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ライラック色の少女たち  作者: 斉藤なめたけ
第七章 一夜明けて
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6☆.逆襲

☆要素:首絞め描写

 岬をくすぶった官能は即座に離散した。首に食い込む指は冷たく、確かな力をもって頸動脈を圧迫していた。

 朝、仕留め損ねた白髪少女の復讐がここから始まろうとしていた。


「ぐぅッ……ア、い、ちじょう、さ……?」


 振り絞って出た声がうめきに変わる。

 不運なことに、このとき和佐は編入生の首を絞めている自覚がなく、条件反射に首を掴み、無意識に力を込めていたのであった。


 岬は全力で床を叩き、異音に気づいた和佐は灰色の両眼をぱちくりさせた。

 慌てて力を緩めたが、首筋に指は這わせたままであり、白髪少女の美しいかんばせには憎悪の色がよみがえりつつあった。


「……なんて顔するのよ」


 頭に血流が戻ってなお、岬の顔は蒼白のままである。恐怖がそう簡単に顔から離れることはなかった。

 だが、弱っている彼女に対して和佐は容赦しなかった。


「まるで私だけが悪者みたいじゃない。こうなったのも、全部あなたの自業自得でしょう。私のことを散々犯しておきながら、いざ自分が都合が悪くなると、そうやって被害者ぶるつもり?」

「……そんなことはありません」


 岬は声まで潤ませた。ルームメイトの鋭利な指摘に珍しく泣き出しそうになる。

 しゃくり声を一度上げ、首に指をかけたままの少女に自分の想いを吐き出した。


「一条さんを絶望させるわけにはいきませんでしたから。なので、もし一条さんが懲りずに黎明さまの夜這いを狙ってるのであれば、あたしは再度ためらうつもりはありません」

「絶望の大元が何をほざくの⁉」


 和佐は激情し、脅しの意味を込めて岬の首を一押しした。


「それなら私もこう言わせてもらうわ! あなたが懲りずにルームメイトに居座る気なら、こっちだってためらわない。あなたの人生から余命というものを永久に葬り去ってやる!」


 和佐が両手を持ち上げる。それに合わせて岬の顎の角度も上昇し、潤んだプルーン色の瞳に鋭い光をたたえながら和佐を見下ろす。

 放たれた声は苦しげだが強気でもあった。


「……一条さんに私を殺せますかね」

「なんですって……」


 うめくように言い返す和佐。その和佐にさらにうろたえる事態が生じた。

 首を押さえていた手に編入生の手が重ねられたのである。

 その手は暖かく、細かく震えていた。


「無理に気張ろうとなさらない方がいいです。あなたにそんなことができないと、あたしは信じてますから」

「気張っているのはあなたの方でしょう。そんなぼろぼろな顔をして」


 清楚を装った岬の顔は、今やこわばった笑顔に支配されていた。例えるならば、虐待された事実を隠すために無理やり笑みを作っている印象が最も近いか。


 だが、虚勢を張っているのは和佐も同じであった。その点は、岬の指摘のとおりである。

 どんなに目の前の少女が憎くても、自分は彼女を絞め殺すことはできない。


「ずるい……あなたはずるいわ」


 和佐の声は、屈辱と自身の不甲斐なさにあふれていた。


「あなたは自分のしたいことを何でも実現できるのに、私は何一つ、自分の望みを果たすことができない……。黎明の件だって、あなたを追い出すことだって……」


 無力感に苛まれた動作で、和佐は岬の首から手を離した。凌辱した相手への復讐も、ついに遂げることはできなかった。

 首が自由になった岬は、その首筋を撫でながら絞殺未遂の少女に生真面目に頭を下げた。


「……ありがとうございます」

「別に。犯罪者になるつもりがなかっただけよ」


 編入生の少女は、さらに重ねて自分の行為を詫びた。


「それと申し訳ありませんでした。いくら一条さんの暴走を止めるためとはいえ、あの時は最適な手段がこれしか思い浮かばなかったんです」

「変態の変態たるゆえんね……」


 和佐は呆れたが、その呆れは害意や殺意とは無縁のものだった。

 白髪少女は今さら黒タイツの脚をさらけ出していたことに気づき、急いで立ち上がり、岬もルームメイトの後に続いた。


「あなたの鍵は手元にないわ。他人に預けたから」


 和佐の告白はあまりに唐突であり、岬は呆気にとられて、思わず失礼なことを口走ってしまった。


「一条さん、預けるような方がいらっしゃったんですか?」

「…………」


 和佐の永久凍土の視線は、今の岬に効果はあった。

 反射的に首に手をやる少女に、和佐は嘆息しつつ話を進める。


「相手の名前は明かせないわ。彼女の迷惑にもなるから。そのうち取り戻してあげるから、大人しく待っていなさいな」

「ありがとうございます」

「社交辞令で言っておくけれど、私は決して、あなたを許すつもりはないわ。ただ、これであなたを追い返せそうにないとわかった以上、内容を語ろうが黙ってようが同じことだと思ったまでよ」

「わかりました」


 禁帯出資料室での出来事は、お互いにとって思いがけない展開を迎えて終わりを告げた。いや、岬にとって最後の驚きがこの次に残されていた。スカートの裾をはたき終えた和佐は、編入生の少女にこう呼びかける。


「岬」


 和佐が編入生の名を呼んだのは、これで二度目である。

 落ち着いた音律をともなったものは今回が初めてだった。

 面食らいつつ岬が反応すると、和佐はルームメイトの特色である長い三つ編みに触れ、それをどかして首筋をまじまじと眺め始めた。

 岬は変態淑女とは思えぬウブな緊張に包まれ、至近距離から首を見つめる白髪少女に声をかけた。


「跡でも残ってました?」

「いいえ、何も……」


 和佐はあっさり三つ編みから手を離し、そのまま入り口に向かって歩み去ろうとする。硬質な足音に岬も続く。

 一条さんなりに首を絞めたことを申し訳なく感じてるのかなあと思うと、首を絞められたトラウマも少しずつ癒えていくような気がした。


     ◇   ◆   ◇


 禁帯出資料室から人の気配が完全に消えると、わずかに開いていた裏口の扉は静かに閉ざされた。

 隙間から聞き耳を立てていた円珠は、絶望のあまり、その場で崩れ落ちた。


 彼女は姉様と別れた後、寮内で過ごしている間も姉様の不自然な態度が気にかかり、長時間思い悩んだ結果、図書館裏まで引き返したのである。円珠の場所からでは書架の陰で展開されている痴態は見えなかったが、姉様の押し殺した吐息や接吻の水音などはしっかりと聞き取ることができたのである。


 もっとも、円珠がショックを受けたのは、官能をもよおす音よりもその後の二人の会話にあった。

 姉様が憎んでいたはずの編入生に自分との関係を話したのである。


「どうして……」


 円珠の声はかすれていた。

 せっかく姉様のために、良心を殺しながら盗んだ鍵をきちんと保有するつもりでいたのに。

 姉様はその妹の存在を躊躇なく売り飛ばすつもりなのか。


 後輩少女の中に、強い疑惑が芽吹いた。二人の『朝帰り』の件もあって、繊弱な顔はさらに深い影に覆われていく。


「どうして、姉様、どうしてなのですか……?」


 円珠は胡桃色の瞳を潤ませた。鍵を握りしめた手が感情と共鳴し、細かく震え出した。

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