守るため
「なあ、ベス。少し話さないか?」
役所での報告を終えた僕らは、それぞれの家に帰った。まあもっとも、僕とベスは同じ宿舎の同じ部屋に帰るのだけれど。
殺人を犯してしまったベスには後日話があるとカイさんは言っていたが、しかし何らかの罰を受ける必要はないらしい……「死神の左手」は公には存在しない扱いになっているので、そのメンバーを殺したとしても問題はないのだそうだ。
でも――だからと言って。
人を殺した事実は、消えない。
「……わかった。しばし待て」
僕の呼びかけに応えたベスは、いつも通りの黒いローブに身を包んで登場した。
ただ、綺麗な紫紺の色をした瞳が、少しだけ陰っている。
「……いつ、この部屋から出ていけばいい? 我儘を言わせてもらえるなら、もうしばらく杖の中で休憩をしたいところなのじゃが……お主が出ていけと言うなら、今すぐにでも出ていこう」
「ちょ、ちょっと待て! 僕はお前に出ていってほしいなんて思ってないよ」
「……話とは、儂と決別するという話ではないのか?」
「全然違う……ったく、普段は察しがいいのに、変なところで思い込みが激しいよな」
「……ではなんじゃ? ああ、謝罪か。そう言えばなあなあで済ませてしまっていたな。人間に対し深く謝る時は、土下座という姿勢を取ればいいんじゃったか?」
「違う違う! 土下座もしなくていい!」
僕は片膝をついたベスを慌てて止める。
「出ていかなくともよくて謝罪もせんでいいなら……一体、儂はどうしたらいいのじゃ? 何をすれば、お主の留飲を下げることができる?」
「……何もしなくていいよ、ベス。何もしなくていいんだ」
「じゃが、それではお主の気が済まぬじゃろ? お主の意に反して、幼馴染と銀髪を殺してしまった儂のことを……嫌いになったんじゃろ?」
彼女は言っていた。
僕を助けるためなら――僕に嫌われても構わないと。
今にも泣きだしてしまいそうなベスの頬に、僕はそっと手を当てる。
「嫌いになんて、なれるはずないじゃないか。僕らは死ぬまで一緒にいるんだろ?」
「じゃが、儂は人を殺したぞ? それに……許しを請うわけではないが、今まで生きてきた千五百年の中でも人を殺してきた。儂の命を狙う者、仲間を貶めた者……その時その時に理由はあれど、しかし殺したのは事実じゃ。それは、お主が一番許せないことではないのか?」
「……確かに、人殺しは許せない。シリーに死んでほしくなかったし、犯罪者のヒーコックにだって、できれば生きていてほしかった」
「それがお主の魂じゃものな。全ての人間を平等に助けようとするその心意気に、儂は惹かれたんじゃ……じゃが、儂はその信条に背いてしまった。許されることではない」
ベスは下を向き、唇を嚙みしめる。
彼女は本当に――僕のことをよく見ていて。
僕のことを、第一に考えてくれているんだ。
「今の儂には、お主だけが全てじゃ。二百年の封印から目覚め、己が野心すら忘れてしまった儂が、生きるための理由なんじゃ。そう思っていたはずなのに……お主が一番嫌うことを、しでかしてしまった」
「ベス。聞いてくれ」
あくまで自分自身を責め続けるベスの両肩を掴み。
僕は――彼女の目を見る。
「人殺しを許せないっていう考えは、この先ずっと変わらない。でも、変えられることもある」
「変えられること……?」
「そうだ。僕が他人のために命を顧みないのは、他人の命を背負いたくないからだって気づいたんだ。楽なんだよ、その方が。その人の事情を勘案して、周囲に与える影響を鑑みて、この先起きる不確定な未来を予測して、本当に正しいことなのかを自問して……そういう、本来ならやらなきゃいけない過程を全部すっ飛ばしてるだけなんだ」
誰が相手でも、どんな状況でも人を助けるというのは――言い換えれば、その行動に僕の意志が介入していないということでもある。
僕は。
他人のために、他人の命を背負えないのだ。
「背負うのが自分の命だけなら、どんなに楽かってことなんだよ。もし本当に誰かのことを思うなら、時には何かを犠牲にする選択もしなくちゃならない……僕は、それを放棄してる」
犠牲にするのは、自分だけ。
それが――楽だから。
葛藤し、悩み、苦しみ、汗を流し、後悔し、失敗し、やり直し、気づき、反省し、人を助ける……そんな大それたこと。
僕には到底、できやしない。
「でも、それじゃ駄目なんだよ。このまま楽をして生きていたら、また今日みたいにベスを苦しめることになる。いや、ベスだけじゃない。ニニだってエジルさんだって、みんな仲間のことを本気で考えて心配して、その上で何かを犠牲にして誰かを助けてるんだ。僕だけが、自分さえ死ねばそれでいいって考えのままじゃ、絶対にみんなを苦しめることになる」
「……」
「だから僕は、楽をするのをやめるよ。そんな自分を変えてみる……ベスのために、別の誰かを犠牲にする覚悟を持つ。仲間を助けるためなら、何かを犠牲にする信念を持つ……今までみたいな破滅的な考えは、今日で終わりにする」
「お主……」
「まあでも、相手が誰であっても自分を犠牲にして助けるっていう僕の生き様に、ベスは興味を持ったんだよな……そう言う意味じゃ、僕はそこら辺にいる何の面白味もない人間の一人になっちゃうのかもな」
ベスが興味を持つのは、魂が輝いている人間だ……僕の魂はきっと、前みたいに光ってはくれないことだろう。
「……最早、お主に対して向けておる気持ちはそんなレベルではない……一緒におるなら気づけよ、たわけ。例え今後、お主が人の道を外れようとも……儂から離れていくことはない。それくらい理解しろよ、たわけ」
「……そうか。ありがと」
急に口が悪くなったのは、照れ隠しなのだろうか。
だとしたら、僕はベスのことをまだまだ知らないようだ。
「僕はこれから、お前やニニを守るために、自分以外を犠牲にする覚悟を持つ……それは多分、誰にとっても正しいことじゃなくて、立場が変われば賛成できないような選択もするかもしれない」
でも、それが人間なのだ。
大切な人を守るため、他の何かを犠牲にできるのが、人間なのだ。
それは、自分だけを犠牲にすればいいという考えとは真逆の、酷く独善的な考えかもしれない。
けれど。
僕は、ベスの命を背負いたい。
それはつまり、彼女を守ることで生まれる犠牲の責任を取るということ。彼女の人生に、僕の意志を介入させるということ。
今までの僕なら、そんな楽じゃないことをしようとは思わなかっただろう。これから先の選択で、後悔も失敗も沢山することになるだろう。
人を殺すことだって、あるかもしれない。
「僕はあんまり、いい奴じゃなくなると思うけど……それでも、一緒にいてくれるか?」
「あまり、こういうことを何度も言わせるでないぞ、恥ずかしい……お主が死ぬまで、共に過ごそう。それが、今の儂が生きる理由じゃ」
もう寝ると言って、ベスは杖の中に戻ってしまった。
彼女なりの照れ隠しの方法を、また一つ知ることになったようだ。
「……おやすみ、ベス」
僕は杖をそっと机の上に置き、それからベッドに潜り込む……目を閉じるが、しかし簡単に眠りには就けなかった。
瞼の裏には、死んでしまった幼馴染の顔が浮かんでいる。
ベスがそうしたように……これからは僕も、誰かを守るために何かを犠牲にする選択をしなければならない。
その度に、思い出す顔は増えていくだろう。
それが――責任というやつだ。
「……」
寝返りを打ち、息苦しさを何とか誤魔化す。
他人の命を背負うのは、これ程重いことなのか。
せめて仕事をしている間くらいは――変に心配することなく、安定していたいものである。
第一部・完




