第24話 やっぱり中にも目を向けないと駄目だなこりゃ…… 後編
俺は離れの隅にある喫煙室で、一応吸えるようにと置いてあった煙草の箱を手に取り、何となくあった知識で道具を手に取り、葉っぱを刻んでから紙で巻き、キッチンからもらってきた、グラスに半分入ってる蒸留酒を一口飲む。
「おや、珍しい……。というよりはここでお会いするのは初めてですね」
マッチで煙草に火を着けて紙巻煙草を一口吸い、灰皿に置いてソファに寄りかかって立ち上る煙をずっと見ていたら、シルベスターさんが音もなくドアを開けたのか、いきなり声をかけてきた。
「えぇ……。スラムでちょっとありまして……」
燃焼材の入ってない煙草は吸ってないと消えるので、手に取って軽く吸って肺に入れずに煙を吐きだし、また灰皿に戻した。
「トニーから報告は来ております。ニワトコ様は本当にお優しい方ですね」
シルベスターさんは持っていたパイプをさりげなくしまい、俺の脇に立ってそんな事を言った。
「俺の事は気にしないでください。どうぞ」
そう言って、シルベスターさんが立っている一番近い席を勧めた。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
そして一礼をしてソファに座り、先ほど隠したパイプを取り出した。
「……気に病んでいらっしゃるので?」
シルベスターさんはパイプに煙草を詰め、火を付けて煙を吐き出し、一呼吸置いてからさりげなく聞いてきた。
「まぁ、少しだけですけどね。現状では殆ど何もしてやれない悔しさと、自分なりの弔いですね。元いた世界では、死者を送る為に送り火ってのがあったので、その真似事ですが、自分の気持ちに区切りをつける為でもあります……」
俺はため息を吐き、蒸留酒を一口飲み、半分に減った煙草を取って少しだけ吸ってまた灰皿に置いた。
「そうですか……。最前線の砦にいた頃はどうしていたので?」
「教会の人がまとめて処理をしていたので、自分からは何も……。今回は送る人がほとんどいませんし、関わっちゃったので俺が代わりに」
俺は苦笑いをして立ち上る煙を見た。
「こっちの風習……。葬儀やお祈りのしかたは一応知ってますが、送るなら一人でも多い方がいいですしね」
俺はもう一口だけ煙草を吸い、灰皿に戻してソファに寄りかかった。
「そうですか。それは良い考え方だと思います。私なんかは知っての通り、裏仕事をしておりましたので、その辺の感覚は鈍っております。贖罪ではありませんが、せめて一線を引いた今は知識を活かし、潜入する時に覚えた執事や雑用としての振る舞いを教え、一人でも多く私みたいにならない様にと……」
シルベスターさんは窓の方を見て、どこか遠い目をしながらパイプを口に持って行った。
けど、諜報や防諜は必要だし、誰かしらはやらないといけないが、そういう道に自分から進んで行かない様にする人を、増やさない様にって意味なんだろうか?
「そうですか……。こういうのは人それぞれですが、なにか区切りを付ける方法って大切ですよね。俺もこっちに来て何人も殺しましたが、なにかしら心に壁を作って嫌な事はそっちに放り込んでますよ……。ははは……」
俺は左の口角を上げ、無理矢理笑って見せた。
「……そうですか。それなら平気そうです。人の死を目の当たりにし、心が潰れる者もいます。訓練し、屈強な男でも一人殺しただけででも……。ニワトコ様は迷い人なのにお強いですな。報告やおとぎ話では、誰も殺せないくらい優しい人もいらっしゃるのに」
シルベスターさんは目を細めながら微笑み、軽くパイプをくゆらせて息を吐いた。
「いやいや。俺はそうなってる暇がなかっただけですよ。初の殺しが砦での防衛戦だったので、迫り来る敵を排除しないと自分も……。しかも頼りにされてましたからね」
「そうでしたか……。そんな状況でもロディア様を犯さず、しかも助けていただきありがとうございます。本当道徳意識がお高い。心に壁を作って仕切を着ける。言うのは簡単ですが、意外に難しいんですよ」
「お国柄……ですかね。そういうのを支えにして、そっちになるべく踏み込まないようにする。ほんの些細な事を決め、これ以上踏み込んだら自分ではなくなるんではないか? という線引きを決めておく。例えば、子供の頃から大切にしている物を身に着ける。小さなぬいぐるみや小物を持っていたり。それがなくなったりすると、酷く不安定になったり。その小さな事さえ結構きついですけどね」
そして短くなった煙草を一口吸って灰皿に押しつけて消し、煙を吐き出した。
「仲間を殺された怒りや、敵を殺した高ぶりに身を任せて色々な暴力行為に走る。それじゃ獣と変わりませんよ。人には理性がありますからね。他がやってるからといって、自分達がやって良い道理はないです。なのでその道徳心や理性が俺の心の仕切りです。多分、怒りや高ぶりに任せて女性を買ったり犯してたら自分じゃなくなり、元の人格じゃなくなるんじゃないかって恐怖心がありますよ。だからそれ以上踏み込まない為の細い心の鎖です」
そう言って俺は、残りの蒸留酒を一気に飲み干した。
「ふむ。確かにそうですな。末端の兵士にも見習わせたいですなぁ……」
シルベスターさんは少しだけ眉間に皺をよせ、手の中でパイプを遊ばせているが、裏仕事なんかそういうのも一つの手段だと思ってるし、多分自分の事も含まれているんじゃないかって思える。あくまで憶測だけど。
「さてと……。いつでも吸える様にと、管理してくれてありがとうございます。良い香りでした」
普段吸わないのに、用意だけはしっかりされてたからな。地球で吸った紙巻き煙草とは全然違う。
けどフィルターがないから、ほとんどが口腔喫煙になったけど。
「いえいえ。それと主人の許しがあったとはいえ、目の前でくつろいでしまい申し訳ありませんでした」
俺は立ち上がり、軽くシルベスターさんにお礼を言うと、向こうも立ち上がって綺麗に礼をした。
「いえいえ。確かに目上の人や、年上の前で吸ってはいけないという文化も向こうにはありましたが、ここは休憩室も兼ねているんでしょう? なら会話をしながら、多少気を抜くくらいは必要ですよ。それに俺からしてみれば、シルベスターさんは人生の先輩なんです。今日は愚痴を聞いていただきありがとうございました」
俺は初めて離れに来た時みたいに、シルベスターさんに頭を下げながらお礼を言うと、好好爺の様な笑みを浮かべてくれた。
「描かないといけない図面があるので、お先に失礼します」
そして逃げる様にして喫煙室を出て執務室に戻った。
□
「あれ?」
自分の仕事が早く終わったからなのか、ロディーが執務室に来て俺の肩辺りから図面を覗き込むと、そんな声を出して鼻をスンスンとしている。
「何? どうかした?」
「ん? なんかいつもと違う香りが……」
そしてロディーはペンを持っていない左側から、胸の辺りに頭を突っ込んできてさらにスンスンとしている。
このまま頭を撫でたい……。今はしないけど。
「煙草?」
そして中腰を止め、口元に指を横に中てて何かを思い出すように言った。
「そうだね。戻って来てから一本だけ。嫌いだった?」
「隣で吸われるのは駄目だけど、染み着いた香だったら平気よ」
「まぁ、そうは吸わないから。今日は特別かな」
俺はペンを置き、なんで吸ったのかを軽く話した。
「ふーん。区切り……ねぇ……。優しいのね」
「どうだろう。個人的にあの母親が、あまりにも浮かばれないと思ってね。こういうのは、一人でも多い方が良いでしょ。そうだ、あの子はどうなった?」
俺は子供が気になり、連れて行ったロディーに聞いてみた。あのまま逃げ出してたら最悪だからな。
「最初はおどおどしてたけど、似た様な境遇の子達が多いけど笑顔ってわかったら、直ぐに遊びだしたわよ」
ロディーは机に座りニコニコとしながら言った。けど、お行儀が悪いからなるべく止めようね?
「それなら良かった……。母親の方は、さっき丁寧に埋葬したって報告に来たから、そっちも心配ない。これが埋葬番号」
共同墓地の墓守から渡されたのか、俺は母親を埋葬した場所であろうと思われる番号が書かれた紙を取り出した。
「後で渡しに行かせないと」
「一人で行く訳にもいかないしね……。少し寄付金も出さないと悪いだろうし、遺髪も銀貨を入れる袋もあるからねぇ。本当は孤児院みたいなのはない方が一番良いんだろうけど、どうしても育てられなくなった親もいるだろうしなぁ……」
「そうね……。まさか孤児院を買い取って、経営するとか言いださないわよね?」
「言わないさ。本当は言いたいけど、最悪際限がなくなってどんどん来る。だからー……。はい」
そして俺はもう一枚紙を取り出し、スラムの治安維持回復案と書いた紙を取り出した。
「……なにコレ?」
「見ての通りだけど?」
俺はもの凄い笑顔で答えた。帰ってきてから、どこかの国で試された方法や割れ窓理論の事を何となく覚えてる限り書いた物だ。
「事前に通知を出し、毎日見回りをさせて、どんな軽微な犯罪でも取り締まる事を伝える。とりあえず綺麗にする。ゴミを定位置に捨てる程度にはモラル上昇を目標。軽い罰は奉仕活動。これをスラムで徹底させれば、直に治安は回復傾向に向かう……」
俺はそこで一旦区切り、軽く深呼吸をして覚悟を決める。
「本気であの辺一帯をまともにしたいなら、コレを渡す。今度作る簡易宿所は、最悪犯罪者の巣窟になる可能性が高いからこの図面も今日のメモも破棄する。どうする? 治安維持は、防壁の外やまともな場所ばかりじゃどうにもならないぞ?」
そして笑みを消し冷たい声で言うと、俺の顔を見てロディーは受け取ろうとしていた手を止めた。
「ちょっと。顔が怖いよ?」
ロディーは少しだけ口元を歪ませ、延ばした手を引っ込めずに言った。
「少し怒ってるからね。目の前で殴り合ってるのに、放置ってのは警邏してる兵士としてはないんじゃない? それに社会的弱者に対する国の目が行き届いてないし、無駄だからって理由はいけないと俺は思うんだよね? 今回の目的じゃなくても注意くらいはしようよ?」
俺は軽くため息を吐き、紙をテーブルに置いた。
「俺が言っている事は、上からなのってのはわかってる。今の状況にどうにもならず、気が腐って酒を飲んだり賭事に走るのも理解できる。俺も何回か経験してるからね。そういう現状を見て何か改善しなきゃってならない?」
「それはそうだけど……」
ロディーは手を膝の上に下ろして、少し俯いて小さな声で言うがそれ以上言葉が続かなかった。
「はぁ……。まぁいいや。憶測だけどさ、あの辺りって職を求めて王都に来たけど、思ったより働く場所がなかったから、安い宿とか酒場のある場所に人が溜まって人が集まり続けた結果だと思うんだ」
俺は置いた紙を指でトントンと叩きながら言い、ロディーの方を軽く見る。
「とりあえずこの簡易宿所はある意味救済処置だから、なるべく早く作らせる。そして数日後には土木部隊も動く。そこでスラムの人を日雇いにして、簡易宿所に泊まらせるように誘導し、この治安回復案を平行してするってのはどう? 働いてお金があれば心に余裕ができる。そしてある程度お金が貯まったら普通の宿に行けるし、次は集合住宅とか借家にグレードを上げられる様になる」
俺が改善案を言うとロディーは顔を上げ、真剣な顔で聞き出したので続ける事にする。
「宿があれば銭湯とかが必要になるし、衛生的にするのにシーツを洗う洗濯屋も必要になるかもしれない。宿が素泊まりなら食堂も必要だ。そうすると物を買うのに店も必要だし、人手が必要になって色々な働く場所ができる。そういうのを少しずつ増やして、まずはスラムを少しずつ改善していこうか?」
「うん!」
とりあえず責めすぎるのも良くないので、それらしい事を言うとロディーは机を下りて抱きついてきた。
「で。ロディーはどこまで口と手を出せるの?」
俺は運ばれていたお茶を一口飲み、仲直りって事で膝の上に座ってくつろいでいたロディーに一応聞いてみた。
「結構なところまで。多分さっき話してた事は平気かな」
ロディーも俺の膝の上でお茶を飲みつつ焼き菓子を頬張っていたが、軽く胸板に頭を預けて答えた。
「ふーん。なら任せて良い? こっちはこの簡易宿所の件を進めるから」
「いーよー」
といっても立ち退きやら諸々の交渉も必要で、お金が必要になってくるんだけどね。治安回復の為に必要な事って説くしかないよな。最悪防壁の外に仮設住宅みたいな物を建てて、あの辺りを大規模区画整備まで視野に入れないと、どうにもならないかもしれないけど。
「はい。あーん」
「ん。あひがほ」
ロディーが背中越しに、多分俺の頭があるであろう位置に取ってくれた焼き菓子を出してくれたので、髪に落とさない様唇で受け取り、上を向いて一気に口の中に入れる。小さめのクッキーで良かったわ。
ちなみに左手はロディーのお腹で、右手にはティーカップだから仕方ない。
まぁ、さっきは少し威圧的になっちゃったけど、思ったより機嫌が悪くならなくて良かったわ。
「でさー。右手どうしたの? 歯形が付いてるけど」
「んー。ちょっとイライラして自分でやった」
「……カップを置いて私の前に出して」
そこでロディーの声が普通に戻ったので、俺はカップを置き、胸の辺りに手を持ってきた。
そしてロディーの手が添えられ、なにか呪文の様な物を唱えるとほのかに温かくなり、肩越しに少しだけ緑色っぽく光っているのが見えたので、なにかしらの行為をされている様だ。ケ○ル的な?
「……ニワトコ。服が燃やされたって、前に言ったわよね?」
「あぁ。ビバーナムの時だろ? それがどうした?」
「ニワトコの体って、魔法が効きにくいかも……」
そう言ってロディーは俺の膝から下り、左腕のダガーを奪うと自分の左人差し指を浅く切り、俺に見せてきた。
「おい。いくら何でもやりすぎじゃ――」
そして自分の指に手を中てると、先ほどと同じ様に光って指の傷が三秒くらいで塞がり、血が出ていた跡しか残っていなかった。
「……トニーさんにも言われたよ。効きにくいんじゃないかって。仲間が魔法を食らった時は大火傷だったらしい」
俺は自分の指を見ると、まだ少しだけ跡が残っていた。
「……やっぱり。服だけ燃えるって少しおかしいと思ったのよ。あいつが弱いって思ってたけど、ニワトコの方に少し問題があるみたいね」
「でもこっちに来た時に、教会でなんかされたぞ? なんで言語が理解できるんだ? 効きにくいなら、こうしていられないぞ?」
「あれはー……。呪いに近い強い術式や儀式みたいな物だから」
ロディーはそう言って俺の膝の上に戻ってきて、右手を取ってまた呪文を唱えた。
「呪いって……。異世界やべぇな。ってか万能って事は、それほど強力って事だしなぁ。それくらいの規模にはなるのか」
「ま、うちの国でもやってるし、気にしない方がいいわよ。意志疎通ができる様に、無理矢理ねじ曲げてるだけだし、殆ど体には影響はないし。多分体の魔力とかも関わってるのかも? 迷い人って魔力が殆どないじゃない? そういう話とか先生に聞いたし、おとぎ話にもあったわよ。大怪我してても魔法が効かない体だから、悪いドラゴンを倒しても、高僧が何人も交代で回復魔法を使ったって」
そう言って右手が放されて、二回ほど軽く叩かれたので確認をすると、傷はなくなっていた。
「ハッピーエンドで良かったわ。けどそういうおとぎ話は子供向けに、美人や可愛いお姉さんかお姫様が付きっきりで看病して、快復して結婚だろ……」
「そうね。たしかにその方が良いかも。けど悪い奴に捕まったお姫様は、迷い人とこうして一緒にいるんだから、その方がやっぱり子供向けね」
ロディーはそういって、深く座る様にして体をさらに密着させ、背中を預けて頭を胸にグリグリとしているので、軽く撫でた。
「俺もおとぎ話になっちゃうかな? ドラゴンなんか倒したくもないけど」
「そうね……。迷い人はお姫様に惚れられて王族になり、国民の為に一生懸命働きました。そのおかげで塩が安くなり、盗賊のいない平らな道がどこまでも続いた。ってところまでは決まりね」
ロディーはそう言って肘掛けに乗せていた手に、指を絡めるようにして握ってきたので、軽く握り返した。
「働くのは兵士とか雇った国民だけどね」
「夢のない事言わないの」
そう言ってロディーは胸に後頭部をぶつけてきたので、とりあえず好きにさせておいた。
本当、俺の物語ってどうなるのか気になるわ。孫に囲まれる頃には読めるかな?




