転
夏に漂う残滓。
「おっ、偉いね、時間通り。時は金なりってね」
「……それはこっちの台詞。去年どれだけ待たされたと思ってるのさ」
「まぁまぁ。さ、いこっ」
怒涛の期末試験が破竹の勢いで終わり、結果はまずまずだった。苦手だった物理ではようやく学年の真ん中あたりを脱することができたし、得意科目の英語と数学では久しぶりに学年上位に食い込むことができた。
試験が終わって、僕は彼女を横浜開港祭に誘った。去年は彼女から誘われた花火大会だ。
みなとみらい駅を降りて赤レンガ倉庫の方に向かって歩くと、花火を見に来た夥しい人の群れにぶつかった。
「すごい人だねぇ。さっすがみなとみらい」
「ぼやぼやしてたら逸れるよ、ほら」
一つの生き物のように流れる人の勢いで離れそうになる彼女の手をそっと掴む。彼女は、大げさに「ひゃっ」と声を出した。
「どさくさに紛れて手を握るなんて、大胆になったねぇ少年」
「うるさい。離そうか?」
「あーうそうそごめん!」
なんとか人をかき分けて海沿いの石垣に腰掛ける。
花火開始時刻10分前とだけあって、あたりには人でごった返していた。家族連れから友達同士、カップルまで人の熱気がひしめいて溶け合い、生暖かな夜気となって辺りを取り巻いている。
「1年ぶりの花火大会だし、楽しみだねぇ。しかも今回は君から誘ってくれるなんてねぇ」
ムフフ、と下衆な笑いを浮かべる彼女を尻目に、僕はコンビニで買ったコーラを一口飲む。甘ったるい清涼感が、喉から全身へ駆ける。
遠くの空で火花が舞った。数瞬遅れて、内臓を揺らす大きな炸裂音。自然と、辺りから歓声が上がった。その歓声が止むのを待たず、次から次へと夜空が大輪で照らされる。幻想的な光の残滓が、微かな火薬の匂いを伴って流れた。みなとみらいが、束の間の享楽に揺れる。
「わ、始まったよ!」
座したまま、彼女はぴょんと跳ねる。1年前から変わらないボブカットが、ふわりと躍った。
うっとりとした目で、彼女は花火を眺めている。その澄んだ瞳に映った赤や緑の色彩が堪らなく蠱惑的で、儚く見えた。
「あの、さ……」
爆発音がひっきりなしに轟く海沿いで、僕の声はひどくか細く、しゃがれていた。
ただそれでも、彼女は僕が何かを言いたげだと察して、こちらに耳を傾けてくる。
「うん? どうした?」
言おうとして、言葉が支える。喉が乾く。脳裏に、彼女の母親の姿がよぎった。
僕は、ずっと聞けずにいたことを喉奥から絞り出すようにして言った。
「君は…………どうして死んじゃったんだい…………」
夜空に、大輪の雫が雨のように降り注いだ。
それは、甘い匂いがした。