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三話

 テクラは家の食卓で、家族四人揃って夕食を取っていた。右には兄、左には母、そして正面には父。三人は時折笑いながらおしゃべりしている。それをテクラは笑顔で眺めていた。幸せな一時。こんな毎日が続きますように――そう思った時だった。

『テクラ』

 母に呼ばれてふと見ると、その表情は笑顔から一変し、険しいものに変わっていた。母だけではない。正面の父も、右にいる兄も、食べる手を止め、こちらを不安にさせるような目で見ていた。

「どうしたの……?」

 恐る恐る聞いたテクラに、母は険しい表情を歪めて言った。

『痛いわ』

「え?」

 意味がわからず、テクラはきょとんとした。

『だから、痛いのよ。やめてちょうだい』

「母さん、何なの?」

 首をかしげる娘を見て、母は苦しい表情に変わった。

『目を覚まして! こんなことやめて!』

 鬼気迫る口調に、どうしていいかわからず、テクラは正面の父に助けを求めようとした。だがその父も、テクラの顔を見ると叫ぶように言った。

『やめないか! テクラ、やめろ!』

 父と母にわけもわからず怒鳴られ、テクラはおどおどしながら二人を見つめる。と、その首筋に血の滲んだ小さな傷が見えた。これは確か――思い出そうとすると、二人の傷口から、つーっと真っ赤な血が流れ出た。胸元を伝い、床に滴る。

『痛い……痛いわ』

『やめてくれ、テクラ……』

 気付くと両親はテクラのすぐ側まで近付いていた。苦悶の表情に迫られ、椅子から立ち上がったテクラは、右側にいる兄に助けを求めた。

「兄さん! 兄さ――」

 しかし、先ほどまでいたはずの兄の姿は消えていた。部屋を見渡しても、どこにも見当たらなかった。『テクラ!』

 父と母は娘の腕をつかもうとしてくる。だがテクラは恐ろしさのあまり、その手を振り払っていた。怖い。ここにいたくない――そう思ったテクラは、両親の脇をすり抜けると、玄関へと勢いよく駆けていく。そして、扉を開けた先の、真っ白な世界へ飛び込んでいく――

「………」

 うっすらと開けた目に映ったのは、真っ白な世界とは真逆の、すべてが黒く塗りつぶされたような暗闇だった。数回、ゆっくりとまばたきをしたテクラは、自分が夢を見ていたことを知る。しかもその内容は、両親が苦しみの声を上げるという、今のテクラには辛すぎるものだった。

 夢の余韻を引きずりながら体を起こしたテクラは、両足をベッドの下に下ろす。そして暗闇の中に浮かぶ見知らぬ部屋を見ながら、自分がなぜここで寝ていたのかを思い出そうとした。領主に血を吸われたところまでは憶えていた。その後は確か――

「目を覚ましたか」

 声に振り向くと、部屋の扉の前には領主が立っていた。いつ入ってきたのだろうと見つめるテクラに、領主は微笑を見せて歩み寄る。

「体の具合はどうだ?」

 そう聞かれて、テクラは寝ていた理由を思い出した。血を吸われた後、急に体の調子が悪くなり、途切れそうな意識のまま、領主に抱えられ、この部屋に運ばれてきたのだ。そしてそのまま寝込んでしまったのだろう。

「……もう、大丈夫です」

 夢のせいで気分は悪かったが、体のほうには何の異常もなく、調子は戻ったようだった。

「吸血鬼に血を吸われた人間には、君のように体調を崩す者がたまにいてね。生命力が弱い者だと死んでしまうこともあるらしい。だが君はもう大丈夫なようだ」

 すると領主はベッドに座るテクラの顔をのぞき込むと、その目をまじまじと見つめた。

「……ふむ、初めての試みは上手くいったらしい。我々に近い色が瞳に宿っている」

「近い、色?」

「純粋な吸血鬼は、感情の変化によって瞳の色が変わることがあるんだよ。大体は深い赤色をしている。だが下級吸血鬼は常に瞳は赤色だ。ちなみに最下級は色が変わることはない。つまり、赤い瞳に変化した君は、下級吸血鬼になれたということだ」

「じゃあ、自分を失うことは、もうないんですね」

「ひとまずはね」

 笑みを見せると、領主は窓際へ行き、そこにかかった分厚いカーテンを開けた。

「夜、だったんだ……」

 ガラス窓の向こうからは、白く透き通った月明かりが差し込んでいた。テクラがこの館に来たのは朝のことなので、かなりの時間が経っていることがわかった。

「随分と、眠ってたみたいですね」

「君はもう吸血鬼なんだ。明るい時間に眠るのは何らおかしなことじゃないよ」

「領主様はお優しいんですね。ただの、一農民のために……」

「ただの、じゃない。大事な、だ」

 領主は再びテクラに歩み寄った。

「長いこと寝て、腹は減っていないか?」

 聞かれて、テクラは自分の空腹を意識したが、そこまで世話になるわけにはいかないと、気持ちとは逆の言葉で答えた。

「いえ……お腹は……」

「一つ教えておくが、吸血鬼の空腹は血の欲求につながるものだ。放っておけば下級といえども、自制の術を知らない限り、理性を失う可能性は増していく。……改めて聞くが、本当に腹は減っていないか?」

 再度聞かれたテクラは、うっと言葉を詰まらせるも、理性を失うと言われては正直に答えないわけにはいかなかった。

「……減ってます」

 これに領主は案の定、という微笑みを浮かべた。

「できれば私には正直に話してもらいたいね」

 すると懐から何か取り出した領主は、それをテクラに差し出した。

「何ですか、これは……」

「私が昔身に付けていた腕輪だ」

 金属製の腕輪には、テクラが見たことのない細かな紋様が施されており、その合間には大小の宝石が輝きを見せてはめ込まれている。貴金属には興味も縁もないテクラだが、これが自分にふさわしくない高価なものだということだけはわかった。

「こ、こんな高そうなもの、私はとても――」

「これは普通の腕輪じゃない。我々の職人が作った特殊な呪具でね。これを身に付けていれば血の欲求を抑えることが簡単にできるというもので、私は幼い頃に使っていた。使い古しで申し訳ないが、新米吸血鬼の君にはこの腕輪が必要だろう」

「そういうものがあるんですか。それなら、じゃあ、遠慮なく……」

 呪具と知って領主から腕輪を受け取ったテクラは、それを左腕にはめてみた。領主は幼い頃に付けていたということで、輪の大きさは小さく、女性のテクラの腕にはちょうどいい大きさだった。

「よく似合っている。……空腹感はどうだ?」

「……あ、少し、なくなったような……」

 腕輪をはめた途端、不思議なことに空いていた腹の感覚は和らいでいた。何も口にしていないのに、まるでおやつでも食べ終えた後のように満ち足りていた。そんなテクラの様子に、領主は微笑んだ。

「効力は健在なようで安心した。何しろ大分古いものでね。ただの腕輪に変わっていたらどうしようかと思ったが、よかったよ」

「ありがとうございます。その、いつか必ずお返ししますので……」

「そんなことは気にするな。必要ならいつまでも持っておいて構わないよ」

 にこりと笑った領主だったが、すぐにそれを消すと、腕組みをしてテクラを見据えた。

「……さて、君についてはもう安心だが、問題なのはテオドールだ」

「はい……」

「彼を一人にさせたのは私の責任だ。私は彼を捜さなければならない。君は、どうする?」

「も、もちろん、私も兄を捜します。妹として、家族として放っておくわけにはいきません」

 強い口調で言ったテクラだったが、領主の表情はなぜか浮かない。

「無理をすることはない。こんなことになって精神的に疲れているだろう。ここで休んでいてもいいんだぞ。テオドールのことは私に任せて――」

「休むなんてできません。自分の兄のことなのに、領主様にだけ捜させるなんて、そんな失礼なこと……。足手まといになるつもりはありませんから、どうか一緒に行かせてください」

 真っすぐな目で頼むテクラに、領主はしばし考えてから口を開いた。

「……実は、君が寝ている間にテルノーナ村の様子を見に行ってきたんだ」

 村と聞いて、テクラはわずかに鼓動を速めた。

「君の他に被害者がいないか確認のために行ったんだが……やはりいたよ。しかも命を奪われていた。ノア・ランゲという青年だ。知っているか?」

 その名はテクラの脳裏にすぐに姿を浮かび上がらせた。

「ノア? はい、ノアは兄の友達で……ノアが、殺されたんですか? まさか……」

 ノアは普段からテオドールとよく一緒におり、一番仲のいい友人と言えた。そんな彼を兄が殺すなど、テクラには考えられないことだった。

「そんな……兄さんまで……」

 テクラは唇を震わせながら呟いた。自分は両親を殺し、兄は友人を殺した。兄妹で人殺しになってしまったなど、悪夢としか言いようがなかった。

「ノアは血を吸い尽くされ、死んでいたようだ。これはテオドールが血の欲求に従った可能性を高める事実だ。もしそうだとすれば、さらなる犠牲者が出る前に見つけないと……いや、すでにもうどこかで出ていることも考えられる」

「兄は……どうして私の血を吸い尽くさなかったんでしょうか」

 悲愴な眼差しが領主に聞いた。

「全部、吸ってれば、母さんと父さんが死ぬことは、なかったのに……」

 テクラの胸にはいくつもの感情が渦巻いていた。自分を責め、後悔しながら、姿を消した兄に対しては妹として慕いつつも、疑問や怒りも滲む。テクラの心は混沌としていた。

「君の顔を見て、理性が戻ったのかもしれないし、途中で欲求が満たされ、離れたのかもしれない。そればかりは私にもわからない。……ご両親の亡骸は、異変に気付いた村の者達が丁重に埋葬していたよ。心配はいらない」

「そう、ですか……母さんと、父さんを……」

 うつむき、感情をこらえるテクラの目は、今にも溢れそうなほどに潤んでいた。

「テオドールは以前とは変わってしまっているかもしれない。理性を完全に失っていれば、話すら通じないだろう。その場合は君の身も危険になる。そういう状態の者は得てして凶暴なんだ。そんなお兄さんを見て、君も衝撃を受けるかもしれない。私としては、ここで休むことを勧めるが――」

「お気遣いはいりません」

 目元を手でぐいと拭ったテクラは、一変して力強い目で領主を見上げた。

「兄が兄でなかったら、私が目を覚まさせます。兄には、こんなことになった責任があるんです。話を聞かせてもらわないといけないんです。だから、一緒に行かせてください!」

 領主はテクラの紺色の瞳を見つめ、その決意を判定していたが、やがて表情を緩ませると、軽く息を吐いてから言った。

「……わかった。共に捜そう。だが、一つ条件がある」

「条件、ですか?」

 領主はうなずく。

「私のことを領主様とは呼ばないでほしい。領民以外の前で呼ばれると、いろいろと面倒なこともあるんでね」

「じゃあ、何とお呼びすれば……」

「私の名はスタリー・ブランディスだ。まあ、そのままスタリーとでも呼んでくれ」

「わかりました。スタリー様、ですね」

「いや、様など付けなくていい。気軽に――」

「領主様を気軽になんて、とても呼べません」

「構わないよ。私は気にしない」

「こっちが気になります。スタリー様と呼ばせてください」

「それだと、主従のように見られかねない」

「領主様とその領民なんですから、あまり違いはないと思います。それに、年下の私が気軽に呼んでたら、逆に不自然になりませんか?」

 渋い顔の領主だったが、それも一理あると認めざるを得なかった。

「……では、思ったように呼んでくれていい」

 領主が折れると、テクラはベッドから立ち上がり、改めて会釈をした。

「よろしくお願いします。スタリー様」

 月明かりが青白く照らすテクラの横顔。その赤い目は穏やかに、揺るぎなく領主を見つめる。思いがけず眷族となった少女に、スタリーは自分の責任を感じつつ、かつて残してきた感情をかすかに思い出すのだった。

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