を乗り越えたわたくし達は、戦友と言っても良い程。
着ているのも、私がライトグリーン、ソフィア様が菫色と、どちらかと言えば相手のイメージに近い色を纏っているわけですから、一層仲良しアピールが出来るというもの。
これが浸透すれば、次のステップで当家とソフィア様の子爵家が手を組んでもなんら不思議ではなくなります。
ドレスを用意してくださったソフィア様の周到さには、わたくしも感心してしまいますね。
しかし、もちろんわたくしとて全てをソフィア様にお任せしていたわけではございません。
「ちょ、ちょっと、ご覧になって! 王妃殿下がいらっしゃいましたけれども!」
「え、そんな、いらっしゃっても不思議ではございませんけれども……まあ!」
皆様が一様に驚いておられます。
それも当然のこと……なんと、来客の最後にご登場なさった王妃殿下は、麻布のサマードレスを……もちろんわたくし達のものよりずっと上等なものですけども、はっきりと同系統とわかるそれを着てきてくださったのです。
ここは、わたくしが頑張りました。
販路を広げ、人脈を広げ、何とか辿り着いたのが王妃殿下。
王国女性の頂点に立つお方にお認めいただき、御身に纏っていただけた。
もうこれで、ソフィア様の……いえ、わたくし達の勝ちと価値は揺るぎのないものとなったでしょう。
「あら、メリア、それにソフィア、あなた達も来ていたのね。このドレス、とても着心地が良くて快適だわ」
更にこんなお言葉をかけていただけたのです、このドレスの価値をどうこう出来る者など最早おられないはず。
出来るとすれば国王陛下お一人ですが、王妃殿下を溺愛なさっていると聞きますから、そんなことはなさいませんでしょう。
つまり、わたくし達の努力は、この時結実したのです。
そのお茶会から一月ほど経って。
「それでは、これにて婚約は解消と相成ります」
利益関係が色々と絡むわたくし、ソフィア様、デビッド様とそのご両親、三家が居並ぶ中、立ち会いの役人さんがそう宣言して、わたくしとデビッド様の婚約が穏便かつ正式に解消されました。
当家と手を組むよりも、ソフィア様のお家と組む方が得策と、やっと認めていただけたのです。
ここまで、約三年。長かったような、短かったような。
一つだけ確かなのは、とても楽しかったということでしょう。
途中からは完全にデビッド様のことなんてどうでもよくなって、ソフィア様と麻布の衣服を発展させることに夢中になっておりましたし……。
色々と思い返して、ほふっと吐息を一つ。
結果を出せたことが嬉しくもあり、出してしまったことに寂しさもあり。
とにかく、これでソフィア様との日々も終わりになるわけです。
そう思いながら顔を上げたその時。
「それでは続きまして……」
と、立ち会いの方が言いかけたところで、ガタッと音がしました。
ソフィア様とデビッド様の婚約締結に移ろうとしたそのタイミングで、ソフィア様が立ち上がったのです。
そうですよね、三年も待ったのです、そのために邁進してきたのです、感情が抑えられなくなったとしても不思議ではないでしょう。
彼女を見るデビッド様の顔も喜色に満ちていて……それを見て、少し……いえ、かなりイラッとしたのですが。
わたくしは、見ていることしか出来ませんでした。
ソフィア様が満面の笑顔で駆け出すところを。
そして、デビッド様が両手を広げて。
ソフィア様が、飛びつきました。
わたくしに。
「えっ!? ソ、ソフィア様!?」
「だめですリア、私のことは、いつものようにソフィと呼んでください!」
可愛い声で要求しながら、ソフィア様は……いえ、ソフィは、わたくしをぎゅうぎゅうと抱きしめてきます。
ああっ、もうっ! あなたの幸せのために、我慢しようと思っていたのに!
というかこれ、どういう状況ですの!?
ほら、デビッド様も両手を広げたまま、間抜け面晒して硬直してるじゃないですか。
「あの、ソフィ? 落ち着いて、ね? これでやっと……やっと……」
そう、これでやっと、ソフィとデビッド様の婚約が結ばれるところまで来たはず。
けれど、わたくしはそのことを口にすることが出来ず。
そしてソフィは、そのことを告げられる前に行動に移しました。デビッド様でなく、わたくしに抱きつくという形で。
これが何を意味するのか。予感めいたものがあって、わたくしは言葉を続けることが出来ません。
だって、もしも立会人の方や伯爵様がソフィの婚約について口にすれば、子爵家であるソフィは異議を申し立てにくい立場なのですから。
だから、何か言われる前に行動で示した。それも、思わず絶句してしまうような大胆な行動で。
「はいっ! やっと、やっとリアの婚約が解消されて、フリーになりました!
これでやっと、お付き合いを申し込めます!」
「ちょっとお待ちになって!?」
もしかしてと思っていたまさかの発言に、思わず声をあげてしまいます。
あ、だめ、顔が緩んでしまう……緩めたらだめなのに、気付かれたらだめなのにっ!
「待ってくれ、どういうことなんだ!?
ソフィア、君が好きなのは俺じゃないのか!?」
ある意味ごもっともなことを、しかし最早脇に置かれた所からデビッド様が主張します。
しかし、そんな彼へと向けるソフィの視線は冷ややかなものでした。
「確かに、以前はデビッド様をお慕いしておりましたし、認めていただくために努力をしてまいりました。
ですが、その間デビッド様は何をしてくださいましたか?」
「何って、それは……君を慰めたり、励ましたり……」
「そうですよね、口先だけで出来ることだけしてくださいました。ですが、それ以上は何かございましたか?
それに比べてリアは、私に具体的な道を示してくれた上に共に手を携えて歩んでくれました。
何より、私のすることを認めてくれました。作り上げたものを、認めてくれました!
作り上げたシャツを着ることすら拒否したあなたと違って!」
ソフィの言葉に、思い出すのは一年前の夏。
あの日あの時、傷ついたソフィを慰めたのは。手を取って立ち上がる支えになったのは。
他でもない、わたくしでした。
「そして王妃殿下に認めていただいて、伯爵様もお認めになる程の価値を生み出せて。
それらは全て、リアのおかげです。何よりも、リアと共に新たな何かを作り出すのはとても楽しくて充実していました。
デビッド様、あなたとでは、そんな未来はとても描けません!」
「な、なんっ、なん、だと……!?」
デビッド様は目を白黒させていますが……言われても、反論が出来ようはずもありません。
ソフィが言ったのは、ただの事実でしかないのですから。
……ちょっと照れますけども。
「ですから私は、リアとの未来を望みます! リアとならば、ともに歩いて行けると心から思えますから!」
言い切るソフィの姿は、輝いていました。
贔屓目に見ているのはわかりますが、それを差し引いても今の彼女は自信に満ちあふれ、輝かしいとしか言えない表情をしています。
そんな顔でそんなことを言われて……正直にならないわけがないではないですか。
そういえば、とふと思い出します。
先日のお茶会、わたくしが纏っていたのはライトグリーンの……ソフィの瞳の色。
そして、ソフィが纏っていたのは菫色、私の瞳の色でございました。
そしてこの国では、婚約者が自分の瞳の色のドレスを婚約者に贈るのはよくあること。
つまり、わたくしにあのドレスを着せたソフィの意図は。
気付いてしまえば、もう遠慮することなど出来ません。
「はい、わたくしも、ソフィとの未来を望みます」
その言葉は自然と口から零れました。
間違いなく、わたくしが心から望んだ言葉。
わたくしも、ソフィと共に。
残念ながら、そのことに納得できない無粋な方もいらっしゃいましたが。
「ま、まて、お前達は女同士だぞ!? 女同士で世継ぎはどうする!」
「ソフィもわたくしも嫡子ではありませんし。その気になれば、子供も作れますし……何も問題はございませんわよね?」
何とか食い下がろうとするデビッド様に、わたくしは小首を傾げながら返して差し上げます。
その昔、女辺境伯と子爵令嬢のご婦婦が勇名を馳せ、この国の守りを固めた際に、女同士で子供が産める魔法も広まりました。
今ではそれもかなり一般的になり、貴族同士の結婚においてもそれなりの割合で行われております。
ちなみに男性同士でも成せる魔法が開発されたのですが、女同士と比べて色々費用がかかるのだとか……。
しかし、そう考えますと。
「……あら。わたくしがソフィと結ばれることに、ほとんど障害はございませんわね?」
「はい! だからリア、結婚しましょう!」
直球です。
眩しいくらいの笑顔で、何も腹に持つことなく。
そんなソフィが。
ええ。
わかっていました。認めることが怖かっただけで。
そんなソフィが、わたくしは大好きなのです。愛していると言ってもいいくらいに。
だから、返答は決まっておりました。
「ええ、結婚いたしましょう!」
そう答えて、わたくしはソフィをぎゅっと抱きしめ返したのです。
その後、三家の話し合いで、互いに利のあるよう協力していく取り決めがなされました。
デビッド様のお家は直接的な縁は結ばれておりませんが、やはり利益を生み出す大元となっているのは間違いないところ。
しかしそれも、当家やソフィの家があってこそ価値を高めているのも事実でございます。
お互いにその辺りを考慮して、三家それぞれに利益のある取り決めも成立いたしました。
旨味がなかったのはただ一人、デビッド様だけという形になりましたが、貴族たるもの個人の利益は二の次になるのは致し方ないところ。
そうならないよう、自分にも利益があるように努力すべきだったのです。
それを怠った彼が、一人何も得られなかったのは必然だったのでしょう。
そして……わたくしはともかく。自身の未来のために努力を重ねたソフィが、家の利益も自身の幸せも両立させられたのも。
「ねえリア、私今、とっても幸せ」
色々あったものの何とか無事に結婚式を終えて、その夜。
初めて迎えた二人だけの夜、一通りすべきことを終えて。
蕩けきった表情、熱く潤んだ瞳のソフィにそんなことを言われて、わたくしにだってこみ上げてくるものはございます。
「ええ、わたくしもとても幸せですよ、ソフィ」
そう答えて、わたくしはまたソフィの上に身体を重ねたのでした。
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