第2話 まずは同棲から 後編
その後俺は執務室で綴られた背表紙を見て、興味深い物を持ってきて執務机で読んでみる。その迷い人保護リストという、変なタイトルに負けてしまった。なんか物凄く薄いが最後のページを開くと、ヨシダテルカズという名前があり、一発で日本人だとわかる。
そして少しだけ流し読みすると、短い坊主頭に、ガラスを顔につけた男で、酒場のウェイトレスさんの尻を触り、数日間だけ投獄され、逃げ出したのか釈放されたのかわからないが、そこから行方がわからなくなっている。
何やってんだこの人は……。ってか西暦的なものがわからないから、何年前に来たのかがわからないけど、その前に来た迷い人とかの記録を見たら大体二十年間隔くらいか。それにガラスを顔に付けたってことは、メガネのことだろうか? あとはやっぱり俺みたいに力が強いこととかが書かれていた。
そして顔を上げると、向かいにあるテーブルのお茶を飲みながら、ソファーに寝転がって、つまらなさそうにしているロディアがいる。
散々構えとか暇とか言っていたが、飽きたっぽいので足をブラブラとし始めた。
仕方がないので声をかけてみる。
「なぁ、ちょっといいか?」
「なに! 何でも聞いて! もう暇になった?」
「これって、俺が使っても怒られない?」
俺は執務机の利き手側の奥にある呼び鈴を指す。メイドさんとかを呼ぶアレだ。装飾過多だけど。
「あー、うん。問題ないと思う」
そんな残念そうに言わないでくれ……。散歩に行けなくなった、犬みたいな表情にならないで。
「思うかー。ちょっと怖いなー。まぁ、呼んでみたい衝動には勝てないけどね」
俺は少し手を伸ばして呼び鈴を鳴らすと、なんか高音の部分が長く響き、材質とか気になってしまった。もしかして金?
「お呼びでしょうか?」
ノックがされ、軽く返事をすると今度は初老の男性で、線が細く優しそうな笑顔の、白に近い、元は茶色かったであろう髪をオールバックにし、いかにも爺やって感じの人がやってきた。
「申し訳ございません。ご挨拶が遅れました。私は執事長のシルベスターと申します。以後お見知りおきを」
「接骨木です。よろしくお願いします」
俺はイスから立ち上がり、軽く頭を下げて正面を向くとシルベスターさんが困った顔をしていた。だって仕方ないでしょう? 癖なんだし。
「……どのようなご用件でしょうか?」
シルベスターさんは笑顔に戻り、呼ばれた理由を聞いてきた。
「このような感じで絵の具を使いたいので、少し明るい色、赤は絶対に欲しいんですが、用意していただけないでしょうか?」
俺は自分の書いた書類を開き、わかりやすく色付けしてあるページを見せた。
「承りました。今直ぐにお持ちいたします」
シルベスターさんは深く頭を下げ、ゆっくりと熟練した動作で振り向いて、ドアの方に向かって歩き始めた。違和感というか、動きが自然過ぎて気が付いたら、もうドアを開ける直前だった。
「あ、別に急ぎではないので、他に仕事があればそちら優先でお願いします」
「左様でございますか。では夕食前にお持ちいたします」
シルベスターさんはにっこりと笑い、部屋から出ていった。
「ちょっと。ティカにも注意されたでしょ。まだ正式じゃないとはいえ、王族に婿入りするんだから言葉遣いに気を付けろって」
「無理だから。目上の人にそういう態度が取れない環境で育ってきてるんだし。しかもあんな優しそうな白髪のお爺さんに」
「シルベスターは優しくはないぞ? 潜入や諜報活動、破壊工作のプロだ。弓やナイフで音もなく何人も殺してる、元裏仕事専門だったんだから」
「ははは……全然優しくねぇ……。まぁ、見た目で判断できない人って多いからね」
もしかして苗字持ちで、スタローンって名前じゃないっすか? けどあの人は『ベ』じゃなくて『ヴェ』だけど。
そして資料を読んでいたら夕食の時間になったのか、部屋がノックされてシルベスターさんが藍色ではない、インクの小瓶を持って入ってきた。藍色以外もあったのか。こっちに来る前は文房具屋で見たけど、時代背景的にどうなんだ? 魔法もあるし、深く考えるのは止めよう。
「夕食のお時間です。それと色はこちらでよろしかったでしょうか?」
「えぇ、十分です。多くもなく少なくもなく。ありがとうございます」
「いえいえ。では夕食が冷めてしまいますので、ダイニングルームへどうぞ」
インクが乗っているトレーを、机に音もなく置き、ドアの方を自然な動作で手の平を上に向けて指した。本当に元裏仕事専門だったのか? けど潜入とかで必要かもしれないしな。
俺は資料を閉じ、立ち上がって元の場所に戻してから、シルベスターさんの後ろを付いていき、ドアが開けられたのでダイニングルームに入ると、なんか壁際にメイド見習いと、執事見習い的な人たちがずらっと並んでいた。
「おー。ここに住むことになったから、本格的に連れてきたんだね」
ロディアがそんなことを言い、驚いている様子は微塵もなかった。ってか慣れてんだなー。
「ヘーソウナンダー。もしかして全員の名前を、覚える必要あるのカナ?」
ここを使う者、上に立つ者として、部下の名前を覚えないとまずい? 短時間で覚えられるか?
「別に見習いだし、覚える必要もないわ。本当に身の回りを世話する、よく顔を合わせる人だけで良いと思うわよ」
「……そうっすか」
心配して損したわ。
「では、こちらへどうぞ」
広く長いテーブルに案内され、シルベスターさんが俺のイスを引いてくれたので、わざと左側に回り込んで立つがまだ座らない。ロディアが向かいに座るみたいだが、向こうはティカさんがイスを引いていた。そして座ったのを確認してから俺も座った。
「ニワトコ、テーブルマナーは知ってるか?」
「俺は迷い人だ。向こうのマナーなら多少はな……」
子供の頃から、食事だけは他人とすることが少なからずあるからって、三ヶ月に一回くらいは少しだけお高い店で、親やその店の人にマナーを教えられてきた。おかげで社会人になってから、その有難みが物凄くわかったけどな。
上司との食事で、箸の持ち方が綺麗だとか言われたり、魚の食べ方とかなんか品があるとか、ファミリーレストランで洋食とか気軽に食べられる場所とかでも、自然にやっちゃってたりとか。そのせいで先方に不快な思いをさせないために、接待とか営業とかもやらされたが。
今思えば、あの店は親とどんな関係だったんだろうか? 不思議だ。
広いテーブルの中央に二人だけ、そして壁際には大量の目。落ち着かないなー。
そしてワインが来てグラスに注がれたので、軽く目線の所まで上げて乾杯をして、皿の上にあったナプキンを広げて二つ折りにし、膝の上に乗せ、少しワインを楽しんでいると二人分の食事が運ばれてきた。
コース料理なのか前菜からだ。嫌な予感はしてたんだよね。ナイフとフォーク、スプーンが大量に並んでたし。
とりあえず大きさの小さい側から……っと。
それからは肉や魚、食べ難い殻付きの海老はフィンガーボウルが出てきたから助かったけど。
そしてデザートも食べ終わり、食事が終わったが執務室に俺だけ連れていかれた。何か問題でもあったか?
「ニワトコ様。迷い人は皆あの様に召し上がるのですか?」
「……なにか自分が粗相でもしましたか?」
質問に質問で返してしまったが、まぁ仕方がない。だってなんかティカさんとシルベスターさんの目が怖いんだもん。
「多少の違和感はありましたが、ロディア様より所作が綺麗で、マナーもある程度できていました。砦にいた兵士や食事を作っていた方の情報では、豪快に食べていたとの話を聞いておりましたので、かなりの時間をかけての教育をする覚悟はしていました。ですがそれは杞憂に終わってよかったです」
あー。なんか日本で有名な映画の食事シーンみたいに、肉とか豪快に食べてたし、小腹がすいたら、歩きながら、少し硬くなったパンとか齧ってたしなぁ。
「そうですか、ロディアに再教育でもしてあげてください。ちなみにテーブルマナーは偶然です、親の躾や教育に感謝ですね」
どこまで俺の事を調べているんだろうか? ってか王族に入るって事はそう言う事だよな……。
そして寝室に執務室から持ち込んだ、国の歴史の書かれてる本を読んでいると、ロディアがベタベタとくっ付いてきたが、一応期待には応えないと衣食住というか、命もなくなりそうなので好きにさせながら、丁寧にページをめくって読み進める。
ってか、歴史大雑把すぎだな。日本の事もあんまり言えないけどな。国土とか年で変わる。麦とかの生産が歴史と見比べると、戦争してる時期はやっぱり安定していない。安定してるのは塩だけか。海岸線があるのがいいな。
そうなると水軍か海軍もあるんだろうなぁ。軍方面にはあまりかかわりたくねぇな。物資とか兵糧関係って物凄く面倒くさいって聞いてるし。
「失礼します。入浴のお時間です」
風呂の時間になったらしく、メイドさんが呼びに来た。ってかこの離れに風呂があるのか……。
「一緒に入ろう! そして体を洗い合おう」
「はしたないし、メイドさんが顔を赤くしてるから、そういうのは元気に言わない様に。お先にどうぞ。俺はもう少しこれを読んでいる」
「えー。お父さんとお母さんは今でも一緒に入ってるのにー」
そういう情報はいいから。ってか仲が良いなら問題はないだろう。
「まだ俺達は正式に結婚してないし、もし事故が起こったらまだ責任が取れないからダーメ。いいから先に入ってきてくれ」
「そう言って、私が入ったお湯を堪能するんだな! この特殊性癖め!」
ロディアは両手を胸元でクロスさせる様にして、恥ずかしそうに叫んだので、俺は本にしおりを挟み、目を軽く手で覆い、大きくため息を吐いた。
「俺が先に入ったら、ロディアはその湯を堪能するのか? この特殊性癖め……」
少しだけ反撃すると、言ったことがそのまま自分にも返ってきたのが意外だったらしく、顔を赤くしていた。
「湯に入る前に体を洗うから、余程の事がない限りはそこまでは汚れないだろ。使用人にも迷惑がかかるからさっさと入ってきて。ランプの油がもったいないだろう?」
俺はまだ顔が真っ赤なロディアをメイドさんの方に押すと、転ばない様に足を前に出すだけの生き物になっていた。
うん。こういうのは可愛いと思う。
「出たよー。入ってきなよ」
かなりのページをめくった頃に、髪がまだ湿ったままのロディアは、部屋に少しだけ薄着の恰好でやってきた。
前開き型のワンピースだが、薄いから下着のラインが見えそうだ。けど多分上は着けていないんだろうな。妙に胸元で自己主張している物が二つ、ランプの明かりで変な陰になってるのが確認できるし。
「あぁ、行ってくる」
俺はメイドさんの後ろを歩き、一階の隅の部屋に案内されると、ロウソクが壁に何本も刺さっており、かなり明るめになっていた。まぁ、転ぶと危ないからな。
そして浴室の方を覗くと、隅に薄着の女性が二人立っており、これは多分世話役だと思われる。正直自分で気兼ねなくのんびりと入りたい。ってか風呂くらい好きにさせて欲しい。ってか絶対に落ち着かない。
けどライオンの口からお湯が出てないのだけは助かった。あんなのがこの時代背景であったら、どれだけお湯を上の方で沸かしてるんだ? ってなるし。
「あ、わがまま言っていいですかね? 服は自分で脱ぐ、髪も体も自分で洗う、ヒゲは自分で剃る。一応仕事だと思うから、浴室の隅に立ってるのは良いです。返事は?」
「え、あ、はい」「わかりました」
その返事を聞いて、着せ替え人形の頃に既に捨てた羞恥心で全て脱ぎ、掛け湯をしてから髪と顔、体を洗い、I字のカミソリを手に取って、軽く親指で触って切れ味を確かめてから髭を剃る。鏡なんかなくても、今までの経験と指先の感覚でどうにかなる。
それから湯船につかり、盛大にため息を吐きながら足を伸ばして背中を預ける。
「今日だけでクソ疲れた……。なんでこうなったんだ……」
俺はお湯を手で掬いながら顔を押さえ、天井を見て、『あ』と『う』と『え』を混ぜて濁点を足したような声を出す。
そして体感で十分経ったので湯船から出て、用意してあったタオルで拭いてから脱衣所に行き、部屋着っぽい物が置かれていたので広げてみたがパジャマだった。しかも触り心地がシルクだ。
「最悪だ……」
「あの、何か我々が粗相でも……」
立っていたメイドさんが、少しだけ恐怖の混じった顔で聞いてきた。まぁ、身分が違い過ぎるから仕方ないか。
「あ、いや。絹じゃなくて、綿の奴とかないですかね? 寝る時は寝やすいのが一番だと思いません? むしろ執事用のがあればそれで」
「えぇっと……。ティカ様にお伺いしてきます」
メイドさんは頭を下げ、下着だけ付けている俺を、脱衣所に置いて走って出て行ってしまった。
「これは笑うところなのか?」
仕方がないので壁際にあるイスに座って待っていると、ティカさんがかなり急いだのか、少しだけ息を荒らげながら脱衣所に入ってきた。走らなくても良かったのに……
「替えの、まだ一度も袖を通していない、物がありましたので、こちらをご用意させていただきました」
「いえいえ、これで問題ないです。わがままを言って申し訳ありません。いいですねー、良い肌触りです。もう少しわがままを言うなら、この格好で寝たいんですけど……」
寝る時はTシャツとハーパン。冬だったらスウェットの上下だし。ってかスウェットは千九百年初期にできたから、多分まだないよな。
「それは寛容できません。ニワトコ様は婿とは言え王族になるお方。それを許したら、私が叱られてしまいます」
「ですよね。申し訳ありませんでした。では、今日はこれで寝ますが、洗濯しても糊付けせずに、アイロンも掛けないで出していただければ、個人的には物凄く嬉しいのですが」
「わかりました。今後その様にいたします……」
うん。ヨレヨレの部屋着最高。パリッとした奴なんか着てられない。ってか自分の体臭って落ち着くから、数日は着たい。
「出たよー」
「早いな! やっぱり男だなー。お兄ちゃんだって早かったぞ」
「はははは、男は髪が短いから。なんだかんだでロディアは活発なのに長髪だよね。似合うからいいけど」
「え。そ、そうか? ははっ、嬉しいな。少し切ろうかなって思ってたけど、もうちょっと伸ばしてみようかな?」
ロディアは髪を褒められたのが嬉しいのか、指先で毛先をクルクルとやりながら視線をそらした。
「邪魔に思わなければいいんじゃないかな? んじゃ、夜中は早く寝ないと。ロウソクやランプの油がもったいないから寝ようか」
蛍光灯とかもないし、起きてればどんどん油を消費するから、暗くなったら寝るのが一番だ。
「貧乏くさいなー。王族になる自覚はあるの?」
「ないない。微塵もない。けど早く寝れば使用人も寝られるからね。気を使わないと」
ベッドに座ってから寝転がって言うと、ロディアが覗き込みながら言って来た。髪が少し頬に当たってくすぐったい。
「で、一つ聞いていい? ベッドって間にサイドテーブルが入るくらい間が空いてたよね? なんでぴったりくっついてるの?」
「は、はは……なんでだろうね?」
「なんか今までベッドの足があった所の絨毯がへこんでるし、引きずった後も……」
「何の事かな?」
俺の顔を覗き込んでいた、ロディアの顔がどんどん苦笑いになってきたので、一人で動かしたんだろう。結構力があるな。
「よっと! いいか、寝てる時に入って来るんじゃないぞ!」
俺はベッドを元の位置に戻し、ロディアに釘を刺しておく。
「えー、同棲の意味ないじゃん」
「まだ正式じゃないんだし、俺は知り合って間もない女性とそういう関係になる度胸もないの。いいか、絶対に入って来るなよ!」
そう言って俺は布団をかぶり、精神的疲労からすぐ眠りにつく事ができた。
◇
「おはよう」
翌朝、目が覚めるとロディアは俺の布団の上に自分の使っていた布団を羽織って寝転がっており、俺が目を開けた瞬間に挨拶をしてきた。
「入って来るなって言ったよな?」
「布団には入ってない。布団越しで横に寝転がってただけだ。ふっふっふ。抜け道ってこういう事を言うのだよ」
「ただの屁理屈だ。いいから下りてくれ、起き上がれない」
「もう少しでティカが起こしに来る。それまではこうさせて欲しい」
「はいはい……。はしたないって言われるのはロディアだからな」
こうして俺達の同棲は始まった。