被虐の拾われ令嬢に初恋の花を咲かせて
「それじゃあローリア、また明日遊んでやるからな」
私の髪の毛が強引に引っ張られる。
耳元でグリール家の長男であるマルキアが囁き、私は壁に叩きつけられた。
いじめっ子たちが去っていく。
「ユーリ…」
私は膝を抱えて涙をこぼした。
守ってあげられなかった初恋の人の名を呟きながら。
ローリア・グリール。
それが私の名前。
“グリール”という姓は、下級貴族グリール家の一員だということを意味する。
しかし、私は初めからこの家にいたわけではない。
私の出身は近くにある貧民街だ。
そこでずっと、平民や貴族の子供たちに蔑まれる生活を送っていた。
罵詈雑言は当たり前で、女だろうと殴る蹴るなどの暴行を受けた。
万が一にもいじめっ子たちがもう少し育っていたら、純潔すらも散っていただろう。
この国には、民衆の反乱を回避するための王家の政策として、才能のある平民や貧民の子供を貴族が養子にして育てるというものがある。
生まれた環境が悪くとも、能力があれば上がっていけると示したいのだ。
しかし実際のところ、王家の意図したとおりに政策を履行している貴族はほとんどいない。
グリール家もそうだ。
王家や上級貴族の機嫌を取るために養子を連れてくることにしたが、才能のある子どもを探し出し育てるのは手間とお金がかかる。
そこで、貧民街でマルキアのおもちゃになっていた私が連れてこられた。
孤児なら、どんなひどい生活をさせようが文句を言ってくる人はいない。
あとは適当にマルキアが私を嬲り、死んだら病死という扱いにして葬式をやればいい。
グリール家は上の人間たちに慈善家の顔が出来る。
本当のところは全くの偽善だが。
貧民街の孤児だった私が貴族の館で暮らしているのはそういうわけだ。
グリール家の人や使用人たちは、軽蔑や皮肉を込めて私を“拾われ令嬢”と呼ぶ。
あくまでも政略上の道具であり、貴族らしい生活はさせてもらえていない。
地獄の日々が、数年にわたって続いている。
「部屋に戻ろう…」
私は嘆息しながら、与えられた薄暗く狭い部屋に帰った。
体のあちこちが痛む。
きっと、ひどい痣が出来ていることだろう。
いじめられるのは、例え何回繰り返されようと慣れない。
身体的にも精神的にも疲弊した私は、固くてボロボロのベッドに倒れこんだ。
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「ローリア!!ローリア!!」
私の名前を呼ぶ声がする。
まだ声変わりしていない、少し高めな少年の声。
聞き間違えるはずがない。ユーリの声だ。
「どうしたの?」
応じる私の声も、今より少し幼い。
11、2歳の2人が映像になって浮かんでくる。
そうか。私は夢を見ているんだ。
初恋の人であるユーリは、私と同じ貧民街の子供で、泣き虫の情けない少年だった。
貧民をいじめにやってくる貴族や平民の子供たちに暴力を振るわれては、大声を上げて泣いていた姿をよく覚えている。
とても珍しい銀髪の持ち主で、どうしても目立ってしまうためいじめっ子にとっては格好の標的だったのだ。
私よりも小柄で、男のくせに女の私が守ってあげていた。
だけどそんな彼にも魅力的なところがあった。
頭が良くて何よりも優しいところ。
ゴミの山から本を見つけてきては熱心にそれを読み、そこから得た面白い話や知識をたくさん教えてくれるのだ。
「見て見て!!こないだ掘り出した本の続きがあったんだ!!」
ユーリがところどころ破れて薄汚れた本を掲げる。
そうだ。新しい本を見つけるたびに、こうやって私に見せに来てくれてたんだ。
「ちょっとうるさい。まずは落ち着きなよ」
「ごめんごめん。でもほらすごいんだよ」
ユーリがとあるページを私に見せる。
そこに描かれている美しい挿絵に、子供の私は釘付けになっていた。
何が書かれていたかは今でも覚えている。
緑に囲まれた小高い丘に建つレンガ造りの一軒家。
青い空に白い雲、そして緑の草原などというコントラストは、それまでの人生で目にしたことがなかった。
だからこそ、強く心が惹きつけられたのだと思う。
「僕も将来、こんなところに住みたいなぁ」
「無理だよ」
遠くを見て夢を語るユーリに、私が冷たく言い放った。
「私たちは貧民で孤児なの。どうやってその日の食料を手に入れるかと、いかにいじめっ子から逃げるかを考えながら、その日暮らしをするしかないんだよ」
「少しは夢を見たっていいじゃんか。ローリアはこんな家に住みたくないの?」
「そりゃ、住めることなら住みたいけどさ…」
子供ながらに、どれだけあがいたところで境遇は変わらないと感じ取っていた。
今になってみれば、変なところで大人ぶっていたように思う。
嬉々として希望を語るユーリに対し、私は“無理”とか“できっこない”という言葉を並べたてた。
心の底では、彼とレンガ造りの一軒家に住みたいなんて思っていたとしても。
「貧民の僕ちゃんは、今日も読書でちゅか?」
反射的に体が嫌悪で震える声。
馬鹿にした笑みを浮かべたマルキアが、2人の前に現れた。
取り巻きの少年を3人連れている。
「な、何だよっ、本くらい読んだっていいだろっ」
ユーリが必死に言い返すが、体は震え声は上ずっていた。
「おいおい。貴族の俺に対する口の利き方が成ってないんじゃないの?」
普段のユーリなら、ここで一目散に駆け出す。
それを追うように私も逃げ、しかし日ごろから体を鍛えているマルキアたちに捕まって暴力を振るわれるのだった。
しかし今回のユーリは全く逃げるそぶりを見せない。
むしろ、マルキアのことをぐっと睨み返して言い放った。
「何が貴族だよ。所詮は最下級の第七貴族じゃないか」
「何だと…?」
マルキアの額に青筋が浮かんだ。
痛いところを突かれた怒りを拳に込め、思いっきりユーリの腹を殴りつける。
小柄でやせ細ったユーリの体が吹き飛んだ。
「調子に乗るなよ、貧民が」
「やめてよ!!」
倒れこんだユーリを踏みつけようとしたマルキアの右足に、私が必死につかみかかる。
バランスを崩したマルキアは、私ともつれるようにして尻もちをついた。
そのことが、マルキアの怒りにさらなる拍車をかけた。
「てめぇ!!」
右足を蹴り上げて私を振り払うと、わき腹にさらに一発。
「がはっ…」
うめき声を上げようと、女だろうと、一切容赦しない。
「お前らもやっちまえ」
マルキアの合図を受けて、取り巻きたちもリンチに加わった。
「おりゃ!!ほらほらもう一回睨みつけてみろよ!!」
「貧民のくせに逆らうからだバーカ」
「遊んでやってるんだから笑えよ!!」
少年たちの笑い声と、ドゴッガスッという鈍い音だけが響く。
見ていられない。
ただでさえ持たざる少年と少女が、すでに多くを持っている少年たちに殴られ蹴られおもちゃになっている。
思わず目を覆ってしまいたくなったが、これは夢。
目が覚めるまで、この地獄が終わることはない。
「やめてよ!!ガフッ…ローリアには…グアッ…手を出さないで!!」
ユーリが必死に叫ぶ。
そんな彼を守りたいと、私が何とか体を動かそうとする。
しかし、はるかに上回る力が2人の抵抗をねじ伏せていく。
何分くらい、暴行が続いたのだろうか。
途中から、ユーリの声は聞こえなくなった。
完全に気を失っていたのだ。
対する私の方は、かろうじて意識を保っていた。
血だらけの2人が横たわり、マルキアたちがそれを見下ろす。
取り巻きの1人が言った。
「マルキアくん。こいつらを奴隷商人に売って、小遣い稼ぎをしない?」
「いいな」
マルキアも賛同する。
「男の方を売ろう。この銀髪なら男の方が高く売れる。女の方は残しといて、また遊んでやろうや」
マルキアの指示のもと、気を失ったユーリが担がれて運ばれていく。
「やめて…ユーリを…連れて行かないで…」
か細い声でこぼした私の願いは届かず、ユーリの姿が消えていく。
そう。これはユーリと過ごした最後の時間の夢だ。
これ以降、私はユーリと一度も会っていない。
目が覚めた。
両頬にすっかり乾ききった涙の感覚を感じる。
今頃ユーリがどうしているかなんて、考えるまでもない。
奴隷としての生活に、あの体で耐えられるはずがないのだ。
ユーリはきっともう…。
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悪夢にうなされた夜が明け、部屋の扉がノックされた。
マルキアたちがやってきたのなら、部屋をノックするなどという丁寧なことはしない。
強引に押し入ってきて私を引きずり出すからだ。
私はふらついた足取りで扉に近寄り、ゆっくりとそれを開ける。
向こう側には3人の衛兵が立っていた。
全員が長剣で武装している。
「あの…何でしょうか」
怯える私に対し、真ん中に立つ衛兵が良く通る声で言った。
「ローリア・グリールだな。窃盗の罪、並びに不貞の罪で逮捕する」
「え…?」
「連れて行け」
衛兵が後ろの2人に目配せし、私は両脇から抱えられた。
手錠をかけられ、力業で連行される。
「お待ちください!!私は窃盗など身に覚えがありません!!ましてや不貞だなんて!!」
必死に訴えかけるも、両サイドの2人は無表情で一切相手にしない。
そのまま私は、当主ザイア・グリールの書斎の前に連れてこられた。
「ザイア様!!ローリア・グリールをお連れしました!!」
「入れ」
扉が開いて向こうで、ザイアが机に手を突き座っている。
衛兵が、私を机の前に突き出した。
一瞬、ザイアがいやらしい笑みを浮かべる。
その顔を見た時、私は嵌められたのだと悟った。
「ローリア。私は悲しいよ。せっかく貧民だった君に救いの手を差し伸べたのに、こうした形で裏切られるとは」
白々しいザイアの言葉。
何が救いの手だ。息子たちが私に暴力を振るっていることは、当然知っているだろうに。
「私のコレクションだった指輪が行方不明になった。ああ、安心してくれたまえ。今は見つかっている。とある宝石商の手に渡っていたものを回収したよ」
ザイアは右手の中指に光るルビーの指輪を見せた。
彼のお気に入りの品で、身に着けているところは何度も目にしている。
「宝石商にどうやって手に入れたのか聞いたよ。彼は何と言ったと思う?『グリール家の拾われ令嬢が売りにきた』そうだ」
全く身に覚えがない。
第一、私がザイアの指輪に近づけるはずがないし、近づけたとして宝石商に売るすべもない。
館からは一歩も出られない、いわば監禁状態にあるのだから。
「加えて不貞の罪。マルキアから聞いたよ。君は、婚約者がいる息子を誘惑していたそうだね」
「…はい?」
あまりに突拍子もない罪状で、もうどう反応したらいいか分からない。
幼い頃からいじめられてきた相手を誘惑?正気の沙汰じゃない。
「そんなことをするはずがありません。きっと何かの間違いです」
「さらに偽証の罪を重ねようというのかい?証拠はすべてそろっているんだ」
ザイアは椅子から立ち上がると、私に近づき顔の前に1枚の紙を突きつけた。
「ローリア。グリールの名をはく奪し、当家から追放する。並びに窃盗、不貞の罪により、死刑に処する」
目の前の罪状を、私はただただ呆然と見つめた。
“死刑に処す”という言葉が、赤い文字ではっきりと書かれている。
「刑の執行は本日正午だ。それまでの人生最後の数時間は、処刑場にて見せしめになってもらうからな」
もう、ザイアの声などぼんやりとしか聞こえない。
絶望と恐怖で何も感じられない。
この理不尽を前にして、何か反論する気にもなれない。
「処刑場に縛り付けろ」
ザイアの一声で私は連れ出され、処刑場まで歩かされた。
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断頭台に体が固定され、「窃盗、並びに不貞の罪 ローリア」という罪状が高々と掲げられる。
徐々に徐々に、処刑場へ人が集まってきた。
処刑は民衆にとって一つの娯楽だ。
高貴な身分の者が刑に処されれば、間接的に日ごろの恨みを晴らすことが出来る。
貧民からグリール家に拾われた少女の話は知れ渡っていたため、民衆にとって私が処刑されることは痛快でたまらない。
私がどんな過酷な生活をしていたかなど、彼らは知らないし想像する気もないのだ。
「殺せ!!」
誰かが大声で叫んだ。
それがきっかけとなり、場内に「殺せ殺せ」の大合唱が起きる。
何も思わない。何も思えない。
どうやら、一足先に心だけ死んでしまったようだ。
今、断頭台に縛り付けられているのは、痛みも悔しさも悲しみも、そして初恋も失ったただの抜け殻。
ローリアという名前の、人々の欲求を満たすためだけに存在する人形なのだ。
一旦は「殺せ殺せ」の大合唱が収まり、また誰かが声を上げるとそれに呼応して波が広がっていく。
そんなことを2、3度繰り返しているうちに、いよいよ断頭の時がやってきた。
全身を黒い布で覆った処刑人が私の真横に立ち、特別に設けられた席からザイアとマルキアが見ている。
処刑人が大きな斧を掲げると、見物人たちのボルテージは最高潮に達した。
「殺せ!!」
「やっちまえ!!」
「ざまあみろ!!」
「とっとと死んじまえ!!」
浴びせられる罵倒の声を、私は目をつむって受け流した。
涙など出てこない。
ただ、殺されるのを待つのみ。
「言い残すことは?」
「何もない」
私の答えを聞き、処刑人が斧を振りかぶる。
ユーリ。今行くからね。
もしまた会えたら、今度こそ丘の上に立つレンガ造りの家に住もうね。
今度こそ、私が守ってあげるからね。
その時、処刑場に大きなどよめきが響いた。
振り下ろされるはず斧が、いつまでたっても振り下ろされない。
不審に思い目を開けてみれば、さっきまで悠々と椅子に座っていたザイアとマルキアが衛兵たちに拘束されていた。
突然の事態に、処刑人は刑を続行してよいものか分からない。
その場にいる誰もが混乱する中、一際大きな声が響き渡った。
「ローリアァァァァ!!!!!」
キィンという金属と金属のぶつかる音がする。
そして私の前に、2本の短剣を構えた男が降り立った。
素早い身のこなしで処刑人の懐に潜り込むと、斧を弾き飛ばし喉元に短剣を突きつける。
処刑人は慌てて両手を上げ、降参の意を示した。
「断頭台の鍵を渡せ」
男が低い声で威圧すると、処刑人はガクガク震えながら鍵を手渡す。
私を縛っていた鎖が解かれ、体の自由が戻ってきた。
「ローリア。立てる?」
男に支えられるようにして私は起き上がった。
体のあちこちが痛むが、何とか立っていられる。
「あなたは…?」
私が問いかけると、男は被っていた黒いフードを取った。
露わになった銀髪が、高く昇った太陽の光を浴びてキラキラと輝く。
私の名前を知っている銀髪の男性。そんなのはもう…
「ユーリ…」
「久しぶりだね、ローリア」
信じられない思いで立ち尽くす私を、ユーリは優しく抱えてくれた。
あのか弱くて細っちい腕の面影はどこにもない。
私の体をがっちりと支えてくれる、力強くも優しい腕だ。
「見物人のみなさん!!」
私をお姫様抱っこしたまま、ユーリが民衆に呼びかける。
「調査の結果、ローリア嬢は無罪であることが判明しました!!よって、本日の処刑は中止とします!!」
処刑が中止?
どうしてユーリにそんな権限があるの?
「なお、無実の人間を犯罪者に仕立て処刑しようとしたとして、グリール家の当主ザイア、並びに息子のマルキアには逮捕状が出ています。今後の捜査次第では、彼らがこの処刑台に縛り付けられる可能性も十分あるでしょう」
観衆が大いにざわめく。
貴族の家柄のものが処刑されたことは何度もあるが、当主が処刑というのはあまり例のないことだ。
もちろん、大きな娯楽となることは間違いない。
「ふざけるなっ!!」
衛兵に拘束されたままのザイアが怒りの声を上げた。
「何が無実だ!!証拠ならあるんだ!!その女は罪人なんだよ!!」
「ならそれを見せてみろ!!」
特別席を睨みつけ、ユーリは堂々と言い返した。
「彼女が宝石を盗んだ証拠、不貞を働いた証拠、死刑に至るまでの裁判の記録、全部見せてみろ!!」
これが本当にあのユーリなのかと思ってしまう程に、力強い表情と口調だった。
グリール家が、まともに証拠や記録を偽造しているはずがない。
私の処刑を民衆は喜ぶし、元が孤児なら不審に思って調べるような人間もいないからだ。
ユーリは私を抱えたまま、華麗な身のこなしで処刑台を飛び降りた。
そして、かつて自らを虐げていた貴族たちに近づく。
マルキアは、自分が奴隷商人に売り飛ばした少年だと気付いているのだろうか。
「貴様。何の権限があってっ!!」
「見て分からないのか?騎士団の治安維持部隊だ」
確かに、ユーリを除いた全員が治安維持部隊の制服に身を包んでいる。
どうして彼が部隊を動かせるのは謎だけど。
「こいつらを牢屋まで連れて行け。裁判という正式な手続きを踏んだうえで、今後の処遇を決める」
「はっ。かしこまりました」
「ちょっと待ってください」
指示通り牢屋へ向かおうとした衛兵たちを私は引き留めた。
ユーリに地面へと降ろしてもらい、がっちりと拘束されたマルキアに近づく。
「…何だよ」
「…」
「何だよその目は!!」
ずっとおもちゃにしてきた私に見下ろされ、マルキアは屈辱の叫びをあげた。
私は相手にせず、無言で右手を振りかぶる。
パシーンと気持ちの良い音が響いた。
「…なっ!?」
頬を叩かれたのだと気付き、マルキアの顔が紅潮する。
私はもう一発だけ平手打ちを加え、踵を返してユーリの元に戻った。
「おい!!何の真似だ!!戻ってこいよ!!」
後ろでマルキアがギャーギャー吠えているが、気にしない気にしない。
「連れて行ってよろしいですか?」
「ああ。死刑の可能性が大きい重罪人だ。くれぐれも脱獄しないようにな」
「心得ております」
「待て!!悪かった!!死刑だなんて冗談だろう?おい、話せばわかるんだ!!」
今更になってザイアが悪あがきをする。
どうせなら、最後まで無実を主張していればよかったのに。
悪役2人が退場したところで、私はもう一度ユーリに抱えあげられた。
「どうしたの?」
「僕たちも逃げるんだよ」
ユーリはいたずらっ子の様な笑みを浮かべると、街の雑踏の中へ駆け出す。
「何で逃げるのよ!!」
私は振り落とされないよう、必死にユーリへしがみつく。
ユーリは楽しげな笑顔のまま、何も答えてくれなかった。
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「え?あの衛兵たちは偽物?」
街の外に停められていた馬車に乗り、私たちはガタガタの道を走っている。
ちょうど、ユーリから事の全てを聞かされているところだ。
私と御者席に座るユーリは、背中合わせで座っている。
「僕が奴隷商人に売られたことは知ってる?」
「うん」
「僕を買ったのは隣国の諜報機関でね。僕はたくさんの食事をもらって健康を取り戻し、それからスパイの訓練を受けた。格闘術とか変装術とかね」
「ス、スパイ?ユーリが?」
「そう。ちょっとした任務でこの国に帰ってきていたんだけど、ローリアがマルキアの家に拾われたことを知った。気になって独自に調べていたら処刑の情報をつかんだんだ。慌てて部下たちに指示を出し、衛兵に変装してもらってマルキアたちを捕らえつつ、僕はローリアを助け出したというわけ」
「じゃあ、マルキアたちは罪に問われないんだ」
「そんなことはないさ」
「え?」
「彼らの悪事については、すでに王家へ手紙を送っている。まあ、死刑は免れないだろうね」
私の脳裏に青ざめたザイアとマルキアの顔が浮かんだ。
貴族の立場をはく奪され、処刑される。
私が歩みかけたのと同じ道を、彼らは最後まで進むのね。
いい気味と思うのは性格が悪いかな。
いや、あれだけ虐げられてきたんだから、少し思うくらいはいいだろう。
「これからはユーリが育った国に帰るの?」
「いや。それは無理かな」
「どうして?」
「僕は任務を放棄し独断で行動したからね。スパイとしてはやっていけないよ」
「そんな…」
私のせいで…私のせいで…。
「ローリアのことだから、私のせいでとか思ってるんじゃない?」
私の心を見透かしたような言葉に驚いて振り向く。
ユーリが優しい微笑みを浮かべていた。
「ローリア。僕は何よりも君を優先するよ?もちろん、仕事も例外じゃない」
そう言うと、ユーリは馬車を止めて私の隣に座った。
そして懐から1冊の本を取り出す。
見覚えのある表紙。
「その表情だと、覚えてくれているみたいだね」
ユーリはとあるページを開き、そこに描かれた挿絵を見せてくれた。
小高い丘に建てられたレンガ造りの家。
青い空と白い雲、緑の草原というコントラストは、数年前に初めて見た時と変わらず私の心を惹きつける。
「こんな家を探してさ、2人で住もうよ。これからは、何があっても僕が守るから」
「もう泣き虫ユーリじゃないんだね」
「もちろん」
「いじめられて逃げるだけじゃないんだね」
「そうだよ。今日は逃げたけどね」
「ずっと…ずっと…」
どうして涙が流れるの?
あれだけの罵声を浴びても、処刑される寸前になっても、一滴の涙すら流れなかったのに。
「ずっと一緒にいるよ」
私の肩を抱き寄せ、ユーリが優しく囁いた。
「う、うぅ…ひぐっ…怖かった…怖かったよぉ…ユーリぃ…」
「よしよし」
ユーリが泣き崩れる私の頭を撫でてくれる。
もう涙が止まらない。
「ユーリ、あのね」
言わなくちゃ。
私の初恋はユーリだって、ちゃんと言わなくちゃ。
「貧民街の時から、ずっと大好きだよ」
「僕も」
ユーリが私に顔を近づけた。
顔が熱くなるのを感じる。
特徴的な銀髪と泣き顔にばかり目がいってたけど、こうして見ると端正な顔立ちをしてるな。
「僕の初恋はローリアだから」
唇と唇が重なる。
周りに誰もいない田舎道、馬車の中で逆境に耐え続けた初恋が花を咲かせる。
いじめっ子はいない。私が守ってないといけない泣き虫もいない。
暴力を振るわれてばかりの“拾われ令嬢”もいない。
優しく、そして強いユーリに抱きしめられて、もう怖いものなど何もない。
長いファーストキスが終わり、ユーリから唇を離す。
その頭を、私が再び抱き寄せた。
「私の初恋もユーリだから」
もう一度唇を重ね、目を閉じる。
温かい涙と清らかな風が優しく頬を撫でていった。
数年に渡って虐待に耐え続けた日々が、ようやく報われた気がする。
しばらくの間、私はユーリの頭から手を離せなかった。