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僕と彼女の物語、これにて了。


「あ、見て! 今のすごい綺麗!」



 彼女は、僕の言葉など聞こえなかったように、宵闇に炸裂する色鮮やかな火薬の技巧に声を上げている。



「ねぇ、僕の質問に答えて」

「え、なんだっけ」



 彼女はまるで晩ご飯の献立を聞くように、さらりと聞き返してくる。僕は、湧き上がる懊悩を押し殺して再び言った。



「君はどうして、あの日死んじゃったの」

「なにそれ、変なの」



 僕が真面目に聞いているのに、彼女はクスクスと微笑を浮かべるだけだ。少し、腹が立つ。



「そんなの、私に聞かれても分かんないよ。私だって死ぬ予定なんてなかったし」



 その声音は至って軽快で、まるで霊体になった(・・・・・・)彼女自身のように質量を感じさせなかった。



「いやぁ、いきなり車が飛び出して来てさ、こっちは信号守って渡ってるのに、避けられるわけないっつーの」

「……いなくならないでほしかった……」

「え?」

「君にはずっと、僕の前を歩いていてほしかった……君の方が、生きる価値があったのに……」



 戻れるなら1年前に。

 代われるなら僕が彼女に。

 彼女が死ななくて済む未来を作れるなら、僕はなんだってしただろう。


 頰を、悲しみが伝った。




 ——何がきっかけだったのかは僕にもよくわからない。気づいたら彼女の霊が見えるようになっていたし、こうして僕だけが会話をすることも触ることもできる。

 周りの人からすれば、僕は頭がおかしくなったと思われるだろう。誰もいない壁に向かって話しかけては笑い、レスランに行けば2人分の席を取り、宙空を小突いたりする。

 きっとこれが僕ではなく彼女の母親だったなら、あんなにやつれてしまうことも、目の奥に乾いた寂しさがへばりつくこともなかったのだろう。


 それでも、僕にとってその時間はかけがえのないものだった。

 1年前のあの日から止まったままだった僕の時間は、彼女が現れたおかげで前進した。家に籠って泣いてばかりだった僕は、こうして学校に通って無事進路に頭を悩ませる受験生になることができた。全部、さくらのおかげだ。

 思えば、僕が高校を辞めず、人間失格のラベルを貼られずに済んだのは、すべてが彼女のおかげだ。周囲と馴染めずに教室の端で参考書と悲しみを分け合っていたあの頃、彼女は分け隔てなく接してくれた。僕を、孤独の海から救い出してくれた。



 彼女は僕にとって生きる目標であり、憧れであり、かけがえのない友人だった。



「私さぁ」



花火が止み、夜陰が濃さを増す。やがて訪れた一瞬の静寂が、彼女の声をより艶っぽく彩った。



「ここに好きな人と来るのが夢だったんだよねぇ。ちっちゃい頃にお父さんとお母さんと見に来てから虜になっちゃって」

「え……あの……」

「東京湾とか新宿御苑とかの花火大会も行ったんだけど、なんか違うんだよね。こう、雰囲気? 空気感? なんていうのかなぁ」



 彼女の姿が、一瞬だけ薄くなったような気がした。目をこする。涙のせいではない、彼女の姿が、透けているのだ。



「今日ここに来れて、私は幸せだなぁって思うよ。君は?」

「僕も……幸せだよ」



 彼女に言わされているような気がしたが、それでもいまこの瞬間を、僕は幸福だと思う。



「そっか! よかったぁ!」



 彼女が胸をなで下ろすと同時に、フッと、彼女の気配が薄くなった。



「私はさ、ほんとだったらここにはいない人間だから。もう過去の人間なんだよ、私」

「そう……だけど……でも、僕は君のことが見えるし、こうして、話もできる……」

「それは、君が私のことを忘れずにいられるからだよ」



 すっと立ち上がる。背後の観覧車が透けて見えるほど薄くなった彼女の姿は、それでも凛とした空気を身に纏っていた。



「私のことを覚えてくれるのは、嬉しいけど。でも、そのせいで君が前に進めずにいられるのなら、早く忘れて」

「でも…………君がいなくなったら、僕は……」

「あのねぇ、私は1年前にもういなくなってるの。死人に頼って生きようなんて、アメリカのお菓子より甘いよ少年」



 いつもの悪戯っぽい笑みで僕を茶化す。

 彼女はもうすぐ消えてしまう。それはきっと、彼女にもどうしようもないことなのだろう。胸の奥がキュッと締め付けられる思いだった。

 ただそれでも、彼女が最後に見る僕の顔が、子供のように泣きじゃくる表情というのは、少しだけ癪な気がした。きっと数十年後に僕がそちら側へ渡ったときでさえそれをネタにいじってきそうだった



「——私の人生って、打ち上げ花火みたいだよねぇ。パッと光って咲いて、一番綺麗なところで消えちゃうの。一瞬だけど、幸せじゃない?」

「あぁそうだね……手を伸ばせば届きそうなのにどうしようもなく遠いところとか、今の君にそっくりだ」



もう彼女には触れることができなくなっていた。伸ばした手は、虚空を薙ぐように彼女の体をすり抜ける。思わず、涙まじりの苦笑が漏れた。




「きっとそっちは退屈だろうから、土産話をたくさん持っていくよ」

「お、いいねぇ。できればジャンプの漫画とか月9のDVDとかも持って来てくれると助かるよ。コーラとポテチもよろしくね」

「パシリじゃないんだからさ」

「ハハッ、そうだね。じゃあ漫画とDVDだけで許してあげるよ」



 もうほとんど見えなくなった彼女が、「それじゃあ」と澄ましたような笑顔を浮かべる。



「じゃあ、私がいなくても元気でやりたまえ少年」

「あぁ、そっちこそ、僕がいなくても退屈で死なないでくれよ」

「残念、もう死んでまーす」

「ハハッ、そうだったね」




 やがて彼女の気配が夜陰に溶け、その残滓を消すように、空に咲いた花火が、色彩の食指を伸ばしていた。





 始まったばかりの夏に、僕は一歩踏み出せるのだろうか。



 打ち上がっては消える彼女の分身を見ながら、僕はふと、そんなことを考えていた。



ここからは、僕一人の物語。

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