予兆 001
「おや、今にも死にそうな顔ですね、クロスさん」
どうして人間はお腹が減るのだろう。
どうして食べ物を買うのにお金がいるんだろう。
生きる上で必要不可欠な物品に対して対価が必要な状況って、よく考えずとも健全じゃあない。
富める者も貧する者も、「生きる」という概念の前では平等であるべきだ。金持ちがケーキを食べ、貧乏人が泥水を啜る時代はもう古い。
これからはみんな仲良く、パンを食べよう。
パンがなければお菓子を食べればいいなんていう貴族的思考は、後に自らの首を絞める愚かな考えだと言わざるを得ない。
しかし、現実は非常だ。
僕たちが生きるためには、どうしたってお金がかかる……所詮僕らは、貨幣という概念に踊らされる滑稽なピエロに過ぎないのだ。
それでいいのか。
今こそ誰かが反旗を翻し、舞台の道化から脱却せんと声をあげるべきではないだろうか。
それこそ、僕が生きる意味なのだ。
「何だか、仕事をしたくない理由をぐちぐちと頭の中でこねくり回しているみたいな顔をしてますね。そんな無駄なことに頭を使う前に、まずは可愛い仲間に朝の挨拶をすべきではないですか?」
「……おはよう、ニニ」
場所は未踏ダンジョン探索係の部署、時刻はお昼少し前。書類の山に埋もれている僕を発掘したのは、特別公務メンバーとして共にダンジョンに潜る獣人の少女――ニニ・ココだった。
「おはようございます、クロスさん……それにしても、陰鬱な雰囲気にさらに拍車がかかっていますね。私で良ければ話を聞きますよ」
「……いやまあ、最近探索に行けてないから書類仕事ばっかりやってるんだけど、どうにも肌に合わなくてさ」
僕の所属する未踏ダンジョン探査係は、本来ダンジョンの調査が目的の部署である。諸事情あって、今はこうしてデスクワークをしているのだが。
ちなみに、ダンジョンとはこの世界に無数に存在する魔法空間のことで、そこで回収できる資源がエール王国を支えている。各地に点在するギルドはこぞってダンジョンを攻略し、手に入れた資源を売って生活しているのだ。
「ベスさんがお休みになられてますから、仕方ないですよ。私たち二人で探索に出るわけにもいきませんし……まあだとしても、寝すぎですよねぇ」
ベスがお休みになられているというのは仕事を休んでいるという意味ではなく、実際に休憩している。彼女曰く休眠状態らしい。
二百年前、仲間に裏切られて封印されてしまったベスは、その後遺症で上手く魔力を吸収できなくなってしまった。効率よく魔力を取り込むために、今は自分自身を杖に封印して、回復を待っているのである。その杖は僕が肌身離さず持っていて、今は机の横に立てかけているのだ。
「この前の闇ギルドとの戦いで、いよいよ魔力を使い切っちまったみたいだからな……エルフは動いているだけで魔力を使うから、できるだけ寝てたいんだろうよ」
「まあぶっちゃけ、そうしてベスさんが寝ていてくれれば、メインヒロインの座を奪いやすくなって大助かりですけどね」
「ぶっちゃけ過ぎだろうが!」
「やっぱりサブとメインではギャラが大きく変わってきますから、狙えるなら狙っていきたいところです」
「お前らの出番、ギャランティーが発生してるの⁉」
「当たり前じゃないですか。私の主な収入源はサブヒロイン手当ですよ」
「そんな手当は存在しない!」
あったとしたら、なんで僕に支給されてないんだ!
不当だ!
「だってあなた、主人公でも何でもないじゃないですか」
「そんな馬鹿な話があるか。僕は信じないぞ」
「ト書きにはモブCと書いてありましたよ?」
「C⁉」
モブ扱いですら酷いのに、AでもBでもなくCとは……これは一度、出るところに出た方がよさそうだ。
「なるほど……僕の生活が苦しいのはその所為だったのか……」
「いえ、それは単純に、ベスさんのために魔石を購入しているからでしょう」
急に冷静なニニだった。
現在杖で休眠中のベスは、魔石という魔力の結晶から力を吸収しているのだが、これがべらぼうに高価なのだ。
ベスと僕、二人の給料を足してようやくトントンといった具合である。
必然、僕はみすぼらしい生活を強いられていた……まあ、彼女のために好きでやっていることだから、苦ではないのだけれど。
「クロスさんもそんな風に腐ってないで、主人公の座を狙いましょうよ。私と一緒に、メインキャラへの謀反を起こすんです!」
「その革命には参加したくないな」
負け戦過ぎる。
……そもそも、僕じゃなかったら誰なんだよ、主人公。
カイさんか? いや、絶対有り得ない(と言うか嫌だ)。
「ふむ……でしたら主人公の座を奪うのではなく、スピンオフを始めてしまうのが手っ取り早いですかね。『獣人少女の大冒険!』なんてどうでしょう」
「センスがどことなく古いな」
あんまり大きな声では言えないけど。
まあ別に、古いことは悪いことじゃないが。
「でしたら、『ニニの大冒険』ですかね」
「絶妙にパクリを疑われそうだな」
意図せず似てしまいそうな字面ではあるし……大目に見てもらえる範囲ではある、かな?
「さっきから文句ばっかりですね。そんなんじゃ、いつまでたっても主人公にはなれませんよ」
ニニの言葉が、少しだけ胸に刺さる。
メインヒロインうんぬんは戯言として……僕たちはきっと、自分の人生の主人公にすら、容易になることはできないのだ。
僕らは大なり小なり、他人の人生と交わりながら生きている――それらは決して平行線じゃなく、複雑に絡み合っている。
自分より主人公に相応しい他人の人生と交わった時。
僕たちは――ただのモブになってしまうのだろう。




