お嬢様、どこまでもお供いたします
「結婚をな、しなくてはならない」
マグダレナは帰宅早々、そう告げた。
「左様でございますか」
執事のユーステスはいつもと変わらぬ無表情のまま、短く答えた。
「陛下直々に言われたのだ。『もう身分とかどうでもいいから結婚して落ち着け』とな」
「左様でございましたか。お嬢様も28歳。貴族の令嬢としては、ご立派な行き遅れでございます」
ユーステスは何とも気の毒なことに、とでも言いたげに目を伏せた。マグダレナがこうなってしまったのは彼のせいでもあるのだが、その青い瞳には反省の色がまったく見られない。
「しかし、今更なあ……恋人もいないし……どうしたらいいと思う?」
マグダレナは、腕をさすりながらユーステスに問いかける。執事は、服の下に身につけている鎖にそっと触れてから、顔を上げた。
「お見合いです。お嬢様、お見合いをするのです」
執事はきっぱりと言い切った。
どんな方がよろしいですか、と聞かれマグダレナは考え込む。
「うーん。騎士としての私を尊重してくれて、なおかつ私を愛してくれる人かな」
「職業、年収、学歴などは?」
「こだわらないさ。必要なのは相性だからね」
とうとうこの日が来た、とユーステスは思い、女主人の横顔を見つめた。20年以上もずっと、飽きもせずこの横顔を、いや正しくは後頭部を眺めてきた彼にとって、その隣に見知らぬ男が我が者顔で並ぶ所を想像するだけで、はらわたが煮えくり返る思いであった。
元々マグダレナは、辺境伯の息女であった。十数年前、魔王が復活し、戦いの最前線であったシュピーゲル領は大打撃を受け、一族で唯一生き残った幼いマグダレナが当主として立った。
彼女は剣を取り、執事の息子で幼なじみであったユーステスを連れ、魔王軍との戦いに身を投じた。そして、勇者と共に魔王を討ち滅ぼした。その時ロマンスめいた事は何も起きなかった。
なぜならば、その時のメンバーは現在の女王夫妻である聖女と勇者、大魔導師は溺愛する妻子がおり、盾使いの将軍は当時から壮年のおっさんで、あとはユーステスが居たぐらいだ。恋愛ごとに発展するわけもない。
幾重にも絶望と奇跡を積み重ねて、勇者一行は魔王を討ち滅ぼした。そしてひとときの平和が訪れたが、彼女は戦う事をやめなかった。
領地は家令に任せ、他部族との話し合いに赴き、魔王軍の残党を討伐した。旅の途中、マグダレナに心を寄せる者は何人もいたが、全てユーステスが先回りして撃退した。
嫌がらせではない。彼女の肉親や、かつての仲間たちの様に強く、そしてマグダレナを愛してくれる男ならば。そんな男がいるのなら、ユーステスは恋心を封印して彼女の背中を押しただろう。ただ、執事の妨害を乗り越えんとするほどの情熱を持った挑戦者がいなかった、それだけだ。
そうこうしているうちに時が経ち、人々は魔王の脅威を忘れた。『救国の姫騎士』から『クソ強いゴリラ女』に人々の心が移り変わるのに、そう時間はかからなかった。
「争いは終わった。私は古い人間だ。昔の様に、野山を駆け回って余生を過ごすのもいいかもしれない。そろそろ『レーヴァティン』を使うのも痛々しくなってきたしな……」
レーヴァティンと言うのは、シュピーゲル家に伝わりし家宝で、気高く清らかな乙女にしか使えぬ代物だ。口の悪いかつての仲間たちに何か言われたのだろう、とユーステスは何となく思った。軽く唇を噛み、表情を作り直す。
執事は無表情のまま、「わかりました。お嬢様のために、私が必ずやふさわしい伴侶を見つけ出しましょう」と言った。
最強にして至高の女騎士、マグダレナ・シュピーゲルが結婚相手を求めている。このニュースは瞬く間に大陸全土を駆け巡り、我こそはと数多の男が声を上げた。
そして、ユーステスによる厳しい一次審査を通過した者たちとのお見合いの日がやってきた。マグダレナに対し、ガサツだ、とか女を捨てているだ、とか嫁き遅れだ、とかの負の感情を抱くものは一人もいない。
みな、彼女を尊重し、敬愛するであろう男たちばかりだ。今日こそ、今日こそはマグダレナが誰かを選んでしまうかもしれない。その事を考えるだけで、ユーステスの頭の中はぐしゃぐしゃになった。
彼は人一倍臆病な男だった。自分も候補に入れて欲しいのです、その一言が言えずに、彼は無心で庭の草むしりをした。
「ゴリアテです。オーク族です」
「うむ。マグダレナだ。単刀直入に聞くが、なぜ私を?」
「新聞広告で読みました。オーク族では強いメ……女性が好まれる。体が大きくて、丈夫であればあるほど望ましい。何よりオークと言うのは、女騎士に惹かれてやまないものなのです」
余談だが、マグダレナは戦争中に卑劣な罠によってオーク軍に捕らえられたことがある。とうとう、すわ凌辱かと思われたその時、ユーステスが突入してきて事なきを得たのであった。
「執事より弱いのはちょっとな……」
マグダレナは言葉を濁し、丁重にお断りした。
「カールと申します。吸血鬼です」
「うむ。マグダレナだ。なぜ私を?」
「ご存知の通り、吸血鬼は人間の血液を糧に生きています。しかし、我々も節操なしではない。決められたパートナーと、相互扶助の下生きていきたいと思っております。その点あなた様は体も大きく、血も濃そうで……」
また身長の話か。マグダレナはその辺の貧弱な男性よりは身長が高い。もちろん筋肉も多い。自らの肉体に恥じる所はないが、実はほんのちょっとだけコンプレックスがあった。
「昼夜逆転してるのはちょっとな……」
マグダレナは再び言葉を濁した。
「淫魔のジルベールです。ご存知の通り我々は性交によりエネルギーを得ていて……」
「ドリアードのウィリアムです。我々は宿主から生命力を……」
「……」
「……」
「……」
マグダレナは、顔合わせを続けるうち、顔がどんどん引きつるのを隠す事ができなかった。
「みんな私の身体にしか興味がないんだ!!」
マグダレナはドン、とテーブルを叩いた。
「女騎士としてのお嬢様を尊重してくださる方をお選びしたのですが……」
ユーステスはしれっとした顔で答える。その目は、これでも真剣に選んだんですよ、と語っている。
「うう……あと二人か」
「大丈夫です。後半は身分も能力も申し分なく、お嬢様にも大変好意的でいらっしゃる方ばかりです」
「宮廷魔術師のレオです」
人間ではなくてエルフではないか、とマグダレナは思った。しかも彼はかつての仲間の息子だ。
「レオ、君は若いから知らないと思うが、妙齢の女性にとって結婚とは非常に繊細な話題なのだ。おもしろ半分で首を突っ込むんじゃない」
「ええー? 16歳差なんて、僕たちの世界じゃ同じ年扱いですよ?」
せっかく茶番に付き合ったのだから、台所のおやつは貰っていきますね。そう言い残して、無邪気なエルフは去っていった。
またすぐに、ドアをノックする音がする。
「どうぞ」
マグダレナは疲れた声で答えた。
「ワシワシ。ワシじゃよ」
「げえ、将軍!」
次に現れたのはクソじじい改め、かつての仲間である将軍だ。すっかり後期高齢者と言った様相である。
「ワシ、最近老後が不安でな。お主、ワシ専属の介護要員にならんか?」
「仮病はやめろ」
マグダレナが剣に手をかけ、立ち上がると将軍は窓からひらりと飛び降りた。追ってマグダレナも飛び降りる。
将軍はすでに居ない。代わりに庭の手入れをしていたユーステスが声をかけてくる。
「あのお二人はどうでしたか?」
「冷やかしを入れるな。お前の一次審査、ガバガバじゃないか!? もしかしなくても、私の邪魔を……」
マグダレナがユーステスにあらぬ疑いをかけたその瞬間、見知らぬ声が垣根の向こうから聞こえた。
「もし。そこのご令嬢。そなたはもしや、マグダレナ・シュピーゲル殿ではござらんか」
「ん?」
女騎士が振り向いた先には、一人の男が居た。
「コタロウと申す。旅の剣士だ」
マグダレナはその男を一目見て、ビビッときた。この男は、私を求めている、と言葉がなくとも理解できたのだ。
「そなたの望みはわかっている。私だな」
マグダレナは自分の胸に手を当てた。コタロウは満足げに頷く。
「いかにも」
ユーステスの眉根が悲しげに寄せられた事を、二人の剣士は知らない。
「いざ」
「尋常に……」
『勝負っ!!!!』
両手剣と刀、全く異なる剣の達人同士の戦いは、半刻程度で終わった。剣士が青々とした芝の上に崩れ落ちる。
「拙者の……負けだ。素晴らしき剣であった、マグダレナどの。手合わせを感謝する。どうぞ良き出会いがありますよう」
剣士は心残りが一つもなさそうな、爽やかな顔で去っていった。
「ふう」
マグダレナも、暴れまわってスッキリし、空を見上げた。晴れ渡った青空だ。深く呼吸し、ふと横を見る。
ユーステスが木から顔を半分だけ覗かせ、じっとりとした目でこちらを見ていた。
「なんだ」
「手合わせ希望の奴は一人残らず落としたのに……まさか家まで押しかけてくるとは……」
「イライラしていたから、ちょうどよかったぞ」
ユーステスの呟きを、マグダレナは「見合いの日に、関係ない挑戦者が現れた事を謝罪している」と受け取った。
「急に意気投合しだすから、お嬢様があの男を選んだらどうしようかと……」
ユーステスの呟きはマグダレナの耳に入らなかった。彼女は戦闘後の柔軟運動に取り掛かっていたからだ。
「まあ何にせよ、見合いは終わった。どうやら結婚は無理そうだな。女王陛下には『頑張ったけれどダメでした』と言うよ」
「あの、お嬢様……」
ユーステスが、子供の頃の様な気弱な声を出す。
「ん?」
ユーステスは顔を赤らめ、もじもじとしている。
「どうした、今日のお前ちょっと気持ち悪いぞ」
「私では、だめですか」
「え? お前、私の事が好きなのか? 聞いていないぞ?」
そうなら、最初からそう言えばいいではないか。衝撃より、こんな国中を巻き込んだ茶番は何だったんだ、とマグダレナは少しばかり腹を立てた。
「言いました……けど、魔王との戦いの最中でしたから、おそらくお嬢様は聞いていなかったかと」
ユーステスは首からぶら下げた鎖を引き出し、石のはまっていない指輪の台座を見せた。
「シュピーゲル家の家宝の一つ、祈りの指輪です。魔力のない人間でも、ただ一人心に決めた愛する人のためならば、回復魔法を使うことができるんです」
マグダレナはその指輪に見覚えがあった。透明な石が嵌っていて、母が『あなたを一番愛してくれる人に渡すのが楽しみなの』と言っていた。彼女はさらに記憶を巡らせる。魔王との戦いの際、致命傷を負って倒れた。その時、誰かが回復してくれたのだ。あの魔法を使ったのはユーステス、幼なじみのユウだった事に、マグダレナは12年経って、やっと気がついた。
ちゃり、と鎖をしまう音がして、マグダレナは顔を上げた。
「奥様が、『自分は使い時を見誤って、あの人を失ってしまった。ユーステス、あなたは絶対に間違えないで』と私に託されたものです」
「そうか……」
マグダレナは指で目頭を押さえた。子供の頃は、とてつもなく泣き虫だった。それを唐突に思い出したのだ。ユーステスはそっと、胸元からハンカチを取り出した。
「ずっと、私の事を支えていてくれたのに、前しか見ていなくて気がつかないとは何たる不覚……」
「前向きなのはお嬢様の美点の一つです」
彼の言うところによると、マグダレナの素晴らしい所は軽く100を超えるらしい。ユーステスが詳細について滔々と語るうちに、彼女の涙は止まった。
「以上です。ご清聴ありがとうございました」
「うむ」
マグダレナは神妙に頷いた。ユーステスはとたんに気まずくなり、足早にその場を去ろうとした。背中に、女騎士の咎める様な声が刺さる。
「おい。お前、どこに行くんだ」
「夕食の準備です」
「夕食はいらん。どうせ城で食べることになるだろう」
「はあ」
まともな返事が返ってくるとは思っていなかったが、いきなり予定になかった事を言われたため、執事は困惑した表情をした。
マグダレナはその顔を見て、ふっと笑顔になった。女主人は高らかに告げる。
「まずは教会に行くぞ、ついてこい」
執事は一瞬上を向いた後、胸に手を当て、完璧な礼をした。
「かしこまりました、お嬢様。どこまでも、いつまでもお供します」