5★.襲撃
ルームメイトとの対面は朝以来であるが、和佐に再会の喜びなど湧くはずがなかった。それどころか機嫌は最下層まで滑落していた。
変態淑女にこの場所を知られたということは、安息を得られる場所が潰えたも同然である。
「……なぜここがわかったの」
うなるような問いは、少女の清楚なしたり顔で返された。
「一条さんと言えば本を読むイメージがありましたからね。それで図書館にいるものかとすぐに。後は司書さんに『一条さんのルームメイトですが』と尋ねたら一発でした」
盲点だった。わざわざここまで来る物好きなどいなかったから、司書への口止めという発想自体が今まで湧いてこなかったのだ。
苛立ちが、自分の迂闊さによってさらに促進される。
編入生の変態淑女は物珍しげに埃っぽい空間を眺めていたが、やがて和佐に対してプルーン色の瞳を輝かせた。
「あたしもこの場所が好きになりそうです♪ 辺鄙なところですし、音を立てても誰かに聞かれる可能性は低いでしょうし……まあ、それはそれとして」
笑顔をそのままに、岬は口調をわずかに変質させた。
「ストレートにうかがいましょう。あたしの私物を引き出しに入れて鍵をかけたのは一条さんですね?」
和佐の時間が一瞬だけ止まる。
素直に白状すべきか、しらばっくれるべきか、彼女は判断に迷っていたが、すぐに結論が出た。ここで回答を避けて何になるというのか。
もしかしたら変態娘は仕返しとばかりに、こちらのプライベートを踏みにじってまで鍵を取り戻そうとするのではないか。そんな目に遭うくらいなら自分が物盗りであるとさっさと自白した方がましである。彼女を幻滅させることも可能だろうし。
白髪をかき上げ、和佐は開き直りの態度を示した。
「鍵をかけたから何だというの」
「何だとはよく言えますね。あの中にはお金に代えられない思い出の品も交じってたんですよ? 早く鍵を返してください」
ここで返すなら、初めから嫌がらせなどするはずがない。
それに和佐としては、岬の表情にわずかな必死さをうかがうことができて、取引の余地があると踏んだのだった。
冷ややかな一瞥と共に言い放つ。
「それはできない相談ね」
「したくないんじゃなくて、できないんですか?」
「だって鍵を無くしたから」
岬の眉がぴくりと揺れる。あからさまに信用していないという反応だ。
「一条さんともあろう方がそんな初歩的なミスをなさいますかね?」
「あなたの評定などどうでもいいわ。とにかく無くしてしまった以上、いくら私のことを問い詰めても無駄よ。わざわざあなたのために鍵を探してやる道理もないし」
「いやいや、やる気はなくとも勝手に持ち出して紛失させた以上、探す道理はあるはずでしょうが」
真顔になり、岬はルームメイトをまっすぐ見据えた。
「だいたい、なぜそんなチンケな嫌がらせをなさったんですか? あたしへの嫌がらせ目的なのは承知ですが、それで仮に一条さんに愛想を尽かしたとして、部屋から立ち去ってくれると、本気で考えてらっしゃるんですか?」
「……どういうこと」
和佐はうなった。岬の指摘はほとんど図星に近かったのもあったし、せっかくの計略を『チンケ』と評されたのも癪にさわった。
白髪少女の問いかけに、ルームメイトの少女は憐れむような顔を浮かべた。
「まず、私物を取り出せないとなれば、寮部屋の移転だってできないじゃないですか。まあ鍵をぶっ壊せば済む話ですけど、わざわざあたしが器物破損の罪を被る筋合いはないですし。それに私が騒ぐことで鍵の窃盗が寮母さんたちに知られたらどうします? 一条さんが問題児だと知れれば、もしかしたらルームメイトを隔離するという話も出るかもしれませんが、その代わり一条さんに自由を与えることは二度とないでしょう」
「…………」
「ここの規則は知りませんが、最悪、退寮宣告を受けることも覚悟した方がいいんじゃないですか? たとえセーフだとしても、こんなことをして黎明さまが許してくださると本気で思ってます? いくら一条さんに甘いと言っても、何でもかんでも受け入れてくださる方ではないでしょう?」
岬の指摘は和佐の致命的な弱点を突いた。姉という弱点がある限り、自分は変態娘から優位を奪うことができない。姉に物理的接触を拒絶された和佐だが、彼女に認められたいという想いを諦めるつもりはなかった。
思わず歯噛みしたが、ここで岬はシリアスな表情を一変させ、普段の人懐っこい笑顔に戻った。
「まあ、あたしは一条さんが鍵を無くしたなど、はなから信じちゃいませんけどね。あたしに無駄に探させて、実は一条さんが持ってましたーというオチなんでしょう?」
それは勘繰りが過ぎる。円珠との関係が明かせないが故の方便に過ぎないのだが、岬はもはや自分の推理を曲げる意思はなさそうだった。
ずいと接近し、意味ありげな声でささやく。
「あくまでしらを切るおつもりなら、今この場で一条さんのお身体を取り押さえて鍵を取り戻させていただきます」
「まさか……」
和佐は青くなった。昨晩あれだけ体躯をまさぐっておきながら、それに飽き足らず、さらに変態的な行為を重ねようというのか。この娘は。
それこそ退校処分レベルだろうと思ったが、現に変態淑女はその『まさか』を実行しようと動き出していた。容赦なくこちらの身体を押さえつけてきて、全力で抵抗はしたものの、雌雄はすぐに決せられた。
壁際まで追い詰められ、そのまま床に尻餅状態にされる。
昨晩の情事ですでに思い知らされたことだが、黒髪の小娘は変態的な情熱を受けることで力を増強させる能力を持っているとしか思えなかった。和佐自身も決して非力ではないはずなのに、同程度の体格の変態淑女に手も足も出ない。
「よいしょ……っと」
その変態淑女も座り込み、同時にスカートに包まれた和佐の両膝に手をやった。脚が開かれ、その間に編入生は自身の上半身を滑り込ませる。
「昔ミステリーで読んだのですが、登場人物の女性が重要な証拠物件をタイツの中に隠して持ち去った話があるんです。一条さんならもしかしたらご存知かもしれません。まあ、普通に考えれば『スカートをまくってタイツを調べさせろ』なんて言えるわけないですもんね~」
むろん普通の少女でない岬は、ルームメイトの黒タイツを検分することに逡巡を示すことはなかった。手のひらを滑らせ、濃紫色のロングスカートをはらりとめくってしまう。
「な……やめなさい! やめ……ひッ⁉」
黒い繊維に包まれた長い脚があらわになり、その黒脚をさすられた瞬間、和佐の両眼から砂糖菓子色の火花が飛び散った。
岬はルームメイトのスカートをさらにまくり上げ、太ももの側面や裏側を、まるで香油を塗り広げるかのごとく撫で回した。
「……こ、このっ、私にこんな真似をしてただで済むとでも……っ」
和佐は自分の手で自分の口をふさいだ。恨み言は絶え間なく思い浮かぶが、黒タイツを通して背筋に小気味よい刺激が走り、前もってふさいでおかないと発せられる声がとんでもない色っぽさになるような気がしたのだ。
「えへへ、別に声を出しても構いませんよ~? それを耳にするのはあたしだけなんですから♪」
精神の避難場所として愛用していた場所が、ふざけた編入生の手によって格好の情事の場に変えられてしまった。
その編入生は黒脚の柔肉に軽く指を食い込ませており、危うい刺激が和佐に昨晩の疼きを思い起こさせた。押しのけなければと思いつつも、編入生の巧みな手さばきのせいで身体に力が入らない。
「……一条さん、何だか素足を撫でられるより感じてらっしゃいません?」
変態が嫌なことを指摘した。しかも、その指摘は正しいときたものだ。
岬はさらに手を太ももの奥深くまで滑り込ませ、その指先はタイツのランガード部分まで達していた。
脚の付け根までくすぐられて、和佐はもはや口を押さえることもかなわなかった。手が離れ、その隙を岬の唇によって埋められる。
あまりにも気持ちの良いキス。それは脚に受ける快感と相反せず、和佐の頭は、蛍光ピンクの官能に沈みそうになる。
「そう言えば、一条さんの以前のルームメイトさんにお会いしましたよ。春山雪葉さん、覚えておいでですか?」
いったん唇を離すと、岬は口を拭うことなく唐突に切り出した。
「あんないたいけな子を嫌がらせのキスで追い返してしまうなんてね。彼女にした嫌がらせのキスってどんな感じなんでしょう? あたしがするより気持ちいいんですかね?」
気持ち良さの比較など、今の和佐には問題にはならなかった。
編入生の小娘は傷つけられた春山雪葉の代わりに、制裁を加えようとしているのか。たとえこちらに非があるとして、その件に関与していない彼女が嫌がらせのキスを代行する権利はあるのだろうか。
様々な疑問は、再度のキスによる快楽の渦に飲み込まれた。腰がふやけ、壁がなければそのまま床の上にひっくり返りそうになった。
脳天を突くような水音の最中で、編入生のとろみがかった熱い声が聞こえたような気がした。
「やばいなあ……。昨日のことで一条さんに対して歯止めが利かなくなっちゃいそう」
岬の心も余裕を失いつつあり、柔らかな頬は薄桃のヴェールを透かした状態にあった。
昨晩の情事は一条和佐の暴走を止めるためのことであったが、そこに岬自身の都合がないと言ったら嘘になる。白髪のルームメイトと身体を重ね、そのまま行きつく場所まで到達したいという欲情は確かに存在していた。
その時と似た征服欲が岬の肉体を内側から再びあふれ出て、黒脚を愛撫された少女の顔をまっすぐとらえる。
次の瞬間、和佐の瞳がカッと見開かれた。
彼女はわずかに残された力を振り絞り、岬に目がけて反撃に出た。
両腕を突き出し、しなやかな指は、編入生の確かな感触を掴んだ。
温かな血流が上下している、白くほっそりとしたその首を。




